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バレンタインミニノベル2010

フェザー・ウエイト / 朝野 未沙様

イラスト:辺銀グリコ / ノベル:望月 桜

 

――あなたと並んで空をゆくには、あたしの翼はあまりにちっぽけで、頼りない。



タシガン空峡はツァンダ側沿岸部の町【カシウナ】にあるロスヴァイセ家所有の屋敷には、いつも通りの眩しい日差しと共に、いつもと違う、ざわついた空気が満ちていた。
窓から差し込む、沿岸部特有の鋭い陽光にさらされながら、フリューネ・ロスヴァイセは油断なく廊下を歩いていた。張り詰めた空気が、自然に、フリューネの視線を鋭く変えている。
「――あのっ!」
突然、廊下の陰から小さな人影が飛び出した。
素早く身構えたフリューネの目の前に、小柄な少女が、小さな包みを突きつける。
「あのっ……よかったらこれ、受け取ってくださいっ!」
「……え?」
何かをへし折らんと素早く動いていたフリューネの手が、反射のように、小さな包みを掴んだ。少女はぱっと包みから手を放すと、逃げるように後ずさって、ぺこりと頭を下げる。
「それ……バレンタインのチョコです! ご迷惑じゃなかったら、食べてください!」
「へ……? これを、私に?」
ぶんぶんと頷くと、少女はフリューネの返事も聞かずにきびすを返して駆け去った。
そんな少女の勇気に背中を押されたように、そこここの物影から、たくさんの生徒たちが飛び出してくる。
「あのっ、これ手作りなんですけど、よかったら……」
「あっ、あなたのために作ったんじゃないんだから、勘違いしないでよね!」
「フリューネ様のために、たくさんたくさん心をこめて作りました。あっ、髪の毛とか爪の垢とか入ってないですから、安心してくださいね? ふふふふふ」
次々渡されるチョコレートを受け取りながら、フリューネはたじろいだように言う。
「あの……私男の子じゃないんだけど……本当にもらっていいの……?」
本日は二月十四日、聖・バレンタインデー。
それが、屋敷の空気を張り詰めさせているものの正体であった。



他の生徒たちがフリューネにチョコを渡すべくアタックしていた頃。
一人、物陰に隠れたまま様子をうかがっていた朝野 未沙は、小さく溜息を吐くと、くるりと廊下を後にした。
「さすがフリューネさん、わかってたけど、モテモテだね」
早足に歩を進めつつ、未沙はつぶやくように言う。
「普通のチョコじゃ、どうしたって、その他大勢に埋もれちゃう……」
未沙は足を止めて、厨房へ繋がる扉を押しあけた。
未沙が借り受けたロスヴァイセ邸の厨房には、作りかけのチョコレートや洗いかけの調理器具、さらには謎の機械部品が散乱していた。
「なんとかして作り上げなきゃ。あたしだけの、オリジナルでオンリーワンなチョコレート!」



「――できた!」
型から抜いた、シンプルなハート型のチョコレートを見て、未沙は笑顔を浮かべた。
「このチョコなら、きっとあたしにしか作れないもんね!」
未沙はコツンと、ハートのチョコレートを小突いた。
すると、チョコレートからにょききょきと、銀色に輝く六本のロボットアームが伸びてきて、まるで虫のように調理台の上を駆け回り始めた。
満足げに、未沙は頷く。
「うん、上出来! 自分から口に入っていくチョコなんて、あたしの技術と発想力がなきゃ作れないね!」
胸を張った未沙の背中で、小さな羽がぴこんと跳ねた。
未沙の脳裏には、フリューネにチョコを手渡す自分の姿が浮かぶ。
――日の光が差し込む廊下、眩しい陽光にも負けないくらい、目もくらむほど美しいフリューネに、チョコを手渡す未沙の姿。
――けれど未沙の背中は、陽光の中にあってもどこか霞んでいて、背中で揺れるちっぽけな羽も、フリューネが持つ翼に比べたら、ずっと頼りない。
「……」
未沙は、駆けまわっていた機械仕掛けのチョコレートを、ちょいと持ち上げてかじった。
「……このチョコじゃまだ駄目だ」
冷たく味気ない金属の食感が、未沙の口の中に広がった。
「食べるところが少ないもん」



「――できた。今度こそ」
未沙は、一抱えほどもある球形のチョコレートを持ち上げて、満足げに頷いた。
「これならきっと、絶対、あたしにしか作れない。おまけに、食べるところもたっくさん!」
未沙は巨大チョコレートを持ち上げて、デコレーションに見せかけたボタンを押しこんだ。
巨大チョコがぶるぶると震えだし、一口大のチョコトリュフがいくつもいくつも、巨大チョコの中から落ちてくる。
「全自動チョコレート製造機! 材料さえ突っ込めば、いっくらだってチョコレートが食べられちゃう!」
調理台から溢れんばかりにチョコを生み出す巨大チョコレートを捧げ持ったまま、未沙はキラキラと目を輝かせた。
「これなら他の人たちに埋もれずに、フリューネさんにチョコを……」
未沙の脳裏に、再びチョコを渡すシーンが閃く。
――相変わらず、フリューネは眩しいくらいに美しい。
――ペガサスにまたがって空を駆けている時も、地上におりてユーフォリアを護っている時も、変わらず凛々しいその姿。
――そんなフリューネの前に立った未沙は……未沙は、やはり霞んでいる。
――空も飛べない小さな羽をはためかせ、未沙は窓から差し込む陽光の眩しさに、目を細めている。
「……」
未沙は、もう一度ボタンを押して、巨大チョコレートからあふれだすトリュフチョコの濁流を止めた。
「……このチョコじゃ、だめだ」
ごろん、と未沙は巨大チョコレートを放り出した。
「こんなにたくさんチョコを食べたら、フリューネさんお腹壊しちゃうもん」



「――はぁ」
余ったチョコレートを集めて出来上がったのは、何の変哲もないハートのチョコレートだった。
未沙の個性なんて欠片も入っていない、どこにでもありそうなチョコレート。
「……これが、あたしなのかもしれないな」
ペガサスに乗って空を舞うフリューネの姿が、未沙の脳裏に眩しく浮かぶ。
義賊として、ロスヴァイセの跡継ぎとして、いつでも特別で、いつでも輝いているフリューネ。
それに比べて、自分はいつ輝いているだろう。
空も飛べない未沙の翼は、しゅんと小さくしぼんでいく。
その場にしゃがみこんで、未沙は調理台に突っ伏した。
「……そうだよね。きっときっと、この普通のチョコレートがあたしなんだ……」
未沙の肩が、ふるふると震えだす。
「飾り気がなくってむき出しで、固めたままのありのままのチョコレートがあたし……」
肩の震えに合わせて、未沙は「ふふふ……」と笑いだした。
「じゃもういっそ、ありのままのチョコレートをフリューネさんにあげちゃえばいい!」
がばっ、と顔をあげて、未沙は制服の襟に手をかける。
シャツを脱ぎ捨て、下着を外し、ラッピング用のリボンを持ち上げて、未沙はやけくそ気味に笑った。
「あぁフリューネさん! ありのままむき出しのチョコレートとあたしをたべて!」
未沙の背中で、小さいままの羽が痙攣するように跳ねていた。



「フリューネさん?」
フリューネの私室の扉をちょこっと開けて、未沙は部屋の中を覗った。
山積みになったチョコレートを前にして眉根を寄せていたフリューネが、くるりと振り返る。
「……未沙? どうしたの?」
「ちょっとお時間いいですか?」
フリューネはちょっと首をかしげていたが、すぐに、凛々しく微笑んだ。
「平気よ。そんなとこにいないで、中に入ってきたら?」
「はいっ、失礼しますっ!」
力強く返事をして、未沙は部屋の中へ飛び込んだ。
フリューネが目を丸くして、一歩後ずさる。
積み上げられていたチョコレートの山が、ばらばらと崩れた。
「バレンタインのチョコレートですっ! もらってください!」
部屋に飛び込んだ未沙は、ほとんど裸と言っていい格好だった。 ラッピング用の赤いリボンを体に巻きつけて、最低限隠さなければいけない部分は隠しているものの、すべらかな首筋から肩、腕にかけてのラインも、柔らかな曲線を描く細腰も、ふんわりと新雪のような薄い脂肪を纏った、ぷにぷにしたお尻から太ももも、ほとんどがむき出しだった。腰骨に引っかけるようにして巻かれたリボンには、飾り気のないハートのチョコレートが挟まれている。
「どっ、どうしたの未沙!? その格好!?」
「あたしをもらってほしいんですっ! ありのままのあたしを!」
「えっ……ええっ!?」
フリューネは、たじろいだように首をかしげた。
窓からフリューネの背中に向かって、強い日差しが降り注いでいる。フリューネの身体を縁取るように溢れる陽光に、未沙は思わず目を細めた。
ああ、やっぱり眩しいなと、未沙は思った。
「……なんて。やっぱし迷惑ですよね」
未沙は、努めてあっけらかんと笑った。
たじろいで目線をそらしていたフリューネが、ふと、未沙の腰を見る。
フリューネの視線の先では、体温でとけだしたチョコレートが、まるで涙のようにつうっと未沙の太ももを伝って、流れ落ちていた。
「えっと……やっぱりあたし、なんか別のチョコレート買ってきますね!」
「いただくわ」
「……え?」
きびすを返しかけた未沙の肩を、フリューネが掴んだ。
振り返った未沙の目の前、息がかかるほど間近に、フリューネの凛々しい顔がある。
「私にくれるんでしょ? 未沙を」
囁くように言われて、未沙はこくこくと何度も頷いた。
未沙の太ももを流れるチョコレートの線が、すうっと太くなった。
「未沙が欲しいわ」
「ほっ……ほんとうですかっ!?」
「ええ」
フリューネは頷いて、未沙の髪に触れた。
「きっと、これから女王器をめぐる戦いはどんどん激しくなるわ。私一人じゃ、心もとない時だってある。……だから、そばに未沙が欲しい」
顔を真っ赤にして、未沙はうつむいた。
チョコレートはあっという間に溶けきって、もう、流れることはない。
「未沙が「あたしを貰って」なんて言ってきたから戸惑ったけど……でも、頼もしいわ。チョコレートをいくつもらうよりずっといい。私にとって、今日最高のプレゼントよ」
「……本当、ですか?」
涙で揺れる瞳で、未沙はフリューネを見た。
「ええ」
と、頷いたフリューネに、未沙は抱きついた。
部屋には、沿岸部特有の鋭くきつい陽光が満ちていた。
けれど、未沙はもう眩しくなかった。フリューネと共に、その光の中に浸っているのだから。
「ちょっ……ちょっと未沙! チョコつく!」
「あーんフリューネさぁん! もうチョコとかいいから、あたしを美味しくいただいてくださいーっ!!」
「ええ!? 何それどういう意味!?」
未沙の背中で小さくなっていた羽が、ばさりと大きく広がった。
陽光を受けて純白に輝くその羽は、フリューネの翼に似て、羽ばたけば空だって飛べそうだった。