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そんな、一日。~二月、某日。~

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そんな、一日。~二月、某日。~

リアクション



17


 年末にあった、年越しの集まりでのことだった。
「ねえ。ふたりともオレの家族なのになんで一緒に暮らさないの?」
 ジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)が、爆弾とも取れる発言を投下した。
 ふたり、のうちひとりであるフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)は盛大に固まった。固まって、飲み物を一口含んでからもうひとりであるベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)の顔色を窺う。
 ベルクはジブリールの言葉を受けても表情ひとつ変えていない。
「それはですね……えっと」
 フレンディスが言葉に詰まっていると、ベルクがやはり顔色ひとつ変えぬまま、言った。
「同居してみるか」
「えっ」
「同居生活だ。みんなで一緒に暮らす」
 みんなで一緒。その言葉が、フレンディスの緊張を少し解いた。みんなで一緒なら。……いやいや、一緒ならなんなのだ。ひとつ屋根の下で、ベルクと共に過ごすなど。しかもそれが、毎日など。
 生活風景を、想像してしまった。顔に熱が集まるのが、わかる。
「あ、あの。ええと」
「すぐに答えを出せなんて言わねぇよ。ゆっくり考えて、結論を出しゃあいい」
 ベルクに言われ、フレンディスはこくりと頷いた。
 よく考えよう。
 自分の返答次第なのだから、きちんと考えなければ。
 ――しかし、『自分の返答次第』というのは、フレンディスにとってなかなか難しいものなのであった。


 提案から、早くも数ヶ月が過ぎた。
 まだ、答えは出ていない。
 同居について、考えてはいた。考えて、考えて、考えて――果てに、問題から目を背けてしまうのだが。
 これではいけないと、フレンディスは決断した。
 今日、答えを出そう。
 電話を手に取り、ベルクに連絡を繋いだ。
「もしもし、マスター? 大事なお話があるので、長屋まで来ていただけないでしょうか? ……はい。よろしくお願いいたします」
 約束を取り付ける段階で既に緊張しているような彼女は、忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)が神妙な顔をしてこちらを見ていることに気付かなかった。


 しばらくして、ベルクとジブリールがフレンディスの長屋を訪ねてきた。
 居間に通し、お茶を出し、四人で車座になって座る。誰も口を開かず、沈黙がその場を満たした。
 何か、言わなければならない。ああ、けれど一体どう切り出せばいいのか。
「……ほ、本日はお日柄も良く」
「フレンディスさん、それ、なんか違う気がする」
「あう……」
「大事な話って、みんなで住むことについてでしょ? どういう答えを出したのか聞かせてよ」
 相変わらず、ジブリールは直球を投げてきた。反射的に逃げそうになったが、そうならないようにふたりをここに呼んだのだ。
 すうはあと、大きく息を吸って、吐く。
 それから少し間を取って、自分のタイミングでフレンディスは口を開いた。
「ジブリールさんのためにも、前向きな答えを出したいと思う次第です」
 言えた。噛むこともなく、下した決断をきちんと伝えることができた。
 これで決まったと思うと、急に気持ちが不安定になった。不安定というか、混乱だ。今までの生活と変わる。今までのあり方と変わる。関係も変わる? そんなことはない? どうなのだろう――。
 などという、混乱真っ只中の時だった。
 ポチの助がすっくと立ち上がり、部屋を出て行こうとした。
「……ポチ? どうなさいました?」
 襖に手をかけた彼へとフレンディスが声をかける。くるりとポチの助が振り返った。不満そうに眉を寄せ、唇は引き結ばれている。
「ポチ……?」
「…………」
 フレンディスがもう一度呼びかけると、ポチの助が何事かを呟いた。小声すぎて聞き取れない。
「あの……」
 立ち上がってポチの助に触れようと手を伸ばしたが、「いいのです!」と拒絶された。行き場のなくなった手が宙を掻く。
「どうせ僕なんか所詮お邪魔犬。こうなったら僕は家出犬になります!」
「えっ……えっ!?」
「そして機晶技術についてもっとたくさん学ぶため、一匹どこかで空大受験を試みて、合格した暁には立派な一匹暮らししてやるのです!」
 言い切ると、ポチの助は脱兎のごとく駆け出した。長いセリフを口にするところから部屋を出るまで、実に淀みない動きであった。
 なので、出て行ってからも数秒、フレンディスは呆然としてしまって動けなかった。
「ぽ、ポチー!?」
 はっとして、慌てて部屋を出た時には既に、ポチの助の姿はどこにも見当たらないのだった。


 ジブリールがフレンディスたちと暮らし始めてから、約半年が経過する。
 それだけの期間を近くで過ごせば、各々の複雑な事情や心情は聞かなくとも察することができる。
 ……できる、と思っていたのだが。
「ちょっと予想外だったな……」
 まさか、ポチの助があれだけ鮮やかに家出を決めるとは。
 ポチの助とベルクの間にあるしがらみはわかっているつもりだった。それでも上手くいくと思っていた。本気でベルクのことを嫌っていないとは思っていたし、フレンディスの決断を尊重するだろうとも考えていた。だから、無邪気を装い同棲生活を提案してみたのだが。
「ポチ、ポチ……」
「落ち着け、フレイ。大丈夫だから」
「でも。でも私が、私が決めたせいで……嫌です。嫌ですマスター、どうしましょう。どうすれば」
「だから落ち着けって」
 フレンディスは大泣きし、ベルクはそんな彼女を見ていられないのかいつになく困った顔をしている。当たり前だが同棲の話なんてできる場合ではない。
 ややしてベルクがフレンディスをなだめすかし、携帯を持って立ち上がった。部屋を出たので、ジブリールも続いて部屋を出る。
「ねえベルクさん、犬のことなんだけど」
「あーちょっと待て。電話してからな」
「電話? どこに」
「あいつの行き先。アルクラントか? わりぃ、またポチがさ……、やっぱり。……フレイがガチ泣きしててヤバイ。俺の胃もヤバイ。……おう。ほんっと、毎度毎度悪いな。……ああ、じゃあ、また」
 電話が終わると、ベルクは大きく息を吐いた。それから、部屋の中で泣いているフレンディスに視線を向ける。再び、ため息。
「慣れねぇ……」
「何が?」
「フレイのマジ泣き」
「犬の突発的行動には慣れてるのにね」
「あっちにゃ慣れる気がしねぇよ……はぁ」
「それで? 犬があれだけ計画的家出宣言したの、理由があるんだよね? 対応が慣れてたのもわかってたからでしょ?」
「元々考えてたところもあるんだろ。あとは、ペトラに会いたかったからだな」
「ペトラ?」
「あいつの好きな女だよ」
「ああ……」
 事情を聞いて、妙に納得した。
 それにしても本当に予想外だ。ポチの助に好きな相手がいたことも、暢気そうに見えてしっかり考えていたことも、フレンディスがあそこまでポチの助に依存していることも、すべて。
 けれどもう、わかった。わかったから、最善策を探すことができる。
 考えよう。
 誰にとっても一番いい結末を迎えるには、どうすればいいのかを。


*...***...*


 シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)宅にポチの助が転がり込んできたのは、ベルクの電話より一時間ほど前のことだった。
 息せき切らせて走ってきたらしい彼の頭を、アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)はわしゃわしゃと撫でる。
「おお? ポチの助。どうしたんだ、急にこんなところまで」
 まだ息が整わないようなので、背中を撫でる。少し待つと、ポチの助が顔を上げた。申し訳なさそうな瞳で、アルクラントを見上げている。
「あの。僕、連絡もなしに急に――」
「ああ、気にしなくていい。お茶を淹れてくるから、座って待ってて」
 しょんぼりした様子のポチの助に優しく声をかけ、アルクラントは部屋を出た。心配そうな顔をしたシルフィアが近付いてくる。
「ポチ君、どうかしたの?」
「何かあったらしいな。シルフィア、一緒に話を聞いてあげてくれ」
「もちろん」
「じゃあ、部屋で待ってて。ひとりきりにさせるのも嫌だからさ」
「わかった。任せて」
「お茶を淹れたら私もすぐに行くから」
 台所へ向かい、三人分のお茶を淹れる。お茶菓子に、羊羹とお煎餅を用意してお盆に載せた。
 持って部屋に戻ると、ポチの助はシルフィアの膝の上にいた。背を撫でられている。そのおかげか、先ほどより幾分落ち着いた様子だった。ひとまず安心し、お茶とお菓子を並べる。
「さて、と。で、ポチの助。何があった?」
「…………」
「隠したってわかる。ゆっくりでいいから話してごらん」
 アルクラントに促され、ポチの助は事の顛末を話した。
 ジブリールが家族に加わったこと。
 そのせいか、なんだか構ってもらえなくなったこと。
 彼がフレンディスにベルクとの同居生活を持ちかけたこと。
 ベルクが家に来たら、いっそう構ってもらえなくなるんじゃないかと危機感を覚えたこと。
 けれどフレンディスはポチの助の様子に気付いてくれず、結局、みんなと一緒に暮らすことを選んでしまったこと。
 耐えられず、言いたいことを言って家を出てきてしまったこと。
 突発的ではあったものの、ちゃんと考えはあったこと。
 機晶技術についてきちんと勉強したいと思っていること。
 それらすべてを聞いて、ひとつだけ確認しておきたいことがあった。
「ポチの助。念のため聞いておくが、フレンディスやベルク、それにジブリール。彼らのことを嫌いになったわけじゃあ、ないだろう?」
「…………」
 アルクラントの問いに、答えはなかった。まさか、と思ったがそうではなく、どう答えたらいいのかわからない、といった風である。
 自分の気持ちを言葉にしようとして、けれどまとまらない。そんな様子で、ポチの助は何度か口を開こうとしてはやめていた。
「僕は……」
「いいよ。無理に言葉にしようとしなくて。けれど……否定は、しないだろう?」
 再びの問いに、ポチの助は少し黙った。それからこくりと首を縦に振る。ならばいい。決定的な溝ができていないのならば、どうとでもなる。
「シルフィア。君はどう思う?」
「勢いもあったんだろうけど、色々と積み重なってたんじゃないかな、って思うよ」
「うん……」
「それで? アル君はどうしようと思ってるの」
「私は、少し時間を置いてみるのもいいと思う。具体的には、ポチをしばらくこの家に置いてあげたい。とはいえ家主は君だから、君の意見ありきだけど」
「私もね、アル君と同じ意見だよ。今のポチ君には時間があった方がいいと思う」
「ああ」
 こちらの意見はまとまった。アルクラントは、話の動向を窺っていたポチの助に向き直る。
「ポチ。君さえ良ければしばらくここに泊まっていくといい」
「いいんですか?」
「ああ。もちろん、フレンディスたちには連絡をしてからね」
「僕から、しますか?」
「うん。し辛かったら最初は私がかけてもいい。けど、途中で君に代わるからね。君からも直接伝えるんだよ」
「わかりました」
 素直にこくりと頷いたポチに、よし、とこちらも頷いてみせた。
 心配しているだろうと思い早速電話を手に取ると、まさにそのタイミングでベルクから連絡が来た。
「もしもし」
『アルクラントか? わりぃ、またポチがさ……』
「ポチならうちに来てるよ」
『やっぱり……』
「事情は聞いた。そっちはどうだい?」
『フレイがガチ泣きしててヤバイ。俺の胃もヤバイ』
「はは……。まあ、こっちについては安心してくれていい。だからそっちは頑張ってくれ」
『おう。ほんっと、毎度毎度悪いな……』
「いいよ、気にするな。それじゃあそっちが落ち着いた頃にまた改めて連絡するから」
 泣いているなら報告は後にした方がいいかもしれないと思い、一旦電話を切った。
「ベルクさんから?」
「ああ。ちょっと向こうもばたばたしてるみたいだったから、後でまた連絡するって伝えておいた」
「ばたばた……」
 ポチの助が、長屋での騒動を心配してかそわそわとした様子になった。ぽんぽん、とシルフィアがポチの助の頭を撫でる。
「ちゃんと、フレイちゃんやベルクさんにごめんなさいしないとね。ひとりでやっていこうって言うんなら、ちゃんとしないと駄目だよ」
「はい」
「よしよし、いいお返事」
 ふたりが話している時、ふと視線を感じた。アルクラントが顔を上げると、廊下を通りがかったらしいエメリアーヌ・エメラルダ(えめりあーぬ・えめらるだ)がこちらを見ている。
「なかなか面白いことになってるみたいじゃないの」
「そんな君、他人事のように」
「他人事よ?」
 きっぱりと言い切らないでほしい。
 苦笑していると、エメリアーヌは部屋に入ってきた。
「でもいいんじゃないの? ペトラも喜ぶだろうし」
 完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)の名前を聞いて、ポチの助の尻尾がぴんと立った。わかりやすい反応はいっそ微笑ましい。
「それに、ポチがちゃんと勉強するって言うんなら、ペトラのフードのこと。いつかなんとかできるかもしれないでしょ?」
「エメリーはいつから話を聞いてたんだ?」
「ジブリールが家族に加わったってくだりの辺りかしら」
「完全に最初からじゃないか。部屋に入ってくれば良かったのに」
「そんな雰囲気じゃなかったもの。
 それよりポチ、どうなの?」
 不意に話を振られて、ポチの助ははっとした顔でエメリアーヌの方を見た。エメリアーヌもポチの助を見ていたため、視線がぶつかる。
「あんたが本気だって言うんなら、私も少しくらいは本気出してあげてもいいわよ」
「勉強を教えてくれるってことですか」
「ええ。これでも、古今東西あらゆる知識を無節操に蓄えてるんだから」
 エメリアーヌは魔道書だ。彼女自身が言うように、魔道書にはたくさんの知識が刻まれている。
「新しいことは見つけられなくても、過去の蓄積は右に出る者なんていないわよ」
「よろしくお願いします」
 ポチの助は、ためらうことなく頭を下げた。本気なのは言わずもがなのようだ。
「厳しいわよ?」
 にやりとエメリアーヌが笑う。脅してどうするんだ、と苦笑いしたとき、玄関から明るい声が聞こえた。
「ただいまー」
 買い物に出かけていたペトラが帰ってきた声だった。ペトラはまっすぐ居間に向かってきて、それから驚いたように「あ」と声を漏らした。
「ポチさんだー! どうしたの? 今日は約束とかしてなかったよね?」
「はい。今日は、ちょっと、事情があって」
「事情?」
「ああ。ペトラ、ポチは今日からしばらくうちで暮らすことになったよ」
 アルクラントの言葉に、ペトラが黙った。きっと、目をぱちくりさせているのだろう。
 一拍の後、ペトラは嬉しそうな声を上げた。
「え、一緒に住むの? じゃあ朝から晩まで一緒に遊べるね!」
「ごめんなさいペトラちゃん。僕、勉強しようと思ってるんです」
「お勉強?」
「はい。機晶技術の勉強を、エメリアーヌさんに教えてもらうのです」
「ポチさん、機晶技師になるの? すごいなーちゃんと将来のこと考えてるんだね!
 あーでもそっかぁ、勉強かぁ……じゃあ邪魔できないね」
「あなたも一緒に勉強したら? 私は構わないわよ、ひとり教えるのもふたり教えるのも大差ないもの」
「え、いいの? うーん、じゃあポチさんと一緒にいたいし、そうしようかなぁ」
 順応が早い。アルクラントはシルフィアと視線を交わし、ふっと笑う。
「ポチ君も元気になったみたいだし、部屋の準備でもしてこようか」
「そうだね。私は夕飯の買出しにでも行ってこよう」
 みんなでわいわい食べるなら鍋かな、とぼんやり献立を考えながら、アルクラントは家を出たのだった。