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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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 道はゆるやかなのぼり坂になっていた。
 もう何百人と訪れているに違いない。この道を往復した人によって踏み固められ、自然と通り道になっている。特に整備されている様子もないその道は、下生えに覆われた緑の地面の中にあるせいもあって、ちょっとしたハイキングコースのようだ。ただの平らな道でなく、所々に岩があってそれをくぐり抜けたり、でこぼこしているのも緩急がついてちょうどいい。
 見上げると、上空には青空が広がり、薄い雲がゆっくりと流れていた。肌に感じる日差しは春らしくやわらかで暖かい。
 前髪を揺らす微風に冬の名残りはなく。濃い緑のかおりをほのかにさせており、左右の斜面のそこかしこで鳥のさえずりがしている。
「いい気持ちー!」
 ちょっとした斜面をのぼり切った直後、遠野 歌菜(とおの・かな)はうーんと伸びをした。
「自然は豊かだし、空気はおいしいし。
 ねっ、羽純くん。来てよかったでしょ?」
 振り返り、すぐ後ろに続いていた月崎 羽純(つきざき・はすみ)に自信満々問う。
「そうだな」
 笑顔で同意したが、羽純が見ているのは空でも山の緑でもなく、歌菜だった。歌菜が楽しんでいる姿を見ることができたからよかったと、向けられた眼差しは言っている。
 結婚してもう大分経つのに、いまだに彼の黒曜の瞳でこんなふうに見つめられると、胸がどきどきして落ち着かなくなる。
「そ、そうだ! オズさん!」
 あたふたと歌菜は全員が斜面をのぼり切るのを待っているオズトゥルクに話しかけた。
「ん?」
「イルルヤンカシュが目覚めたって分かったのはどうしてですか? 鳴き声が聞こえてきたからとか?」
「そうだ。あれは鳥笛のような声で鳴くからよく通る。風に乗って、ふもとの村まで届いたりもするそうだ」
「オズさんも聞いたことあるんです?」
「ああ。みんなの案内するのにオレが知らなきゃどうにもならないだろ。昨日、こっちのツアーに何回か参加してみた。きれいな声だったよ」
「ツアーっていっぱいあるんですか?」
「コースは4つある。今オレたちが歩いてるのは中級コースだな。1周4時間で、午前に1回、午後に2回、定員20名で開催されている。周りの山の景色を楽しみながら、6カ所ほどポイントが回れるようになっている。
 こっちの方がいいと思ったんだ。きみたちは多分、東カナンか今どんなふうなのか知りたいと思ってるんじゃないかと思ったから」
「そうですね」
 それを聞いて、もう一度歌菜は山の斜面を見下ろした。
 かつてカナンは砂漠と化すほど砂が降った。ネルガルに恭順していた東カナンにはそこまで降砂はなかったが、それでも国家神の庇護を失って大地は荒廃し、緑は枯れた。
 あれから2年近くが経ち、大地は草原を、山々は緑におおわれて、かつての姿を取り戻してきている。
「それだけポイントを回るということは、見えない可能性が高いということか」
 今度は羽純が質問をした。
「イルルヤンカシュは1頭だけなのか?」
「イルルヤンカシュというのは固有名詞だ。種族の総称じゃない。同時に別の場所で見られた記録はないから1頭だけだと言われている」
「記録? 文献があるんですか?」
 手でひさしをつくり、雄大な山の風景を見ていたエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が会話を聞きつけて振り返った。
 下から吹き上がってくる風にもみくちゃにされかけた赤い髪を手で押さえる。
「そりゃああるさ。なんといっても、吉兆の竜だからな。子どもの寝物語にする童話から文芸書までかなり幅広くテーマとして扱われている。
 ただし、専門の学術書はないな。竜についての研究書や、この北カフカス地方を紹介する古書、語り部の口伝のなかに散見する程度だ。数百年に1度、数日間だけ現れる竜として記されているだけで、その生態については一切書かれていない」
「そうですか」
 それは残念、と腕の籠手型HC弐式・Nを見た。文献があったらそれを見せてもらって、これにデータを入力しようと思ったのだが。
「興味あるのか?」
「ええ。大学では獣医師コースなんですよ。研究レポートとして大学に提出しようかと考えていました」
「ふーん」にやり、とオズトゥルクが口角を上げる。「なら、いい機会じゃないか。本のなかのイルルヤンカシュでなく実物を見られるんだから、これに勝るものはない。見たくても自分の時代に現れず、見えなかった学者だっている。きみは幸運な方だ」
「そうですね」
 オズトゥルクの言うとおりだ。自分で記録をとり、その内容を打ち込んで、あとでレポートにまとめよう、と思う。エオリアだって情報収集に協力してくれるというし。
「私は見るだけじゃなくて、会話したいわ」
 地表にしがみつくようにして群生している下生えの緑に埋もれるようにして咲いていた、名もなき小さな花たちに見入るのをやめて、リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)は立ち上がった。
「見る者に幸運をもたらしてくれる吉兆の竜なんですもの。きっとすばらしいドラゴンさんに違いないわ」
「きみはばかか」
 メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)があきれ声で即座に発したツッコミが、ぐさっとリリアの頭に刺さる。
「吉兆とか先触れとかいうのは見る側が感じるものであって、それそのものが何かをするわけではない。それはただ「そうある」だけだ。そんな甘い心構えで野生生物に近付いたりすれば、頭からかじられても文句は言えないぞ」
「なっ……なによお。そんなことないわ! だって、幸運をもたらしてくれるってひとが言うからには、そういう実体験が報告されてるってことでしょ? そんな優しいドラゴンさんが、話しかけただけでかじったりするわけないじゃない!」
「かじられていなという報告も上がっていない。これまでにも調査しようとした学者はいたはずだ。きみのように警戒心が足りない者が、コミュニケーションを求めて近付いた事もあっただろう。しかし今に至るまで生態の一切が謎ということが何を意味するか、能天気なきみでも想像はつくと思うがね」
「ま、まあまあ。ふたりとも、そのあたりでやめましょう」
 持参してきたデジタルビデオカメラでツアーの記録を撮っていたエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が、2人のいさかいに気付いてあわてて戻ってきた。
「だってメシエがまた意地悪なことを言うんですもの!」
「彼はあなたの身を案じているだけなんですよ。あなたが危険な目に合わないように心配で言ってるんです。このツアーにだって、だから参加してるんですよ。……ね?」
 とメシエを見るが、メシエは聞こえないフリか、ちらとも2人の方を見ようとしない。
「全然そんなふうには見えないわね」
「うう…。でも、メシエの言うことも一理ありますよ。必ずしも相手がこちらの思っているとおりの相手とは限りません。誠意に対して誠意が返ってくる、なんて保証はないんです。謎になるにはなるだけの理由があるんですよ」
 きっと多分。
 エオリアもメシエ寄りだと知って、リリアはますます不機嫌になる。エースは? と視線を流したが、肩をすくめて見せるだけだ。
「ねえオズ! イルルヤンカシュは、見る者に幸運をもたらしてくれるのよね!」
「あ、それについては私も聞きたいですっ」
 歌菜が顔を上げた。
「実際に幸運が訪れた人のお話って、残ってるのでしょうか?」
 2人の女性に見上げられ、オズトゥルクはぽりぽりとあごを掻く。いかにも訊かれたくなかった、というしぐさだ。
「おじさん?」
 肩に乗っていた悠里が横から覗き込んだ。
「……一応文献にはあったな。えーと」手書きのメモを引っ張り出してペラペラめくる。「帰宅直後、すばらしい条件の物件が手に入りました。クジに当たって大金が手に入りました。すてきな恋人ができました。仕事が軌道に乗って、出世することができました。赤字続きだった売上げが急上昇、支店を持つことができました」
 オズトゥルクが読み上げるにつれて、リリア、歌菜、悠里の目からだんだんとわくわく感が消え、うさんくささ120%の視線に変わる。
「……なに、それ」
「通信販売の開運グッズ並のうさんくささじゃないのっ!」
「いや、オレに言われても……文献にそうあっただけで、オレが創作したわけじゃないから」
「そんなのが事例になるなんて。信用性ゼロじゃない」
「あ、あー、ほかにもあるぞ。山の幸が豊富になり、ふもとの村々がその恩恵に授かったそうだ。これはイルルヤンカシュが消えたあとも数カ月続いたらしい。この現象についてはオレも実感した。きみたちはここしか見てないからピンとこないかもしれないが、この付近の山の緑がほかの場所と比べて活性化しているのは間違いない」
「だからこの子たち、こんなにも元気なのね!」
 そういうのが聞きたかったの、とリリアが両手を合わせて喜んだ。
「この子たち?」
「ええ。さっきからずっと、ここの花たちは歌を歌っているわ。春の訪れを歓迎しているのかと思っていたけど、きっとドラゴンさんに向かって歌ってるのね。目覚めてくれてありがとう、って」
 機嫌が直ったリリアを見て、エースとエオリアはほっと胸をなでおろす。
 1人難しい顔をしていたメシエがおもむろにオズトゥルクと視線を合わせた。
「聞く限りでは特に問題がないように思える。なのになぜ今まで一切が不明だったんだ?」
「イルルヤンカシュ自体に問題はない。問題は、その周辺をとりまいているモンスターたちだ」
「モンスター?」
「オークやゴブリン、その他いろいろだな。名前が何かも分からないような有象無象がウジャウジャ周囲に沸いている。まるで自分たちの王とでも思っているようにとりまいていて、一般人は近づけないんだ」
「では人がイルルヤンカシュと接したことはないのか」
「あるにはあるが、限られている。アタシュルク家の一族だ。彼らは魔女の一族で、ほぼ全員が幻獣や魔獣を使役する。彼らがとりまきのモンスターを押さえているうちに対話の巫女と呼ばれるアタシュルク家当主がイルルヤンカシュと対話をする――らしい」
「らしい? あいまいだな」
「イルルヤンカシュとの対話の儀式は秘儀で、一族の者以外は立ち会えないからな。「対話の巫女」と呼ばれているからイルルヤンカシュと話しているのだろう、と言われているだけで、これも推測だ。本当には何をしているかだれも知らない。過去数十回行われてきているそうだが、領主ですら同席を拒んだそうだ」
 素っ気なく肩をすくめる。
「当然だろう。それが彼ら一族のステイタスであり、力だ。軽々に他人に秘密を明かしたりはしない。
 さあ、それより休憩終わり。先を急ごう。最初の絶景ポイントまで、まだ半分と少ししか来てないぞ」
 オズトゥルクが大きく手を振る。
 指示に従って、彼らは再び歩き出した。