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リアクション
第7章 猫たちは核心に向かう
「おいおい、どこ行くんだよ」
バックヤードでは、黒猫とカガチの追いかけっこが続いている。
身軽な猫は、様々なものが陳列してされているバックヤードの薄ら暗い廊下を縦横無尽に飛び回り、器用に狭い隙間を潜り抜けて走っていく。
(ふむ、まだ気付かんか)
(あらゆる人間を下僕に貶めるという禁断の呪文「うなんな」を発動させて巻き込んでみたが……)
暗がりで黒猫は闇にまぎれ、また薄明かりにぬっと現れる。その姿を見失ったりまた見つけたりしながら、カガチは追いかけていく。
「おい、ほら、猫クッキー上げるから停まってくれっ」
「はぁ、ここって天国なのかしら……」
詩亜は、猫ルームで幸せ気分を味わっていた。
たくさんの猫がうろうろと歩き回っていて、中には自分から近寄ってきてくれる子もいる。
にゃーにゃーと、しきりに何か呼びかけるように鳴きかけてくる子も。
「なあに? 遊んでほしいのかな?」
抱き上げて膝に乗せ、もふもふと撫でる。
(幸せ……♪)
モフモフの手触りに癒されて、ほんわかとなっている詩亜は、この猫たちを襲っていた事態に気付くはずもなかった。
――ついでに、玲亜がいつの間にか傍からいなくなっていることにも気付いていなかった。
「一体どこ行ったんだか……」
笠置 生駒(かさぎ・いこま)は、昨夜から帰ってこないパートナーのシーニーのことを考えて軽く溜息する。
と言っても、彼女の行方が分からないという事態で、考えられるのは一つしかない。
(またどこか路上で寝てるんだろうな)
ほどほどにして帰ってくればいいんだけど。
そんなことを考えて歩いているうちに、『キトゥン・ベル』の前まで来た。
「猫カフェ? 今日開店?
……入ってみようかな」
猫は好きだし、どこかで休憩したかった。
そうして入ってみたのだが、店員が揃いも揃って「にゃん」などと語尾に付けたり、尻尾をゆらゆら出している者もいたり、奇妙な感じである。
それに耳が変に尖っている者もいたり、かも何だか猫っぽい……
(変な感じだなぁ。けどまぁ、そんな演出なのかな)
深く考えないことにして、猫ルームに入ると、予想通りたくさんの猫がいる。
それらを撫でたり、近くにあったおもちゃなどで構ったりしていた生駒だったが……
(? 酒臭い?)
猫の部屋の中で猫の匂いがしているのは当たり前として、妙な……覚えのあるアルコール臭がする。
(猫は酒は飲まないよね)
まさか、さっきまでシーニーのことを考えていたから彼女の匂い……というか常に彼女が撒き散らしているアルコール臭がするような気がするとか? いや、そんな馬鹿な。
アルコール臭にパートナーを感じるとはいささかとほほな感じだが、気になって、生駒は臭いの元を捜して部屋の中を歩き回った。
「……この猫?」
部屋の隅のボックス型ベッドの近くで、へたって寝ている猫を見つけた。
抱き上げると、力なく胴がびろ〜んと伸びる。しかもだるそうにうざったるそうに、ふらふらと頭を振る。何だか二日酔いのようだ。
(この猫、明らかにアルコールの臭いが……)
『ニャー(迎え酒くれ)』
こんな自堕落なネコがそういる訳がない。まさかこれは。
「……シーニー?」
「うー……もう一杯ーー」
生駒の手に掴まれてぐんにゃり伸びたまま、元の姿に戻ったシーニーは、酒気を帯びた呼気を吐きながらうわ言のように呟いている。
彼女にとって、この猫化事件は、まさに酔夢の内の出来事だった。
「ええと、ここどこ……?」
玲亜は、バックヤードの暗がりで迷子になっていた。
軽食を取った後、詩亜と一緒に猫ルームで遊んでいたのだが、ちょっとお手洗いに立った後、ルームに戻れずにこんな奥にまで入り込んでいた。狭い店ではないとはいえ、お手洗いから猫ルームまでの道はさほど入り組んでいるわけではない。ただ迷ったというだけでここまで入り込むなどとは、それなりの迷子の才能(?)がないとできないことである。
そんな時、暗がりから突然何かが飛び出してきた。
「きゃっ」
びっくりして後ずさった玲亜は、何かに足を取られて転んだ。がしゃーんという高い音がする。
「そこかっ」
続いて飛び出してきたカガチが、最初に飛び出して玲亜を驚かせた黒猫を捕まえる。
「あれ? 何してんの、お客さん」
暗がりで尻餅をついている玲亜に気付き、手を差し伸べて起こしてやった。
「あ、ありがとう……あの、猫さんのお部屋に戻れなくなって……」
「あ、そうなの?」
どこから戻れなくなったのだろうそんなに簡単に客がバックヤードにまで入り込める作りではないはずだが、と思ったカガチだが、それは口にしなかった。
「よかったら連れてってあげるけど」
「ありがと……あ、今、何か倒しちゃったかも」
さっきぶつかった拍子に、高い音を響かせて何かが倒れた。振り返って確認すると、何か香炉を思わせるような壺だった。ただし、香炉に比べるとかなり大きい。
「あー大丈夫だよ、壊れてないみたいだし」
大きさがあって重そうに見えたので、玲亜に代わってカガチが起こして元通りに置いた。
そして隻眼の黒猫を捕まえたまま、玲亜を猫ルームへと案内していった。
……壺の中身の液体がわずかに零れていることには、誰も気付かなかった。
飲食ホールの席が満員だということで、成田 樹彦(なりた・たつひこ)は猫ルームに通された。別段猫との触れ合いを目的に店に入ったわけではないのだが、疲れていたので、座って一息つけるのならそれで構わないと思った。
「ふう……」
昨夜から帰ってこない仁科 姫月(にしな・ひめき)を捜して、捜し疲れて、たまたまこの店が目についたので立ち寄ったのだった。
(一体、どこに……)
――「にゃああ(兄貴ー)!」
猫になっていた姫月は、樹彦の姿を見て驚いていた。何が何やらわからぬままに猫になっていて、元に戻るためにはパートナーに気付いてもらわなくてはならないというが、何の理由もなしに猫カフェなどに樹彦が来るとは到底思えない。
どうすればいいのか、と悩んでいた時に、しかし彼がやってきたのだ。
(なんで、こんなところに?)
「ふぅ……まったく、どこに行ったんだ? あいつ……」
不思議に思って近づいていった姫月の前で、零すように洩らしたその言葉にハッとなる。
(私を探してくれてたんだ)
いかにも疲れたように仰のいて長く息を吐く、その様子にどれだけ彼が自分を探すことに労力を費やしていたかがうかがえる。
(兄貴)
感謝と嬉しさと申し訳なさ、そんな気持ちが溢れて胸が温かくなる。
だが、次の瞬間。
「誘拐、はないか。あいつだったら誘拐犯をぶちのめすだろうし。見かけによらず凶暴だからな……
むしろ誘拐犯の身が心配だ」
温まった胸の熱が、怒りで沸点を通り越して火を吹いた。
(――何よそれ!! 誰が誘拐犯ぶちのめすほど狂暴だっていうのよっ!!)
「みゃあっ、みゃあっ、みゃあっ!」
「? なんだ、お前……?」
その時になってようやく樹彦は、近くに来ている姫月に気付いた。
といっても、今目に映る姿は猫なのだが……
「みゃあ……」
声高に抗議の声を上げても、出てくるのは猫の鳴き声ばかりで、不満も自分の存在をも訴えることができない。怒っているのに、一抹の寂しさのようなものも、胸に浮かんできて、やや勢いをそがれる。
だが、ひょいと樹彦は姫月を抱き上げた。
(兄貴……)
怒りが収まったわけじゃないけど、彼の胸に頭をこすりつけてみる。
(元に戻ったら覚えてなさいよ!)
「にゃあ」
怒りが収まったわけじゃないけど……
「!?」
何気なしに猫の背を撫でていた樹彦だが、はっとした。猫が頭をこすりつけてくる様子が、いつも姫月が自分に甘えてくる時と同じだと気付いたからだ。
まさかと思いつつ、撫でる手を止めると、何かに気付いたのか猫が顔を上げてこっちを見上げてきた。
……猫にしか見えない。けれど、さっきの覚えのある仕草が記憶の中で重なると、この猫に呼びかけずにはいられない。
「お前、ひょっとして姫月か?」
(兄貴、気付いてくれたんだ!)
そう思った瞬間、姫月は元の姿に戻っていた。
「ありがとう、兄貴!」
姫月は、驚いて瞠目している樹彦に抱きついてにキスをし、再び頭を胸にすりつけた。
猫がしてたのと同じように。
――なお、樹彦の暴言に対する姫月の制裁が発動したのは、カフェを出た後でのことだったらしい。
『――何か、起きてるみたいだ』
茶猫のリネンが、頭を上げ、空気の匂いを嗅ぐかのようにふんふんと鼻を鳴らして呟いた。
『何か、って?』
その傍にいたリネン(天空騎士の方)が、不思議そうに尋ねると、猫のリネンはくしくしとまた耳の後ろを後足で掻いて、言った。
『分からないけど、何かあの子にとって予想外の事態だね』
『あの子って』
『うん。呪術の施行者さ。あの子も自分で決意したこととはいえ、いろいろ予想外続きで骨折りしているはずだもの』
そしてまた、くしくしと耳の後ろを掻いた。
『ねえ、天空騎士のリネン。
巻き込まれた君としては知ったこっちゃないって言いたいかもしれないけどさ。
物事って、始めるよりも終わりを付けることの方が難しいことがあるよね。
あの子は今回のことに踏み切る前も、とても悩んだんだ。
始まりでさえものすごくパワーが必要だったのに、終わるタイミングはどうやって見つけられるんだろう』
その言葉を聞き、しばらくの間天空騎士のリネンは考えた。そして、言った。
『そういう時には、ひとりで抱え込まずに、誰かに頼るのも必要なんじゃないかしら。
あなた、その子のことそれだけ分かってて、苦しんでるのも分かってるなら、その子の力になってやるべきだと思うんだけど』
猫のリネンはじっと、リネンを見つめて、その言葉を頭の中で反芻しているようだった。
『……ここに留まって、猫になった人たちに予想外のハプニングが起きないよう見ててくれって、あの子には頼まれてるんだけどね』
呟くように言うと、再び頭を高く上げて、部屋の外の様子を見るような格好をした。
『うん、でも、今助力が必要なのはあの子だね。あの子の所に行こう』
『私も行く。でも、どうやって――』
この場所を出るの、と周りを見回した時。
ガラス越しにこちらを見ているスタッフの影に気付いた。――ミリア・アンドレッティである。
ミリアは二匹の猫を見た。それから、そっと扉に近寄り、それを開いた。
『え……?』
驚くリネン(天空騎士)に、リネン(茶猫)が促すように頷いてみせる。
2匹は、周りに気付かれぬようそっと、外へ滑り出した。
「お姉ちゃん、猫さん出てっちゃったの。いいの?」
小さな猫を膝に乗せて撫でて眠らせていた及川 翠が訊くと、扉の引手に取っ手に手をかけたまま、いいのよ、とミリアは頷いた。
2匹のリネンの会話を、彼女は「特技」で聞いていた。
何が起こっているのかいまだに詳細は分からないけど、解決に向けて動き出しているのだと思った。
だから扉を開いたのだ。
(おやおや、大分ぼろが出てきていますわ。何か起こりそうですわね)
中願寺 綾瀬は、ガラスの外に見える「店員」たちを見てそう思っていた。
パッと見ではまだ分からないが、店員たちは尻尾ばかりか耳まで尖り出し、長いひげがピンと出てしまった者までいる。目は人間よりも大きく、三日月のような光が中に見えて、いかにも「猫っぽい」顔になりつつある。
(リアルタイムでメッキが剥がれていくのを見るようですわ。……さて、)
尻尾をしなやかに一度、振ると、綾瀬は向きを変え、猫ルーム内部に目をやった。
実はすでに、彼女のパートナーの魔王 ベリアル(まおう・べりある)が来ていたのである。
――「綾瀬が居ない……まさか、迷子になったのか!?」
と慌てて綾瀬を捜索していたはずが、いつしかその事をすっかり忘れ、この店に来たのは全くの偶然だった。イベントに乗っかった期間限定の店ということで、人目を引き目立っていたために、何とはなしに入ってきたのだが、世間一般的な常識知らずなので、道の猫カフェという場でとんちんかんなことばかりしていた。今も、「何だか分からないが無料でクッキーを貰える」と聞いて店員からもらった猫用クッキーを、自分で食べて周囲の猫(の姿の人間)を唖然とさせている。
「……あれ?」
そんなベリアルだったが、ふと何かを感じて振り返った。
そこにいたのは乳白色の長い毛の猫。
(な……なんだこの、放たれる凄まじいプレッシャー……って、え? えぇ?)
自分に向かって、視線にも、放たれる気にも何か圧倒するようなものを感じる。
「あ……あれ? ……もしかして、綾瀬?」
「そういうことですわ。まぁまぁ、楽しく過ごさせてもらいましたわね」
仰天するベリアルの前で人間に戻った綾瀬は、姿が変わると同時に、服に紛れていたらしい常用の黒い目隠しが落ちかけるのを素早く拾っていつも通りに着用した。
「な、なんで猫……でもよかった、僕てっきり、綾瀬が迷子になったのかと……」
「いいえ、貴方が迷子になったのです」
「えぇっ!?」
それ以上ベリアルの当惑には構わず、綾瀬は扉へと向かう。
「他の方々にやや後れを取ってしまった感はありますが……それでも、ご説明頂かねばなりませんものね」
「しかしいい食いっぷりだなあ」
玲亜を猫ルームまで届けた後、カガチは黒猫をルーム内に戻す前にと、約束通り猫クッキーを上げていた。
クッキーを食べる黒猫をじっと観察しがら、カガチは思った。
(片目で、エキゾチックな整った顔立ちで、手足長くて、華奢に見えるけど、触ってみると案外骨格はしっかりしてて……
大人しそうなのに人を翻弄するような、
? ……あれ? いたなうちに……そんなの)
その人は、『目ン玉交換しにいくつって』その後、連絡の取れてないパートナー……連絡が取れなくなるのは日常茶飯事なので、大して深く考えていなかったが。
「もしかして……葵ちゃん?」
「やっと気付いたか、鈍いやつめ」
人間になった葵は「ふふん」とでも言いたそうな顔でカガチを見据えて、しかし猫クッキーの残りをぼりぼり食べていた。
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