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リアクション
2日目 月曜日
早朝・蒼空学園正門。
月曜日が憂鬱なのは、パラミタ大陸でも同じ事である。地球出身の生徒は勿論の事、守護天使であろうが、ヴァルキリーであろうが、ドラゴニュートであろうが、みんな寝ぼけ眼をこすりながら、ブルーな面持ちで登校してくるのであった。どの世界でも月曜日は不遇なのである。
「よろしくお願いします。署名活動してます。よろしくお願いしまーす」
あくびをする生徒達に混じり、元気よく声を上げるのは久世沙幸(くぜ・さゆき)だ。
彼女は例の『署名活動』チームの一員。「図書館の自由を取り戻そう」というスローガンの元、図書館の現状と署名への協力要請を書いたビラを配り、生徒達に署名を呼びかけている所なのだ。
「あ、ありがとうございます。えっと、こっちの紙にお名前をお願いしますね」
テキパキと署名の説明をして、沙幸はふうと一息吐いた。
署名活動というのもなかなか骨の折れる仕事である。
「ねえ、あなた。署名してくださらないかしら?」
沙幸の隣りでは、パートナーの藍玉美海(あいだま・みうみ)が署名活動を行っていた。
「え、あの……」
戸惑う女生徒の髪を弄びながら、美海は甘い声でささやく。
「奇麗な髪をしてらっしゃるのね。シャンプーは何を使っているのかしら」
まだ早朝だというのに、彼女は妙なフェロモン全開である。
「ちょっと、ねーさま!」
本来の目的を見失ってる感のある美海を、沙幸は頬を膨らませて咎めた。
「真面目にやって!」
「わたくしはいつだって大真面目ですのに……」
そう言って、美海は膨れている沙幸を面白そうに見つめた。
「あら。沙幸さんが邪魔するから、彼女が逃げてしまったじゃない」
「だって、ねーさま。さっきから、可愛い子にばっかり声かけて……」
「あら、焼きもち?」
「な、何言ってるの! ち、違うもん!」
顔を赤らめる沙幸に、美海は顔を近づけ耳元でささやいた。
「そんなに心配しなくっても、わたくしは沙幸さん一筋ですわよ」
その瞬間、沙幸の頭からぼふんと湯気が昇った。人体から湯気が昇ったこの摩訶不思議な出来事は、登校途中の科学部員に目撃され、年末の研究報告会で二十四時間にも渡る議論の対象となるのだが、それはまた別のお話であり、当の沙幸は研究対象にされた事すら知る事はなかった。
「……二人とも、真面目にやれ」
本来の目的を見失いつつある二人に、アルフレート・シャリオヴァルト(あるふれーと・しゃりおう゛ぁると)は苦言を呈した。
「や、やってるよ」
「……顔が赤いな、久世。熱でもあるのか?」
「え、う、嘘」
顔を押さえる沙幸。
「熱は熱でも、恋の微熱かしらね」
そう軽薄に言う美海に、アルフレートは何か思う所があったかは定かではない。
彼女は感情を表に出さないのである。二人を冷ややかに見つめ、ぼそりと要点だけ伝えた。
「登校時間は限られている……、出来るだけ声をかけよう」
「う、うん。ごめんね、アルフレートさん」
沙幸が恥ずかしそうに謝っていると、同じく署名活動をする春日井茜(かすがい・あかね)と日奈森優菜(ひなもり・ゆうな)がやってきた。
「すまないが、アルフレート」
「……どうした、茜?」
「ビラがなくなった。少し分けてくれないか?」
「二百枚も用意していたのだが……、随分受け取りが良いな」
「それだけ、生徒の関心のある事件と言う事だろう」
ビラを受け取りながら、茜は答えた。
「明日は多めに用意したほうが良さそうですね。どのくらい用意しましょう?」
そう言って、口元に手を当て考え込む優菜。
「しかし、図書館開放のためとは言え、印刷代も馬鹿にならないな……」
「このペースで行きますと、私たちは散財してしまいますね」
「その事なんだが……」
この問題の解決の糸口に、茜は少しばかり心当たりがあった。
「印刷技術研究会とか言う同好会を知っているか?」
学園に存在する有象無象の同好会の一つ。印刷技術研究会と言えば聞こえは良いものの、ようするに、印刷所より格安で印刷を引き受ける商魂逞しい生徒たちの集まりである。噂によれば、夏と冬が稼ぎ時との事である。何故夏と冬なのか、パラミタ出身の生徒には大きな謎の一つとなっている。
「どうも今回の事件で、彼らも損害をこうむっているようだ」
「それは大変です。どんな損害が出てるんですか?」
心配そうに言う優菜に対し、茜はなにやら難しい顔で口を開いた。
「二次創作に影響が……、とかなんとか」
こほんと咳払いをして、茜は続けた。
「ともかく、協力が期待出来るかもしれない。昼休みにでも、私がコンタクトを取ってみよう」
「……彼らの署名も集めたい。私も同行しよう」
同行を買って出たのは、アルフレートだった。
「あ、そこの君。そうそう、奇麗な目をしたそこの君だよ」
署名活動チームとしてあるべき会話をしている横で、署名活動メンバー最後の一人にして、優菜のパートナーである柊カナン(ひいらぎ・かなん)は、実に落ち着きのない台詞を並べていた。他のメンバーの真冬のように冷たい視線に気づきもせず、本来の目的を欠いた行為にせっせと精を出している。
「僕と一緒に図書館デート……、じゃなかった。図書館の現状について語り合わないか?」
「えー、朝からナンパですか?」
「とんでもない。これも学園の自由を守るための活動さ」
「でも、お兄さん。すっごい軽薄な感じー」
「君が本当の僕を知らないから、そう見えるだけだよ」
カナンの美しい容姿も手伝って、女生徒はまんざらでもない感じだ。
「お、お兄ちゃんたら……!」
ぷるぷると肩を震わせる優菜。パートナーがあれでは、肩身が狭いのは優菜である。
「藍玉といい、柊といい……、朝から節操のない奴ばかりだな」
「同感だ」
アルフレートと茜は顔を見合わせ、そして深々とため息を吐いた。
「よう。朝から精が出るなぁ」
そこへやってきたのは速人だった。先ほど起きたばかりなのか、寝間着姿にサンダルの出で立ちだ。
「あ、赤月くん。おはよう」
「昨日から泊まり込んでるそうですわね、お疲れさま」
と、速人と挨拶を交わしたのは、沙幸と美海である。
「テントに泊まってるんだよね。いいなぁ、楽しそう。私も学校にお泊まりしてみたいなぁ……」
「素敵ですわね。ふふ、でも寝かせてさしあげませんわよ」
甘い声でそう言うと、美海は沙幸の肩に手を回した。
「ちょ、ちょっと、ねーさま!」
「ほんと、朝から精が出るなぁ」
その様子を速人はにやにやと見つめた。
「ほ、他の皆は?」
「まだ寝てるよ。学校が近いからギリギリまで寝てるんだろ。そろそろ起こしにいかないと……」
「ふうん。赤月くんはちゃんと起きてて偉いね」
「え?」
そう言われて、速人は目を見開いた。
「あ、ああ。あの中じゃ俺が一番お兄さんだからな」
と言いつつも、実は自分の布団じゃなくて、よく眠れなかっただけである。
昼休み・図書館。
貸し出しカウンターに座り、柳川さつき先生は書類の整理に励んでいた。
白いブラウスに、黒のタイトスカート、その下は黒いストッキング。出来る女の三種の神器を華麗に着こなし、黒縁眼鏡を押し上げ、書類の内容をパソコンに入力している姿は、まさにクールビューティーと言った風情である。先生が気になって、本どころではない生徒の姿もちらほら見受けられる。
そんな熱い視線を送る生徒の一人。
黒縁眼鏡をかけた彼の名は大草義純(おおくさ・よしずみ)。
どこか頼りない印象を受ける、大人しく真面目な少年である。
彼は落ち着かない様子でうろうろしていたが、やがて意を決して先生に話しかけた。
「あ、あの、柳川先生」
無表情を顔に貼付けたまま、先生は義純を一瞥した。
「本の貸し出しなら、そちらの図書委員に……」
「そ、そうじゃないんです。あの……」
と言いかけた所で、折角振り絞った勇気は対価を得られず、どこか彼方へ消え去っていった。
「先生、お話があります」
挑戦的な目をしてやってきたのは、向飛雉里(むかひ・ちさと)。
「なんですか?」
「娯楽図書撤去の件です」
「その件で議論する事はありません」
相手にしようともしない先生だったが、雉里はそれで動じるような人間ではない。
彼女が得意とする将棋で培われた冷静さは、将棋以外の場でも遺憾なく発揮されているのだ。
「将棋でも、人間関係でも共通する事があります」
「……何の話です?」
「それは相手の一手に対し、こちらも一手を返すと言う事」
語り始めた雉里を見て、義純は肩を落としその場を後にした。
「先生の初手が娯楽図書の撤去なら、私の手は先生の過ちを正す事です」
「はあ」
「先生が何故娯楽図書を撤去したのか……、私にはわかっています」
雉里は自信に満ちた目で、先生を見つめた。
「聞けば、先生は学生時代とても本が好きな生徒だったとか。おそらく、小説の世界に現を抜かして現実を見ないまま青春時代が過ぎてしまった……。だからこそ生徒には自分の二の徹を踏んで欲しくない。そう考えて、今回の撤去に踏み切ったのでしょう?」
「あの、いいですか……?」
「ですが、思い出してください。先生は本が好きだったはずでしょう」
そう言って、一冊の本をカウンターに叩き付けた。まるで王手を打つような気迫と共に。
「この本は……」
その本には『大木を求めて八十日間山ごもり』とタイトルが記されていた。木こりが大木を求めて八十日間山の中を右往左往する様を描いた、ロマンの欠片もない毒にも薬にもならない冒険小説である。ほとんど世に出回らなかったという意味では希少本である。雉里はパートナーのフェイ・セブンスランク(ふぇい・せぶんすらんく)に、先生が昔愛した本を調べさせ、自腹を切ってこの本を購入したのである。
「調べさせてもらいました。学生時代、先生が最も愛した本です。これを見て昔の気持ちを……」
「読んだ事ありません……」
「そうでしょう。読んだ事……、あの、今なんて?」
「読んだ事はない、と言いました」
「そ、そんなはずは……」
「それに私は充実した青春時代を送っています。失礼な」
「ど、どこで手を読み損なったの……?」
「用件がそれだけでしたら、どうぞお帰り下さい」
心なしか投了する棋士のように、雉里はがっくりと頭を下げていた。
と、その時。
カウンターを滑って一冊の本が二人の前に現れた。
本のタイトルは『七十年代ウエスタン映画評論』。
「俺からの差し入れだ、先生」
そう言ったのは、西部劇かぶれの永夷零(ながい・ぜろ)。
貸し出しカウンターで炭酸水の入ったグラスを傾けるその姿は、バーのカウンターでテキーラをあおるガンマンを彷彿とさせたが、勿論図書館では飲食禁止である。その上、彼は枯れ草の転がる荒野を思わせるメロディを口笛で奏でていた。鬼の形相で図書委員がこちらを睨みつけているのは当然の成り行きである。
「恥ずかしいからやめろ、でございます」
パートナーのルナ・テュリン(るな・てゅりん)が、すかさず零の脇腹に肘を入れた。
「ちょ、ルナ。折角、イカス登場だったのに……」
ごほんと咳払いをして、零は先生に視線を向けた。
「向飛のアレはちょっと外したみたいだけど、本が好きだったのは事実なんだろ、先生?」
「ええ」
「それなら、昔を思い出してくれ。俺は本が好きな先生のほうが好きだ!」
「ゼロ……」
西部劇以外の事で懸命に働く零の姿に、ルナは少し目頭が熱くなるのを感じた。
「……そして、西部劇関連コーナーを作ってくれ!」
「は?」
「俺は蒼空の図書館に何かが足りないと思ったいた。それはテキーラのような芳醇な香り漂う男の渋み。なあ、先生。西部劇特集してる雑誌でも、映画評論本でもなんでもいいから、置いてくれ。可能なら、普通に映画のほうも貸し出し出来るようにだな……」
「あなた達、先生の説得にきたんじゃないの?」
熱く語る零に冷ややかな視線を送りつつ、雉里はルナに尋ねた。
「そのつもりでございましたが……、ゼロ! その口を閉じやがれ、でございます」
「止めるな、ルナ。この学園にはウエスタン風味が欠けてるんだ!」
「ちょっと。止めなって、二人とも」
しばらく三人の様子を見守っていたが、先生にもやがて我慢の限界が訪れた。
「あなた達、騒ぐなら外でやりなさい!」
きょとんとして先生を見る三人。先生が止めなければ、図書委員に袋だたきにされている所である。
「まあまあ、先生。彼らも悪気があってやっているわけではありませんから」
「今度はなんですか?」
仲裁に入ったのは、エルネスト・アンセルメ(えるねすと・あんせるめ)。丸眼鏡をかけた温厚なウィザードだ。
彼の隣りには、大きな本を抱えた愛川みちる(あいかわ・みちる)もいる。
「新任の柳川先生と、お話がしてみたくて来たんですが……。ご迷惑でしたか?」
エルネストの言葉に、先生は穏やかな表情を浮かべた。
「そんな事はありませんよ」
「あの、先生。ちょっと調べものをしてるんですけど……」
そう言って、みちるは持っていた本を先生に渡した。
「シャンバラ地方の歴史に関する本……、ですか」
「でも、この本難しくって……。もっとわかりやすい本はありませんか?」
「なんだか懐かしい」
先生は静かに微笑んだ。初めて見せた先生の笑顔に、一同は驚いた。
「私、何か変な事言いました?」
「いえ。学生時代、私もこの本を読んだ事があるんですよ」
「そうなんですか?」
「この本で調べものをして困った事があったから」
先生はパソコンを使って歴史書の一覧を出した。
「これとこれがわかりやすくて良いですよ。それと……」
先生とみちるが話し込んでいる様子を、他の一同は不思議な気分で眺めていた。
「……良い先生じゃない」
雉里の言葉に、零は頷いた。
「最初の印象と違うな」
「……正面からぶつかるだけでは、わからない事もあります」
エルネストは小声で言った。
「逆に、正面からぶつからないと、わからない事もありますけどね」
「どういう意味でございます?」
ルナが尋ねると、エルネストは優しそうな笑みを浮かべた。
「まずは先生の事を知って、それからぶつかってみてもいいんじゃないか、って事ですよ」
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