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ぼくらの刑事ドラマ

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chapter.11 増多元教授について(3)・疾走 


 演劇が終わった後も、「最後に呼びかけたいことがある」という生徒がいたため、観客はまだ会場を出てはいなかった。
 焼け野原となったステージ、そこに出てきたその生徒とは、シャーロット・モリアーティ(しゃーろっと・もりあーてぃ)だった。
「皆さん、ここで私から、お伝えしたいことがあります。どうか帰る前に、これだけは聞いていってください」
 落ち着いた口調で、シャーロットがマイクに声を通す。
「今まで見てもらったように、人は誰でも犯罪者になり得る可能性を持っています」
 それは、改めて犯罪に対する意識を問いかけるためのものに思われる。が、彼女の本当の思惑はそこではなかった。
「たとえばそこのあなたや、そこのあなた……そう、あなたも」
 客席を無作為に指差しながら、シャーロットが警告に似た言い方で告げる。そして、最後の「あなたも」の時に限っては、無作為ではなかった。
 彼女が最後に指差した人物、それは会場内に逃げ込んでいた端義であった。
 シャーロットは演劇が終盤に差し掛かっていた時、彼が場内に入り込んでくるのを見逃さなかった。まあ、ほぼ全裸なのであからさまに目立つからなのだが。
 端義がいつまでパンツ一枚なんだよということはさておき、シャーロットはそれを見た時、閃いたのだ。
 ちょっとした悪戯を仕掛けてみよう、と。
 それが、先程の指差しである。あえて端義の名前は出さず、しかし意図的に彼を指すことで、誰か気付く人はいるだろうかというおふざけだ。
「どんなに綿密な計画を練り、万全を期して実行し、見事成功したかのように思えても、必ずどこかに綻びがあるものなんです」
 会場に言ったシャーロットは、心なしか口元を緩ませているようにも見えた。それとは対照的に、気が気ではなかったのが端義本人だ。周りが気付くにしろ気付かないにしろ、少なくともシャーロットはここに逃げ込んだ自分の存在に気付いた。
「……これは、まずいね」
 しかも、犯罪者ということをほのめかしているのも彼にとってはマイナスだった。どうしたものか、外は危険だが、ここも危険だ。このままではいずれ捕まってしまう。それは仮に、パンツ一枚じゃなかったとしても。それほど、彼を捕まえようとする者は大勢いたのだ。
 あれこれと回避策を練ろうとする端義だったが、そうしている間にシャーロットは、締めの言葉を告げていた。
「いいですか皆さん、この世に完全犯罪などありあえないのですよ」
 深くお辞儀をし、シャーロットがはけていく。もう端義からすれば、自分に送られたメッセージとしか思えなかった。
「イベントが終わるということは、ここは人でごった返す。とりあえず人の波が出来る前に動かないとまずいね」
 端義は、目立たぬよう、入ったばかりの会場をそそくさと出て行った。



 会場を出た端義は、そのままどこか人気のないところにひとまず身を隠そうと考えていた。しかし、思わぬ誘惑が直後、彼に襲いかかった。
「卜部先生、なんだか破天荒な劇でしたね」
「カメラに収めたのは良いですけれど、放送できるでしょうか……?」
 可愛らしい声が聞こえてきて、端義はピタリと反射的に足を止めた。声の方を見ると、如月 正悟(きさらぎ・しょうご)と女子アナの卜部 泪(うらべ・るい)が何やら話し込んでいた。おそらく正悟は、ADとしてバイトでもしている最中なのだろう。まあ、端義にとってそんなものはどうでも良かった。彼にとって大事なのは、そこに女子アナがいるということだ。はっきり言って、彼は無類の女子アナ好きだった。コンビニで週刊誌を眺めては、女子アナマル秘ハプニングなどを欠かさずチェックするほどの気持ち悪さだ。彼は女子アナの魅力をこう語る。
 ――彼女たちはね、見られているんだよ。何万という人にね。それは、とても興奮するだろう?
 そして興奮を抑えきれなくなった端義は、吸い寄せられるように泪の近くににじり寄った。すると、より会話が鮮明に聞こえてきた。
「でも、噂には聞いてましたけどこの仕事って無茶苦茶使われるんですね」
「すみません、慣れない仕事をさせてしまって……」
「い、いいえ! 卜部先生は何も悪くないです! むしろ一緒に仕事できて嬉しいです!」
 そこから話題は、先程の演劇へと移った。
「もしこれ、放送できなかったらどうするんですか?」
 何気なく尋ねた正悟。泪は、困った顔で返答する。
「残念ですけど、お蔵入りになっちゃいますね……これなんて、皆さんとっても生き生きしているからもったいないんですけれど……」
 言って、カメラの映像を見せようとする泪。必然的に、正悟は泪と距離を詰めることになる。その時、事件は起きた。
「どれどれ……って、あっ!?」
 正悟はうっかり躓いてしまい、泪に向かって倒れそうになった。やばい、このままではあの時の二の舞になってしまう。正悟は、前も同じようなことがあったことを咄嗟に思い出していた。
 それは、いつかの夏、幽霊船の依頼で泪と行動を共にした時のこと。
 彼女の近くで転びそうになったばっかりに、泪の胸を掴んでしまい、セクハラ呼ばわりされた挙げ句距離を置かれた日のことを。セクハラ呼ばわりというか、セクハラだけど。
「こういう時は……胸を避け、支えになりそうなものを掴む!」
 あの経験から、正悟は学んでいた。胸を掴んだら、ダメだと。そこで彼が取った行動は、胸以外に頼ることだった。しかし。
「きゃあああっ!?」
 彼の耳に聞こえたのは悲鳴。そして彼の目に映ったのは、衣服を裂かれた泪だった。
「おおっ……じゃなくて、なんだこれは!!」
 正悟は、自分のしたことを分かっていなかった。彼は確かに胸を掴んではいない。だが、代わりに泪の衣服の裾を掴んでいたのだ。もう、わざとやってるとしか思えない。しかし本人が違うというなら、違うのだろう。
「ふ、服が……! やっぱりそういう方だったんですね……!!」
「ちがっ、誤解です先生!」
 もうこうなると、正悟が何を言っても無駄だった。必死に弁解しようと追いかける正悟と、体を隠すように逃げ惑う泪。あの夏の光景が、ここに蘇る。
「ほほう……」
 そして、それを観察していたのが端義だった。泪の本気で嫌がる様子は、彼に時間を忘れさせていた。が、忘れてはいけないことがあった。それは、彼が今逃走中だということ。そして、パンツ一枚だということ。さらに、泪が悲鳴を上げたことで、人が集まってくるということだ。
「んっ? あっちで何か事件かな?」
 早速、悲鳴の元へと近づいたきたのは、今回のイベントに会場スタッフとして参加していた小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)だった。後ろからは、パートナーのベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)もついてくる。
「もしかして、増多さんという方でしょうか……?」
「ああ、あの変態集団の? それなら、飛んで蹴りいれる夏の虫よ! 成敗してやるんだから!!」
 今日一日、基本的には迷子の子供の面倒を見たり、お年寄りを案内してあげたりと優しいスタッフでい続けた美羽。しかしその言葉を口にした時の彼女は、憤怒の仮面をかぶっていた。
 ふたりが泪の元へ到着した時、その美羽が見たのはパンツ一枚の端義、そして衣服を破られている泪、そして謝っている正悟だった。これでは誰がどう見ても、端義が悪者である。
「へ、変態……!!」
 声と体を震わせて美羽が言うと、端義は「そうだね、あそこの彼はなかなか見込みが……」と正悟を指差しながら美羽に近寄ろうとした。
「あんたのこと言ってんの!!!」
 瞬間、美羽の怒号が飛ぶ。端義からしたら、女性下着一枚でいるだけで、泪に危害を加えてはいない。とんだ濡れ衣だった。
「落ち着こう。それはごか」
「あんたなんか、こうしてこうしてこうしてやるっ!!」
 バキッ、と鈍い音がして、端義の言葉は遮られた。美羽の鋭い蹴りが、顔面にヒットしたのだ。そこから美羽は飛び蹴りに踵落とし、ストンピングと足技の限りを尽くした。ミニスカートをはいている彼女なので蹴り上げる度に大事なものが見え隠れしているが、端義は見る余裕などまったくなかった。
「これでとどめっ……」
 最後に思いきりシュートをかまそうとした美羽だったが、それはベアトリーチェに阻まれた。
「ど、どうしたの!? なんで庇うの?」
「これ以上やっては、死んでしまいますよ! 後は私が警察に引き渡しておきますから、美羽さんは落ちついて……」
 確かに、彼女の言葉には一理あった。もう端義は意識がかろうじて残っているだけの状態で、体はぐったりと地に伏したまま動かない。
「じゃ……じゃあ後は任せちゃっていいのかな」
「はい、美羽さんは向こうのベンチで休んでいてください」
 言って、ベアトリーチェが美羽をこの場から引き離す。美羽が声の届かないところまで離れたことを確認すると、彼女は、そっと端義に耳打ちした。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ……助かったよ。ありがとう」
 お礼を言う端義だったが、この体では動けない。警察に連れていかれるのだろうか。半ば諦めの境地に達していた彼だった。ところが、ベアトリーチェの言葉は、意外なものだった。
「あ、あの……こんな時に申し訳ないんですが、ご相談が……」
「え?」
 少し言い出すのを躊躇している様子のベアトリーチェだったが、意を決したようにもう一度口を開いた。
「ど、どうすれば……魅力的な女の子になれますか?」
「?」
 この状況でこの質問をされる意図が分からず、端義は眉をひそめた。ベアトリーチェは簡単に理由を説明する。
 自分もそれなりにお年頃なので、女の子らしい感じになりたいこと。今のままでは、地味キャラのままなので困っていること。フェティシズム研究の第一人者である端義なら、ヒントをもらえるのではということ。
「ふむ……」
 事情を知った端義は、ベアトリーチェを改めてじっくり見た。確かに、全体的に大人しそうな雰囲気が漂っている。ただ彼は見逃さなかった。彼女のスタイルが服に隠れているだけでかなりハイレベルなそれであることを。
「この、スカートが短いのもイメチェンの一環かい? 君のカラーではなさそうだけど」
「あ、はい。美羽さんを見習ってみようと思って……」
 くい、とスカートを伸ばすように、恥じらってみせるベアトリーチェ。端義は、それだけで少し体力が回復した。
「君は、充分魅力的だよ」
「ほ、本当ですか?」
 たった今感じた興奮を、端義はそのまま彼女に伝えた。
「間違いない。ただ、君がそれに気付いていない状態だね。今のは、その最たる例だ。となると殻を破るカギは……そのミニスカートのような、本来と違うカラーで攻める、っていうところだ」
「本来と違うカラーで攻める……?」
「そう、つまり、あえて自分では恥ずかしいと思うような格好をするんだよ。すると君は性格的に羞恥心が上回り、結果、変わりたい自分と戸惑う自分が同時に出てくる。その精神のせめぎ合いが、より魅力を引き出すんだよ」
「な、なんだか難しいですね……」
「たとえるなら、髪型に無頓着だった子が突然おしゃれな巻き髪にして、周りの反応を気にしながらキョドってしまうような感覚だね。僕は、そんな子に『似合ってるよ』って言って照れさせるのが好きなんだ」
「わ、分かりました……少しずつ、自分のイメージを塗り替えていきます」
 ありがとうございました、とお礼をし、ベアトリーチェは立ち上がった。彼女は電話をかけている。警察か? 端義が一瞬怯えるが、聞こえてきた声はそれを良い意味で裏切った。
「もしもし、怪我人がいまして……」
 彼女は、パトカーではなく救急車を呼んでいた。そうか、助かるのか。最終的に警察へと身柄は渡されるかもしれないが、端義はとりあえず今を凌げたことに安堵した。

 その少し前。
 ロイ・グラード(ろい・ぐらーど)は、端義たちの近くで車を運転していた。わざわざ車でイベント会場に来ていたのだろうか。否、違う。彼は、より鮮明に犯罪に対する警鐘を鳴らすために車を持ち出していたのだ。
「犯罪シミュレーションなどやったところで、所詮は演劇。効果はたいして見込めないはずだ」
 ハンドルを握りながら、ロイが呟く。彼は防犯意識について真面目に考えていた。現在指名手配中にも関わらず、である。
 それはいいのだが、一体、防犯意識を考えることと車で会場に来たことに、何の関連性があるというのか。その答えは、きっと誰も想像できなかったものだ。
 ――車で事故を起こせば、犯罪率は低下するに違いない。
 それが、彼の出した結論だった。意味が分からないという方が大勢いると思うが、まあ彼の思考を一緒に辿ってみてほしい。
 まず前提として、ロイは「シャンバラは車文化に馴染みが浅いから、車両事故の恐ろしさを知らないだろう」と予想していた。ここまでは、まだみんなついてこれると思う。問題はここからだった。
 車両事故の恐ろしさを知ってもらうにはどうすれば良いか。ロイはその難問に「車両事故の凄惨さを目の当たりにすれば、嫌でも分かるはずだ」という解答を得た。
 彼の何がおそろしいって、その思考をさも当然のもののように思っているところと、実際にその行動を起こすところである。
「さて、誰をひくか……無実の人をひいてはまずいだろう」
 僅かに残っていた常識で、ロイはそう思った。そこで彼が思い出したのが、少し前みなとくうきょうの公園で陰部を露出させていた端義という変質者のことだ。
「アレなら問題あるまい。まったく、公園で陰部を露出させるなど、何を考えているか理解しかねる」
 ちなみにその時ロイが取っていた行動は、「飛べ、朱の飛沫!!」と叫びながらチャックから陰部を露出し、何かを飛ばすというものだった。
 まあそんなことはきっとどうでもいい。彼は、自分の過去は振り返らない主義なのだろう。
 そういうわけで狙いを端義に定めたロイは、そこから少し運転を続け、丁度会場付近に彼がいるのを見つけた。
「なんだアレは。なぜ女性用下着しかつけていないのだ。さてはとうとう頭がおかしくなったか。なら遠慮はいらないな」
 ロイは、そのままブロロロと直進した。余談だが、ここは車両通行禁止だ。しかしロイは気にしない。男は、細かいことをいちいち気にしないのだ。
「きゃあ、く、車が!!」
 突然突っ込んできた車を見て、その場にいた泪が悲鳴を上げた。周りもすぐに気づき、大きなどよめきが起こる。
「なんだ、騒がしいな。車でちょっとひくだけだと言うのに、大げさなヤツらだ。どれ、そろそろ速度を調節しないとな。いくらひくと言っても、死なせるのは違うからな」
 言ってロイは足元に力を入れた。踏んだのは、アクセルだった。
「死ね!! 増多端義!!」
「!!?」
 速度を上げて向かってくる車に、端義は身動きがとれない。怪我もあるが、こんな予測していない事態に遭遇すれば、誰だって体が固まってしまうだろう。
「いやほんと危ないから止ま……ぼびょっ!!」
 ドン、と大きな音がして、端義ははね飛ばされた。ロイは、運転席で舌打ちをしていた。タイヤ部分に当ててひくつもりが、はねてしまった。まだまだ自分も未熟者だと痛感させられた瞬間である。
 数メートルほど吹っ飛んだ端義は、地面に転がったまま動かない。ロイは窓から顔を出し、端義に言った。
「貴様、何やっている。車がきているのにう急に飛び出すなんて危ないだろう」
 もちろん端義はノーリアクションだ。ロイはしかし、「これで車両事故の危険性は理解できるだろう」と満足げだった。そのままロイは再びブロロロと車を走らせ、どこかへ走っていった。
「……しまった、一度では不安だな。二度ひくべきだったか」
 ロイは今回の運転で出たいくつかの反省点を、次に活かそうと思った。その前向きな姿勢だけは、評価に値する。ただ、くれぐれも良い子の皆さんはロイのような真似をしてはいけない。
 彼は、信号が何色でもブレーキなんて踏めないというロックな人なのだから。

 ちなみに、車にはねられた端義だが、ベアトリーチェが救急車を呼んでいたこともあって、その後どうにか一命は取り留めたらしい。そしてロイは、車のナンバーから足がつき、指名手配の罪状がひとつ増えたという。まあ彼にとっては、「あれ、虫歯増えちゃった」くらいの感覚なのかもしれない。
 ともかく、彼の行動の是非はともかくとして、空京の人たち――とりわけ現場の近くにいた人たちには、立派に「車って怖い」という意識を持たせることが出来たのだった。
 そして怖いと言えば。
 そう、好き勝手舞台で暴れた生徒たちにも、怖い展開が待っていた。