2月15日、バレンタイン翌日。
「…………」
衿栖は気まずそうに、工房前に立っていた。
――入り辛い……。
14日、チョコを渡す際に妙なことを口走り、あまつさえ逃げてしまってから1日と経っていない。
――会いたい。
――けど、どんな顔して会えばいいの?
――……怖い、な。
――でも、会いたい。
そんな気持ちがぐるぐる回って、立ち往生すること十数分。
がちゃり、音がして。
ドアが勝手に開いた。
――いつから自動ドアになったのかしら、工房。
なんて間の抜けたことを考えたのは一瞬で。
ドアの陰からリンスが出てきて目を見開いた。
「リ……っ、」
「いつまでそうしてるの」
「……いつまでって」
「昼間でも外は寒いでしょ。入れば?」
ちょいちょい、と手招きされて、口をつぐんだ。
――招かれたから入るんじゃないの。仕事があるから入るのよ。義務よ。任務よ。
そんなことをつらつらと思ったのは、誰に宛てての弁明かしら。
1日仕事をこなしていて、わかった。
――私、本当に。
――リンスのことが、好きなんだ。
顔を見るだけでどきどきする。隣で人形を作っている時、気取られないかどうかが心配になるくらい。
それに、自分でも驚くほどリンスのことを知っていた。
布を縫うペース。集中が切れるタイミング。休憩時に飲む飲み物は、紅茶ならストレート、コーヒーなら角砂糖ひとつ。
――でも、まだ知らないことがきっとたくさんあるんだわ。
それを知りたいと思う。
教えてほしいと思う。
こんな風に人を想うことが、恋というなら。
――私は、……。
……ああ。
胸が苦しい。
「体調悪いの?」
「え、」
「今日、テンション変」
普段は鈍い癖に。
どうして気付かれたくない時に気付くのだろう。
逆かな。
気付いてほしいことかも、しれない。
「リンス」
「何?」
「名前で呼んで」
「…………」
だめでもともと。昔一蹴された要望を口にしてみたら、黙り込まれた。
「……何も黙らなくていいじゃない」
いいの、期待してなかったから。
そうやって自分を宥めて席を断つ。空はもうオレンジ色だ。帰らないと。
ドアノブに手を掛けた時、
「……衿栖」
ごくごく小さな声が聞こえた。
今なんて、と振り返る。普段より二割増し仏頂面のリンスがこちらを見ないで「衿栖」と言った。
「…………」
何も言えなくなった。
ああ、名前って。
呼ばれることが、こんなに嬉しいものだったのね。
「……茅野瀬、に戻したら駄目? 呼びづらい」
「だめ」
それにだけは即答して、だけどそれ以上は何も言えなくて。
舞い上がる気持ちや慌てる気持ち、ひっくるめて息苦しくなって、胸が苦しくなって、でもそれは不快なものじゃなくって。
ひとつ、息を大きく吸って、吐いて。
「また明日っ!」
挨拶だけは、しっかりと。
明日も会おうと口約束。