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幻夢の都(第1回/全2回)

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幻夢の都(第1回/全2回)

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第1章 金の狼 3

 昶との話を終えると、ガウルの胸に懐かしさがこみ上げてきた。
 ファランは類まれな速さを持った戦士だった。獣人の戦士にとって速さは誇りである。獣は速さを求め、誰よりも素早く獲物を仕留める。その点においてファランの右に出る者はいなかった。
 ガウルもファランに師事したことがある。それほど長い期間ではなかったが、その間においてファランはガウルと、そしてガウルの親友であるゼノの師匠だった。思えばその時から、師はガウルに言っていたような気がする。
『血に支配されてはならない』――と。
 獣人にはいつ何時もその危険性が伴う。そのことにファランは警鐘を鳴らしていたのだ。
 結果的に魔獣になってしまった自分のことを顧みると、ガウルはやるせなくなる。師はその時から気づいていたのだろうか。自分の心の弱さや、その奥にある根深い闇に。そしてきっとそれは今も心のどこかで眠っているだけなのかもしれない。
 色んなものがない混ぜになった心に葛藤して、ガウルは俯きながら黙り込んでいた。
 ふとそのとき、ひょいっと下から現れたのは女の顔だった。
「ガウルさん、何していらっしゃるのですか?」
「どわぁっ!」
 ガウルは驚きながら後ずさった。その唐突さもあったが、あまりにも顔の距離が近かったためだった。顔が赤くなり、心臓がばくばく鳴っている。
 顔をのぞき込んでいた女はきょとんと首を傾げていた。
「なんだ……ブランローゼか。驚かさないでくれ」
「別に驚かせようと思ったわけではありませんわ」
 ブランローゼ・チオナンサス(ぶらんろーぜ・ちおなんさす)は言って、
「何をしてらっしゃるのかと思って」
 ガウルの傍にくるっと回り込んだ。
「別に……特にこれといったことをしていたわけじゃない。ただ、昔のことを思い出していただけだ」
「昔のこと……ですの?」
「ああ――」
 ガウルは相槌を打つように答えたが、それ以上は続けなかった。
 ブランローゼは訝しむように彼を見ていたが、そのことに問い詰めるようなことはしない。代わりに、踊るようにとんっとその辺の足場に乗って、改めて訊いた。
「ガウルは夢とかはありますの?」
「夢?」
「ええ、夢ですわ。人は誰しも夢を追い求めるものですわよ、ガウル」
「……そういうものか?」
 ガウルは怪訝そうに眉根を寄せたが、
「そうですわ」
 ブランローゼはそれに笑って答えた。
「わたくしはね、少し前まで騎士になるのが夢でしたの。でも、いまは少し変化しましたわ」
「というと?」
「いまのわたくしの夢は、誰かの盾になることですの」
 ブランローゼはとんっとガウルの傍に再び降り立った。
 それから、穏やかな微笑を浮かべた。
「この夢はガウル、あなたを見ていて抱いたことですのよ」
「私を?」
 ガウルは問い返した。
「ええ、そうですわ。あなたが誰かのために戦おうとする姿や誰かを守ろうとする姿。わたくしにはそれがすごく眩しく映りましたの」
 ブランローゼはかつてガウルと共に冒険したことを思い出しながら、そう言った。
 それは本心だった。ずっと騎士になるのが夢だったが、他の誰かのために犠牲になり戦い、守ろうとするガウルの姿を見て、ブランローゼはその背中を追うことを決めたのだ。
 しかし、そのことを聞いたガウルの顔は浮かなかった。
「私にはそんな価値などない」
 良いながら、先ほどの後悔を思い出す。誰かの目標や理想になれる資格など、自分にはないと思っていた。
 しかし、ブランローゼは横に首を振って、微笑みながら答えた。
「価値なんていう問題じゃありませんわ。それに、これはわたくしが勝手にそう思っただけですの。……少なくとも、わたくしにはそう見えたのですわ」
 そうブランローゼが告げるのへ、
「そうだよ、ガウルさん」
 ガウルの後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。
 振り返ると、そこに女が立っていた。色素の薄い茶色の髪に少年っぽい顔立ち。初めて会ったときはまだ幼さを残していたが、いまは少し女性らしい艶やかさも滲んでいるような気がした。ブランローゼの契約者である――五月葉 終夏(さつきば・おりが)だった。
「私もローもガウルさんのことを全て知ってるわけじゃないけど、でも……ガウルさんが優しい人だってことは知ってるよ。だってガウルさんの周りにはこんなにもたくさんの人が集まってきてるんだもん。価値がないなんて、そんな哀しいことは言わないでよ」
 終夏は切ない顔で言った。
 事実、終夏にとってそれは哀しいことだった。ガウルが言う言葉は、まるで自分たちさえも価値がないように感じ取れてしまうのだ。もちろん、ガウルがそんなつもりで言ったわけではないのは理解しているが、もっと自分に自信を持って欲しかった。
 ガウルは返答しなかった。黙り込み、考えるように目を落とす。
「あの……ガウルさん」
 心配そうに、少女が声をかけてきた。
 天禰 薫(あまね・かおる)という名の娘だった。今回の仕事でガウルの依頼を受けてやって来た契約者だ。ガウルにとっては初対面だったが、他の仲間達は彼女のことをよく知っているようだった。
 同時に、ガウルは薫とは初めて会った気がしない感覚を覚えていた。それは雰囲気が成したことなのか、心に沈んだものが喚起させることなのか、分からなかったが……。
 ガウルは薫を見つめる。薫はその顔を見上げてから言った。
「生きる意味と、戦う意味……ガウルさんが……あなたがそれを知りたい気持ち、我、わかる」
 告げてから、薫は自分の胸の上をぎゅっと握り込んだ。
「我ね、胸に、原因不明の痛みを抱えているの。痛みの意味を知りたくて……今を生きているの。それで……ガウルさんと我、ちょっぴり似ているなって思ったの」
 薫はまるでその痛みを堪えるように笑みを浮かべていた。悲痛そうなその笑みをガウルは見返して、確かに似ているのかもしれないと思った。
 ガウルには薫の痛みは分からない。薫もガウルのそれは言葉にして聞いただけで、実際のところの現実感など分かりはしないだろう。しかし、互いに想像することは出来る。それは黄金都市の不思議な雰囲気がもたらすものかもしれなかった。
「黄金の都は……誘惑が一杯だって聞いたの。現実を忘れる楽しい夢かもしれないし、辛い記憶を呼び起こしそうな悲しい夢かもしれない……。でも、我は、そんなものには負けない。前を向いて、我の信念を貫くって、決めたの」
 薫は言って、胸からぶら下がる、荒削りの翡翠の石を握りしめた。
 その様子を熊楠 孝高(くまぐす・よしたか)が見ていた。
 石はそれを薫に渡した者が思いを込めたものだった。「細やかであっても、俺はお前を見守っている」――と、そんなメッセージが込められている。そのことを孝高は知っていた。
「ぴきゅぴきゅっ」
 ふいに、孝高の足下で声がした。目を落とすと、わたげうさぎの天禰 ピカ(あまね・ぴか)が独自のぴきゅう語を口にしながら、薫のもとに駆け出そうとしていた。
 孝高はその首をぐいっと引っ張った。
「ぴきゅっ! ぴきゅきゅきゅ〜!」
 薫ぐらいにしか理解出来ないぴきゅう語でピカは怒り心頭になっている。恐らく何するんだと怒っているのだろうが、
「いいから、邪魔はするな。いまは分かる奴同士にしておけ」
 孝高は告げてから、その首を離そうとせず、
「ぴきゅう〜」
 ピカも諦めてため息のような声を発した。
 孝高はあとで二人に諭しておかないといけないと思っていた。意味を知ろうとするのは大事なことだ。特に傷を負ったなら、せめてその本人が満足するぐらいにはやらせてやるべきかもしれない。しかし、気負い過ぎるのは危険でもある。自分の殻に閉じこもり、誰の声にも耳を貸さなくなるかもしれない。
 一人じゃないのだと。見ている人がいるのだと、二人には分かっていて欲しかった。


 薫はガウルの傍を離れると孝高のもとに戻っていった。
 足下には白いもこもこした影がある。わたげうさぎのピカと言ったか。ガウルは薫の後ろ姿を見送っていたが、
「羨ましいか?」
 ふいに横から、金髪の大柄な男に話しかけられた。
 およそ学生には見えない筋肉隆々の男。その右目には大きな傷跡があった。なにかの戦いの跡なのかどうか。それを知る者はいなかった。
「……そういうわけではないのだがな。そんな風に見えただろうか?」
「少しな。でも悪くねえ感じだ」
 レグルス・レオンハート(れぐるす・れおんはーと)は言って、からかうように笑った。しかし、その瞳の奥には慈悲深さがあった。他人を思いやる、優しい目だった。
「俺は、あんたのことをそこまでよく知ってるわけじゃねえけどよ」
 レグルスはそう切り出した。
 知っているのは話に聞いている部分だけだった。それも人づてに聞いた話だけだ。本人の半分すらも理解できないかもしれないと、そう思っていて間違いない。だがレグルスは、ガウルに何か言葉をかけたかった。
 傷を負っても生きようとするその気概に惚れたのかもしれない。レグルスは自分の性格を顧みながら自嘲的にそう考えた。
 その思いを吐露するように、レグルスはにやっと笑った。
「さっきの嬢ちゃんが言ってたみたいに、あんたの帰りを待ってる奴はたくさんいるぜ。俺もその一人だろうよ」
 立ち上がり、ガウルの肩をぽんと叩いて、
「ま、そこに価値があると思っていこうや。夢はゆっくりと探せばいいさ」
 レグルスはその場を立ち去った。
 振り返ったガウルはその背中を見送って、レグルスが戻っていった仲間の集団を見た。終夏やブランローゼ、それに薫たちもガウルに気づき、手を振っていた。
 ここらには何もなさそうだから、もう少し先に行ってみましょう。
 そんなことを言いながら、ガウルを呼んでいる。
「――ああ、いま行く」
 ガウルは囁くように返答すると、仲間達のもとに戻っていった。


 レン・オズワルド(れん・おずわるど)が行方不明になったと聞いて、ノア達から連絡を受けたミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)らは一行に合流していた。ミレイユ達にとって、レンはかけがえのない友人である。散策の際も、ガウルと一緒の組へと編成され、町を進みながら、レンの影がないかと目を光らせていた。
「そういえば、ガウルも獣人で耳が良いんでしょう? へへへっ、どっちが先に見つけられるか競争しよっか〜」
 だが、中には真剣さが見受けられないものもいるようだ。ルイーゼ・ホッパー(るいーぜ・ほっぱー)はくすくすと笑いながら、ガウルに悪戯めいた笑みを見せていた。
「それで早く見つけられるなら、それに越した事はなさそうだが」
 淡々と、ガウルが言うと、
「もっちろん。あたしはそういうやり方のほうがやる気がでるのっ」
 ルイーゼは子供みたいに笑った。
 そんなルイーゼに、ふいに、
「ルイーゼ、今はまだ許しますけど、いざとなったら、真剣に、ですよ」
 シェイド・クレイン(しぇいど・くれいん)が忠告を口にした。銀髪の下、澄んだ赤い瞳が睨むようにルイーゼを見ていた。
 ルイーゼはひらひらと手を振って、
「あ〜、……はいはい。シェイドくんは相変わらずだなぁ。そんな気負いばっかだと、人生疲れちゃうんじゃない」
「あなたよりはマシですよ」
 呆れるように、シェイドが言う。
 ふいにそのとき、先頭を歩いていたミレイユが、あ……、と声をこぼした。
「ねえ、ノアちゃんたち! 向こうに何か光った気がするの!」
 金銀財宝の町だ。そこらに転がる金貨やお宝が光るなど、よくありそうな気がした。だが、ミレイユはそんな財宝の光ではなく、もっと特別なものっぽかったと言う。乳白金の髪の下にあるつぶらな瞳は、嘘を言ってるようなものではなく、
「行ってみましょう! ミレイユさんの言うことですから!」
 ノアが、ミレイユとともに先頭に立って、皆を先導した。
 ガウル達はそれについていき、ミレイユが光を見たという場所を捜索することにした。すると、そう時間も経たないうちに、アリス・ハーディング(ありす・はーでぃんぐ)が何かを発見したらしい報告を受けた。
「これは……」
 アリスは砕けたサングラスを手にしながら、つぶやいていた。
 それは、レンがいつも身につけていたサングラスだった。紅い瞳を隠すための特注品だ。サングラスが落ちていた場所の近くには血の跡があり、それはまだ乾ききっていなかった。
 ノアやミレイユは、レンの身を案じて慌てふためいた。だが、メティスとアリスは平然としたものだ。冷静に状況を考えている。
「ガウル、これは貴方が持っていて下さい」
「私が……?」
 アリスが差し出した破損したサングラスを、ガウルは戸惑いながら受け取った。
「きっと、またレンに会う時がくるでしょう。その時には力を貸してもらうことになります。――レンの心を捕らえたのはガウル、お前なのだから」
 ふいに、最後の言葉を告げるとき、アリスの赤い瞳が色濃い血の色を宿した。ガウルはその瞳に射すくめられ、動けなくなる。だが、変化は一瞬のことだった。アリスの瞳は元の澄んだ赤色に戻り、微笑を浮かべ、ガウルの傍を去った。
「アリスさんは……レンさんのことを、どこまで知ってるんでしょうか」
 ノアがその背中を見て、寂しげにつぶやいた。
 アリスは唯一、レンの過去を知るもので、そのことがノアにとって、レンと自分との間に遠い距離を感じてしまう原因でもあった。知りたくとも、アリスはその答えをはぐらかす。いつか、あるいは今日にでも、知る時が来るだろうか。ノアは粗末な希望を抱きながら、アリスを追った。
 ガウルは、預けられたサングラスを、静かにポケットに押し込んだ。