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リアクション
【九 巨乳戦争】
マッサージ講座を受講している者の中には、自分の為ではなく、大事なひとの為に、という思いの者も少なくない。
シャーロット・モリアーティ(しゃーろっと・もりあーてぃ)はセイニィ・アルギエバ(せいにぃ・あるぎえば)の為に、ラナに頼み込んで特殊なバストアップマッサージについての講義を受けられるよう、事前に根回ししておいた。
勿論、セイニィには内緒に、である。
もしセイニィが講義の内容について知ってしまえば、躊躇するかも知れない、というシャーロットの判断からであった。
ラナにはバストアップマッサージではなく、日頃の疲れを癒すヒーリングマッサージの講義であると説明して貰うように、頼み込んである。後は、セイニィ本人をマッサージ講座が実施されている簡易テントに連れて行くだけであった。
シャーロットが砂浜を探して廻っていると、セイニィの姿はすぐに見つかった。
セイニィは、女体化した武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)とふたり、波打ち際を散歩しているところであった。
「あ……セイニィ!」
シャーロットが呼びかけながら走り寄っていくと、セイニィは穏やかな笑みで手を振ってくれたが、一方の牙竜は、細面の美貌に警戒の色を浮かべて、シャーロットを凝視した。
牙竜からの視線に敵愾心のようなものを感じながらも、シャーロットは己が目的を達する為に、マッサージ講座についての説明を加えた。
最初は何事かと、不思議そうな面持ちで小首を傾げていたセイニィだが、シャーロットの説明に魅力を感じたのか、次第にその表情には好奇の色が浮かび上がるようになっていた。
「そういう訳ですから、これから一緒に、マッサージ講座のところへ行きませんか?」
ところが、答えたのはセイニィではなく、あからさまに警戒の念を見せている女体化牙竜であった。
「ごめんなさい……私達、恋人同士で、今はデート中なの」
シャーロットは女体化牙竜の正体が分からない為、この謎の美女が本当にセイニィの恋人なのか、よく分からなかった。
ところがセイニィはというと、女体化牙竜の台詞にむっとした表情を見せた。
「ちょっと、牙竜、悪いんだけど……あたしがどこで何をするかは、あたしが決めることよ」
このひと言に、女体化牙竜は思わず、愕然の念をその面に張りつけた。
今の今までセイニィと良い雰囲気だったのに、シャーロットにセイニィを取られてしまうかも知れないという警戒心から出た台詞が、思わぬ事態を招こうとしている。
実際、牙竜は肉体こそ女体化しているものの、その精神は矢張り、男のままである。
年頃の女性の心理を把握しているとは、お世辞にもいえなかった。
一方のシャーロットは、セイニィに対する自分自身の思いではなく、セイニィの為になることを優先して行動している。いわば、己の欲望を取るか、相手の心を尊重するか、の差がここで出てしまった格好であった。
「牙竜があたしに気持ちをぶつけてくれたことは嬉しい……けどね、人間同士の繋がりっていうのは、それだけじゃ駄目だと思うんだ……もっと、こう、相手の気持ちを思いやるっていうか……」
牙竜、惨敗である。
少なくとも、この日に限っては。
シャーロットに伴われて去ってゆくセイニィの後ろ姿を、女体化牙竜は呆然と見送るしかなかった。
束縛は、お互いが恋人同士の場合に於いてのみ有効なのであり、まだ確固たる関係が築けていないうちは、却って逆効果になることを、牙竜は学ばなければならなかった。
何だかんだいって、セイニィもまた、ひとりの女性である。
彼女の女心を理解出来ないまま女性の恋敵(この場合はシャーロット)を相手に廻すのは、圧倒的に不利だといって良い。
勿論、牙竜はまだ、トータルに於いて敗北した訳ではなかったが、今のままでは圧倒的なビハインドの位置にあることを、自覚しなければならなかった。
意外にも、若齢化の海は好評であるらしい。
御神楽 陽太(みかぐら・ようた)は妻の御神楽 環菜(みかぐら・かんな)と一緒に若齢化の海に飛び込み、ふたり揃って十代半ば程度の肉体に若返っていた。
尤も、若返るのはあくまで肉体年齢のみであり、精神そのものは、従来のままである。
陽太は見た目の年相応(?)にはしゃいでいるが、環菜は相変わらずクールな表情を崩さない。
要するに、ノリが悪い、のである。
「あれ? ねぇ、環菜……楽しくない、の?」
元気一杯に遊び倒す陽太とは対照的に、環菜は寧ろ、仕方なく付き合っている、といわんばかりの落ち着いた態度で、いささか淡々とした表情を見せていた。
そんな妻の姿に、陽太が不安にならない訳がない。
環菜は陽太の不安に対し、少し困った様子を見せた。
「別に楽しくないって訳じゃないけど……馬鹿みたいにはしゃぐのは、どうも苦手なのよね」
しまった、と陽太は内心で激しく後悔した。
若返って元気に遊ぶのが、妻にとっても楽しい時間だと思ってのことだったが、そこには幾分、陽太個人の思い込みがあったようである。
肉体が若返ろうとも矢張り環菜は環菜であり、そのクールな性格は決して変わらない。
だが陽太にとっては、そんな妻の姿もまた愛おしいのであり、決して後ろ向きには捉えない。要は、自分が考え方を改めれば良い、という結論に至った。
「ご、ごめん、環菜……俺、そこまで考えてなくて……」
「あ……良いのよ、陽太が謝ることじゃないから。寧ろ、陽太が折角色々考えてくれてるのに、それに応えられない私にだって問題あるんだし」
陽太は一瞬、我が耳を疑った。
あの環菜が陽太に対し、申し訳ないという意思を示したのである。
陽太自身はあまり気づいていなかったかも知れないのだが、環菜は妻として、陽太に色々と気を遣っていたのだ。
この時、陽太が受けた衝撃は並々ならぬものがあった。
夫婦とは、とにかくロマンチックな雰囲気の中でお互いを求め合うのが、最高の愛情表現だとばかり思っていたが、しかし実際は、そうではない。
ひとつのつがいとして本当に愛し合うというのは、常に相手のことを慮り、伴侶を決して悲しませず、平穏な日常を過ごせるように努力することである。
人目も憚らずにいちゃいちゃしたり、ムードを高めて肉体的に求め合うだけならば、別に夫婦でなくても構わない。それこそ、単なる恋人同士や不倫カップルにでも出来る芸当である。
だが、夫婦には、そういった関係の者達には決して出来ないことがあるのだ。
環菜の目はいつでも、陽太だけを見ている。
その事実を、陽太は今この場で改めて、思い知った気がした。
同じく、若齢化の効果を受けた神代 明日香(かみしろ・あすか)は、海の家から借りたゴムボートでエリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)と一緒に沖合へと漕ぎ出していた。
なかなかこういう形で遊びに出ることが出来ないエリザベートは、本来の意味での童心に戻り、波飛沫を浴びては、きゃぁきゃぁと黄色い声音を上げて楽しんでいる。
勿論、明日香も一緒になってエリザベートと遊んではいるが、時折大きなうねりを受けてゴムボートが転覆しそうになると、必死にエリザベートを抱き寄せて、何とか海中に放り出されないようにと頑張っている。
但し、明日香は泳げない。泳げないながらも、エリザベートを守らなくては、という使命感のような思いが、彼女の中で常に心の準備をさせているのである。
「エリザベートちゃんの水着姿って、ほんと、可愛いです〜」
オールを左右に握ったまま、うっとりとエリザベートに視線を据える明日香に対し、エリザベートははにかんだような笑みを浮かべ、小さく頭を掻きながら、えへへと笑った。
「いつもはこんなの絶対着ないから、ちょっと恥ずかしいですぅ」
エリザベートの屈託の無い笑顔に、明日香は思わず両手を伸ばしてぎゅっと抱きしめた――が、その拍子で、オールが波間にさらわれてしまった。
「あっ……あぁ〜、も、戻ってきて〜!」
慌てふためきながらも、流されてゆくオールに必死に手を伸ばすが、どうにも届かない。こうなったら魔法で空を飛んで取りに行くしかないか――そんなことを思った明日香の目の前で、二台の水上バイクが白波を切って接近してきた。
水上バイクはそれぞれ一本ずつオールを波間から拾い上げ、明日香とエリザベートの乗るゴムボートまでゆっくりと近づいてくる。
「ほらほら、駄目じゃないの、オールから目を離しちゃ。たったひとつの移動手段なんだから、使わない時はボートの底にあげておく。良いわね?」
そう注意を与えながらオールを手渡してくれたのは誰あろう、西シャンバラ代王高根沢 理子(たかねざわ・りこ)だった。
これには流石に、明日香のみならず、エリザベートも相当に仰天した様子だった。
もう一台の水上バイクには、酒杜 陽一(さかもり・よういち)の姿が見える。
理子も陽一も機能性に優れたスウェットスーツに身を包んでおり、ちょっとしたスポーツマンカップルのようにも見えた。
「理子さん、相変わらず反応早いね……俺なんか最初、全然気づいてなかったよ」
「あらあら……実はあたしよりも、陽一の方が日頃の疲れが溜まってるんじゃない?」
理子がからかうように笑うと、陽一は苦笑して頭を掻いた。
実際、反論出来ない部分があるのが、何とももどかしい。
それにしても、と理子が水上バイクのハンドルに上体を預けながら、エリザベートと明日香の顔を覗き込んできた。
「もうちょっと浜辺寄りに戻った方が良いわね。この時間帯は、ちょっと波が高いわよ」
「はぁい。そうします〜」
代王のお言葉とあれば従わない訳にはいかないが、エリザベートを危険に晒すわけにもいかないので、明日香は素直に従うことにした。
明日香がオールを手にして漕ぎ始めると、理子は不意に変な顔を作って、自身の腹に掌を当てた。
「……理子さん、どうしたんだい?」
「いやぁ……その、お腹空いたなぁ、って」
いわれてみれば、朝からずっと水上バイクを走らせて海上の風を浴び続けていたふたりである。腹が減って、当然であろう。
「今回は時間の縛りも無いし……ね、焼きそばとカレー、食べにいかない? 何かあそこの海の家で、飛び切り美味しいのが食べれるんだって」
「お、そりゃ良いね。是非行こう」
そんな訳で、ふたりも明日香とエリザベートのゴムボートを追いかける形で、浜辺へと向かった。
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