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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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【蒼空に架ける橋】第3話 忘れられない約束

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 そして決行の夜。
 暗闇にまぎれるように動物保護区域を取り巻く金網へ近づいた黒い人影が、キョロキョロと辺りを見回したあと、その場で屈伸するように身をかがめて跳んだ。
 途中、金網を支えるため一定間隔で立てられている金属の棒を足で蹴り、方向を変えてさらに上へと跳躍した影は、通常の者であるなら絶対に越えられない高壁をやすやすと飛び越えて向こう側に着地する。
「さあ、早くコハクも!」
 ひざを折って衝撃を殺した小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)はくるっと振り返り、まだ壁の向こうにいるコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)を急かした。
「う、うん……」
 コハクは少しぼんやりした顔つきをしていて、金網に手をついた直後、ふわーあ、とあくびをする。
「もうっ!」
「だって、眠いんだよ……。本当ならもう寝てる時刻だよ」
「だから昼間、仮眠とろうって一緒に横になったのに、そうしなかったのはコハクでしょ……っ」
 恥ずかしげにちょっとほおを赤らめつつ、美羽は言う。仮眠をとらないで2人で何をしていたかはお察しだが、2人は結婚を間近に控えた婚約者同士なのだから、倫理的にはなんら問題はない。
 コハクも少し罰の悪い表情を浮かべただけで何も答えず、背中の羽を使って金網を越えた。
「さあ、行こ。きっとみんなもう着いてるよ」
「うん」
 コハクはあくびをかみ殺しつつ、美羽の差し出した手に引っ張られるかたちで歩いて行く。
 待ち合わせ場所の風の神殿跡地、封縛の扉の前には、グラキエスフレンディスたちのほか、枝々咲 色花(ししざき・しきか)八草 唐(やぐさ・から)もいた。ティエン義仲の姿もあったが、美羽たちを誘った肝心のがいない。
「あれ? 高柳くんは?」
 口を開いたティエンが「まだ帰ってこないの」と答えるより早く、コハクの後ろでコツコツと固い石の床を歩く足音が聞こえてきて、陣とポチの助が姿を現した。
「俺ならここだ」
「お兄ちゃん! よかった、無事だったんだね」
「ああ。心配させちまったみたいだな。すまん」
 駆け寄ってきたティエンの頭をぽんぽんとたたく。ティエンの目はそのまま陣の肩越しに後ろの人物へと流れ、うれしそうな表情が消えた。かわりに、ちょっと不思議そうな目でじっと見つめる。。
 そんなティエンの視線を追って肩越しに後ろを見た陣は、くいっと親指で指して
「こいつがヒノ・コだ」
 と紹介した。
「ヒノ・コだよ。はじめまして、お嬢さん。皆さん。今日はよろしくね」
 無言で見上げているティエンに、どこか面白がっているような笑みを浮かべてヒノ・コがあいさつをする。次にヒノ・コはその場に集まっている者たちを順々に見て、やはりティエンのように自分をじーっと凝視している義仲のところで視線を止めた。
「……何か?」
「とても7000歳には見えぬな、おぬし」
「ははは。魔女だからね。ただ、若く見えるとはよく言われるよ。実際は7000と200ばかり歳をとっているんだけどねぇ」
 ヒノ・コは抑制のきいた声で答えると、再び陣を見た。
「こちらの人たちにこれからすることは?」
「ああ。全部話してある」
「そう。なら、わたしからあらためて何か言うのも野暮だねぇ」
 そしてヒノ・コは封縛の扉まで本当を進めると、しゃがみ込み、扉の一部に手をかざした。
「待て! その前にもう1つ質問がある」
「なに?」
 ヒノ・コは振り返らず応える。
「なぜおぬしはここにマフツノカガミがあると確信しているのだ?」
「ああ、そのことかい? だって、あの日、わたしだけがこの下の祭壇の間にいたんだよ。わたしは見たんだ。ほかのカガミがオオワタツミが受肉する際の霊圧に押され、次々にはじき飛ばされていくなかで、マフツノカガミだけが踏みとどまり、復活を阻止しようとしていたのをね」

『愚かな人間ヒノ・コよ。余をみごと解放せしめた礼に、うぬだけは喰わずにいてやろう。そしてその目でしかと見届けるがよい。己が成した行為の顛末をな!!』

「…………」
 あのとき聞いたオオワタツミの嘲弄の声がまたもや聞こえた気がして、ヒノ・コは数瞬押し黙る。
 そしてわずかに震える手を再び動かし始めた。
「……だけど、マフツノカガミだけでは無理だった。復活を遅らせるのが精いっぱい。……もしかしたら、マフツノカガミのねらいはそれだったのかもしれないけどねぇ。
 わたしも吹き飛ばされて、気づいたら神殿の外に転がっていた。戻ってみると、イザナミさまが神官たちとともにここを封じようとしている最中だった。オオワタツミが最初に召喚した眷属たちを、できる限り封じるのだと言って。そして、この下からはたしかにまだマフツノカガミの放つ神光が感じられたんだよ」
 ヒノ・コの手の下でカシャッと音がして、扉の一部が動いた。ほんの10センチ四方のタイル状の空間が開き、そこからカシャカシャと、擦れるような音が広がっていく。
 月明かりの下で目を凝らして見ると、扉の表面を何かが走っているように見えた。まるでスライドパズルのようだ。扉の表面を埋める古代文字が置き換えられ、別の文章へと変化していく。
「ああよかった。コードが使えた。わたしが入ったときのまま、データ自体は書き換えられてなかったみたいだねぇ」
 ほほ笑んで見つめるヒノ・コの前、やがて音が止まった。それと同時に置き換わった扉の文字が白光を放つ。封縛から解縛へ。鍵のある部分でガチャリと音がして、扉は左右に開いた。
「やった! 開いたぞ!」
 役目は終わったというように無言で静かに後ろへ下がったヒノ・コと入れ替わるように全員が前へ出て、興味津々扉の内側を覗き込む。しかしなかは真っ暗で、月明かりすら吸い込んでしまったような底なしの穴に見えた。
「……階段があるな」
 ダークビジョンを発動させた陣が言う。
「見たとこ崩れそうな感じはしないし、大丈夫そうだ。よし、下りよう」
「ヒノ・コおじいちゃんは? 行かないの?」
 みんなが順番に階段を下りていくなかで、後ろへ下がったきり動こうとしないヒノ・コにティエンが首を傾げる。
「うん。行かない」
「どうして?」
「はは。この年寄りをあまり買いかぶらないでほしいねぇ。わたしは魔女だけど、魔力はとうに枯れてしまって、今のわたしには何する力もないんだよ。きみたちのように動くこともできないし、下りて行ってもきみたちの足手まといになるだけだ」
 ヒノ・コは現れてからずっと微笑をたたえているが、それが今は少しさびしそうに見えて、ティエンは考え込む。
「あ、じゃあ僕、ヒノ・コおじいちゃんと一緒に残る。ここで僕がしっかりおじいちゃんを守るよ! ね? いいでしょ?」
 名案とばかりに笑顔になったティエンを止めたのは陣だった。
「ティエン、おまえには光術で明るくするって役割があるだろ。ダークビジョン持ちじゃないやつもいるんだ。さっさと来い」
「あ、そうか。ごめんなさい」
 扉の所で待つ陣の方に向かいかけ、ティエンはちらとヒノ・コを振り返る。彼女に、ヒノ・コはばいばいと手を振った。
「ここできみたちが戻るのを待っているよ。
 一緒にいてくれると言ってくれて、ありがとうね、お嬢さん」
 ヒノ・コはティエンの姿が見えなくなるまでそこに立って彼らを見送ると、周囲を見渡し、崩れた柱がある所まで下がった。
 今、下がどのような状態になっているかまでは分からないが、かつて入り口から封印の祭壇のある広間まで相当な距離があった。長丁場になるのは分かっていたから、椅子がわりに崩れた柱へ腰を下ろして楽な姿勢をとる。ひざについた腕でほおづえをつき、あらためて扉へと目を向ける。
 虫の音と、ときおり聞こえる獣の遠吠えに、そういえばこれは2年ぶりの外なのだと思い出した。
「周りにだれの目もないというのも、考えてみればひさしぶりだねぇ」
 自由を満喫するように夜気を吸い込み、それらに耳を傾けていると、バタバタと自然動物にはあり得ない騒々しい音をたてて駆け込んでくる者たちの足音が響いてきた。
「遅れちゃったのーーー!」
 及川 翠(おいかわ・みどり)の第一声はそれだった。
「どうしよう? みんないないのー! もう下りちゃったのかなあ?」
 オロオロしながらひたすら辺りを見回して、ほかの者たちの姿を捜している翠と対照的なのがスノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)である。
「あらあら〜。でもしかたないですねぇ〜。翠ちゃん、なかなかお昼寝から起きなかったですからぁ」
「置いてかれちゃったのーっ」
 わたわた、わたわた。それでどうにかなるわけでもないのだが、プチパニックを起こしたのか、翠は人の姿を求めてあちこちへ視線を飛ばし、両手をぐるんぐるん回しだす。
 公正を期して言えば、陣たちは置いて行ったわけではなく、彼らが来るのを知らなかっただけだ。集合時間にいなかったので、来ないのだろうと判断しただけである。
「ふーん。こんな場所があったのね」
 一番最後に入ってきたミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)が、周囲を見渡しながら感心したようにつぶやいた。
「ミリアちゃん〜、昨日一応ミリアちゃんも来てたんですよぅ〜」
「ぜんっぜん覚えてないわ」
「すっかり我を失って、もふもふに夢中でしたからねぇ〜」
 首を振るミリアに、ほうっとため息をつく。
 そして中央にとことこと歩を進めると、扉が開ききったあとの穴を覗き込んだ。
「下への扉、開いちゃってますねぇ〜」
「そうみたいね。あと翠、あなたはちょっと落ち着きなさい。先行されたならされたで、追いつけばいいだけの話なんだから」
「ふえぇ〜、お姉ちゃん……」
「待って。今あかりを――って、あら?」
 ミリアは服のポケットに手を突っ込んだあと、目を天井に向けて、おや? という表情をする。そして手を引っ張り出し、今度は両手でぱたぱた服を上からはたいた。
「……えーと。スノゥ、あなた持ってきた?」
「存じません〜。あかりはミリアが持ってくると言ってましたからぁ」
「お姉ちゃん、忘れたの?」
 ズバ、と翠に言われて、ミリアは赤面する。
「お、遅れてたからあわててて……ちょっと待って、ノヴァが使えるかもだから」
 魔導わたげうさぎのノヴァを出して、光源にしようとするのを見て、スノゥがおっとりと指摘した。
「ノヴァはぁ、攻撃魔法で光を出しますがぁ、光源としては不向きですよぅ〜」
「じゃあ……どうしよう?」
 途方に暮れたように手を持ち上げる2人に、そのとき、耐えきれないというようにプーッと失笑する声が脇から起きて、ホールに響いた。
「だれっ!?」
「すまないねぇ、お嬢さん方。あなたたちの話があまりに楽しかったから、つい声をかけそびれてしまったんだよ」
 ゆっくりと柱の影から月明かりの下にヒノ・コが姿を現す。警戒する3人に名乗り、ざっとここであったことを説明した。
「じゃあやっぱりみんな先に行ってるんですね」
「うん。だけどそんなに時間は経ってないから、すぐ追いつけるんじゃないかな。
 あ、それでこれ。きれみたちにあげる」
 おもむろにヒノ・コはポケットからペンライトを取り出して、ミリアに差し出した。
「ほかの人たちは不要だったみたいだから。
 ごめんね、小さくて。このくらいのサイズしか用立てられなかったんだ。買収が通用する人が少なくてね」
「そんなことありません。ありがとうございます」
「小さいけど光は強いから、足元を照らす程度には十分光量があると思うよ」
 「はい」とうなずくミリアの横を駆け抜けて、翠がヒノ・コにとびついた。
「おじいちゃん、ありがとうなのーっ!」
「ちょ!? 翠、突然何してるの!
 すみません、この子ったら、ぶしつけなことをして……」
 あわててミリアが引きはがす。ヒノ・コは目を丸くして驚いていたが、その表情がほどけるにつれて顔に笑みが広がって、あたたかな眼差しとともに翠を見つめた。
「いいんだよ。
 気をつけてお行きなさい。下には何があるか、分からないからねぇ」
「行ってくるのー!」
 元気よく手を振って階段を下りて行く翠に手を振り返す。
 彼らが消えてすぐ、ふいにぞくりとする何かを感じ取って、ヒノ・コは周囲を見渡した。
 目に見えない何かがすぐ横を通り過ぎていったような……その際の微細な空気の流れを肌が感じ取ったような、そんな感覚だ。だが目を凝らしても何も見えないし、気配も感じられない。
「……幽霊が体のなかを通り抜けたような、っていうのは、こういうのを言うのかねぇ……」
 苦笑しつつつぶやく。
 しかしその顔から笑みは拭いとられたように消えていた。