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梅雨の宴『夏雫』

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梅雨の宴『夏雫』

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8 狂

 王子に取り憑いた亡霊がいたこと、姫が勝手に宮中を抜け出したこと、美女が舞いを終えて儚くその身を散らせたことに関し、宮中の人間がローズ扮する父親と、歌菜扮する娘の元に押しかけてきた。どうやら娘が犯人なのではないかと疑っているようだ。無理もない、娘には神や霊が見えるという特異な能力を持っていたのだ。
 しかし娘はずっと自分と一緒にいたのだ、私の娘は無実である。ローズは歌菜を守る為に、自ら狂人を演じ始めた。
 舞扇は黒の地に血の赤をなぞらせた、なんとも不気味な雰囲気のものだ。最初はよろよろと足元をおぼつかせ、次に舞扇を宮中の人間の顎の辺りに差し込んで挑発。
 ほら、自分こそが黒幕なのだよ? 娘ではなく私を捕らえろ。私の娘は無実だ、だから大人しく私を捕まえてくれ。
 父親の思いに娘は涙し、自分は舞台袖に移動しつつ舞扇を閃かせて悲しみを表現する。
 狂うように舞扇を閃かし、狂人であって狂人ではない、難しいその舞いを舞いきる。
(私の父親も、娘の為に狂ったように働いた人でした。最近まで知りもしなかったことですが……。私も、大切な人達にこの舞を捧げます。その人たちのために狂うことも厭わない)
 大切な人を守る手段は、1つではないのだ。

 2幕では、水の玉が分離してしまった。悪い方は退治されたが、善い方は残っている。残った善い水の玉は雨を降らせたが、その思いが強すぎたのか、河川の氾濫を起こしてしまった。
 鈴鹿とイルは農村の娘として当初、降雨の喜びを舞いで表現していたが、河川の氾濫に飲み込まれ舞扇を大きく閃かせながら舞台袖へと消えていく。無事に助かったエメとリュミエール扮する娘達の友人がその後姿を現し、大切な友人を亡くしたと嘆き始めた。
 舞扇は黒の地に水色をなぞらせたものだ。荒廃した地に一筋の水が流れた希望か、それとも大切なものが水によって流された悲しみを表現しているのか。舞扇だけでも解釈は様々で、興をそそられる。
 舞扇がひらひらと散っていく。悲しみ、絶望、後悔と。その先にあるものは一体何だろうか。
(私はあまり感情の起伏が激しくないので狂うほどの想いは理解・表現が難しいと思うのです。けれど型をなぞっているだけにならないよう、見る方に情を伝えられれば)
 その時、エメは、友人を……天音とブルーズが観客席にいるのを見つけた。心の中で「あ」と小さく声をあげる。……なんだか、狂人達の思いが分かったような気がしたのだ。
(でもさ、この狂人の表現って興味深いよね。マッドともクレイジーとも違う。日本人以外には表現しにくいのかもしれないけれど、だからこそ挑戦する意味はあると思うよ)
 エメとリュミエールは自らの思いを胸に抱き、狂人を演じる。悲しみ、絶望、後悔。その先にあるのは、きっと……。

 河川の氾濫は自然と静まったのではない。1人の巫女が、鎮魂の舞いを神にささげていたからだ。
 終夏扮する巫女は、自身も逃げなければ飲み込まれ命を落とす危険を晒してまで、人々の為に、そして神へ舞いを捧げている。舞扇は淡い水色に金の粉を散らしたもので、巫女は必死に舞う。
 どうか、収まって。これ以上、犠牲者を出したくないの。
 過去に大切な人を水の事故で亡くした巫女は、自らの思いを貫く為に舞う。水は、怖いけれど。それでも大切な人を……皆様を守れるのなら。
 そこへ、社扮する青年が現れ、巫女の思いに共感し共に舞い始める。互いが互いを気遣い、寄り添って見事に重なり合った2人の舞い。その魅力は拍手を送るだけでは足りない。
(皆ももちろんだけど、やっしーの舞いも凄かった。『狂人』……感情を音色に込めるように感情を舞いに込める。面白いね。良い舞いが出来てればいいな)
 少なくとも、観客の視線をくぎ付けに出来ている辺り、終夏の願いは叶ったということだろう。
 優雅さの中に、激情と希望を秘めて。狂うように舞う巫女の舞いは、やがて河川の氾濫を鎮めた。巫女は体力を消耗し過ぎてその場に倒れ込んでしまったが、その身体を青年が優しく抱き止める。後は俺に任せておけ――そう呟いて。狂うような思いの中に、1つの淡い優しさが染みる。その温かさに観客の心がほんのりと熱を持つ。
 しかし、現実世界で降る雨は、土砂降りとなっていた。

9 鬼

 水の神様は簡単に人間を許しはしない。水をぞんざいに扱った怒りは凄まじい。河川の氾濫を終えた後、魔を解き放ったのだ。中でもひときわ大きい身体を持つ舞い人が、人間では出来ないような動きで怒りを表す。それもそのはず、正体は恭也の操る傀儡だからだ。鬼武者っぽく仕立てられ、恭也自身は【浄土】で舞台天井に立ち、光学迷彩で姿を消して操作している。傀儡の傍では羽純が怒りを鎮めようと必死に舞っているが魔の力は凄まじい。
 魔は舞扇を持たずに両手剣を所持している。絶対に許さない――そんな言葉が聞こえてきそうだった。
 人間では表現出来ない動きに、人々は度肝を抜かれる。このような舞いもありだな……どこかでそんな呟きが聞こえた気がした。恭也はニィッと笑って、寸分の違いもなく傀儡を操り人々を魅了していく。
(こうやって平和な使い方すんのも久しぶりだな。大抵、中に爆弾仕込んだり殴り合ってたから。さて、それじゃここらでいっちょ派手の舞いますかねーっと)
 激しく四肢を動かし、人間に近い動作を保ちつつ激情を込めて。人間らしさを出しつつ、人間ではないものにしか出せない味を出す。
観客は舞いの一挙一動に魅了され、息つく暇もなかった。

 マリエッタ扮する一匹の魔が地上に降りてきた。元々は水の妖精だったが、妖精は地上に降りてはならないという規則を破り、魔となったのだ。久秀扮する少女が、マリエッタに訴える。舞扇がはらはらと、慰めるように優しく軌跡を描き、マリエッタの感情を鎮めていく。魔は水をぞんざいに扱った怒りを、だんだんと鎮めていく。
 これは私達のしたこと。罰はもう十分受けました。だから、どうか悲しみを鎮めて。怒りを鎮めて。あなたのお気持ちに、応えましょう。
(あらぶる鬼の怒りに隠された哀しみや苦しみ、微かに見える喜びと云った者を取り入れて、感情豊かに……。出来てれば、嬉しいです)
 魔は悲しかった。人々に忠告しなければいけないことを。自分「だけ」が人々の元へ行くことを。自らの存在を捨てて、魔になったことを……。
 なぜ他の妖精達は人間に情けをかけないの? 妖精や神達が人間に与え、裏切られたら有無を言わさず罰を与える……それは酷い傲慢だ。
 しかし久秀が宥めてくれる。自分を認めてくれる。罪を認め、今後は水を大切に扱うと誓ってくれる。
 ああ、なんて人間は清らかな生き物なのだろう。この人に出会えて良かった。この人に出会えたのならば。
 自分は魔になって、よかったのかもしれないと思った。

 フレンディス扮する妖狐が、人間に危害を加えていた。妖狐は人間になりたかった、けれどどうあがいてもなれなかった。その時、水の神様から『人間を懲らしめれば、そなたの願いを叶えよう』と言われた。このチャンスを逃す訳にはいかない。
 そんな妖狐の前に、レティシア扮する生命の神が現れた。妖狐は荒れ狂うのを止めない。いつか自分が人間になれると信じて。
 しかし生命の神は告げる。そんなことをしても、お前は人間になれない。これは試練だ。
(不安でいっぱいだったけど、動き続けていたら、緊張も若干ほぐれました。レティシアさんも素敵な舞いをしてくれています。私も頑張らなくちゃ)
 舞台袖ではフレンディスのパートナーであるベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)が、そっと見守っていた。
「これも精神力の修行ですって言ってたな、フレイは。勇気出して言ったんだろうなきっと。無事に舞いが終わったら褒めてやるか」
 妖狐は生命の神に刃向かう。紅の地に黒をなぞらせた舞扇で、必死に神に立ち向かう。自分は絶対に人間なるんだ、ここでやられる訳にはいかない。
 しかしやはり神の力は絶大で、どうあがいても神には勝てなかった。それどころか反撃すらせず、身体を張って止める生命の神に妖狐は自らの敗北を認め、楽な道を選んで望みを叶えようとした自分を責める。生命の神は妖狐を認め、見返りなしに妖狐を人間にすることを誓った。
 与える者は、見返りを求めない。