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The Sacrifice of Roses 第三回 星を散らす者

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The Sacrifice of Roses 第三回 星を散らす者

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2.


「……アーダルヴェルトが?」
 教導団所属、ザウザリアス・ラジャマハール(ざうざりあす・らじゃまはーる)を通じてもたらされた伝言に、ラドゥは眉根を寄せた。
「ええ。レモ・タシガンとの面会を希望しているとのことよ」
 ザウザリアスは冷徹な眼差しのまま、そう繰り返した。
 現在、レモの身柄については主にラドゥがその責を負うことになっている。
 アーダルヴェルトは、先日ウゲンが倒されてから、さらに衰弱が激しく、今は起き上がることすらできないと聞き及んでいる。長い時を経て、彼の迎える最後はひどく哀れにも思え、ラドゥは目を伏せた。
「護衛として私たちは同行を希望するけど、どうかしら」
「…………」
 ザウザリアスの提案に、ラドゥは暫し考えこんだ。
 教導団は国軍という立場だが、レモを手放しで預けられるわけもない。まだ人型に戻ったばかりのレモは、ひどく不安定な状態なのだ。
 とはいえ、哀れな領主代行の願いを無下にするのは、ラドゥには躊躇われた。
 ――愛する者を失い、そしてまた自らも消えていく運命を、彼のまたひしひしと感じていたからかもしれない。
 ややあって、ラドゥはついに決断を下した。
「いいだろう。ただし、我が校の生徒たちにも同行させる。貴様が信用に足るとは、確信できないからな」
「わかったわ。……彼は?」
 剣呑に付け加えられた言葉に反応を示さず、淡々とザウザリウスが尋ねる。
「連れて行かせる。玄関で待っていろ」
 ザウザリウスは敬礼を返すと、ラドゥの前から退出した。

 レモの警備に同行したのは、讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)と、ナンダ・アーナンダ(なんだ・あーなんだ)だった。二人とも、レモの部屋に出入りしており、すでに彼と面識があったという理由だ。
 とくに、ナンダにとっては、レモはウゲンの忘れ形見のような存在である。超霊の代償として、素肌を人前に晒すことは決して出来ない姿となったとはいえ、仮面とカツラを身につけ、全身をマントで覆った哀れな姿ながら、一途にレモに付き従う姿は、健気でもあった。
「レモ様」
「……うん。大丈夫」
 気遣わしげに声をかけてくれるナンダに、レモは微笑んだ。最初こそ、その出で立ちに驚いたものだが、今は信頼を置いている。……ただ、自分自身ではなく、それは本来ウゲンに向けられているものだとは、少年はきちんとわかっていた。
(そなたらもまた、数奇なものよな)
 その様を数歩後ろから見守りつつ、顕仁は内心で呟いた。
 ウゲンに創られ、そしてそのままほぼうち捨てられていた魔道書と、ウゲンを支えにした結果、むごい結末を迎えた者と。
 哀れとは思わない。所詮世の中とは、理不尽なものだと顕仁はよく知っている。
 それにしても、半ば成り行きとはいえ、アーダルヴェルトとウゲンの面会に立ち会うというのも興味深い。なにかしら情報が得られれば、大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)に報告できるだろう。
 ラドゥが用意した薔薇学の制服に着替え、レモは二人とともに、玄関へと向かった。
 そこには、ザウザリウスと、そのパートナーであるボア・フォルケンハイン(ぼあ・ふぉるけんはいん)、ならびにニコライ・グリンカ(にこらい・ぐりんか)が待っていた。
「お待たせしてごめんなさい」
 レモがすまなそうに詫びる。ニコライが、「ふぅん」とからかうような笑みを浮かべ、レモをじっと見つめた。もともと目つきが悪いため、レモはやや怯え、ナンダの側に無意識に寄った。
「悪い悪い。しかし、本当にウゲンそっくりなんだな」
「…………」
 レモは曖昧な表情を浮かべる。レモには、ウゲンの記憶はほとんどない。ナンダがたびたびウゲンの話をするので、彼を通じて断片的に、その人柄を知るのみだ。
「そなたらが案内役かの?」
「そうよ。……着いてきて。車を用意してあるわ」
 ザウザリアスが彼らを先導し、一行は車でラドゥの屋敷から、アーダルヴェルトの待つタシガン屋敷へと向かった。

「アーダルヴェルトさんは、タシガンの領主様なの?」
「元であり、現在は名ばかりの領主代行、というところであろうよ」
「ウゲン様がいれば、アーダルヴェルト卿も健在だったろうけどね……」
 ナンダが寂しげに呟く。
「そう、なんだ……」
 レモは俯く。その仕草からは、ウゲンの無邪気な邪悪さは欠片も伺えない。
 そんな少年を、ザウザリアスは冷たい眼差しで密かに観察し続けていた。
 レモは、ウゲンの肉体が破損した時のための「保険」ではないのか。そんな疑惑が、彼女にはあったからだ。万が一、第二のウゲンとして覚醒でもされた日には、……しかも莫大な新エネルギーを携えて、だ。大袈裟ではなく、シャンバラの危機ともなりかねない。
 しかし、今のところは、レモはただ『見た目が似ている』だけのようにも見受けられる。
(とはいえ、記憶が曖昧なだけかもしれないからね……)
 覚醒をしていない以上、不安材料としての立場は変わらない。
「見えてきましたよ」
 ボアが助手席からレモに到着が近いことを報せた。レモが首を伸ばすようにして、窓の外を見やる。
 霧の中、タシガン屋敷が、どこか不気味に佇んでいた。


 その、少し前のことである。
 タシガン屋敷を同じように訪れていた教導団団員がいた。
 柳 深虎(りゅう・しぇんふぅ)と、その契約者ジノ・ミルラ(じの・みるら)である。
 重苦しい沈黙に包まれたタシガン屋敷の門番に、ジノは持参した青薔薇の花束を示し、丁重に挨拶を述べた。
「長らくタシガンを離れておりましたが、当主様が重篤と聞き馳せ参じました。どうか一目でもお見舞いを申し上げたく」
 吸血鬼であるジノの言葉は、さほど不審がられずに受け入れられた。
 なによりすでに、アーダルヴェルトの命の炎はすでにつきかけている。一種投げやりな無力さは、屋敷全体をすでに制圧してしまっているようだった。
「いいだろう。通れ」
「感謝します。……それと、これは私の僕にございます。お見舞いの間ここに置いておきますので、番犬代わりにお使い下さい」
 ジノがそう指したのは、深虎のことだ。これについては、最初から二人の間で打ち合わせを済ませていたことだった。
 深虎は謙虚な態度で、静かに守衛に一礼をしてみせた。
 日頃、仏頂面で冷静な見た目の深虎だが、タシガンに訪れた理由ははっきりしている。
 身内である教導団の一部、獅子小隊の行動に、目に余るものを感じたからだ。
 それを詫びるためにも、少しでも薔薇の学舎に対して誠意ある態度を見せねばならないと、深虎は考えていた。
 アーダルヴェルトを尋ねることにしたのは、この屋敷の警備のためだ。ハイエナのごとく、憔悴したアーダルヴェルトに殊更に近づこうとする輩がいてもおかしくはない。深虎は、戦力としての自身の力を過信してはいないが、それでも、追い払うことくらいはできるだろう。
 顎を引き、深虎は正門へと厳しい眼差しを向けた。
 ……レモたちの車が近づいてきたのは、それからすぐのことだった。


「久しいね、アーダルヴェルト。……なんだ、随分モヤシのようにヒョロヒョロになっちゃったね」
 ジノはそう言うと、床に伏せったままのアーダルヴェルトを、半ば呆れたように肩をすくめて見下ろした。
 人払いを頼んだため、寝室には他の者の姿はない。
 アーダルヴェルトは、か細い息をするのみで、その白濁した瞳には生気すらない。パートナーロストの影響というよりも、彼自身の生へのエネルギーが、なにもかも枯渇してしまったからだろう。老体となった身体は、すでに、ただそこにいるだけの『存在』になり果てていた。
「ウゲンがいなくなったくらいでその体たらくじゃ、到底吸血鬼達を守ってはいけないよ。なんだったら、僕が当主を代わってあげようか?」
 皮肉な言葉は、少しでもアーダルヴェルトに発破をかけるためのものだった。しかし、アーダルヴェルトは、無表情のまま口を開く。
「タシガンは、滅びるのだ。今が……その時。私には、わかる……」
 肺が弱っているのだろう。ひゅーひゅーとなにかが漏れる音が、言葉に時折混じる。
「勝手なことを言うね」
 ジノはそう答え、端正な顔をしかめた。
「失礼」
 ドアを開けて一礼をしたのは、ザウザリアスだ。
「アーダルヴェルト卿のご要請により、レモ・タシガンをお連れしたわ。入っても良いかしら」
 ジノはレモの登場にやや驚いた。
 しかし、薔薇の学舎の生徒も同行しているようであるし、表だって反論をする理由はない。
「どうぞ。僕も客人の立場だしね、ご自由に」
 ただし、立ち去るつもりはない。
 品よく右手を広げ、ジノは彼らを寝室へと促した。
「……………」
 おどおどした表情で、レモは部屋へと入ってきた。心細いのか、小さな手をぎゅっと握りしめている。
「はじめまして、……アーダルヴェルト卿」
「…………初めてでは、ないがな。わからないのも、仕方あるまい……」
「ご、ごめんなさい。僕、まだ、記憶がはっきりしなくて……」
 レモはしきりに詫びるが、おそらく記憶があったとしても、かつてのアーダルヴェルトと今の彼をすぐには同じと気づくことはできなかっただろう。
 アーダルヴェルトは、静かにレモを見つめ、それからまた、虚空へと視線を戻す。
「……ウゲン様はもういない。お前は、タシガンの滅びを見るために、蘇ったのか……?」
「タシガンの、滅び……?」
 不吉な言葉に心を乱され、レモはそれでも、そんなつもりではないと首を横に振った。
「もう、いい。……しょせん、お前は姿形を真似ただけの者だった」
「…………」
 レモは肩を落とし、そっと寝台から離れる。否定の言葉は、鋭く少年の心に刺さったのだ。
「皆、下がれ。私は、疲れた……」
 アーダルヴェルトは、それきり、目を閉じる。
 もはや外界のなにものも、彼には関係がないというように。

「レモ様」
 ナンダが、俯いたレモに声をかける。だが、レモはナンダを見上げずに答えた。
「みんな、ウゲンを僕のなかに見てるだけなんだね。……でも僕は、僕ってものすら、よくわからないから……仕方がないよね」
 こんなにも気遣ってくれるナンダも、その理由は自分にウゲンの影をみているからだ。
 ナンダにとっては、それが彼の意識を支える礎であり、必死に掴んだ細い糸であったが、そこまではまだレモにはわからないことだった。
 寂しげにレモは微笑み、薔薇の学舎に戻る、と歩き出した。
 アーダルヴェルトと会うことによって、彼の記憶が戻るのではないかと期待していた面々にとっては、肩すかしでもあったし、アーダルヴェルトに正気が戻るのではという期待もまた、裏切られる結果となってしまった。
 肩を落とし、小さな身体をさらに縮めて歩く少年に、面と向かってそう口にするものはいない。だが、そのことを、誰よりもレモは感じ取ってしまっているようだった。
「期待はずれで、ごめんなさい」
 小さく呟き、レモはそれきり、誰とも口をきこうとはしなかった。