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リアクション
●Phase One (3)
ポートシャングリラと呼ばれた場所。その外れ。
傾いた建築物がある。扉は半分以上外れており、付近の建物同様に塩害で白いものに覆われていた。
一見すると誰の姿もない。ポートシャングリラじゅうにあるありふれた廃屋のひとつだ。
しかしその内部に入り、足元をよく調べれば、金属製の床板が隠されていることが判るかもしれない。
床板を外せばその下は、コンクリート製の壁が打ちっ放しとはいえ、外よりはずっと清潔な地下室となる。
地下室の隅にはテーブルがあって、そこにはテレビ型のモニターが据え付けられていた。それも4:3比の分厚いCRTモニターだ。クランジ戦争どころかパラミタ出現前の時代ものに違いない。骨董品と言っていい。
そのモニターに映し出された光景を見ながら、柚木 桂輔(ゆずき・けいすけ)はもしゃもしゃとホットドッグを頬張っていた。パンは焼きが悪いのか古いのかかなり黒ずんでおり、挟まれているのもソーセージではなく缶入りのパイナップルだったから、『ホットドッグに似たもの』というのが正解だろう。
「あ、半人半クランジのヌーメーニアーと、あれは銘入りクランジの『クシー』じゃないかぁ」
口に入りかけのパイナップルをきゅっと吸い込み、桂輔は目をキラキラさせて画面に見入った。
「なにか話してるな……でも、集音マイクまでは設置できなかったんだよなぁ」
モニターに映っているのは外の光景だ。レジスタンスが集会所にしているドーナツショップのすぐ外、そこに設置した隠しカメラからの映像である。
すなわち、ヌーメーニアーと満月が話しているところにクシーが加わったという、まさに現在進行形の映像を見ることができた。やがてレジーヌとエリーズの姿も現れる。画面は不鮮明で、人物像も画面隅あたりになるとぼやけて判然としなくなるものの、全体像は把握できる。
「マスター、そういった表現をするべきでは……」
アルマ・ライラック(あるま・らいらっく)がとがめるように言った。
「俺なにかマズいこと言った?」
と訊く桂輔の顔にはまったく邪気がなく、それだけにアルマは胸が痛んだ。
「『半人半クランジ』という呼び方です。失礼ですよ」
「そんな馬鹿な。これ、褒め言葉なんだよ。人間でありながらクランジに近い存在! すばらしいじゃないかぁ」
「……それは……いえ……まあ、マスターがそう思うのでしたらこれ以上言いますまい」
桂輔には、あまりに独特な善悪の基準があった。いうなれば、彼の価値判断は人間社会一般のそれとは大きく異なっている。彼がクランジを見る眼には、憧れ、羨望、崇拝、知識欲……そういった雑多な感情が渾然一体ととなってこもっていた。しかし桂輔は狂人ではない――少なくともアルマはそう思っている。
だがたとえ桂輔の感覚がどれだけ逸脱したものであっても、仮に本当に狂っているとしても、アルマは彼に付き従うつもりだ。……彼を、愛しているのだから。
そんなアルマの気持ちに気づく様子もなく、桂輔は自慢げに振り返った。
「どう? なかなかだろ?」
急に問われても柊 真司(ひいらぎ・しんじ)は返す言葉を持たない。手元の皿に置かれたホットドッグに似たもの(やはりパイン入り)に手を触れぬまま、戸惑うように言った。
「古いモニターやカメラのほうが、この場所のような極限状態には強いと言われている。それを考えて隠しカメラを設置したのなら……」
「残念! それ違う! 古い機材を使ってるのは、単に俺が音響機器は古いもののほうが好きだからだよ」
と舌を出して笑って、でも、と桂輔は付け加えた。
「クランジならなんでも大好きだ! 古いのも新しいのも! 見るだけじゃなくていじるのが大好き!」
知ってると思うけどさぁ、と、無邪気すぎる笑みを浮かべて彼は言う。
「エデンで使ったイコンはもう使い物にならなくなっちゃったけど、それよりずっとずっと良い物が手に入ったんだよねぇ……おいで、ロー!」
ヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)が、背後に気配を感じて飛び退いた。
桂輔の呼び声に応えて来たのだ。
「ロー……」
真司はヴェルリアを背後にかばうようにして、再び相対する。
あの強敵と。
エデンで死闘を演じたクランジρ(ロー)と。
「あはは、そんな警戒しなくたっていいのにさぁ」
気楽に気楽に、と真司をなだめるように桂輔は言った。今の真司の様子では、今にも抜刀してローにとびかかりそうだったから。
「さっき一度、見せてもらっていますが……正直、落ち着きませんね。これが彼女だなんて」
ヴェルリアはおそるおそる口を開いた。
ローの姿は、一週間前とはまるで変わっていた。
激変、と言っていいだろう。
一週間前はまるで野獣だった。常に前屈みに歩き、四つ足で移動することも珍しくなかった。髪は伸び放題でひどく汚れ、長すぎる前髪に顔が半分以上隠されていた。着ている服もぼろぼろで、元は軍服だったのだろうが、両袖も両膝も取れて目も当てられなかった。
それが今では、綺麗に洗われたうえで天御柱学院の制服を着用させられ、髪も切られていた。いわゆる姫カットというやつだ。前髪を分厚くまっすぐに切り揃えているのに加え、ヘアのサイド部をだいたい顎くらいの長さで調整している。元々、いい髪質だったのだろう。今のローの髪には、蛍光灯のあかりが反射するほどの光沢があった。
「大変だったんだから。散髪や入浴はともかく、負傷した所を治療したり、自爆されたら困るから自爆装置解除したり、新しい服を用意したり……まあ、天学の制服くらいしか入手できなかったけど」
サイズが合うものがなかったようで、ローの制服姿はいささか窮屈そうだった。彼女の大きな胸は、服を破ってはちきれそうでもある。
「まあその修理と改造のついでに、いや、ほとんどこれが目的なんだけど、あっちこっち解析させてもらったんだ。さすが銘入りクランジ! 知らない技術がいっぱい使われていたよ。いやあ、この一週間楽しかったなぁ。もうなんていうか弄り放題で……」
ヴェルリアが怪訝な顔をしたので、やや慌て気味に桂輔は付け加えた。
「おっと! えっちな意味じゃないって! 技術屋としての純粋な好奇心を満たしてもらった、っていうこと! 改造する以上裸は見ざるを得ないけど、服や髪型のチョイスとかは全部アルマ任せだったし」
アルマは「そうです」と頷いて、桂輔の言葉が嘘ではないことを裏付けた。
「それにしても……」
真司は落ち着いて、目の前のローを見た。
美人であることは疑いようがない。髪型はよく似合っており、可憐ですらあった。クランジ戦争がはじまるまで、地球に存在したモデルという職業の女性は、彼女のような姿をしていた気がする。あの獣じみた少女が大した変貌だ。
ただそのローが、瞼を半分とじていることが気になった。桂輔に呼ばれて歩いてきたが、一言も発さず立ちつくしていることも。
「どうやって彼女を制御しているんだ?」
「調律機晶石を使った独自の手法があってね。まあ、詳しいことは企業秘密ということにさせてよ。少なくともその手法が効いている間は彼女は大丈夫だ。少しずつだけど言語も教えてる」
「言語?」
と言いかけてヴェルリアは再び飛び退くことになった。
「ワタシ、ロー、よろしく」
ローがしゃべったのだ。
「話せるんですか」
「元々ローは話せたみたいなんだよ。それが、なにかがあってあんな状態になっただけらしい」
「らしい?」
真司が訊き返すも、桂輔はただ首をすくめた。
「詳しいことは知らないんだけどね」
――それは嘘、ですね。
アルマは思ったが口には出さない。桂輔の口調に、嘘を嗅ぎ取っていたからだ。
桂輔が能力解析のついでにローの体を調べていて判明したことがある。それはローの過去だ。
恐らく戦闘記録用に用意していたのだろう、マイクロサイズの記録媒体が出てきた。クランジ戦争の直前に取り付けられたものらしく、激しい戦闘の場面がいくつも残っている。
その中に、痛ましい記録があった。
ローが塵殺寺院によって実戦投入されてまだ間がない頃、彼女は国軍の捕虜になった。まだ能力が生かし切れず、単純な電磁網の罠にひっかかったのだ。彼女を捉えた集団には技術者がおり、うまくローを無力化する事に成功していた。
桂輔はそのまま記録映像を流し見していて、吐き気に襲われた。
取り調べと称して彼女の身に起こったことは、とてもではないが直視できるものではなかった。まだ圧倒的に男性が多かった頃の国軍の、憎しみと欲望のはけ口にされたのだった。来る日も来る日も……気が狂うまで。
桂輔はその記録を一人で見た。アルマには見せず、内容を確認すると消去してしまった。
しかし媒体に残った記録が消えても、ローの脳に残った記憶が消え去ることはないだろう。
胸が悪くなるあの映像を思い出し、桂輔は唇を噛んだ。
――そりゃあ、あのパイが過保護になったのも無理ないな……。
ローの目から見た記録では、彼女を慰み者にした兵士たちは全員、パイによって惨殺されていた。それが救いといえば救いだ。それで過去が書き換わるものではないとしても。
感傷的になっちゃいけない――桂輔は自身に呼びかけて自分を取り戻す。
――クランジに同情してどうする。
クランジは兵器だし、自分にとっては研究対象だ。
その事実に揺らぎはない。
桂輔は強いて自分の口角を吊り上げて、
「ははは、それで、どこまで話したかなぁ?」
「ローを研究して、制御しているという話だ」
「そうそう! それで、ローの力を解析できたのは良かったんだけど、その技術はアルマには適合しなかったんだよねぇ、相性が悪かったのかな?」
これを耳にして驚いたのはヴェルリアだ。アルマに向かって、
「あなた、技術が適合したら受け入れるつもりだったんですか!?」
「それは……はい。マスターが望むのであれば……」
アルマは言葉少なに、けれど一切否定せずに答えた。今度はヴェルリアは桂輔に詰め寄る。
「それって、あなたのパートナーを兵器に改造するってことでしょう!?」
なんでそんなこと訊くの? とでも言いたげな口調で彼は返答した。
「そうなったら最高じゃないかぁ?」
ヴェルリアは不服げな顔つきだが、やがてため息して口を閉ざした。彼らと問答しても仕方がない――と思ったようだった。
真司は彼らのやりとりを見ていたが私見は挟まず、ただ椅子に腰を下ろした。
「それで柚木、俺をこの場所に呼びつけた理由を聞きたい」
「手を組まないか、っていう話だよ、前みたいに」
「それは聞いた。だがなぜレジスタンスの動向を監視する? 連中の妨害でもする気か? 俺はむしろ、場合によっては彼らに協力してもいいと思うが」
「そうはいかないんだよなぁ」
ところが柚木は首を振るのである。
「レジスタンスがまた行動起す気配があるよね? これって、また新しい銘入りクランジを手に入れるチャンスだと思うんだよ。だからレジスタンスが動き出したら、その総攻撃に乗じてこちらも戦場に紛れ込もうと思ってね……銘入りクランジを入手するために。どさくさ紛れに奪取できたらいいなぁ。モタモタしてるとクランジ皆殺しな奴らに殺されちゃうかもしれないし、その前に手に入れたいなぁ」
「お前のクランジ収集に手を貸せというのか」
「ま、そういうこと。お礼はするよ」
「わかった」
「お! 話が早いねぇ……ほら、食べなよ。腹が減っては戦はできない、だよ」
柚木は心から嬉しそうに笑って、自分のパンを全部口に入れ、真司に皿を押し出した。
柚木がヴェルリアのこともしきりと見るので、ヴェルリアは仕方なさそうに、自分の前のパイナップル挟みパンを一口食べた。意外と、悪くなかった。
だが真司はこれを口にせず、椅子を並べてベッド状にすると、これにごろりと横たわった。
「腹は減ってない。休ませてもらう」
背中を彼らに向けながらも、真司の目は開いていた。
――悪いな。やはり人間が再び立ち上がるためには……『銘入り』のクランジを一体残らず破壊する必要があるというのが俺の考えだ。たとえそれがレジスタンス側のクランジであっても……。
あのローであっても。
ローの目が、今どこを向いているのか真司は気になった。
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