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リアクション
3
実際のところ、レニはかなり混乱していた。
動揺していたと言ってもいい。
誘拐して来た筈の女の子たちが、どうしてあんなに自分に優しいのか。
大切な人を誘拐された筈の人たちが、どうして自分を許してくれるのか。
そのことが理解できないまま、果てが、この説教合戦だ。
レニは説教などされたことがない。
ポー爺は時々苦言を呈することはあったが、レニがはねつければそれ以上は逆らわない。
ミーシャもすぐに「仕方ないクマねー」と言って、レニの我が侭を聞いてくれる。
それ以外の他人から向けられたことがあるのは、冷たい無視と疎外、空々しいへつらいだけだ。
それが、世界のすべてだと思っていた。
「レニくん、レニくん」
黙り込んでしまったレニに、ミルトがまるで屈託なく呼びかけた。
「レニくん、今日が誕生日なの? おめでとう!」
ミルトの後ろで狭霧が驚愕の表情を浮かべた。
(ば、ばかーっ、何を言い出す、ミルトーーっ)
翔が無言で念を送ったが、もちろん届く筈もない。
周囲があわあわと慌て出した。
レニがきょとんとしてミルトを見ていた。
「……え?」
誕生日。
そういえば、そんなものも、あった。
この数日の騒ぎですっかり忘れていたが……それでこの「花見」を今日実行することにしたのだということを、レニは突然思い出した。
自分の誕生日をこっそり祝いたくて、こんな騒ぎを引き起こしたのだ……ということに、今さらながら思い出したのだ。
「僕ぜんぜん知らなかったから、プレゼント用意して来なかったんだ。後で面白そうなの見つけて贈るねっ! レニ君、どんなのが好き?」
いきなり、レニの顔が恥ずかしさで真っ赤になった。
「ばっ……な、何を言ってる、ボクはそんなもの……」
ぜんぜん気にしていないんだっ、と言おうとした言葉が半ばで消える。
音楽が、変わったのだ。
この曲は、知っている。
いつも、ポー爺とミーシャが歌ってくれる歌だ。
音楽に続いて、歌が始まった。
顔を上げたレニは、信じられないものを見た。
その場にいる全員が、歌っている。
そして、みんなレニの方を見て笑っていた。
歌が終わると、拍手の中でポー爺とミーシャがケーキを持って木の陰から現われた。
蝋燭がたくさん立ったそれが、バースデーケーキだということは、知っている。
いつも、二人が持って来てくれるものだ。
でも、どうしてそれを、みんな、こんなに嬉しそうに見ているのだろう。
実を言うと、その辺でレニの思考は一時真っ白になってしまった。
おそらく、事態が彼の許容できる範囲を大きく超えてしまったのだろう。
ふと気がつくと、レニはプレゼントに埋もれて呆然としていた。
ひとつひとつ目をやれば、ちそれをくれた相手も、そのときの言葉や表情も、ちゃんと覚えていた。
「馬のたてがみ」を小さく輪に束ねたお守りは、鬼院尋人がくれたものだ。
百合の花束をくれたのは、百合の花妖精、リリア・オーランソート。ととびきりの笑顔で花束を渡され、ぎゅっと抱きしめられて、狼狽えてしまった。
館下鈴蘭には、日記帳をもらった。これからここに綴られていく思い出が、素敵なものであるように、と。
「何を用意したらいいか分からなかったから、適当に「ロケット」を持ってきたよ」
そう言ってロケットをくれたのは、リキュカリア・ルノ(りきゅかりあ・るの)だ。
「写真とか入れて肌身離さす持ってたら、その人とずっと一緒に居られるような気がするでしょ?」
そう言われて、レニは両親のことを思い浮かべた。
家にいれば、いつでも肖像画を見ることができる。
でも、もしかしたら……そうやって写真を持って、もっと自分は外に出て行くべきなのかもしれない。
そんな事を考えていたレニに、リキュカリアはにこっと笑って言った。
「ま、一番のプレゼントは東雲の歌だけどね!」
「ち、ちょっと待て」
東雲が言って、慌てたように手にした包みをレニに差し出した。
「誕生日って聞いたから、ケーキを用意したんだ。ちょっと子供っぽかったらごめん」
透明のセロファンでラッピングされていたのは「動物顔の蒸しパンケーキ」だった。
ふかふかのクマの顔は、ちょっとーミーシャに似ていた。
そしてもちろん、東雲の歌は素晴らしかった。
パラミタと地球、各地の歌を織り交ぜて、その美しいテノールを存分に聴かせた。
それは優しく、ときに強く、レニの心に響いた。
それから、カンナも音楽をプレゼントしてくれた。
なんだか赤くなって、文句を言いながら。
その様子が、何だか可愛らしく見えたのは何故だろう。
そして最後は、全員が演奏と、東雲とヴェルの歌で、Agnus Dei。
ヴェルにとっては自分の一部でもある、美しい二重唱だ。
すべての罪を浄化し安息へと導くそれは、世界にただひとつの、レニのための歌のようだった。
皆が自分を祝ってくれる。
それは、レニにとって信じられない出来事だった。
ほとんど夢の中にいるような心持ちで、レニはその時間を過ごしたのだ。
それにしても、理解できないことがあった。
……ボクは、どうしてこんな格好をしてるんだ?
自分の姿を見下ろして、レニは悩んだ。
これが、世間での「花見」での決まり事なのだろうか。
もしかしたら、誕生日の決まりなのかもしれない。
何しろ、自分がどれだけ「世間」を知らないか思い知らされたばかりだ。
できるだけ、知らないことを受け入れようと思った。
だから、ブルーズ・アッシュワースが妙に嬉々として【桜吹雪の着物】を持って来て、レニに纏わせた時も、黙って従った。
「最後の紅は僕が引いてあげよう」
そう言って黒崎天音が小指で紅を掬いレニの唇を彩った時も、そういうものなのかもしれないと、納得しようとした。
「やはり花は良いものだのう」
ほとんど呆然としてぽかんと花を眺めていたレニの傍らにふわりと座した讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)が、さりげなくレニの手を取り、微笑んだ時も。
「レニ…そなた自身も、また花のように我が目には映るがの?」
何故か抱き寄せられ、そう耳元に囁きかけられた時も。
……いや、ちょっと待て。
レニの眉間に、縦皺が刻まれる。
「どうかしたかの、そんなむつかしい顔をして?」
「……いや待て、おかしい」
そう言って、レニは顕仁の腕の中から慌てて滑り出た。
「おやおや、花に逃げられてしもうたか」
名残惜しそうに言って、顕仁が笑う。
レニは改めて自分の姿を見下ろし、それからまた、周囲を見回した。
「何故ボクだけ、こんな格好をしてるんだ? これはどう見てもて……女の格好じゃないかっ!」
散りゆく桜の中に、レニの声が響き渡った。