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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【真相に至る深層】第三話 過去からの絶望

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【鞘の収まる場所】




 その頃、まだ自らの主の倒れたことを知らないでいる蒼族の騎士達の妨害を受けながらも、アジエスタ達一行は本来なら龍がいるべき大聖堂へと、何とか辿り着いた所だった。だが、そこにいたのは、ポセイダヌスの地上の目、『龍器』のエルドリースが、所在なさげにぽつりと佇んでいるだけだった。相変わらずの、どこを、何を見ているのか判らない目が、訪れたアジエスタ達を見つけて首を傾げた。
「………………?」
「エルドリース、龍……ポセイダヌス様は、いらっしゃらないのか?」
 メイサーが尋ねたが、エルドリースはゆるりと首を振った。
「聞かせてくれ、何か龍について知っていることがあれば……」
 続くメイサーの問いにも、やはり反応がおぼろげだ。普段であれば確かにこの時間帯は、巫女達も歌の勤めを終え、龍は眠りについているため、エルドリースもまたその役目から解放されている頃合なので、その反応はおかしくはないのだが、今はその普段どおりなのが逆に奇妙で、アジエスタは眉を寄せた。二つの塔の接続が切られているため、龍は都市の維持のために力を使っているはずだ。意識が覚醒しているなら、エルドリースを使って情報を得ようとする筈なのだが、と、そこまで考えて、アジエスタはこの場で唯一の官吏であるメイサーへ視線をやった。
「……まだ、赤の塔が停止しているからか? メイサー、状態を確認してみてくれ」
「わかった」
 そうして、メイサーが塔の状態を確認するために意識を集中させていると、ティユトス……のふりを続けるリーシャとエルドリースが向き合い、エルドリースは何を思ってかその手をリーシャへと伸ばしていた。
「…………? 巫女……?」
 そうして掴んだ腕に、アジエスタがつけた傷を見つけて不思議そうな顔をするのに、リーシャは曖昧に笑い、その手が傷口に触れてくるのに任せると微かに目を伏せた。
「……闇……深く……君は、何故……?」
 不思議な言葉だが、何故かその意味を理解できて、リーシャは笑みを深めた。
「決まっているからです。覚悟が」

 その会話こそ聞こえてはいなかったが、2人の様子に「ふむ」とノヴィムが難しい顔をした。
「龍は今、殆ど力を使えていない……ということかの」
「判らないが、少なくとも「目」は動いていない」
 本当に完全に完全に眠りに着いたままであれば、塔との接続が切られた段階で都市に影響が現れる筈だが、半魚人たちの襲来の報告以後は、移動中に窓から僅かに覗ける範囲で、灯りの動きなどに変化は見られなかったし、神殿にいるとは言え、アジエスタ達に気付けぬ筈が無い。もしかしたらエルドリースに降りる余裕も無いほど、都市の維持に力を喰われているのかもしれない。
 これを好機と見るべきなのか、危機と見るべきなのか。戦士としての自身と、そうではない部分とがせめぎあっているアジエスタに、不意にジョルジェが小声で話しかけてきた。
「アジエスタ、敢えて聞きますがティユトスを守りたいのですよね?」
「……どうした、突然?」
 首を傾げるアジエスタに、ジョルジェは妙に静かな声で続ける。
「一族よりも、騎士団長としての責務や仲間よりも……そして」
 そこで僅かに間を空けると、更に潜めた声が、アジエスタに向けられた。
「……恋人よりも」
 その一言は、アジエスタを一瞬だが凍りつかせた。その表情に、アジエスタの内心を確信して、ジョルジェは僅かに笑みを浮かべる。
 最初から、偽って近付いた関係だった。長い間、いざと言うときの刀となるために、紅族の中で生きて、傍にいるためだけに動いてきた。だが、役目だと思いながら近付けば近付くほど、傍に居れば居るほど、本当の彼女の手足のように動くことを誇りと、彼女の向ける信頼を喜びと、そして彼女の向ける親愛とを、欲しくて、失いたくなくて堪らなくなった。密命を全うする機会を得られず死んでいった母の無念は痛いほど覚えてる。しかし、アジエスタが全てを捨てて、たった一つを選ぶのなら――……
「ジョルジェ……?」
 妙な微笑を浮かべた副官に、アジエスタは首を傾げたが答えず、ジョルジェは声をかけようとするかのように自然な足取りで、リーシャへと近付いた。故に、その場に居た誰も、間に合わなかった。
「龍の目のない、今こそ……!」
 声をあげ、構えを取らずに空を切って薙がれた槍の穂先が、細い背中を肩口から斜めに裂いた。穂先の軌道を追うように、ばっと赤く血が噴き上げて舞う。視界を染めた赤に、アジエスタは喉が干上がる感覚を自覚し、その次の瞬間には、全くの無意識の内に、引き抜いた剣はジョルジェへと躊躇いも無く突き立てられていた。
「……っ、何故……!」
 アジエスタが絞り出すような声を上げるのに、ジョルジェは口元を緩めた。アジエスタの狙う場所を最初から知っていたかのように、咄嗟に体を捻って即死を避けたジョルジェは、柄を握るアジエスタの手をそっと包む。
「……これしか、私に、出来ることはもう……」
 息を呑むアジエスタは、はたと気付いて視線をやると、倒れたその身体は血が派手に散っているが、まだ呼吸を示して体が上下している。その様子で、致命傷ではないのが判って混乱をその表情に浮かべたアジエスタに、ジョルジェは続ける。
「茜色の……騎士団長殿……“絶命”が鞘から抜かれたら……その抜き身が納まる唯一の鞘は、姫巫女……なのですよ」
 それは決して、倒し、殺すための剣ではなく、アジエスタ自身の望みをかなえるものではない。必ずその剣は巫女を殺すのだ、と。そう告げて、ジョルジェはアジエスタの剣をぐっと自らに押し込むようにして抱き込んだ。微笑む顔に、アジエスタの顔が蒼白になっていくのに、ジョルジェは彼女の中の自分への愛情を確かめて、目を細める。
 優しい、それ故に全てを背負う覚悟をしながら、全てを諦めきれない、強くて弱いアジエスタ。そんな彼女が、家族も、一族も、指名も全て、彼女が全てを捨てるというなら。一族の悲願も、役目も全てを捨てて、貴方の願いを叶えるためだけに、自分もこの命を捧げようと、決めたのだ。
 そんな決意で、穏やかに微笑むジョルジェに、アジエスタは何を言葉にすることも出来ないでいた。指先が震える。伝わってくる暖かなものが、ジョルジェの命の失われていく証だとは考えたくは無かった。自らの手が、この体を貫いたのだと、自覚したくはなかった。けれど現実は容赦なく、アジエスタの前へ広がっていく。
「“絶命”はまだ抜かれていません……私が、鞘です」
 だから、貴方は“絶命”としてではなく――……、と。
 その言葉を最後に、ジョルジェの命はそこで途絶えたのだった。
「…………ジョル、……ッ、う……」
 声は、出なかった。呼ぼうにも、唇が、喉が、詰まって動かない。漸く剣から手を離したアジエスタは、赤く染まった掌を見てじくじくと心が蝕まれていく感覚を味わっていた。
 願ったために失われた。想った為に、犠牲が出た。彼女だけではないだろう、今も尚、半魚人たちの前に倒れるものがいたろうし、今も失われ続けているのかもしれない。そんな自覚に目の前が塗りつぶされていくような感覚が襲い、同時に、ジョルジェがその命で突き立てた言葉が、冷たく心を冷やしていく。
(全てを捨ててでも……全てを失ってでも……その覚悟が無ければ、救えないのか)
 ならば。だとしたら自分は。
 そう、ぐっとアジエスタが血塗れの手を握り締めた、その時だ。
「……違う、巫女じゃない」
 呆然と呟いたのは、メイサーだ。一瞬理解が遅れて、一同が固まった中、最初に動いたのは以外にもエルドリースだった。体を抱え起こし、口元に手を当てると、ほんの僅かにその眉が寄った。
「……息はある……が、弱い……」
 ジョルジェは、相手が巫女であるという認識の上で斬り、アジエスタも加護が薄まっているとは言え、巫女だろうと思っていたから倒れだだけだと認識していたのだ。致命傷を外したとは言え、ただの普通の巫女が戦士の一撃を受けて無事であろう筈が無い。アジエスタはざっと顔色を変えた。
「馬鹿な。では――……」
 本当の巫女は、ティユトスは何処に居るのか。副官の喪失と入れ替わっていた巫女という度重なる事態に、珍しく判断を失っているアジエスタを「しっかりしなさい」とファルエストが引きずり立たせた。
「今、ジョルジェに言われたことを忘れたの? こんな所で蹲っている場合じゃない筈よ」
「……ああ……そう、だな」
 言われて、ゆっくり我を取り戻そうとするアジエスタの背を押しながら、ファルエストはメイサーを振り返った。
「悪いけど、ここは頼むわ。その子やエルドリース放っておく訳にもいかないし、アジエスタがこの状態じゃ、わたしたちではあなたを守りきれない」
「……判った」
 殆ど足手まといだ、と言わんばかりの言葉に、反論しかかったものの、官吏と戦士では素地が違いすぎる。渋々ではあるがメイサーが同意すると、ノヴィムとファルエストはアジエスタを連れて大聖堂を後にした。恐らく、どこか思い当たる場所があるのだろう。
 複雑な気持ちでその背中を見送りながら、メイサーはリーシャに応急処置をしながら、浮かぶ疑問をそのまま口に出した。
「どうして……こんなことを?」
 その言葉に、リーシャはふ、と息を漏らすように苦笑を浮かべて、切れがちの声で「羨ましかったのかも、しれません」と小さく口を開いた。
 何も許されない代わりに、何もしなくていいティユトス。望みを持てるかわりに、何かをし続けなくてはならない自分。お互いに正反対の立場であるはずだった。お互いに絶対的に何かが欠けていた筈だった。けれど、ティユトスは家族に友人に、そして想い人を得た。勿論最後に全てを失うのはティユトスの方だと判っていても、彼女の代わりでありながらそのどれひとつも、自分にはないのだと思い知るのは、酷く心を孤独にさせた。その意趣返し、と言う気持ちがどこかにあったことは、否定できない。それをぽつり、ぽつり、と残された命を零すかのように小さく吐き出しながら、リーシャはふとエルドリースを見上げた。
「…………代わり、らしい……最期だと……思いませんか、エルドリース?」
 間接的となってしまったが、こうして自分のために誰かが犠牲になったことを、彼女が知ったらどう思うだろう。常日頃自分が犠牲になれば……と思っているティユトスに逆に誰かを犠牲にさせることはいじわるだろうか? けれど、影武者と言う役目はそもそも、このためにあったのではないだろうか。複雑な満足感に、リーシャが微笑みと共に目を伏せたのに、その言葉をどう受け止めたのか。エルドリースは最期を迎えようとしているその体をそっと抱き上げると、ゆっくりとその足を進め始めた。
「どこへ……行く?」
 メイサーが尋ねると、エルドリースは振り返りもせず、答えるとも無く、呟くように言った。
「巫女……呼ばれている……龍……の、声だ……遠く、近く……ふたつの、声……」
 その言葉の意味はまるで判らなかったが、頼まれた以上放っておく訳にはいかない、と、メイサーはその後をついて足を速めたのだった。