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アムトーシス観光ツアー

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アムトーシス観光ツアー

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第三章 移ろいゆくとき 1

水上のゴンドラ


 ゆらゆらと、ゴンドラが揺れる。
 アムトーシスの街中をゆるやかになぞっていく水路には、たくさんのゴンドラがあった。水上にはそこだけの隠れた通路があったり、隠れた店があったり、地上とはまた違った、秘密の隠れ家的な異国情緒を感じさせてくれる。そんなゴンドラには櫂を操ってたくみに舟を漕ぐゴンドラ乗りと、お客の姿がちらほら見えた。
「これがアムドゥスキアス様の建てた新しい建造物のひとつ、『流れる雫の時計塔』です。一時間にいっぺんぐらい、まるで雫が落ちるみたいに、時計塔のうえから光が流れてくるんですよ」
 ゴンドラ乗りのロクロ・キシュ(ろくろ・きしゅ)がお客にむけてそんな風に説明していた。
 父の仕事の手伝いで帰省してきてから、観光客を相手にこうして日々櫂を引いている。大人しくて人なつこい性格ということもあってか、ロクロの操るゴンドラは人気で、多くの観光客が利用した。
 ただ厄介なのは、隣にやかましい知り合いがいることだ。
「うおおおおおぉぉ! 芸術的価値いいいぃぃ!」
 由乃 カノコ(ゆの・かのこ)が狼みたいな雄叫びでさけんでいる。観光客に混じっていたところでロクロと出会ったのだが、それ以後、ずっと隣にひっついて、新しい建物を見るたびにさわいでいた。
「あの、もしもしカノコさん? もうちょっと静かにできません?」
「なに言うてはるん、ロクロさん! これだけ見事な建物ばっかりなんよ!? 芸術的価値ーっ! ってならずしてどーするん!」
 カノコがまくしたてるように言う。お客たちもそれには賛同のようで、変に納得されてうなずいていた。
 まあ、褒められて悪い気はしない。ロクロにとって領主、つまりアムドゥスキアスは憧れの存在だし、彼が造った建造物が賞賛されるということは、まるで自分の大切な人が褒められているみたいな気もした。心なしか、嬉しく思う。ただそれにしたって、カノコに見つかるのは想定してなかったけど。観光局のグラパスさんから、観光客用に大きなゴンドラを用意してもらったのがアダとなったか。
「芸術的価値いいいぃぃぃ!」
「う、うるさい……」
 やたらめったらさけぶカノコ。ロクロは珍しく、げんなりとしてため息をついた。


「芸術的価値いいいぃぃぃ!」
 と、さけぶ同乗者の客を、なんとなく心の端でうるさいと思いながらも、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)は異国情緒に溢れる水上都市の街並みに心奪われていた。
 他の国とは本当に、雰囲気が違う。趣もあるし、風情があるし、なんたってこの水路が良い。幻想と近代の混じり合った世界。ちゃぽん、と魚が跳ねた水音に、グラキエスはとても心穏やかになった。
「すごい……すごいなぁ、この街は……!」
 同時に、なんだか胸が弾むみたいな気持ちになる。
 ゴンドラの縁に手をかけて、水をのぞき込みながらはしゃぐグラキエスを、ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)ベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)の二人がなだめた。
「グラキエス。そんなにはしゃいでいると、すぐに疲れてしまうよ。こちらにおいで。少しゆっくり眺めよう」
 ベルテハイトに呼ばれて、グラキエスは彼の隣にきた。そっと、グラキエスを抱き寄せる。いまや身体の弱いグラキエスは、すぐに疲労もたまってしまう。ベルテハイトはそれを心配しているのだった。
「この水路は純粋に芸術のために造られているようだ。ここを造った者たちもこれを見た者も、大いに感性を刺激されただろう。私も例外ではないよ。お前のいるこの時を、絵にしてみたいぐらいだ」
「してみてよ。俺も、それを望むよ」
 グラキエスが言って、ベルテハイトの顔を見あげた。肩を寄せ合っているおかげか、目線はかなり近いところまで接近してる。だけどベルテハイトはすこしも恥ずかしがることなく、グラキエスの金色の瞳をのぞき込んだ。
「その時がくればな」
 はぐらかされたような気もする。グラキエスは「……そう」とつぶやいて、それきり黙ったまま周りの景色を眺めることにした。ゴルガイスが、グラキエスに呼びかける。
「グラキエス、我の肩に乗ると良い。この水路は上からの眺めも考慮されているそうだぞ」
「上からの眺め?」
 グラキエスが承諾するよりも早く、ゴルガイスは彼を抱き上げた。肩に乗せられたグラキエスは、一気に目線が高くなる。それまで見ていた光景とまた違う景色に、思わず声を出して驚いた。
「すごいな……。まるで虹だ」
 街中に漂っているホタルみたいな光が、水面に反射して様々な色彩を浮かびあげていた。グラキエスはそれに目を奪われて、しばらく黙ったまま水面を見つめ続けていた。
 それを見ていると、なんだかベルテハイトもゴルガイスも、いまこの時がかけがえのないもののように思えてくる。それが、一時の安らぎだったとしても。
 ――大切でありたいと、二人は思った。


 アムトーシスには、水路に面した劇場があった。
 それはもともと地上にあったものだけれど、店舗移動をしているうちに水面に店を構えるようになった古き良き劇場だった。そこにはたくさんのアーティストが訪れる。アブドゥルム、リック=ベン、ピクターチャム(二人組のユニットだ)――などなど、名の知れたプロから、実力を試したい素人まで、本当に様々だ。
 そんな劇場の前に、東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)遊馬 シズ(あすま・しず)の姿があった。
「いらっしゃーい。今日だけの特別公演やってますよー。ぜひ見に来てくださいー」
 二人は劇場の前で呼び込みをやっていた。
 と言っても、口を開いているのは秋日子一人だ。ボブカットの元気な女の子が精一杯声をあげて呼び込みをしているのを、水路をゆくゴンドラ乗りやその同乗者のお客さんが、優しい目で見ている。そしてその秋日子の横で、シズがヴァイオリンの音色を奏でているのだった。
 ヴァイオリンの音に気づいたお客さんたちは、しばしその音色に耳を傾けた。ゴンドラ乗りも、劇場の前にくると舟を漕ぐのを一旦やめて、しばらく劇場の説明に入る。ヴァイオリンの音色は静かながらも強さがあって、なんだか心が高揚してくる気分だった。
 ただ、本人はあまり納得していない。もともと、秋日子にも演奏をしてくれないかと頼んでいたのだ。だが、なぜかは知らないが彼女は断った。それは秋日子自身があまり自分の演奏に自信を持っていないということもあったが、シズが音楽のこととなるとやけにスパルタになることも原因だった。「テンポがずれた」とか「音の強弱が甘い」とか、ダメ出ししてくることは目に見えている。ただ、本人にはその自覚がないため、秋日子が断ったのがなぜかわからないでいた。
「あれ? 東雲さんたち……ここでなにやってるの?」
 ふいにそんな声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。
「アムくん!」
 ふり返った秋日子が声をあげる。アムドゥスキアスが、水路を挟む街路の縁から身を乗り出していた。
 よっと声を出して、劇場の前に飛び降りる。シズはいったん演奏をやめて、アムドゥスキアスを見つめた。
「へぇ、懐かしい劇場だね」
「懐かしいって……知ってるの?」
「うん。昔、ボクもここで演奏させてもらってたことがあるんだ」
 もう何百年も前の古い話だけどね、とアムドゥスキアスは言った。それからすこし、そのときの思い出話を始める。秋日子はそれを聞き終えると、なにかピンときたものがあったようだ。シズを呼んで、アムドゥスキアスに伴奏を頼んだらどうかと提案した。
「きっと、アムくんだって思い出の劇場のためなら喜んでやってくれるよ!」
「いや、だけどそれは……」
 あまりにも厚かましいのではないか? と心配するシズだったが、秋日子はその前に行動を起こしている。アムドゥスキアスは話を聞くと、快くOKしてくれた。劇場の人が用意してくれていたピアノの前に座ると、軽く調子を確かめる。軽やかな音が鳴って、アムドゥスキアスは自分に向けるよううなずいた。
「いいのか? アムさん。その、急にこんなこと……」
 シズが心配そうにたずねる。アムドゥスキアスはほほ笑んだ。
「いいんだよ。ボクだって好きでやることだ。そうじゃなきゃ、こんなことしないさ」
 さ、じゃあやろうか。ポロロンっと鍵盤を叩いて、アムドゥスキアスが言った。音楽が好きなやつには、きっと悪いやつはいない。シズはようやく気持ちを切り替えて、うなずき、演奏を再開した。ヴァイオリンの音色に合わせてピアノの伴奏が続く。それまでは軽やかだった音楽に重さが加わって、演奏はまるでそこだけでもコンサートをしているかのような高級感に満ちあふれた。ゴンドラのお客だけではなく、街路から劇場を見下ろす町の人たちもうっとりしている。
 二人が演奏している姿を見ると、秋日子もなんだか幸せだった。


 ゴンドラに乗って街を散策する天禰 薫(あまね・かおる)は、その美しさに感動していた。
 見渡す限り、いたるところに不思議な建物や店が並んでいる。街に灯もホタルみたいに綺麗で、薫はゆっくりと進むゴンドラの上できょろきょろと周りを見回していた。すると、頭の上からやかましい声が聞こえる。
「おい薫、てめー! このー! あんまりきょろきょろしてんじゃねえよ! 目が回るだろー!」
 その正体は八雲 尊(やぐも・たける)というちいさな地祇だった。可愛い声と姿をしているが、まるでなかなか懐かないペットみたいに、牙を剥く。キーキーと甲高い声で文句ばっかり言っていた。
「わわっ、尊さん! ごめんなのだ〜! あう〜、えっと、じゃあ肩の上に乗る?」
「肩? ま、まあ悪くねえな。お、お前がどうしてもって言うなら、座ってやるよ」
 ぴょんっと、尊は薫の肩の上に飛び乗った。
「ピッキュ、ピキュピィ〜」
 薫の腕に抱かれていたわたげうさぎロボット わたぼちゃん(わたげうさぎろぼっと・わたぼちゃん)が、嬉しそうに鳴く。尊はふんっと顔をそむけた。
「それで? これからどうするんだ? 孝高もなにか考えろよ」
「ん? ああ……そうだな」
 薫の隣で腰を下ろしていた熊楠 孝高(くまぐす・よしたか)が気のない返事をした。視線はまるで別のほうを向いている。尊がむっとなってたずねた。
「なんだよ。なに見てんだよ?」
「いや、あれはもしかして――」
 孝高が見ている方角に薫たちも視線を向けた。
 そこには、とととっと街路を走る少年魔族の姿があった。一瞬、誰かはわからなかったが、どこかで見覚えがあるような気がする。とたん、薫の脳裏に記憶が蘇ってきた。
「ああああぁぁぁ! アムドゥスキアスさんなのだぁ!」
「え? ……呼んだ?」
 薫の声が聞こえたのか、アムドゥスキアスが縁からそっと顔を出した。
 そうだ。間違いない。街の至るところで肖像画を見たり、噂を聞いたりしてたが、間近で見るのはこれが初めてだ。薫たちはぽかんとして、雲の上の存在に聞こえていた相手を見つめた。アムドゥスキアスはにこっと笑って、ゴンドラの上に乗った。
「はじめまして。魔神アムドゥスキアスです。よろしく」
 アムドゥスキアスはフレンドリーな人だった。だから、薫は最初は緊張してたものの、すこしずつ彼に打ち解けていった。「我たち、アムトーシスははじめてなのだ」と不安げに言うと、アムドゥスキアスはおすすめの観光地をいろいろ教えてくれた。
「ピッキュ」
 わたぼちゃんがアムドゥスキアスの肩に飛び乗った。
 なんと言っているかアムドゥスキアスにはわからなかったが、薫が通訳してくれる。どうやらアムドゥスキアスにじゃれているようだった。クレヨンと画用紙をどこかから取り出したアムドゥスキアスは、わたぼちゃんに教えるような形で絵を描き始めた。薫や尊もそれに一緒になって、絵を描く。
 孝高はそんな薫たちを見守っていた。
 まさか、魔族とこんなに仲良くなれるとは思っていなかった。アムドゥスキアスという魔神も、思っていたほど怖い相手じゃないようだ。もちろん、底知れぬ力は持ってるのだろうが。
 天禰が嬉しそうな顔で笑っている。孝高には、それだけで十分だった。