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咆哮する黒船

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咆哮する黒船
咆哮する黒船 咆哮する黒船

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「折角、三崎港に来たんだからマグロ丼だけじゃなく、他の食べ方でも堪能しないとね♪」
 左目の眼帯に静かに利き手で触れながら、水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)は楽しそうに微笑んだ。
「浦賀じゃ。ここは横須賀じゃ、三崎港ではないようじゃ」
 嘆息しながら共に港を訪れた、天津 麻羅(あまつ・まら)が呟く。風に吹かれて飛ばないように、彼女は、麦わら帽子を右手で押さえた。元来は青かった麻羅の片目は、生前に炎を幾度となく直視したせいで、その色が移り込んだように赤く代わっている。
「本当は大間産の最高級マグロを食べてみたかったんだけど、アレって殆ど築地に流れてるのよね?」
 麻羅の言葉を聴いているのかいないのか、緋雨は黒く長い髪を風で揺らしながら続けた。
「まぁ本当に食べたかったら銀座にでも行けばいいんだけど……銀座か……色んな意味で遠い世界よね」
 あはは、と、笑って見せた緋雨は、それから鍛冶師としての師匠でもある麻羅へと向き直り、気を取り直した様子で宣言した。
「さて気を取り直して、マグロ三昧と行きましょうか〜♪」
「ちょ、待つのじゃ――まったく」
 腕を引かれる形で歩き出した麻羅は、相変わらず麦わら帽子を押さえながら溜息をつく。
マグロといえば、赤身魚である。
 苦手とまでは言わないまでも、麻羅は好んで食べる気にもなれない。
 ――まぁ他にも、何か魚はあるじゃろう。
 そんな思いで麻羅は、食べ歩きツアーをする予定であるらしい、緋雨の隣へと追いついていったのだった。


 その頃、浦賀湾を臨む高台の上に建築された、ギルマン・ハウスという名の外資系のホテルの五階にある海鮮をメインに据えた、寿司や丼ものが名物のレストランの入り口前には。
 柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)徳川 家康(とくがわ・いえやす)の姿があった。
 女体化薬の影響で、そろって女体になっている二人は、蒼空学園で受け取ったこのレストランの宣伝広告を手にしている。
 外資系のホテルとはいえ、純和風にこだわった各室の調度や、露天風呂、大浴場――そしてなにより、仲居や女将のホスピタリティをはじめ、極めつけが美味と評判のマグロ丼である。
「ほほう、三崎のマグロか……」
 近隣の漁港で取れた鮮魚も提供しているレストランの前を、風呂帰りに通りかかった家康は、金色の瞳を輝かせながら、両頬を持ち上げた。
 知的さが宿るその眼差しと、高尚さを振りまく容貌で、再度家康は、手にしている広告へと視線を落とす。元々の性別が異なる事もあり、どちらの大浴場に入るべきか逡巡したものであるが、備え付けの浴衣から覗く麗しい胸元の陰影をみるに、自室に備え付けられた露天風呂へと入った事は、いらぬ悲劇を生まずに済んだ様子である。
 家康は、湯気で上気した彼女(?)の白磁の頬に、魅入られる他の観光客の視線になど気付かぬ様子で、懐かしい感情に体を預けていた。
 ――せっかくの機会じゃからな、堂々と日の本に帰還してみるかのう。
 生前、三河の英傑として名を馳せた家康は、蒼空学園にて広告を受け取った際に、その様に思ったものだった。
「マグロ……食べたいな。だけど、流石に俺達浴衣だし、このままじゃまずいだろ」
 氷藍がまだ湿り気のある髪を、コンコルドで抑えながら、きまぐれそうに微笑する。
 落ちてくる美しい黒髪をまとめながら、彼女(?)は、続けた。
「昼食――には、少し遅いけどな、俺が予約を取っておいたぜ」
 普段は脳天気な性格を見せてばかりの美少年――現在は、美少女である氷藍が、そう口にすると、驚いたように家康が顔を上げた。
 氷藍のきまぐれな性格が、良い方面に働いたとでも言わんばかりの表情である。
 二人の予約席は、海がよく見える窓際だ。
 ――たまには地球でのんびりと……地球に寄るついでに美味しい物が食べたい。
 そんな思いで予約を入れた氷藍は、家康の背を促しながら、歩みを再開した。

 その丁度後ろで、レストランへと入っていく少女の姿が見える。

 漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を纏った、中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)である。
 綾瀬の乳白金の緩く波打った長い髪が、揺れている。
「丼も確かに美味しいのですが、私はご飯を多く頂く事が出来ませんので、やはりお寿司の握りでマグロを頂きますわ」
 レストランの中に設えられた寿司用のカウンターに座した綾瀬の声に、ドレスがひらひらとはためいて応えてみせる。
「はい、一丁」
 白い捻りはちまきに、和装を纏った板前・アル・ハサンが、大トロを綾瀬の正面へと置いた。幼い頃から『視覚的な物に囚われない様に』と常に黒い布で目を覆って生活してきた綾瀬は、その寿司の置かれた気配と、食欲を誘う香りに、思わず薄く笑った。仮に彼女が目への戒めを解いていたのであれば、白銀に光るそのつややかな白米の美しさもまた視覚情報として記憶していただろう。
 パラミタ各校へと直接、海鮮の美味を喧伝してきたアル・ハサンはといえば、相も変わらぬ無表情で、次のネタへと手を伸ばしているのだった。
 彼の白金色の短髪が、染色したものなのか否かは定かではない。
 しかしその良く日に焼けた肌、あるいは生来浅黒いのだろう褐色の肌は、一人前の寿司職人の装束にとても映えていた。元来無口――といよりは、必要な事や、取り立てて大きな事柄でなければ話そうとしない様子の痩身の彼であったが、目の前で寿司を食そうとする綾瀬の事を注視しているのは、誰もが異論を挟まない程明らかだった。
 彼の海に似た青い瞳が固唾をのむ中で、綾瀬が寿司を口へと運ぶ。
「――美味しいですわ」
 その一言に、どこかアラブ系の血筋を伺わせるアル・ハサンが、穏やかな笑みを浮かべた。

 丁度その時、チェックインをすませたばかりの様子の二人組が通りかかる。

 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は、スーツケースを運びながら、宛がわれた部屋を目指していた。運んでくれようとした従業員がいた。だが、今回はバカンスといった目的もあり、様々な衣類を持参した為、大荷物を持っている二人が、辞退したのである。
 多くの場合、二人は凄艶な装いをしている。
 セレンフィリティは、メタリックブルーのトライアングルビキニのみを着用し、その上にロングコートを羽織るだけの姿である事が多い。対してセレアナは、黒いロングコートの下に銀色のホルターネックタイプのメタリックレオタードを纏っているのが常だ。
 しかし本日の二人は、地球に降りたせいもあってか、いつもとは異なる装いだ。
 普段はツインテールにしているセレンフィリティは、髪を下ろしている。そしてマキシ丈のエスニック調のワンピースを纏い、首の後ろで紐を結んでいた。黒地が基調で、灰色とも白色とも区別の付かない色で刺繍が施されている。模様は羽とも花ともつかない、宗教建築のように荘厳な柄で、そんなモノトーンの出で立ちに、セレンフィリティは薄手のストールを纏っていた。
 一方のセレアナはといえば、ケミカルレースが施された薄手の黒いポンチョに、灰色のストレッチパンツを纏っている。
「暑いわね」
 スーツケースを運びながらセレンフィリティが呟くと、セレアナが穏やかに頬を持ち上げた。シャンバラ教導団の学食にて宣伝があったから――というだけではなく、二人は穏やかな観光の一時を過ごそうと、この地へと訪れたのである。その為宗旨替えし、というわけではないが、様々な、普段は身につけない衣類を持参したのは、単なる気まぐれだったのかも知れない。
「似合っているわ」
 しかしこうして、いつも見慣れているパートナーの、いつもとは違う様相を目にすると、自然と顔がほころぶ事を、セレアナは識った。
 その声に、セレンフィリティが息を飲む。――通常、なんだかんだで、つきあいが良いとは言え、冷静で現実的なセレアナの珍しい褒め言葉に、僅かに頬が染まる。
「た、たまにはお洒落したっていいじゃない!」
 普段は、いい加減・大雑把・気分屋と三拍子揃った、およそ軍人向きとは言えないと表されるセレンフィリティではあったが、あるいはだからこそ、素直な賛辞には照れてしまうのかも知れない。実際常日頃露出度の多い彼女の肢体を覆う衣は、とても目を惹く。いつもとてお洒落ではないとは決して言えない彼女であるが、その魅力が包み隠される事により、更に際だっているのは事実だった。
「確か、あの部屋ね」
 しかしパートナーの照れた調子になど素知らぬ様子で、セレアナは目的の部屋の前へと立ったのだった。

 その時、二人が歩く回廊の正面、窓の向こうの海原をグリフォンが通り過ぎていった。

 グリフォンとは、前半身が鷲、後半身が獅子の幻獣である。その背にまたがっているのは、アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)だった。
「あぢぃ……しぬ……まぢでしぬ……」
 アキラの呟きに、アリスが目を瞠った。アリスは、人形に魂を込める人形師リンス・レイスの手によって作られた魂を持ち動いて喋る人形である。
「不思議の国へ行ってミナイ? 案内してあげるワヨ」
「不思議の国って――黄泉の国に逝きかけてる」
「危ないワネ。ここは鮪ジュースが必要ダワ」
「そんな不味そうなものいらねぇから」
「だけど海が静かすぎて不吉ダワ。これじゃあ英国海軍も右往左往ダワ」
「英国?」
「ワタシは不思議の国のアリスと、その作者と出身国には一過言あるノヨ」
 不思議の国のアリスの主人公『アリス』をモデルに作られた彼女は、グリちゃんと命名されているグリフォンの上から、浦賀湾に停泊している黒船をまじまじと見据えながら呟いた。美しい金髪が揺れている。
「英国は、海軍の国――その出自のワタシには、思う所があるノヨ」
 彼女のその言葉が正しかった事は、すぐに証明される。