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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

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【黒史病】記憶螺旋の巫女たち

リアクション

 宇都宮祥子がアナスタシアとホテルに帰ろうとした時、その青年が、木刀を振り回しているのが見えた。
 彼は何か静かに呟きながら、何故かアナスタシアたちの方へも歩み寄って来た。
「あの、こんな展開、原作にはありませんわよ!?」
「……なんだか設定が違うみたいね」
 祥子は迷った。彼女にとってはただの一般人、あしらうのも逃げるのも全く問題ない。情報を聞き出してもいいのだが……。
 ──その時。
「お姉様! アナスタシアお姉様!」
 聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「藤崎さんにシェリルさん! 一体、どうしましたの?」
 公園の入り口から息を弾ませて走ってきたのは、藤崎 凛(ふじさき・りん)と凛のパートナーシェリル・アルメスト(しぇりる・あるめすと)の二人だった。
「校長からここにいらっしゃると伺いました。ホテルになかなか戻っていらっしゃらないから心配で……、いてもたってもいられなくて、来てしまいましたの」
「そんな危険なことはなさらないで」
 契約者でもないのに、凛の方が戦闘面では優れているのに、しかも彼女は日本人なのに。にも関わらず、アナスタシアは凛にそう言った。
 彼女が清純で引っ込み思案な性格であることだけでなく、自身に憧れていることをシェリルから聞かされていたからだった。自分のために患者といった妙な集団に、可愛らしい後輩を関わらせるのは申し訳ない気分になる。
「大丈夫ですわ、お姉様がご無事ならそれで。それに……その話題の小説、聞き覚えのあるタイトルです。お役に立てますわ」
(頼りないと思ってたのに、ずいぶんしっかりしてきたんだね)
 彼女の力説を聞いて、シェリルはひそかに微笑むと、
「じゃあリン、あそこに木刀を持った青年が近づいてきてるね。アナスタシアは私が逃がすから──今は君が頼りなんだ、頑張ってね」
 自らの付けていた薄紫のスカーフを外すと、凛の口を覆うように、ヴェールの如く巻きつけた。
「え、ええ……私、囮になりますわ!」
 力強く頷くと、早速、凛は青年に向かっていった。
「アナスタシアも口をハンカチで覆っておいてね」
「は、はい……でもあの、生徒を置いて会長の私だけ逃げるわけには」
「大丈夫、隠れる時間を作るだけだから。契約者の能力を知ってるだろう? すぐに戻ってくるよ」
 シェリルはアナスタシアと祥子を、ぞうさん滑り台のお腹の下、小部屋になっている部分に隠した。

「愚かな争いを繰り返すのは、そこまでになさい……!」
 凛は、青年──世界救世装置の前に立ち塞がった。
「私は異界から舞い降りし特異点(イレギュラー)……リン・ウィスタリア連綿と続く負の円環、破壊させて頂きます!」
 びしっ。指を突き付け、ポーズを取る。
 実は彼女、大人しい性格の為か、空想遊びをすることがあり。
 この場所では、もう周囲に自分を知っている人たちは殆どいなくて、そんなことをしてもとがめられず、きっと相手も覚えていない。そんなことに気付いてしまって。
「バランスと負の円環……それこそが天空神の力の源……」
 必殺技なんかを考えてしまって。風上に立って。
「行きますわ、<審判の風>! 選別に叶わぬ者の自由を奪いますっ!」
 いつも持ち歩いている香辛料セットの中から、辛党の凛お勧めの高級故障を振りまいた!
「な、なんだこれは……は、はくしょん! ……シ、システムエラー……」
(……なんだか楽しいかも……)
 凛は早く戻らなくちゃ、と思いながら、ぱっぱっと、調子に乗って何度も彼に胡椒を振りまいてみた。

(そろそろ私もお役御免かな? リンが自立していくのは少し寂しいかもね)
 シェリルの種族、剣の花嫁は契約者の大事な人の姿を取ると言われている。それは凛の場合、彼女が幼い頃、駅のホームから落ちた時に助けてくれた白人の少年だった。そのせいもあるのだろうか、シェリルは彼女の保護者のような役割を務めてきた。
(今までだったら私が前面に出て、リンに後を任せてるところだし、それを彼女も望んだと思うけどね)
 何となく感慨深い気持ちになっていたシェリルだったが、像の脚から外を覗くアナスタシアの頭を見て、何となくからかって見たい気分になった。
「大丈夫だよ、ほら、こっちにリンが戻って来た。──ところで……君の隣の王子様の椅子は、まだ空いてる?」
 彼女の横に顔を出しながら、シェリルは悪戯っぽく訪ねた。
「え……あの、何を仰っていますの?」
 振り返ったアナスタシアの顔は、激しく動揺していた。それが面白かったのを表情に出さずに、
「君には許婚がいてもおかしくないけど、決められた相手に嫁ぐ前に、一生の思い出になる恋をしてみない?」
 アナスタシアは今度こそ固まった。
 シェリルは王子様っぽいのは確かだが、女性で。アナスタシアは今のところ女性に恋愛感情を抱いたことなどなくて。どこからパラミタでは同性婚はそれほど珍しくないけれど──、
(これはどういう意味なんでしょう? し、真剣に受け取っても宜しいのかしら?)
「……なんてね。本気にした?」
 目を白黒させながら、本気で考え込むアナスタシアの様子に、シェリルはくすくす笑った。
「もう、冗談ですの!? からかわないでくださる?」
 胸を手で押さえて撫で降ろし、はぁと安堵の息をアナスタシアが吐いた。
(こういう話は苦手ですわ。恋愛なんて私には無縁ですもの。 それに、生徒会長ですものね。恋愛より学校のことを考えなければいけませんわ……)



 世界救世装置が突如エラーを起こし、苦しげに悶えているのを、デルフィニウムとリリーは見ていた。見ていた、だけだった。
 先程、事実を知る前だったら、今まで通りに自身に使える技を撃ちこんでいただろう。だが、彼の本体が異空間にある以上、手出しができない。
 悔しげに黙り込む二人の元に──その時、どこからか少女の声が届いた。


誰か?
私の声が聞こえますか?


「だ、誰?」
 デルフィニウムが周囲を見回しながら問うが、人影はもうない。あるとしたら、その世界救世装置だけだ。

私はレイファン(本名久川 亜美龍ヶ崎 灯(りゅうがさき・あかり)
あなたが今見ている彼の中から話しかけています。
前世において、私は世界救済装置『トリムールティ』に組み込まれたのです。
この装置を実用化したのも、私や幼馴染の彼を破壊者の役割として組み込んだのも、私の父です。
どうか『世界の破壊者』を止めてください。今から私の意志で装置の一部を通常空間に顕現させます


「どうして、というよりどうやってですか……?」
 リリーが姿の見えぬ彼女に疑問を投げる。それに彼女は答えた。


私が、世界救済装置のコアに組み込まれた時にバグが発生したのです。
これを利用することで、3秒間だけシステムの一部を制御下におくことが出来ます。


 彼女はその時に、討て、というのだ。
「でも、そんな存在に、通常の攻撃が通じるでしょうか」
「やるしかないね。全ての元凶を存在を、自分の存在そのものと引き換えにしても討つ。そして日常を皆に取り戻すんだ」
(たとえこの存在が消えようとも、あの子の笑顔の為なら安いものだ。この呪われた運命を、螺旋を断ち切る)
 不安げな色を隠せないリリーに、デルフィニウムが言い切った。
「ワンワン!(気を付けるんじゃぞ、あいつはベテランのわしから見ても、危険じゃからな)」
「ほら、犬も元気だして、って言ってるよ」
 続いてベスが吠えれば、彼女は励ますつもりかそんなことを言ったが。
「ワン! ワン!(やれやれ。次元シフトの戦争も終わったかと思ったら。孫のためにも老骨に鞭打つとするかの)」
 何かを伝えたいように、前足を膝に乗せてかりかりするベスに、リリーは屈みこんだ。
「どうしたの?」
「ワン!(あぁ、お前には聞こえていないんだったかのう。記憶が戻れば分かってくれるかもしれんがのう。いやいや、こんなことならもうちょっと言語も教え込んでおくんじゃったわい)」
 一声吠えると、ベスは前足を伸ばし、首を伸ばし──その姿全身を伸びあがらせる──と。腰の曲がった老人の姿が、ベスの背中から、背後霊のように成形された。半透明の霊はベスに代わって口に開く。
「ワンワン……じゃなかったの、久しぶりじゃのう、孫よ」
「お、お祖父ちゃん!?」
 何と、ベスはかつてリリーと共に地球に訪れた、祖父であり師匠の魔導技師だったのだ。
 リリーの祖父はこほんと咳払いをすると、二人が目を丸くしているのにも構わず、話を進めていく。
「この体になるには諸々の用意が必要でな、あまり持たん。今から説明するから、ようく聞いておくんじゃぞ」
「は、はい」
「おまえは忘れているじゃろうが、かつてわしらは究極の技を持っていた。わしが今から封印を解いてやる。それなら奴にダメージを与えられる」
「本当ですか!?」
 がしっ、とリリーはベスの肩を掴んで揺さぶった。
「本当じゃ。それからそこのお嬢さんも何やらすごい技を持っているようじゃ。
 だからまぁ──心配は要らん。システム内部が自ら破壊を望んでおるのじゃ、これ以上強い味方はあるまい。じゃろ?」

 その声が聞こえたのだろう、レイファンが頷くように、


では私しかできないこと──『世界の涙』で緊急停止装置を顕現させます。
破壊を実行する度に、心の奥底で涙を流す彼を誰か止めてください……。



 彼女たちが東屋を出た時、世界救世装置は今、公園の中央に立ち尽くしていた。
 駆け寄ると、彼の背中から虹色に──それは人の目にそう映るだけで、一時も同じ色をその場に留めてはいなかった──輝く石版のようなものが現れた。
 これが異界にある世界救世装置の一部だろう。やがて虹色は石版の模様をなぞるように一部の色が規則正しく明滅し始める。まるで二人の注意を引くように。
 そして突如、その光が消えた。彼は糸の切れた人形のように、突如がくりと膝を折り、手を地面に突いた。目は何も映さず、ガラス玉のように透き通っている。
 二人は、再び顔を見合わせた。それは今度は、決意に満ちた表情だった。
「存在を対価としてでも、命をあざ笑う神を倒そう。自分達で歩く為に」
「ええ」
 リリーの青い髪が重力に逆らって舞い上がり、ベスの毛並みも逆立った。尻尾がぴんと天に伸ばされ、その先端に魔法円が展開される。
「多重星霊魔法<世界十字(マグナクロス)>発動!!」
 その時──地球が動いた。
 それを感じることができたのは、術を展開したリリーとベス、それに、レイファンだけだっただろう。並行世界にある複数の地球でグランドクロスがつくられた。
 神の視点でしか俯瞰することのできぬその宇宙の配列は、ただ一点を貫くためだけの、巨大な槍となった。
 リリーの手はその槍を掴むように胸の前に伸ばされた。両手で空間を掴むと、左手を下方に、右手を上方に滑らせた。そして左手で槍を払い、右手首をくるりと回した。
 そのまま右手を振りぬく。見えぬ槍が彼を貫いた刹那、空から一筋の光が降りて、彼を頭から貫いた。
 痙攣しながら全身を広げた世界救世装置の石版が、澄んだ音を立てて割れた。
 この間長い詠唱を続けていたデルフィニウムはその彼の前にゆっくりと立つと、術を解き放った。
「<希望と絶望(スペランツァ・エ・ディスペラツィオーネ)>!」
 右手に光が、左手には闇が出現する。両手を合わせると、そこに一本の魔剣が出現した。
 この魔剣『希望と絶望』は、過去に恋に落ちた巫女と魔族が迫害され自ら命を絶った際生まれ落ちた。過去、現在、未来を変えるため、切った対象の平行世界から過去未来全ての存在自体を抹消。詠唱が終わり次第相手を切るという運命が決定し、全てが終わるだろうと言われている。
「人の手でこの呪われた運命の螺旋、無限の螺旋を断ち切る──!!」
 ……果たして、運命は決定された。
 デルフィニウムの手にこの魔力を帯びた直刀が召喚された時、振るうまでもなくその刃は、世界救世装置の存在を、可能性を消滅させる──。
 まるで灰のように消えていく彼を見つめる二人の耳に、最後にレイファンの声が聞こえたような気がした。

もう、彼は涙することはないでしょう。
ありがとう……皆さん。




「やりましたね、デルフィニウムさん! ……デルフィニウムさん?」
 両手を胸の前で組んで、満面の笑顔でリリーが振り向いた時、そこにデルフィニウムの姿はなかった。
「……あれ、何処に行っちゃったんですか……というより、私、何をやったんでしたっけ? ……それより、誰を探していたんでしたっけ?」
 リリーは考え込み、それからベスを抱いて、抱きしめた。
「よく分からないですけど、これで終わったんですね。今度は──もう一度生まれ変わったなら、きっと憎しみのない世界に」

(もう自分の存在は見えてないのか)
「……」
 薄れゆく意識の中で、滲んだ絵の具のようにはっきりしない景色を見ながら、砂嵐のようにざらざらとノイズが増える記憶を辿りながら、デルフィニウムはぼんやりと思った。
 さっきの召喚魔法は、魔法というより呪い。成功しても、失敗しても使用後に、使用者も前世の存在も全ての輪廻が抹消され喪失。誰も存在を覚えていない、存在しなかった事になる。
(これであの子は、カクトゥスは救われる。ボクに裏切られた悲しい記憶も一緒に。
 ──そうだ。あの黒ずくめの女の子。あの子に出会ってなかったら、ずっとこんな記憶にも目を背けていたはず。せめて一度くらいは、自信をくれてありがとうと言いたい)
 ああ、駄目だ。
 考えるのに疲れた。
 ノイズがひどい。もう何も聞こえない。でも何故だろう。目の前に彼女がいる気がするのだ。
 それが妄想でも幻影かも解らず、彼女は唇を、最後の力で動かそうとした。
「あり、が──」
 言いかけたそのまま、彼女の体はさらさらと、光の粒子となって消えた。