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ナラカの黒き太陽 第二回 委ねられた選択

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ナラカの黒き太陽 第二回 委ねられた選択

リアクション

3.研究所にて


「新たにタシガン駐在武官を拝命いたしましたので、改めて、ご挨拶させていただきます」
 叶 白竜(よう・ぱいろん)は、外した制服の帽子を手にして、深々と礼をした。表情は硬いものの、つい先日のどこか煤けた容貌ではなく、すっきりと整えられていた。
「よろしく頼むよ」
 ルドルフが握手を求めると、それ白竜もそれを受ける。堅い握手を交わし、二人は向かい合った。
 研究所は半壊状態であり、ルドルフたちが今いるのは、その地下深くにあるエネルギー装置本体……カルマのいる間だ。
 深い洞窟の底に、天をつくほど巨大な水晶柱が鎮座し、その周囲を機器が囲っている。ルドルフたちは、洞窟の壁に作られたモニタールームにいた。カルマの周囲が見下ろせ、また同時に、外の様子もモニタリングすることができるようになっている。
 ブリーフィング用のテーブルの上には、いくつかの資料がヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)によってきちんとファイリングされ、ルドルフが必要なときにはすぐに調べられるようにしてあった。
「さっそくだけれども、今この研究所は、引き続き非常事態にある。詳しいことは、すでに知っていることとは思うが」
「はい」
 白竜は頷いた。今回、協力を申し出た契約者たちは、研究所周辺の警備に引き続きあたることになっている。ゲートは氷による封印が引き続き為されているが、一時的な応急処置であることは誰の目にも明かだ。
「引き続き、警戒を頼んだよ」
 信頼をこめてそう言うルドルフに、「ルドルフさんを校長として支える、信用される一人になりたいという気持ちは変わらないです」と、白竜もまた誠実に答えた。
「それでは」
 非常時であり、長く話すべき場所でもない。そう切り上げようとした白竜は、ふと気にかかっていたことを尋ねた。
「ところで、研究員の方々は、まだ治療中なのでしょうか」
 研究所はまだ多数の箇所が破壊されたままであり、通常の業務は停止されている。研究員たちも、ほとんどが静養中だ。だが。
「2名は、ひきつづきカルマの観察を続けてもらっているよ。リストが要るかい?」
「拝見させていただけますか」
 白竜はリストに目を通す。先日、研究所内に取り残されていた研究員たちは概して静養中となっているなか、一人だけ、未だここに残っているという人物がいた。
 カルマの研究をもっとも熱心に続けており、あの日も最後までここにいたという男だ。名前を、清家という。パラミタの民が多い研究所のなかで、地球人の契約者ということもあり、黒い靄にも耐性があったからだろう。あの中では、比較的軽傷で済んでいた。
「失礼ですが、彼は今どちらに」
「彼ならば、うちの生徒が色々と指導を受けているところだよ」
 ルドルフがそう指し示した先では、ハルディア・弥津波(はるでぃあ・やつなみ)が一人の痩せぎすな男と、熱心になにやら資料を手に話し合っている。
「なるほど……」
 白竜は、微かに目を細める。
 とくに不穏な様子もないが、どこかかの人物が白竜には気がかりだった。
「闇の声、と呼ばれているものがあるそうですね。……何か強い願いがある者が捕われる可能性があると聞いています。どうか、お気をつけて」
 彼の執着めいた熱心さは、あきらかに他の研究員たちとは異なる。その執着が、方向がねじ曲がったとき、危険分子となりうることは十分に可能性があった。
「忠告、感謝するよ」
 ルドルフがそう答えたとき、静かに音楽が流れ出した。
 クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が奏でる音楽だ。
 さすが薔薇学らしいなと、白竜は口に出さずに思う。控えめな音量ながら美しい旋律が、透き通った水晶の表面を優しく撫でていくかのようだ。
 ルドルフの前から辞去した白竜は、待っていた世 羅儀(せい・らぎ)とともに、研究所の外へと戻ることにした。
 黙々と歩く白竜の背後で、羅儀もまた言葉は少ない。任務中ということもあるが、白竜は以前ほどの落ち込みはないものの、相変わらず「初心に戻る」という堅い意識は変わらないため、羅儀もまたそれに倣っていた。
 ただ、できるなら。
(……タングート、行ってみたいな〜)
 女好きの羅儀としては、どう美しくても男ばかりというのは心に潤いがない。女悪魔と一言にいっても色々な形態はいるとはわかっているけども、やはり興味はある。
 とはいえ、今はタングートも相当大変なようだが。
 この騒動がすべておさまったあと、訪れる機会でもあればいいと、ちらりと羅儀は思っていた。


(何となく、ルドルフ校長と一緒に研究所の方へ来ちゃったけど……戦闘になったら役に立てるかな?)
 今のところ、警戒状態ではあるものの、比較的空気は穏やかだ。クリストファーたちの奏でる音楽が、どこか懐かしく暖かいせいだろう。東條 梓乃(とうじょう・しの)も、その身のうちに抱えていた不安が次第に落ち着いてくるのを感じていた。
 梓乃は、カルマを目の前で見るのは初めてだった。巨大な水晶柱のなかに、心が眠っているなんてなんだか不思議な気がする。けれども、時折明滅するその光は、たしかに『生命』的なものを梓乃にも感じさせた。
 それに……と、ちらりと梓乃は、白竜と別れた後、カルマの前に立つルドルフに視線を転じる。
 先日、頭を撫でてくれたあの大きな手の感触は、まだはっきりと覚えていた。
 まるで、父親に褒められたときのような、くすぐったい嬉しさを思い返し、つい真面目な顔が緩んでしまう。
「シノったら、何ニヤニヤしてるのさ?」
「わっ!」
 突然背後から長い腕が伸び、梓乃の小柄な身体を抱え込むようにして抱き締めた。
「イイコトでもあったのかい?」
 耳元で揶揄もあらわに囁かれ、おまけに腰のラインをなぞるように撫で上げてくる手のひらの感触に、梓乃は首筋まで赤く染めて大慌てで口を開いた。
「ティ、ティモシーには関係ないでしょう?! というか、今までどこに行ってたの?あと、どさくさに紛れて変な所を撫でないでくれるかな?!」
「んー、まぁ、色々ね」
 ティモシー・アンブローズ(てぃもしー・あんぶろーず)は、そううそぶいてみせながら、梓乃のさらさらな髪に高い鼻梁を埋めて、満足げに目を細めている。
 さながら、仔犬か仔猫を抱きしめ、その匂いを嗅いで楽しんでいるような。そんな仕草がくすぐったくて、梓乃は首をすくめて小さくいやいやとかぶりを振った。
「色々って、なんなの?」
「だからまぁ、色々だよ」
 あくまではぐらかすが、ティモシーはとあるタシガン貴族の館で、タングートの情報を集めていた。共工の伝説のほかに、女悪魔達のなにやら背徳的なビーズやら管玉の作り方も含めて、資料は先ほどルドルフの机の上に置いてきてある。そうすればどのみち、他の生徒たちも知ることになるだろう。
 ただ、そんなティモシーの働きについては知る由もない梓乃は、まだ頬を赤らめたまま、ぐいっとティモシーのなめらかな白い頬に小さな手のひらを押し当てて、ぐいっと力一杯引きはがした。
 こんな風に大騒ぎしてじゃれているのをルドルフに見られたら、それこそ恥ずかしすぎる。
「あのね、サボってたティモシーは知らないかも知れないけど、大変なんだよ。タングートの女悪魔もナラカのソウルアベレイターも、みんなカルマさんを狙ってて、カルマさんはもしかしたら大きな爆弾になって、パラミタを吹き飛ばしちゃうかも知れないんだ……だから、みんな真面目に守ってるんだよ」
 真剣に梓乃はそう説教をするが、柳に風というか、ティモシーは微笑ましそうに見守っているだけだ。おそらくはティモシーの目には、仔犬が精一杯きゃんきゃんと鳴いているようにしか見えていないのだろう。
「もう……ちゃんと聞いてる? とにかく大変なんだから、ティモシーも、ちゃんと手伝って」
 ずれたチタンフレームのメガネをなおしつつ、梓乃は切れ長の瞳でティモシーを見据えた。しかし。
「手伝っても良いけど、タダじゃないのは知ってるよね?」
 すぐさま、ティモシーは好色な笑みをたたえてそう切り返す。
「……っ!」
 途端に、明確にティモシーの言うところの「報酬」を理解して、梓乃は再び顔を赤くし、わなわなと震えだした。
 そんな反応が愉しくてたまらず、ティモシーはくつくつと肩を揺らして忍び笑いをもらす。
 とはいえ、それなりに真面目に、ティモシーは警戒もしていたのだ。
 羞恥に震えている梓乃の向こうには、ハルディアと話す研究員の姿がある。彼を視界の端にとらえつつ、ティモシーはさりげなく観察を続けていた。
 あの、『闇の声』なるものは、地球人にしか聞こえないということで、吸血鬼のティモシーは当然耳にしていない。もっともしていたところで、たいした退屈しのぎになるとも思えないが。それはさておき。
(悪魔の囁きににもっとも弱いのは誰か……それはカルマを目覚めさせたいと願う、研究員たちかも知れないね)
 とくにあの男は、地球人であり、カルマへの執着も人一倍強い様子だ。
(気のせいなら、それでいいけどね。あんまり派手な事したら、弁償だなんだとめんどくさそうだし)
 ティモシーはそう考えつつ、腕を伸ばして退屈そうに伸びをするのだった。