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まほろば大奥譚 第一回/全四回

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まほろば大奥譚 第一回/全四回
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第四章 まほろばの将軍1

 お茶会より幾日が過ぎたころ、急きょ、貞継の御鈴渡が決まった。
 先の茶会では失敗したものの先代将軍の御代から途絶えて久しいお渡りが復活したとの吉報に、奥内では瑞穂藩による策か、葦原藩による圧力かと口々に噂しあった。
 また、大奥取締役御糸の働きかけによるものだともささやかれた。
「朝の総触れでもお声をおかけくださらないのは、まだ、お心が決まってらっしゃらないのか、姫君たちをお気に召さないのか。いずれにせよ、このままでは糸は、大奥取締役の責めを負って首をはねられるより他ございません」
 そう言ってさめざめと涙を流す御糸に、貞継が折れたともいう。
「単にお心が定まらぬということでしたら、これをご覧くださいませ。姫達には伝えておりますゆえ、上様がご心配されるようなことは何ひとつございません」
 貞継は、根の口で出迎えに上がった御糸から小さな紙を受け取った。
 若い将軍は丁寧に書かれた筆に目を通すと、ふっと笑った。
「お前は出来る女だな」
「身に余るお褒めの言葉、痛み入ります」
 大奥取締役は将軍から刀を受け取り、長い長い廊下を先導する。
 美しい月の夜に、艶やかな鈴の音が鳴り響いた。
「肌を合わせていればいずれ托卵も行われよう」
 御糸は将軍をお通しすると誰にも聞かれぬよう一人呟いた。
「私は鬼の子など……御免こうむるがな」

卍卍卍


 紫光の間。
 鈴の音が少しずつ大きくなる。
 将軍が到着する知らせだ。
「鈴の音が……睦姫様、いよいよですね」
「ええ」
 侍女の言葉に睦姫は身が引き締まる思いだ。
 この間の天狗騒動では、城内での葦原への信用を失墜させる策略はうまくいった。
 大奥取締役にも賄賂を渡し、籤引きといって将軍に繭の間を順にお渡りしていただくよう謀らせた。
 あの将軍のこと、相手を決める必要が無いと分かれば、大奥取締役の顔を立てて断ることはないだろう。
 当然、籤もこの紫光の間を一番に、葦原の緑水の間を最後にさせている。
 あとは、自らのこの美貌で将軍の寵愛を勝ち取らなくてはならない。
「え……と」
 睦姫は何度も教え込まれた夜の嗜みを心の中で繰り返した。
「上様が望まれたときは決して逆らわぬこと、肌に爪を立ててはならぬこと、それから……」
 彼女は胸の銀ロザリオをぎゅっと握り締めた。
「これらは全て藩命と思うべし。神様、瑞穂の国をどうかお守りくださいまし……!」
 間も無く、紫色の襖が開き、マホロバ将軍が姿を見せた。
 貞継は薄化粧をし、髪を巻き、まるで生きた人形のように美しく佇む睦姫を見止めた。
「そなたが大奥に来て久しいが、こうして夜に会うのは初めてだな」
 将軍は艶やかな金魚が泳ぐガラス鉢を見つめている。
 ガラスには睦姫が映っている。
 赤い紅が見える。
 長い沈黙があった。
「ここは退屈ではないか」
 金魚が跳ねた。
 貞継は切れ長の目を伏せて言う。
「そなたに暇をやる」
「……!?」
「瑞穂に戻り、良縁を得て、どうか故郷で幸せな一生を送って欲しい」
「ち、睦が上様のお気に触るような無礼でも……?」
 睦姫は身体を震わせながら、大きな眼を見開いた。
 思いがけない突然のことに事態がのみこめずにいる。
 貞継は冷静に、優しく言葉を続けた。
「そうでない。マホロバ城が鬼の住む城なら、大奥は魔境。そなたには、辛い思いをさせるやもしれん。今ならまだ、若く美しい容姿のうちに……」
「そのようなこと! 睦はこの大奥が終の住処と心得てございます。もとより帰る家などないのです。どうか、どうかご勘弁を……!」
 睦姫はぽろぽろと涙をこぼしながら貞継にすがった。
 将軍は黙ったままだ。
 彼女ははっと顔を上げた。
「金子が……足りないのですか。それでしたら、瑞穂から運ばせます」
 言った後で睦姫はしまったと思ったが、遅かった。
 彼は絹のような睦姫の髪を撫でて小さく微笑んだ。
「瑞穂からの姫の持参金は、このマホロバでも大いに助かっている。もう良い」
 貞継は「先の暇の命じは取り消す」とだけ言って、紫光の間を後にした。



「くすくす……将軍様もお人が悪いなあ。睦姫様泣いてたよ?」
 紫光の間を出た直後、貞継は少女の笑い声を聞いた。
 棒つき飴を舐めながら、繭住 真由歌(まゆずみ・まゆか)が薄暗い廊下から現れる。
「大奥で権力争いって醜いよね。で、将軍様は葦原と瑞穂、どっちをとるのさ?」
「そうならぬように睦姫に暇を取らせようとしたが、失敗した」
「なんだ、葦原を選ぶんだ?」
「そうではない。ただ争いの種を減らそうとしただけだ」
 貞継の返答に、真由歌に抱えられているぬいぐるみアロゥ・アロゥ(あろぅ・あろぅ)がカカカと笑う。
「そこに権力がぶら下ってる限り、群がる奴は後を絶たねエぜ。女に泣かれたぐらいでほだされちまうんじゃ、将軍様ちょっとお人好しすぎねエか」
「だまれ。お前たちは一体何者だ。どこから来た」
「ボクたち? ただの見学者さ。右往左往する人間を嘲笑うのが好きなんだよ」
 真由歌は笑っている。
「姫様たちに飽きたら、ボクが将軍のお相手してやってもいいよ。暇ならね」
 そう言いながら、真由歌たちは影のように、闇にまぎれるように消えていった。