バレンタインデー当日――。
特別に他校生にも開放された薔薇の学舎の喫茶室を出た二人は、のんびりと帰路についていた。
無事にチョコレートを恋人へ渡せた師王 アスカは上機嫌だ。
一方の鴉も表情には出さないが、楽しげな彼女につられて幸せを噛みしめている。
ふと遠くの空を見たアスカは立ち止まった。――太陽は早くも地平線に沈み始めており、バレンタインデーという特別な一日もあと数時間で終わりだ。
「どうした?」
と、隣を歩いていた蒼灯 鴉は、すぐに彼女の異変に気づき、立ち止まった。
意を決したアスカは鴉の前へ来て、少し上目遣いに言う。
「ねぇ、鴉。目ぇ、つむってぇ……?」
「ん、ああ」
アスカの意図に気づいた鴉は、素直に両目を閉じた。
普段、アスカの方からこんなことをしてくることはないため、鴉の心臓はドキドキと高鳴っている。
しかし、鴉の期待する感触は一向に唇へ襲ってこなかった。
数十秒、数分……待つのに耐えかねて、鴉はとうとう目を開けてしまった。
「……あ」
頑張って背伸びをしていたアスカと目が合う。彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめると視線を逸らすように離れていった。
アスカは彼に届かなかったのだ。
二人の身長差は30センチ、鴉が屈んでくれない限り、小さなアスカはどう頑張っても鴉にキスなど出来なかった。
「ああ、そうだったよな」
と、鴉はその事実を改めて認識し、くすくすと笑い声を漏らした。
「な、何で笑うのよぉ!」
と、アスカはむっとして背を向ける。
それは彼にキスしようとして出来なかった自分に対する怒りでもあった。
鴉の笑い声が嫌で歩き出すアスカだが、踏み出すほどにどうしようもなく恥ずかしくなってきて、さらに頬を紅潮させてしまう。
どうしたらいいのか分からず、もやもやするアスカ。銀色の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
それを察したのか、鴉はアスカを追いかけてくると背後からぎゅっと抱きしめた。
「ごめん、アスカ。そういうつもりじゃなかったんだ」
「っ……鴉」
そっと振り返ったアスカに、鴉はちゅっと口付ける。
そしてお互いを見つめ合うと、先ほどまで台無しだった気分が晴れていくのが分かった。
「わ、私の方こそ、ごめんねぇ……?」
と、謝るアスカを見て、鴉は彼女を抱きしめた腕に少し力を入れた。
「いいよ。アスカの気持ち、嬉しかったから」
「鴉……!」
にこっと二人は笑みをかわし、どちらともなく笑い声をあげる。
幸せな二人の一日は、まだまだ終わりそうにない。