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リアクション
第9章 いのちがけのくっきんぐ
(エプロン姿の美緒も可愛いですね……)
手続きをして借りた百合園女学院の調理室で、泉 小夜子(いずみ・さよこ)はエプロンを身に着けていく泉 美緒(いずみ・みお)の姿を微笑ましい、そして愛しい気持ちで眺めていた。エプロンを着けた彼女を見るのは初めてではないが、小夜子はその度に愛しさと共に、自身に降りかかる不吉な未来も感じざるを得なかった。何故かというと――
美緒は、料理が(ごく控えめに表現して)下手なのだ。
本人がそれを自覚していないだけに、また、始末が悪い。
以前、美緒の料理を食べた時の、“あの”外見と味を小夜子は悪い意味で忘れられない。その時は、彼女の前では表情にも口にも出さない、という奇跡を実行しきって場を乗り越えた。だが、今後、彼女の料理を食す機会も増えていくだろう中で、毎回その妙技を繰り返すのは(ごく控えめに表現して)大変だ。
そういう意味もあって、小夜子は美緒に料理を教えることにした。身の安全を抜きとしても、美緒は去年「自立」したいと言っていた。その手助けになれば、と去年の夏はプールで水泳を教えたので、次は料理というわけだ。
まあ今回は、教えるというよりは2人で一緒に料理をする、というのが近いだろうか。苦手意識のない美緒に普通に「教える」と、機嫌を損ねてしまう可能性がある。
(……そこは、上手く教えたいところですね)
そんな事を考えていたら、準備の終わった美緒が振り返った。1サイズ小さいエプロンが、よく似合う。
「お待たせしました。今日はこの中のどのお菓子を作るんですの?」
彼女は、チョコレート菓子のレシピ本を持っていた。調理台の上にはフルーツの他、プレーンとホワイト、ストロベリーと3種類のチョコレート、ココアパウダーやケーキ製作に使う薄力粉などが乗っている。今日のテーマは、チョコ菓子だ。
「……うーん、折角ですし色々作ってみましょうか。まずはチョコを溶かしましょう。包丁で刻んで……私はこちらを担当しますね」
普通の板チョコよりも分厚い調理用のチョコレートを美緒に渡し、小夜子はホワイトチョコを手に取った。2人で並び、早速チョコに包丁を入れるふりをしながら美緒の手つきを確認する。今が料理中である事を再度確認したくなるような、色々な意味で危なっかしい動きに頭痛を感じつつ声を掛けた。
「……美緒」
「? どうしましたの?」
そっと彼女の手に手を重ねると、どきりとしたのか少し頬を紅潮させた美緒が見返してくる。至近距離から掛かる彼女の吐息を感じながら、小夜子は優しい声音で言った。
「その包丁の使い方でもいいけれど、それではいつか美緒が怪我をしてしまうかもしれませんわ。美緒が痛い思いをするのは我慢できません。もうちょっと安全に使う方法を覚えませんか?」
「小夜子……」
驚きの表情を浮かべた美緒は、その目を僅かに潤ませた。
「心配してくれてありがとうございます。……そうですわね。安全な使い方があるのなら覚えたいですわ」
「では、持ち方から教えますわね。この指をこっちに……」
重ねた手をそのまま動かし、美緒の指を適切な位置に移動させていく。包丁の使い方だけではなく、美緒は他の器具の使い方についても実に想像力豊かだった。前に一緒に料理をした時は、下拵えを自分が担当したのでここまで酷いとは分からなかった。基本は大事、と、小夜子は真剣にひとつひとつレクチャーしていく。「下手」という言葉を使わなければ、美緒は割と素直に小夜子の教えに従った。
(これを、後々も覚えてくれているといいのですが……)
チョコを直火で溶かしてはいけない、とか溶かす際の温度についてなどを雑談を装いつつ話しながら調理を進める。途中で味見をしようと、チョコを指でひと掬いする。お互いに食べさせ合うと、小夜子の指を舐めた美緒が少し首を傾げる。だが、小夜子は首を傾げる程度では済まない衝撃を感じていた。口の中に広がる味に絶句する。
(まさか、私が目を離した隙に何か……!?)
そうとしか思えない味である。そうでなければ、ファンタジーである。何とか笑顔を保ち、小夜子は言う。
「美緒、練習という意味でも、レシピ通りに作っていきましょう」
「練習……ですか?」
「あっ……ほら、美緒はこういうお菓子を作るのは初めてに近いのですわよね。料理をアレンジするにしても、まずはレシピを覚えてからがいいと思うのですわ」
首を傾げる美緒に内心で慌てつつ、小夜子はレシピの工程を読み上げていく。器具の使い方より、味付けについて教える方が何倍も大変だった。味付けに関しては、美緒はかなりの自信を持っている。あまり口を出してしまうと怒り出してしまうだろうと、小夜子は上手くさじ加減をしながら料理を進める。
「先程のはわたくし好みの味ではありませんでしたけど、こうすれば美味しくなりますわよね」
機嫌良く、美緒は仕上げに取り掛かっていた。救いなのは、彼女は料理は下手だが味覚はまともだという事だろう。不味いものは不味いと感じるし、美味しいものは美味しいと感じる。だから、もし上手くいかなかったら、それを自覚して美味しくしようと頑張る筈だ――多分。
やがて、何種類かのチョコレート菓子が出来上がった。
「出来ましたわ。とても美味しそうですわね」
「…………」
完成したチョコ菓子を見て、美緒は嬉しそうに笑う。それは、レシピに載っている写真とは似ても似つかない茶色い物体だったのだが――既に色が茶色いだけでよく出来ましたと言いたいレベルだ――そこは気にしていないようだった。
「じゃあ、早速1つ……」
美緒はうきうきとお菓子を摘んで口に入れる。その顔が、分かりやすく曇った。
「……チョコレートって、他のお料理より奥が深いのですわね」
感心するようでもあり、納得いかない、という風でもある。結果はありありとしていたが、試食しないわけにもいかない。覚悟を決めて試食した小夜子は、目の前に星が回るような気分になりながら何とかそれを飲み込んだ。
不安そうに反応を伺っている美緒に、何とか笑顔を浮かべる。
「今回は失敗してしまいましたけど……その内、上手く出来ますよ」
そして一歩近付き、彼女の頭を優しく撫でる。不安そうにしていた美緒の表情が和らいだ。
「美緒は色々努力して頑張ってきたんですから、きっと出来ますわ。また調理室を借りて、練習しましょう」
「そうですわよね。慣れていけばもっと美味しいのが作れますわ。今度は、色々と隠し味を入れてみますね」
自信を取り戻したのか、美緒は笑顔を向けてくる。
――これは、前途多難なんてものではないかもしれない。
小夜子の戦いは、まだまだ続く。
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