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イルミンスールの日常~新たな冒険の胎動~

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イルミンスールの日常~新たな冒険の胎動~
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「遅くなりました、ミリアさん」
 カフェテリアに、何かの料理に使うと思しき食材を抱えた本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)がやって来る。
「お疲れさまです、涼介さん。今まで講義を?」
「ええ、皆さんとても勉強熱心で、最後にはアーデルハイト様の方がバテていらっしゃいましたよ」
 涼介から材料を受け取りながら尋ねるミリアに涼介が答えたところで、ぐう、とお腹が鳴る。
「ふふ、涼介さんも熱心に受けられていたようですわね。なにかお作りしましょうか?」
「はは……では、有り難く頂きます」
 微笑み、厨房へと入っていくミリアの後ろ姿を見遣り、涼介が洗面台へと向かっていく。
 
「ご馳走様でした、ミリアさん」
「お粗末さまです。涼介さんは少し休んでいてください」
「すみません……一服したら厨房の方を手伝いますので」
「ええ、お待ちしていますわ」
 食器を手に厨房へと向かうミリアから視線を外し、涼介が周囲を見渡す。テラスの方からは、イルミンスールの生徒と思しき少女の演奏する音楽(そこにエイボンがいることも涼介には見えていた)が流れ、カフェテリアを訪れた生徒たちは思い思いの時間を過ごしている。
(いい時間だ……この穏やかなひと時が、少しでも長く続いてほしいものだ)
 シャンバラが国として成立したことで訪れた、平和な時間。
 しかし、これからも平和な時間が続く保証はない。エリュシオンはシャンバラの支配を諦めていない素振りであるし、最近動きが活発になったカナンも気がかりである。
(もしもこれから先、イルミンスールが大きな災いに包まれたとしても……ミリアさんのことは絶対に守る)
 心に秘めた決意を抱き、涼介が立ち上がる。
「あら、もうよろしいのですか?」
「ええ、いつまでもミリアさんに働かせっ放しというのも、気が引けますし」
 カウンターの内側に入り、かけてあったエプロンを身につけ、涼介がミリアに並んで手伝いを始める。
(……とりあえず今は、ミリアさんとのひと時を楽しみたい。私の我侭かもしれないが……)
 材料を切ったり、盛り付けをしたりしながら、涼介は今日カフェテリアを訪れた目的の一つに取り掛かるのであった。
 
「馬宿君、久しぶりね。確か七夕以来だから、もう半年以上になるのかな?」
「そうなるな。お前の所でも色々あったと、風の噂で耳にしている」
 豊美ちゃんと共にカフェテリアを訪れていた飛鳥 馬宿の下に、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)が姿を見せる。久しぶりの再会を祝した後、互いの身に起きたことをネタに、話が弾む。
「こっちは環菜君のために、ナラカまで行ってきたのよ」
「ナラカ、お前の話を聞くに、黄泉の国といったところだろうか。一度死んだ者を蘇らせるなど、にわかに信じ難いな」
「うーん、環菜君は死ぬべきじゃなかったとか、トリニティが言ってたわね。あ、トリニティってのはナラカエクスプレスの車掌で……」
 その後も続くナラカでの顛末を、馬宿が時折頷きながら聞き入れる。
「そういえば、ここでもすごいことがあったんだって? もし迷惑じゃなかったら話、聞かせてもらえないかしら」
「ああ、いいだろう。最初はイルミンスールに、龍騎士を名乗る女がやって来たことから始まった」
 話してくれたリカインへのお礼とばかりに、馬宿が『ニーズヘッグ襲撃』の一連の流れをリカインへ話す。第五龍騎士団を束ねる七龍騎士の一柱、アメイアの来訪、同時に発生するニーズヘッグの襲撃、イルミンスールのイコン、アルマインの発見、アメイアの撃退とニーズヘッグの説得によるイルミンスールへの仲間入りが、馬宿によって語られる。
「って、ニーズヘッグが仲間入りって、なんだか凄い話ね。普段はどうしてるのかしら」
「何でも、人の姿になって過ごしているそうだ。今も上で誰かと話をしている」
 馬宿が上に視線を向け、リカインもそれに続く。イルミンスールの制服を来た少女の隣にいる大柄な女性が、馬宿の言う『人の姿になったニーズヘッグ』と思われた。
「あっ、リカインさんを見て私、思い出しましたー。リカインさん、ウマヤドへのチョコレート、ありがとうございますー。
 チョコレートはバレンタイン当日に私の方から渡しておきますねー。私からもお礼を言わせてください」
「……どうしておば……豊美ちゃんがお礼を言う必要があるんですか。それじゃまるで私が豊美ちゃんの子供みたいじゃないですか」
「だいたいそんなものじゃないですかー」
「違います!」
 そこだけは譲れないとばかりに、馬宿が断固に拒否する。
「豊美さん、少し、いいかな? 今年のバレンタイン用にトリュフチョコを試作したんだけど、良かったら感想を聞かせてもらえないかな」
「わー、涼介さん凄いです、手作りなんですかー? はい、私でよければお手伝いしますー」
 声をかけてきた涼介に頷いて、豊美ちゃんがその場を後にすると、馬宿とリカインの間に沈黙が降りる。
「……あ、あはは……その、ほら、色々とお世話になったし。本当は当日に直接、ってつもりだったんだけど、エリュシオンのこととかカナンのこととかあるし、そうなったら時間、取れなくなっちゃうから」
「ああ、いや、気にしないでくれ。
 そうか……ありがとう、これはお返しを考えなくてはいけないな」
 馬宿にしては珍しく、素直に喜びの感情を顕にするのを見て、リカインがぶんぶんと首を振る。
「いいってそんなの。……そうそう、義仲君が馬宿君と手合わせしたいって言ってたんだっけ。それに付き合ってくれることでお返しにしちゃってよ」
 言ってリカインが、中原 鞆絵(なかはら・ともえ)を指して口にする。外見こそ鞆絵そのものだが、実は奈落人である木曾 義仲(きそ・よしなか)が憑依しているのであった。
「奈落人……不思議なものだな。一人の者から二人の声が聞こえるというのは、なかなかに目新しい」
「ほう、流石は話に聞く聖徳太子、一度に十人の話を聞き分けたというのは嘘ではないようだ。
 それに、わしはおぬしのことをてっきり施政者だとばかり思っておったが、相当な剛の者ようではないか」
 義仲の言葉に、馬宿がリカインを見つめ、「……何を話した?」と言わんばかりの顔をする。
「あ、ほら、豆撒きの時にいい動きしてたじゃない。そのことを話したの」
 リカインの言うように、あの時馬宿は、まるで早期警戒管制機のように周囲からの脅威を探知し、的確な動きを周りの生徒に指示していたし、笏を用いた戦いも僅かながら見せていた。だが、それを剛の者と言われるのは、馬宿も想定外であっただろう。
「わしとしては是非、おぬしと手合わせがしたい。なに、死合をしようというのではない。先に一撃を当てた方の勝ち、で十分だろう」
「……確かにな。武士として野山を駆けたお前らが相手では、斬り合いでもしようものなら俺に勝ち目などない。
 ……いいだろう、リカインのチョコレートのお礼に、一つ付き合ってやる」
 すっ、と馬宿が立ち上がり、外へと歩き出す。鞆絵(義仲)が続き、リカインも見学に加わる。
「うーん、美味しいですー。ミリアさんにもぴったりだと思いますよー」
「そうか、じゃあ分量は今のままでよし、と。……豊美さん、馬宿さんが何かするようだけど、観に行かなくていいのかい?」
 豊美ちゃんに味を見てもらった涼介が、外へ出て行く馬宿を見つつ言葉にするのに、豊美ちゃんがもう一つトリュフチョコをつまみながら答える。
「勝負の結果はもう分かってますからー」
 
「ナラカで鍛えてきたわしと、巴の薙刀の腕。対しておぬしの英霊としての力か……いざ、参る!」
 開けた場所に向かい合って対峙した鞆絵(義仲)と馬宿が、それぞれ薙刀(無論、刃は加工されていない)と笏を手に構えを取る。まず攻撃を仕掛けたのは、鞆絵(義仲)の方だった。
(左の肩口狙い……ならば)
 馬宿の“読み”通り、肩口を狙って振るわれる薙刀を避け、馬宿が踏み込もうとして、それまで意図になかった“攻撃する意図”を察知した馬宿が、鞆絵(義仲)から遠ざかるように跳ねる。直後、それまで馬宿がいた場所を、薙刀の刃が通り過ぎる。
「おっと、避けられたか。わしのカンが鈍ったわけではないだろうことを考えると、流石よな」
「……なるほど、勘、か。これは、苦労させられそうだ」
 上がった息を落ち着かせ、馬宿が構えを取り直し、再び攻撃を仕掛ける鞆絵(義仲)を待ち受ける――。
 
「……ぁあ、なんだ、オレかぁ?」
 微睡んでいたニーズヘッグが、着信を知らせる携帯を掴み、耳元に押し当てる。
「ああ、オレだ。……その声は、ザインだな。……ああ、オレは別に構わねぇが、無断で行くのは流石にマズイだろうしな、チビに聞いてからにするぜ。ダメだったらかけ直してやる、いいってんならそのままそっち向かう。……ああ、またな」
 イナテミスから電話をかけてきた燦式鎮護機 ザイエンデ(さんしきちんごき・ざいえんで)との通話を終え、携帯を仕舞う。
「ニズちゃんも大忙しだ」
「なんなんだろな、まったく……。つうわけで、オレはちょいとチビに話つけてくるぜ。
 わりぃな、あんまし付き合えなくて。あと、苺はウマかったぜ」
 終夏にそう言って、ニーズヘッグが重力を感じさせない動作でカフェテリアの地面に足をつける。そのままエリザベートの下へ歩み寄ると、近くまで来たところで傍にいた明日香が、静かにしてください、という仕草を見せる。
「すぅ……すぅ……」
 どうやらエリザベートは眠っているようだ。明日香が用意したお昼を食べて、明日香が用意した寝床でスヤスヤと寝息を立てるエリザベート、そこに校長としての威厳は欠片もないような気がするが、まあ、今はいいだろう。
「って、寝てんのかよ。イナテミス行ってくるぜ、って話つけようって時にタイミングわりぃな」
「エリザベートちゃんが起きたら、私がお伝えしておきますよぅ。決してエリザベートちゃんに迷惑がかからないようにしてくださいね?」
「んなこと、テメェに言われなくたって分かってらぁ。んじゃ、ま、後のことは頼むぜ」
 頷く明日香に背を向け、ニーズヘッグがカフェテリアを出て行く。
「……これで、俺の勝ち、か? 大分苦労させられたが」
 外では、馬宿と鞆絵(義仲)の勝負に一つの決着が付いていた。荒い息を吐きつつ、馬宿のかざした笏が鞆絵(義仲)の喉元を捉えていた。
「……なんの、これしきのことで――ぬぅ!?」
 一方、手合わせの影響か昂った心のままに、体力の優越でもって抵抗を図ろうとした義仲だが――。
『……先程ので勝負は付いているはずですよ? 少々往生際が悪いのではありませんか?』
「あ、いや、これは……すまない、わしの負けだ」
 義仲が“暴走”する前に、身体を提供していた鞆絵が義仲を留める。放たれるある意味凄まじいプレッシャーに、ここで義仲も折れて負けを認めた。
(……今回は鞆絵に助けられた、か。……俺もまだまだ精進が足りんな)
 笏を仕舞い、ふぅ、と馬宿が息を吐く――。
 
「豊美さんは、この結果を予想していたのかな?」
「……わ、ウマヤドが勝っちゃいました。私はてっきり負けてしまうものと。一昨年の修学旅行の時も、捕まってましたし」
 豊美ちゃんの的確かもしれないがある意味冷たい判断に、涼介は苦笑する他なかった。
 ちなみに馬宿の善戦は、何かと事件の多いパラミタで豊美ちゃんが危険に巻き込まれた時に、手助け出来るようにと馬宿が秘密裏に特訓を重ねた結果である。普段は素っ気ない振りをして、やはり馬宿は豊美ちゃんを案じているのであった。
「豊美さん豊美さん」
 そこに、たたた、と明日香がやって来る。手には何かの入った袋を持って。
「エリザベートちゃんが気にしていたので、お返ししますね」
 言って、ぺこり、と頭を下げて、明日香が再びエリザベートの下へ戻っていく。袋を渡された豊美ちゃんが中を覗くと、紅白歌合戦の時にエリザベートに履かせた自分のぱんつが入っていた。
「あっ、そうでしたー。……そうです、このぱんつは私のことを案じてくれた方からの大切な贈り物です。
 私は、私を大切に思ってくれる方の暮らしを、お守りしたいです」
 再び手元に戻ったぱんつを抱きしめ、豊美ちゃんが思いを新たにする――。
 
「……ハッ! 今何時……ってもうこんな時間!?
 そうよ、私はアルちゃんを見に行くつもりだったのよ!
 こうしてちゃいられないわ! 今度こそ待ってろアルちゃーん!」
 そして、カフェテリアでのひと時を満喫していたライカも、慌ててアルマインの訓練場へと(今度はちゃんと道を聞いて)向かうのであった――。