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リアクション
【二 VIPルームは十人十色】
バラーハウスを訪れる客は、何も女性ばかりという訳ではない。
例えばクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)は誰の目から見ても男性ではあったが、そんなことはお構いなしに、ひとりの客として、ここバラーハウスを訪れていた。
(さて……どんな具合に弄られているのやら)
パートナーのクリスティーがホストとして強制連行されたという話を聞き、半ば興味本位で覘きにきたクリストファーとしては、玄関ホールからすぐのテーブルで、意外にもクリスティーが沙夢や弥狐相手に、ホストとして立派に仕事をこなしている様を見て、少々驚きの念を覚えざるを得なかった。
(へぇ……やるもんだねぇ)
もっと困っているのではないかと変な期待を抱いていたクリストファーだが、クリスティーの場合、単に客運が良かったというだけの話である。
しかし、クリスティーの仕事振りを眺める為だけに、このバラーハウスを訪れた訳ではない。当然、ホスト遊びも目的の内である。
そんなクリストファーの前に現れたのは、氷室 カイ(ひむろ・かい)と四条 輪廻(しじょう・りんね)の両名であった。
カイはクリストファーを出迎えた際、いわゆる普通のホストとして作法に適った振る舞いを見せていたが、輪廻はやや落ち着きがなく、どちらかといえば、妙に浮き足立っているかのようにも見える。
それもその筈で、今の輪廻は眼鏡を外し、髪型も少し変えて、アンリという源氏名を名乗る気弱な良いひとに変貌していたのである。
輪廻とは過去に何度も一緒に行動したことがあるカイとしては、輪廻のこの変わりようには内心、面食らっていたのだが、しかしクリストファーを前にして、彼までもが動揺している姿を見せる訳にはいかない。
別段、誰かを指名しようと考えてはいないクリストファーのような客こそ、いい方は悪いが、カイと輪廻にとっては格好の金蔓である。ここでしっかり応対してノルマを果たせるよう頑張らなければ、他で挽回する余地など無いであろう。
「ようこそ、お越しくださいました。私共が、ご案内致します」
「うん……今夜は、楽しませて貰いたいな」
長身のカイが紳士の礼を持って僅かに頭を下げるが、相手のクリストファーもかなりの長身である。
そしてもっといえば、この場に居る三人の中で最も背が高いのが、実は輪廻であった。
その輪廻が、哀れな程に落ち着かない様子で必死にホストとして応対しようとしている姿は、ある意味、滑稽ですらあったのだが、とにかくもカイとふたりで、クリストファーをテーブルにまでエスコートしていかねばならない。
と、ここでクリストファーが玄関ホール近くのテーブルを、と希望を出した。クリスティーを視界に収める位置に陣取りたい、というのがクリストファーの狙いだった。
「はい。勿論、お客様の仰せのままに」
いつもとは別人、という意味では、カイも輪廻に負けていない。
普段からはまるで想像出来ない程にひと当たりが良く、柔らかな物腰を見せるその姿に、今度は逆に輪廻の方が内心で驚かされるといった有様であった。
ともかくも、カイが先導に立ってクリストファーをエスコートし、最後尾に輪廻がついて荷物を預かるという役回りで、指定されたテーブルへと向かった。
その際輪廻は、クリストファーの後姿を眺めながら、奇妙な感慨に囚われていた。
(ホストクラブって、女性客ばっかりかと思っていたが……案外、そうでもないんだな)
相手が女性ではなかったことで、冷静さを失わずに対応出来ているということも事実ではあったが、話に聞いていたホストという仕事とは少し違う局面に立たされていることで、これから先の展開に予想がつかないのも、また同じく事実であった。
(まぁしかし……この調子なら、何とかなりそうか)
この時、クリストファーが一瞬だけ、つと足を止めて輪廻に振り返る。
「……どうか、したのかい?」
輪廻が黙り込んでいたことに、不審の念を抱いたらしい。輪廻は慌てて小さくかぶりを振って、愛想笑いを浮かべた。
「い、い、いえ、何でもございません。あ、あの、その、こんなのですけど、精一杯頑張りますから、楽しんでいって下さいね」
「そうさせて貰うよ」
クリストファーの妖艶な笑みを受けて、輪廻は何故か、女性と相対した時のような感覚で狼狽してしまう自分に、密かな驚きを覚えてしまった。
突然、玄関ホールでどよめきが起こった。
テーブル席の客やホスト達はもとより、控えスペースで待機している他のホストや、ホール担当の黒服達が一瞬それぞれの手や会話を止め、その方向に視線を向ける。
見ると、客として来店した皆川 陽(みなかわ・よう)がピンク色の高級シャンパンをオーダーしたらしく、指名を受けたジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)が自らそのシャンパンボトルを抱えて、陽の前で艶然と微笑んでいたのである。
「私が見立てた服を着てくれたのか……嬉しいね」
ジェイダスの甘くとろけるような囁きに、超高級フリルドレスを纏い、ロングヘアウィッグで完全な男の娘状態へと変貌を遂げていた陽は、ただただ顔を真っ赤にして俯き、震える声で礼を述べるのが精一杯だった。
「あ、ありがとう、ご、ございま、す……その……あ……あの時の服、着てみました……」
最初のうちは、とにかく礼をいわなければ、という義務感のような心理で必死に声を絞り出していた陽だが、次第に何故か物凄く申し訳ない気持ちが湧き上がってきて、その言葉はいつしか、謝罪へと方針転換をし始めていた。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! こんな服、ボ、ボクには、その……に、似合わない……です……よね……」
陽は、自分でも何をいっているのかよく分からなくなってしまっている。
ところが、不意にジェイダスが左手をそっと差し出してきて、陽の顎先に掌を軽く押し当てると、俯いてしまっていた面をやや強引に上げさせた。
もうこれだけで陽は頭の中が真っ白になり、その場に卒倒してもおかしくなかったのだが、しかし正面から見据えてくるジェイダスの眼差しに全身が硬直し、文字通り、何も出来ない状態になってしまった。
そんな陽の動揺を見透かしたのかどうか――ジェイダスは依然として艶やかな笑みを湛えたままではあるが、その口調にはどこか、小動物を優しくなだめるような響きが含まれていた。
「何をいっているんだ……この私が見立てたんだ。似合わない訳がないだろう。それとも、謙遜している風に見せかけながら、実はこのデザインが気に入らないといっているのかな?」
「い、い、いえ! そ、そんな……!」
変なところで揚げ足を取られてしまい、陽の頭の中は完全にパニックへと陥っていた。勿論、ジェイダスは陽の心理を読んだ上で、意地悪な台詞を口にしているに過ぎないのだが、分かっていても軽く受け流せない魔力のような響きが、ジェイダスの声には多分に含まれているのである。
すっかり困り果てて泣き出しそうになっている陽に、ジェイダスは唇を苦笑の形に変え、小さくかぶりを振って頭を掻いた。
「いやいや、冗談だ。今のは私が悪かった」
ジェイダスに、謝らせてしまった――もうそれだけで、陽にとっては万死に値する罪であった。しかしだからといって、ここで腹を切る訳にもいかない。
どうすれば良いのか、完全に自身の取るべき行動を見失ってしまっている陽に、周囲では気の毒そうな視線が飛び交っている。
勿論、ジェイダスとて空気を読む程度の気遣いは具えている。
ここで陽を恥さらしにする訳にはいかぬと判断したらしく、他のヘルプホストを左右に従えて、陽をVIPルーム案内する段に入った。
「さぁ、行こうか。ここで立ち話を続けるのも、おかしな話だ」
「は、はいっ……あ、す、すみません、そ、その前に、お渡ししたいものが!」
やっと良い方向に展開が流れ出したのを悟り、陽はここぞとばかりに声を張り上げて、薔薇の花束を両手で差し出した。それらの薔薇の茎には一本たりとも棘がついていないのだが、その代わり、陽の指先は絆創膏だらけになっている。
一瞬、驚いた様子でその美貌に呆けた表情を浮かべたジェイダスだったが、その面にはすぐに妖艶な笑みが浮かび、差し出された薔薇の花束を優雅な手つきで受け取った。
「陽が育てた薔薇か……嬉しいね、これは。変な意味じゃなく、素直に嬉しいよ、これは」
ジェイダスの感謝を受けて、今度こそ本当に、陽は卒倒した。
VIPルームで気付けの薬を与えられて陽が意識を取り戻したのは、それからおよそ、10分後のことであった。
陽のジェイダス指名によるVIPルーム開放が、引き金になったのかどうか。
この後、同様にピンク色の高級シャンパンを注文する客が相次ぎ、バラーハウス上層のVIPルームへと向かう姿が続々と現れた。
まず、火村 加夜(ひむら・かや)が山葉 涼司(やまは・りょうじ)を指名する際、ピンク色の高級シャンパンを注文したのだが、しかし未成年である加夜がそのまま口をつけられる筈もなく、店側で用意したアルコール抜きのボトルを出して貰うことになった。
ともあれ、VIPルームへと案内された加夜はそこでようやく、涼司と顔を合わせることが出来た。
「いや〜、助かったぜ加夜。プロレスの方じゃ対戦相手の指名が無さそうでさっぱりだったけど、お前がこっちで指名してくれたお陰で、無事に出ることが出来そうだぜ」
心底ほっとした様子で頭を掻く涼司に、加夜は穏やかな笑みで小さく頷き返す。
その涼司はというと、元々地下闘技場にエントリーされていたこともあってか、慌ててタキシードに着替えてきたらしく、そこかしこで幾分着崩してしまっている。
少なくとも加夜が来店するまでは、バラーハウス側には居なかったらしい。
「何だか、色んな意味でほっとしちゃった……」
いつもの涼司の顔を見たことで、それまでの緊張がほぐれてきた加夜は、豪奢なソファーに腰を下ろして小さくひと息ついてから、鞄の中から大きな包みを取り出した。
「はい、涼司君、お弁当」
「おぉっ! こいつぁありがてぇ!」
涼司は素直に、喜びの色を見せた。
実際、アンズーサンタに連れて来られてから、まだほとんど食事らしい食事にありつけていなかったのである。
ただでさえ食欲旺盛な涼司にとっては、中々に厳しい数時間であった。であるから、弁当を差し入れてくれた加夜の笑顔がいつにも増して、天使のような輝きを放っているように見えた。
勿論、加夜が作ってきてくれた弁当は、涼司の好きな味付けで丹精込めて調理されており、涼司の感激に満ちた感謝の念を否応にも誘う。
正直なところ、若干の不安を抱いていた加夜ではあったが、涼司がテーブルに広げた弁当箱を物凄い勢いで空けていくのを見て、それが杞憂であったことを知り、随分と安心する思いだった。
「いやー、しかし豪華な調度品が並んでるけどよぉ……こうして見ると、VIPルームっつっても、機能としては普通の家って感じだな」
涼司の何気無いひとことに、加夜は想像がひと足跳びに飛躍してしまい、顔が真っ赤になってしまった。
VIPルームは、全室スイートルームである。
一般によく勘違いされるのだが、スイートルームの『スイート』の綴りはSweetではなく、Suiteである。
ひと続きの、或いはワンセットのという意味合いであり、要はリビングやベッドルーム、キッチン、トイレ、バス等といった通常一般の生活に困らない程度に、全ての設備が整っている部屋のことをいう。
涼司の台詞に加夜が頬を赤らめたのは、一式揃ったひとつの家の中での新婚生活を連想してしまったからであり、実際この雰囲気といい涼司の言動といい、加夜を幸せな気分に浸らせるには十分な要素を備えていた。
「ん? どうした? 顔真っ赤だぞ?」
「あ……うぅん、何でもないよ! それよりも、夜景が綺麗だね、涼司君」
涼司に指摘され、加夜は頭を掻きながらはにかんだ笑みを返した。
しかし今の涼司にとっては、夜景などよりも加夜の弁当の方が遥かに重要であった。
加夜とて、話題に困って夜景に視線を転じてみたものの、涼司が加夜の弁当に重点を置いているその事実に、決して悪い気はしなかった。
もうこうなってくると、ホストクラブでも何でもない。いつもの家中デートと、何ら変わりはなかった。
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