リアクション
2025年盛夏のとある一日。
幾重もの青を織りなすパラミタ内海中央部・“原色の海”(プライマリー・シー)。
花妖精と守護天使とが共に暮らす海上の森・樹上都市では、今年もフラワーショーが開催されていた。
二年前に起こった事件で“ウロボロスの抜け殻”や魚の怪物たちにより傷つけられた都市だったが、今ではその殆どが修復されている。巻き付かれたオークの巨大樹は未だ手当を受けていたものの、日に日に良くなっているようだ。
この二年はこうして、森を蘇らせることに忙しかったのだろう。やっと終わりが見えてきたことに住民たちは安堵しているようで、彼女たちの笑顔は眩しかった。
その想いに応えるかのように、オークの大樹もまたその力で、花妖精たちの花や、樹木、庭の草木を盛大に咲かせていた。
「そうか、良かった」
デッキに飾られた、どこかの誰かのパンジーの鉢植えに早川 呼雪(はやかわ・こゆき)はそっと話しかける。
そうして、次にこのデッキを支える樹木から伸ばされた枝先に挨拶を、次には庭の椿に……。
彼の“人の心、草の心”は、植物たちの気持ちを伝えてくれる。
育ててくれたり手当てをしてくれた人への感謝、事件での怖かった思い、思う存分花を咲かせることが出来る純粋な喜び……。
去年の「おかえりなさいパーティ」でも様々な花を見ることが出来たが、今日はすべての季節の花が咲き誇り、花の気持ちを受けることができる。華やかで生命の輝きに満ちた、そして安らぐお祭りだ。
「やっぱりこの時期のこの街の花って凄いねぇ。パーティで『彼女』に贈られた花束も綺麗だったけど」
ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)の言葉に、呼雪ははっとして、やっと花から意識を離した。思っていたよりも夢中になっていたようだ。
「ああ……それにあの時は、静香校長にも気が向いていたからな」
パートナーを失いかけた、というのは彼の小さな肩には重かったことだろう。それは、もっと肩幅の広い、だけれども若いヘルも似たようなもの……だろうか?
考え込みかけると、ヘルが呼雪の左手を取ってぐいぐい引っ張り始める。
「ところで呼雪。花とばっかりお話してないでよー」
「……ああ」
「良さそうなレストランをさっき見かけたんだ。お祭り特別メニューもあるって!」
ヘルは花と物思いから呼雪を引き剥がすと、レストランの前まで、そして中に引っ張り込んだ。
いらっしゃいませー、と虹色フリルのエプロンを付けたタンポポの花妖精が、ちょっとびっくりした顔をしたので呼雪は恥かしさを覚えたが、ヘルの方はまるで気にせず目を付けておいた窓際の席に呼雪を座らせて、なぜか自分も隣に座った。
このレストランは少し高い枝の上に組まれた足場の上に立っていて、窓の外からはもっと上方の枝からも、下方の枝や幹に巻き付くように作られた階段の手すりからも零れるように咲く花々とお祭りの様子が良く見える。
「花を使ったお料理って彩りも綺麗で良いよねー」
ヘルはメニューを開くと、次々に注文していく。そんなに二人じゃ食べきれないんじゃないか、と思う。
「呼雪、いっぱい食べなよ」
ヘルはそう言うものの、そんなに食べられない。身体を気遣ってくれているのは分かるけれど。
「……とは言ってもな」
「大丈夫、後でタリアちゃん達も来るし!」
呼雪のもう一人のパートナーは多分、もう一人腹ぺこの成長期の少年を連れてくるはずだ。
それを見越してだろうが、ヘルは運ばれてきた料理でテーブル一杯になるのを楽しく見つつ、呼雪の取り皿にちょくちょく取ってあげつつ、自分も美味しく昼ご飯を食べていた。
花のサラダに、花のサラダごはん、花のスパゲティに花のスープ、花のケーキ……。これだけ食事が並んでいてもお花畑のようで、皆サラダのように見える辺りが見た目だけでもヘルシーっぽくて思ったより簡単にお腹に収まっていく。
対して呼雪はフォークで薔薇とベビーリーフのサラダをつつきつつ、窓の外を眺めていた。デッキや吊り橋の上を行き交う楽しげな人々の中には、寄り添って歩く仲睦まじいカップルもいる。
「そういえば、ヘルは俺が眠っている時はどうしてるんだ?」
二人にとって、若干気拙い話だがちゃんと聞いておかないと、と彼は思った。
「えっ? そりゃひとりの時は適当になんとか。っていうか呼雪がそんな話するなんて……今日はオッケーって事?」
ヘルは上目遣いで呼雪を見る。呼雪は困ったように視線を窓からヘルに戻す。
(……昔はとっかえひっかえ美少年を侍らせてたのに、俺だけになって…それでこういう状態というのは何か申し訳ないような……。
俺は意識がない時でも一向に構わないが、言えば「そんなのヤダー」と泣かれそうだし)
戻した視線を、また少し外して。
「その……どうにもならない時は、俺に義理立てしなくていいからな。……相手を傷付けさえしなければ」
俺だってお前が寂しいのとかは嫌だし、と、ごく小さく付け加える呼雪だったが、
「や、だって、呼雪くらい相性と付き合いの良いコなんてそうそういないし……ありがとね。僕の事考えてくれて」
ヘルはテーブルにのの字を書いて、それからその手をテーブルの下に入れ、
「でも、今はお祭りの思い出が沢山欲しいな。楽しい思い出があれば、呼雪が目を覚ますのも待っていられるから」
呼雪の手を握る。
――ヘルのことを考えるなら、と。呼雪は一時はこの手を放す事も考えた、けれど。
(それが出来なかったのは俺も同じなんだ……)
*
「セバスティアーノ君……もう、愛称のセブくんでいいかしら?」
タリア・シュゼット(たりあ・しゅぜっと)が誘ったのは、ヴァイシャリー海軍所属の海兵隊員
セバスティアーノだった。
出会った時には童顔のせいもあってまだ本当に子供っぽかったが、あれから2年、少し大人びた気がする。
それでも服はタリアが見立てた夏らしい爽やかな感じの上下で、襟元を開けつつもかっちりした印象が残る仕事時の制服と比べれば少年らしかった。
「でも、折角のお休みまで海の上なんて退屈かしら?」
「……い、いえ、そんなことないです! でもこれって……」
「デート? ふふ」
「あ、いえ、そんな俺とデートだなんて……そんな、まさかですよねー……あはは」
大人の余裕で微笑むタリアに、女の子と付き合った経験が皆無のセバスティアーノは緊張しっぱなし、掌で転がされっぱなし。
(パートナーが見たい、って言ってたんだよな……で、花も好きだから来て。それであの二人を、二人っきりにさせたいから、俺は暇つぶしに呼ばれたんであって)
「今年の出場者も作品も、みんなとても素敵ね……」
フラワーショーの会場を巡りつつ、感嘆の息を漏らすタリアに、セバスティアーノは花もろくに目に入らず――けれどタリアの頭に咲く鬼百合に目を奪われつつ、
「タリアさんは過去の優勝者でしたよね。……き、綺麗ですよ、花。いつもより……」
と、言ってから慌てふためいて言い直す。
「あっ、花だけじゃなくて! 顔も……って何言ってんだ俺、……えーっと……」
自分の言葉に一喜一憂自縄自縛してる彼が面白かった。
タリアは一通り見て回った後、ヘルたちと待ち合わせているレストランの前まで来て足を止める。入り口から、手を繋ぐ二人が見えた。
(ヘルくん、ああしたくて向かいじゃなくて隣に座ったのね)
タリアはくすりと笑い……店に入る直前、振り向いた。身長はさほど変わらず、ブーツの分だけ高いタリアと同じ位置に顔があった。
「そういえばセブくん、気になる子はいるの?」
「……え? そ、それって……その、いえ、いません……けど」
「私もここのところお店が面白くて独り身だったけれど……付き合ってみる?」
セバスティアーノは初め、言葉の意味が解らず、それがどういう意味で、そして自分に向けられたことに気付くまでにたっぷり1分程の時間を要し――、
「……済みません、それってからかってるんじゃないです……よね?」
「本気よ?」
――びくびくしながら聞けば、綺麗なお姉さんに微笑まれて。
「……はっ、はい。宜しくお願いします!」
顔を真っ赤にして、深々と頭を下げた。
かれどまだ、セバスティアーノは知らない。
恋に恋する自分の事も、これから先に待ち受けている胸の苦しさも。