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52


「本当に……死んだ人に会えるんかねぇー」
 ぼんやりと、ラルク・アントゥルース(らるく・あんとぅるーす)は呟いた。
 噂話を聞いたんだ。
 今日一日だけ、死んでしまった人がナラカの扉を通ってパラミタへ来れるのだと。
 会いたいと願う人に、会えるのだと。
 たかが噂だ。だから、心から期待なんてしていない。
 ――けどよ。会えるなら……もう一度だけ、あの人に会いてえな……。
 たった一度だけでいいから。
 今日だけでいいから。
 亡くなってしまった母親に、会えないものかと。
 なんとか手に入れた依り代の人形を見て思った。
「……あ?」
 不意に。
 人形の姿が、ぐにゃりと歪んだ。
「おいおいおい。まじかよ……」
 人形は、呆然とするラルクの前で姿を変える。
 乳白金の髪を背に垂らした、やや小柄な女性へと。
 彼女は紛れもなく、ラルクの母親――アンジェリカ・クローディスだった。
「あらあら、これはどういうことでしょうか?」
 ――ってか喋り出した!?
 人形が母の姿に変化したことにすら驚きを隠せないでいたのに。
 思考がついていかないうちから次々と突飛なことが起こるものだから、ラルクは口をあんぐりと開いたまま硬直した。
「うーん……目の前に居る、ぽかんとお口を開けたこの方はどなたなのかしら? 見覚えがあるような、ないような……?」
 アンジェリカはアンジェリカで、ラルクの姿をまじまじと見ては首を傾げる。
「その点なんだ、アンジェリカ・クローディスだよな?」
「え? ええ。その通りですけれど……貴方は?」
「わかんねぇかな……? 息子のラルクなんだが……」
 名前を名乗った瞬間、アンジェリカの目がぱぁっと輝いた。
「まぁまぁ! あの子なのね!」
 嬉しそうに声を上げ、両手の指を組んで微笑む。
「すっかり大きくなって……変わっていたから気付かなかったわ」
「そりゃそうだろ。俺とお袋が別れてから、もう十年以上経ってるんだぜ?」
「十年……随分と経ったのね」
 懐かしそうに、アンジェリカが遠い目をした。つられてラルクも思いを馳せる。
 ロシアに生まれたラルクは、アンジェリカと二人で暮らしていた。
 父親は不明。母に問うても教えてはもらえなかったけれど、ある日を境に『目に見えない者たち』が見えるようになったとき、見えたと同時に悟った。
 まあ、父親が居なくとも子供は元気に育つもので。
 それなりに仲睦まじく、母親と二人暮らしをしていたものの、ある日強盗が家に押し入り――。
 無意識に、拳を握りかためていた。爪が手のひらに食い込む。
 ずっと、後悔していた。
 ――あの頃の俺に、力があれば。
 無力で、何もできなかったラルク。母が死んだという事実を、ただ受け入れることしかできなかったことが、どれほど悔しかったことか。
 そっとアンジェリカに手を伸ばした。アンジェリカもラルクへと手を伸ばす。そのままぎゅっと、母が壊れてしまわないように優しく抱き締めた。
「ずっと……ずっと会いたかった」
「そんなに想ってもらえていたなんて、私は幸せ者ね」
「当たり前だろ。たった一人の家族で、俺を育ててくれた人で……」
 なのに、守れなかった人。
 急に、目頭が熱くなった。堪える間もなく涙が出てくる。
「ああ、くそ! 話したいことがたくさんあるんだから引っ込んでろよな!」
 涙に対して八つ当たりをすると、アンジェリカがくすくすと笑った。それからハンカチを取り出してラルクの涙を拭う。
「いいのよ、ゆっくりで。大丈夫、落ち着いてから話して?」
 ラルクが子供の時と同じように、ゆっくりとした優しい、柔らかな話し口調。
 それがまた懐かしくて、涙が零れた。


 ややして、落ち着いてから。
「俺さ、頑張ってんだぜ。何もできなかったことが悔しくてよ……」
 ラルクは、近況をアンジェリカに話して聞かせた。
「去年はちゃんと大学行ってよ。医者目指すためには学がねぇとな。やっぱ。
 ……それに俺、結婚したんだ。晴れ姿も見てもらいたかったな……」
 同性婚だったから、驚かれたかもしれないけれど。
 ぽつりぽつりと話すことを、アンジェリカは黙って聞いていてくれた。
 相槌を打ち、時折笑い、「よく頑張ったわね」と褒めてくれて。
 だんだんそれが気恥ずかしくなってきて、
「そ、そういえば、今日は祭りがあるみたいだな」
 無理矢理話題をお盆祭りにシフトした。
「一緒にどうだ? 折角の奇跡だし、その……楽しまないとな?」
「ええ。喜んで。お祭りなんていつぶりかしら」
 少女のように浮かれる母の小さな手を握り。
 ラルクは祭りの会場へと歩き出す。
 屋台で食べ物を買って食べたり、射的やくじ引きをやってみたり。
 露店で出ていたネックレスを、冥土の土産――というと意味は変わるが――にプレゼントしてやったり。
 あの時出来なかった親孝行を、せめて今日だけでもと。
「ごめんね、ラルク」
 不意にアンジェリカが謝罪の言葉を零したので、思わずラルクは「あ?」と素っ頓狂な声を出した。
「辛い思いをさせてしまった上に、すっごく苦しい暮らしを強いてしまった。……そのことが、申し訳なくて。親として、不甲斐なくて……」
 確かに、母が死んだ後は大変だった。
 ストリートチルドレンとして生きていくことを強いられ、誰にも頼らず路上生活を続ける日々。
 孤独だったし、苦しいことも悲しいこともたくさんあった。
 だけど、その間にだって楽しいことや幸せなこともあった。それは事実だ。
 そもそもあの頃のことはもう過去のことで。
「お袋。……お互い、吹っ切らなきゃいけねぇんだと、俺は思うぜ」
 ラルクがそう言うと、アンジェリカが僅かに目を見開いた。
「……強い子になったのね、ラルク」
「そりゃ、あんたの子だからな」
「ふふ。嬉しい」
 夜空に、花火が上がった。
 そろそろお別れの時間が近付いているのだと知って、ラルクは出来る限りの笑顔を浮かべた。もう心配などさせないように。
「それじゃな! またこんな奇跡が起こったら、もっとたくさん親孝行させてくれよ!」
「あら。次があるなら、私貴方の結婚相手に会ってみたいわ。
 ねえラルク。……どうか、幸せに」
 幸せにね、と、繰り返し言い残し。
 母の姿をしていたものは、人形へと戻った。
「……ああ。俺は、幸せだからよ」
 ――安心してくれよ、お袋。
 もう聞こえてはいないだろうけれど、ラルクは呟くのだった。