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リアクション
「あらー? もうカラ?」
セレンフィリティはグラス3分の1で出なくなった赤ワインのボトルを逆さにして振る。そして本当に出ないと分かると、脇にポイして別のボトルに手を伸ばす。
「え? これもカラ? これも? これも?」
次々テーブルの上のボトルを引き寄せるが、どれもほとんど残っておらず、全部合わせてもグラス1杯分にもならない。
「むーーう! お酒がないぞーう!
葵ちゃーーん、こっちこっちー! お酒追加ねー! あ、グラスじゃなくてボトル! ボトルじゃんっじゃん持ってきてーーー!」
「……もう。恥ずかしいわね」
イスを後ろへ倒す勢いで立ち上がり、片手を口にあて、片手を頭上でぶんぶん振り回し、飲み物係の葵にオーダーするセレンフィリティに、セレアナはテーブルクロスで見えないところで軽くひざをつねる。
「葵ちゃんだって忙しいんだから、無茶を言っちゃ駄目よ」
「あ、大丈夫です、セレアナさんっ。みんな手伝ってくれてますし、それに、みんなが楽しそうに笑ってくれるとあたしもうれしいんです。あたしもめいっぱい楽しませてもらってますからっ」
新しいボトルを運んできた葵はにこっと笑うと「心配してくださってありがとうございます」と言って、代わりに足元に転がっていたカラのボトルを持って去っていく。
「ほらほらっ! 葵ちゃんもあー言ってるんだしー? セレアナもいーっぱい飲んで、楽しまなきゃあー」
にんまり笑って、セレアナのグラスの上でボトルを傾ける。が、その勢いがよすぎたか、新しいボトルの口からワインがどっとあふれてグラスの底に当たってグラスが倒れてしまった。
「あれー?」
「ああもう! ほら! あなた酔ってるのよ!」
さっと後ろに引いたセレアナだったが、遅く、ひざに飛び散ったワインをハンカチでたたく。
「酔ってませーーーーん」
セレアナのあわてた様子など知らぬ顔で、セレンフィリティは新しいグラスにワインをそそいだ。それを太陽に透かして、満足そうな表情を浮かべ、ぐいっと飲む。
「最高にハイってるだーーけでーーすよーー」
「……もうっ」
うききっと笑って、ふんふん鼻歌を歌いながらワインを飲むセレンフィリティに、セレアナは癇癪を起こしかけたものの、相手はよっぱらいだから、と思い直してテーブルの上で倒れたままのグラスを元に戻し、流れたワインの後始末をしてあらためて席についた。
セレンフィリティがこんなにもはしゃいでいるのにはわけがあった。
自称・天才料理人としての腕をふるって豪華高級料理をつくろうとしていたセレンフィリティだったが、あのあと、セレアナのわが身を犠牲にして(?)の説得を受けて、料理をつくるのはとりやめていたのだ。いわく、
『セレンのおいしい料理は、私にだけ独占させて』
というものだったが、もちろん口だけのでまかせである。
とにかく、それであっさり料理をあきらめたセレンフィリティだったが、その分やる気が発奮されずありあまってしまったがために、このテンションというわけだった。
(もういっそ、酔いつぶれて寝てくれないかしら……)
ほおづえの下で、はーっとため息をついたとき。美しい歌声が流れてきて、セレアナはほおづえを外した。
セレンフィリティもすぐに気づき、鼻歌をやめて、歌声の出所を求めて頭を巡らせる。人の少ない少し離れた場所に何人かが座っていた。歌っているのは立っている女性で、それはセレンフィリティたちも知る人物だった。
アストー01――今はアンと名乗っている――かつて、新進気鋭の歌姫として彗星のごとく現れ、人気を博した女性だ。今はその役目を姉妹機のアストー13に譲り、自身はただのアンになり、ツァンダのイタリアン・レストランのウエイトレスとして働いている。
人前では歌わないようにしているということだが、友人に乞われれば歌うのもやぶさかではないとのことで、その歌声は今も健在だ。今はルドラのリクエストを受けて、「ある晴れた日に」を歌っているようだった。
空へどこまでも伸びていく、澄んだ甘いソプラノにだれもが聞き惚れる。もちろんセレアナも例外ではなく、その歌が終わっても耳に残る余韻に感じ入っていると。
「踊ろう! セレアナ!」
突然セレンフィリティが叫んだ。
「は!?」
あまりの唐突さに仰天しているセレアナの手を引っ張って強引に彼女を立たせたセレンフィリティは、そのままぐいぐいアンたちのいる草原へ向かって歩いていく。
「おいしい料理、おいしいお酒ときたら、次はダンスよ! 決まってるわ!」
わははははは、と突き抜けるような笑い声を発しながら、彼女は楽団をクリエイトした。
「歌!! だれか歌ってる!!」
敏感に反応したのはラブ・リトル(らぶ・りとる)だ。
それまでかぶりついていた肉を放り出し、空へ舞い上がって出所を探す。
「見つけた! あそこね!
やだ、楽隊もいるじゃなーーいっ」
そして再びテーブルへ戻ったラブは、テーブルについている全員を急かした。
「ヘイカモン皆の衆!! 立って! ほらほら、ハリールも!! 歌って踊りに行くわよー!」
最高に楽しむには、やっぱ歌もなくっちゃね♪
「ちょ、ちょっと待って、ラブ!」
「待てませーーーんっ。
早く早くーー!」
早くもハイテンションのラブに引っ張られながら、ハリールはジェドを抱いて音楽のしてくる草原へと向かう。
そしてまた、管弦楽団の演奏とアンの歌声が響く草原で、かろやかに踊るセレンフィリティの姿に、郁乃はむずむずする気持ちを止められなかった。
「スウィップ、あたしたちも踊ろう!」
「ええっ!?」
ちょうど通りかかったスウィップの腕を掴み、強引にスウィップを草原へ引っ張り出す。
「で、でもダンスなんて、あたし知らないよ?」
「だいじょーぶ! こぉんな草っ原でのダンスに技術とか正確さとか関係ないって! ただあたしたちが楽しければいいの!」
スウィップの両手を掴み、振り回す郁乃。スウィップは小さくて軽いので、すぐつま先がつかなくなって本当に振り回される感じになる。そのことに郁乃は楽しげに笑って、笑って、笑って。
スウィップもそんな郁乃を見てるとなんだか愉快になってきて、ぷぷっと笑ってしまう。
セレンフィリティや郁乃、スウィップの笑い声が響いた。
「楽しそう。
コハク、私たちも踊ろ!」
美羽がコハクを引っ張り立たせた。
「え? でも――」
「私はここにいます。どうぞお2人で楽しんできてください」
「だって。
ほら、コハク。早くっ」
「う、うん」
にこにこと笑顔で見送るベアトリーチェを残して、美羽とコハクも草原のダンスに参加した。
「あなた。わたくしたちも行きませんか」
フィリシアの提案に、ジェイコブはとまどう。
「いや、しかし」
「妊婦は絶対安静な病人ではありません。むしろ、適度に運動した方がいいんです。
大丈夫です。決して無茶はしませんし、疲れたらすぐやめますから」
「そうか」
フィリシアの判断は信頼している。彼女は決して無茶をする女性ではないと確信して、ジェイコブはフィリシアの手を取り、草原へリードして行く。
彼らの姿に、じゃあわたしもと、次々と参戦する者たちが現れて、あっという間に草原のホールは踊る人たちでいっぱいになった。
こうなるともう歌は必ずしも必要というわけではない。
久しぶりに全力で歌えたことに満足しているアンに、ルドラが水の入ったグラスを差し出した。
「ありがとう」
のどを湿らせ、彼女がひと息ついたところで、ルドラは右手を差し出す。その意図はあきらかだ。アンは恥ずかしそうにほおをほんのり赤らめながらもその手をとって、彼とともに草原へと歩いて行ったのだった。
「この音楽は」
会場に流れていた音楽が、先までと違いダンス音楽に変わったことに気づいて、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)はグラスを口元へ運ぶ手を止めた。
てっきり、これがいつものリストラの呼び出しでなくパーティーの招待だと知り、
『パーティーには私のような者が必要であろう』
と、龍の竪琴を手にスウィップの元へ向かったベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)の奏でるBGMだとばかり思っていたが、いつの間にかそうではなくなっていたようだ。
音の出所を求めて頭を巡らせるグラキエスの視界に、こちらへ向かって歩いてくるベルテハイトの姿が入った。
「お疲れさま」
となりに掛けたベルテハイトにねぎらいの言葉をかける。
ベルテハイトはちらと見て、グラキエスの手からグラスを取って、飲みかけのそれを干した。
そういうつもりで持っていたのではなかったのだが。苦笑しつつも、まあいいか、とグラキエスは何も言わない。そしてデザートとして取ってきてあったフルーツの盛り合わせからブドウを1粒つまもうとして、ベルテハイトの視線に気づいた。
「ほしいのならそうと言えよ」
グラキエスは自分が食べようとしたそれを、途中で軌道を変えてベルテハイトへ差し出す。しかしベルテハイトは受け取ろうとせず、それをじっと見つめるばかりだ。
まったく、とため息をついて、グラキエスはさらにブドウを持つ手を進めてベルテハイトの口の前まで持って行った。
鷹揚に開いたベルテハイトの唇がそれをはさみ、かじって、芳醇な香りとともに果汁を滴らせる。
「まったく。長時間演奏して疲れているのは分かるが、ちゃんと手を使って食べろ」
「……べつに、疲れているわけではないのだがな」
ブドウを食べ終えた舌先が濡れたグラキエスの指に触れ、そこに残る果汁までもすくい取ろうとするかに動く。口づけをするかのような唇。はた目から見れば、どこか扇情的なその光景も、2人には日常的なものなのか。グラキエスはとりたてて何の反応もせず、次の1粒を取って、ベルデハイトの口元へ運ぶ。
何回かそれを繰り返したあと。
「次はメロンだ」
ベルテハイトは注文をつけた。
グラキエスをあごで使うその態度に、ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)は顔をしかめる。しかしグラキエス本人がそれを何とも思っていないようである以上、ゴルガイスから不平を訴えるわけにもいかない。
だからこう言った。
「グラキエス。そのようにデザートばかりでなく、肉も食わんか。
そら。こんなでかい肉など食ったことがなかろう」
自分用に取ってきていたステーキの乗った皿を押し出す。ツヤツヤとした真っ黒いクランベリーソースのかかった肉は、ゆうに700グラムはありそうだ。
グラキエスはその見るからに胸焼けしそうな肉の塊に思わずうっとのどを詰まらせたが、考えてみればここは夢の世界。いくら飲み食いしても、実際の体に影響はない……はずだ。
それなら一度試してみるのも一興ではないか、と考え直したグラキエスは、ものは試しとステーキ皿を自分の前へ引き寄せる。
「いやなら食せずともいいのだぞ。なにも夢のなかでまで無理をせずともよいであろう」
「いや、せっかくだ。食べてみることにしよう」
それでも最初は様子を見ながら、少しずつ。それで、いつものように吐き気がこみ上げたり、胃が受けつけず押し戻そうとしないことを確認してからは、大胆に切り分けて食べ始めた。
昔と比べ、すっかり食が細り、体も弱り、昨夜も昏睡に近い状態で眠ったはずだった。最近のグラキエスの食事を考えると、これは暴飲暴食もいいところではないかと思う。意識世界だったなら止めただろうが、ここは無意識世界。夢の世界だ。
「うまいか?」
「ああ」
返答に満足して、ゴルガイスはうなずく。
「そうか。好きなだけ食え。なくなったら取ってきてやる」
やはりあの食欲不振は体からくるもので、グラキエス自身は食べたい、つまりは生きたいと思っているのだと思うとうれしさがこみ上げてきて、大きく深呼吸をした。
ゴルガイスはグラキエスを見守り、助けることが自分の役目だと思っている。しかしあるとき、そんなグラキエスに対する愛情は、罪悪感と不安、救う道が見えないあせりと絶望感を押しのけるためなのではないか、結局のところ身勝手な自分の独りよがりではないかと気づき、それは後ろめたさへと変わった。
今ではもちろん克服しているが、罪の意識と後悔の念は消えないし、消せない。
けれど、そばに寄り添うのだと決めている。グラキエスが望む限り、ずっと。
「ほかに食べたい物はあるか? ほしい物は?」
ああ、これも食え。これも、これもだ、と自分の前に並べてあった料理をぐいぐい前に押し出してくるゴルガイスに、ベルテハイトはあきれたようにイスにもたれ、グラキエスは笑った。
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