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第三章 騒乱! 教師寮!

「弱りました」
 職員室の戸を後ろ手に閉め、織機誠(おりはた・まこと)は肩を落とした。
「あ〜どうするのじゃ! はやくあやつを捕まえないとわらわの夏が! 新学期が大変なことになるのじゃ!」
 上連雀香(かみれんじゃく・かおり)がパタパタと手を振ってわめく。こんな時でも盛大に光を湛えるパートナーのおデコをながめ、誠はため息をついた。
「そうなんですよねぇ……とは言え……」
 職員室は大わらわになっていた。
 途切れ途切れに「大図書室……」「ゴーレムが……」と聞こえてきたから、誰かが図書室の騒ぎを報告したのかも知れない。
「はぁ……」
「そこのあなた」
 毅然とした声。
「イルミンスールの生徒よね――あ、失礼。自分はルカルカ・ルー(るかるか・るー)。彼はパートナーのダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)
 ルカルカと名乗ったシャンバラ教導団軍服の少女は、背中に鉄芯が通ったような姿勢の良さで自分たちの認識票を示した。
「教師寮というのは、どこですか?」
「教師寮?」
「実は、図書室の件を報告したらこの大騒ぎになってしまって。色々調べたいことがあったのだけど……。こうなったらもうケイン先生とやらに直接聞いてみるしかないわ」
 ルカルカの言葉に誠と香が顔を見合わせる。
 女性徒の名前と部屋を特定、家捜しに及ぼうと考えていた誠と香だったが、もはや計画は頓挫。しかし今一筋の光を見たような気がしていた。
「行ってみますか、お嬢」
「課題が免除されるならわらわは何でもよいぞ」
「ふむ、じゃ……」
 誠は空飛ぶ箒を手に取った。その瞬間、やぶにらみ気味の目がつり上がり、穏和な表情が一変する。
「じゃあ行くぜ! シャンバラのお嬢さん! カッ飛んでくっから付いて来いよっ!」
「校内での暴走行為……教導団なら反省房行きってとこ? ……で、ええと、あっちかしら、ダリル?」
 誠たちが飛び去った方向を確認するルカルカ。
「みたいだな」
「ここの生徒は、みんな変わってるわね」
「『ここの生徒も』、だな」


「センセ、私思うんですけどぉ、今回、先生を治した人だけが課題免除ってちょっと不公平なんじゃないかなってぇ」
 教師寮ケイン先生の自室。如月玲奈(きさらぎ・れいな)はベッドに腰掛け、精一杯鼻にかけた甘い声でケインに話しかけていた。
「ん……課題、課題、ああ課題」
 ベッドでは横たわったケインがうわごとのように呟いていた。
「そう、だよね……なんか僕の予想よりすっごく大事になっちゃって……みんなに……悪いなぁ……」
「それ、今回の件に関わった全員課題免除ってことですねっ! あ、いや……ですよねん?」
 勢い込んで目をキラキラと輝かせる玲奈。スコンと綺麗に抜けた語尾をもう一度鼻にかけてやり直す。
「ん? 全員? うん、そうだねぇ」
「それ、センセの独断じゃないですよねっ? ですよねんっ?」
「ああ……もちろんそれは上の先生に許可を――」

「はいはい、そこまでそこまで。いかん、いかんよ〜病人に無理に喋らせてはダメだよ〜。ささ、もう行きなさい」
 部屋に入ってきたナース服がパンパンと手を叩き、玲奈を促す。「クッ……60パーセントの成功度ってとこかしら……センセ、約束ですよ!」部屋から消えていく玲奈の声には、未練が漂っていた。
「ええと、花瓶は……無いなぁ。仕方ないこれで……。はい、先生。これで少し元気出してね」
 先ほど校舎の脇で摘んできた白い小さな花を手近な瓶に活けると、ナース服を着込んだ皆川ユイン(みながわ・ゆいん)は耳を澄ませた。
「よし、行ったね?」
 小さく確認、ユインはそっとケインの顔をのぞき込んだ。
「やっぱね〜私の眼に狂いはないわ。チラッと見ただけだったけど悪くないと思ってたのよ)
 静かになったせいでケイン先生は寝息を立て始めている。ユインはケインの額に汗の玉が浮かぶのを見て、起こさないようにタオルでぬぐった。
「ちょっと弱々しいオトコってのもまたなかなか……。この苦しそうな顔も母性本能くすぐるんだよね〜」
「……えーとあの」
「これはもう仲良くなってユイン帝国に連れてくしかないよねっ」
「……もしもし」
「……」
「……」

「……い、いつからそこにっ」

「ええと、ちょっと前、だねぇ」
「……私、口に、出てました? ってか本職!?」
 ユインに言われて戸隠梓(とがくし・あずさ)は自分の白衣姿を見下ろす。
「本職? ええ、まぁ保健医ですけど……」
「うわぁー!」
 聞くなりパタパタと逃げていくユイン、梓は瓶に飾られた花を眺め「悪いことしちゃったかしら」と呟いた。
「さーて、私はどうしよう、とりあえず、おかゆ、作ろうかなぁ」
「バナナですなっ!」
 構成要素のほとんどが『自信』で構築された良く通る声。右手ではバナナを、左手では牛乳の注がれたジョッキを。その立派な胸を反らして捧げ持った魔楔テッカ(まくさび・てっか)だった。
「先生っ! ああケイン先生も保健の先生も合わせて先生!」
「あらあら〜、ダメよ〜そんな声出したらケイン先生起きちゃうわ」
 わたわたと梓がテッカを止めようとするが、テッカは気にしない。
「むしろ起きてもらいたいところですな! その奇病、『力抜けヘロヘロ病』はずばりバナナ分の不足が原因ですな! そこで、ここに取り出したるはバナナとミルクの黄金タッグ。ふふふ、しかもこれ、あたいが吟味をに吟味を重ねて選んだ一品! さぁさぁ」
 バナナをむき、ジョッキと一緒にグイとケインに突きつける。
「結局これ以外の理由が思いつきません。飲むんですな。そして飲んだら寝るんですな」
「そうそう、無理しちゃダメだよ先生。ゆーっくり休んで。ゆーっくりね、なるべくゆーっくり。新学期なんて気にしなくていいんだよ」
 いつの間に入ってきたのか、立川るる(たちかわ・るる)がケインの耳元で囁いている。パッと見には励ましている形なのだが、どうにも暗示をかけているように見える。
「そう! で、ひと眠りの前にこのバナ――」
「いえっ! それは体に良すぎ――おっと違う違う。ここは濡れタオルです!」
 テッカのバナナを遮った、るるはどこから取り出したのか濡れたタオルをケインの額にのせる。
 ベチャっ!と音がした。
「るるちゃん! ダメよ、もっとよく絞らなくちゃ!」
「あわわ、ごめんなさいっ!」
 ベチャ。
「るるちゃんっ」 
 ベチャ。
「うわっ! なにをっ! 牛乳の濡れタオルなんて聞いたことないんですなっ!」
 ベチャ。
 5分後。
 「あ〜た〜いは関係ないんですなっ」とわめくテッカもろともるるを職員寮の廊下につまみ出し、梓はため息をついた。
「ふー。でもケイン先生。これだけたくさんの人かから心配されてるんですよ。……ちょっとみんな愛情の形が複雑ですけど……。だから、治らないなんて言っちゃ、ダメ、ですからね」
 まるで子供に言い聞かすような梓だった。

 その騒ぎから10分ほど後。
(なんだか騒々しいな。看病に来てる奴がいるのか。まいったな、作戦に邪魔なら隠れてもらわなけりゃならないんだが……)
 丸めた絨毯に金属製のポールを丈夫なロープで背中に固定。図書室から逃げ出した女性徒捕獲用の罠セットを担いだ藤原和人(ふじわら・かずと)は教師寮の階段を上っていく。ちょっとした登山家の気分だ。
 ケインの部屋の前では愛沢ミサ(あいざわ・みさ)がもじもじしていた。
「えと、いいのかな、いいよね、変じゃ……ないよね……」
 うっすらと顔を赤らめて俯きがちにつぶやいている。
 手にはカップアイスの入った紙袋。半分溶けかかったアイスがすっかり袋に滲み、彼女が立ち尽くした時間を語っていた。
「何してるんだ?」
「ひゃわっ!」
 和人が声をかけると、ミサがびくりと飛び上がった。
「入らないのか?」
「え……いや、あの……俺はその、これ、食べたら先生元気になるかなって、その……」
 「俺」という言葉は勇ましかったが今度は完全に赤面してしまうミサ。
「それは見りゃわかるが……」
 和人はケインの部屋をのぞき込む。何となく、ミサがここにいる理由がわかった気がした。

「先生、あの、私ちょっと調べてみたんですけど、病気を治すのには気持ちを強く持つのも大事なんですよ。ほら、この本の、ここ、見てください」
 ベッドの上からかがみ込み、もうほとんど覆い被さるようにぴたりと身を寄せ、ケインに話しかけている小柄な少女は東雲いちる(しののめ・いちる)
「だから、元気出してくださいっ! 私もついてますからっ! ねっ!」
 時々、チラッと壁際を気にして確認している。
 少し離れたところにはいちるのパートナー、吸血鬼のギルベルト・アークウェイ(ぎるべると・あーくうぇい)
 高貴に整った顔はいつも通りに。長身を部屋の壁にもたれさせていちるを眺めているが、いちるが勇気づけるようにケイン先生の手をとったり、顔を寄せて声をかけたり、その度にピクリ、ピクリと肩が震え、僅かにだがこめかみの皮膚を突っ張らせている。
「まったく男の世話だと……俺がかまってやっていると言うのに……。いちるの奴、何を考えてるんだまったく……」
 ギルベルトの口からは、我知らず、小さな声すらがもれ出している。
 ベッド脇にはいちるの他にもう二人。
「……先生……栄養……無くなると……枯れちゃうよ……。先生……栄養……いる? それとも……冷ます? 氷の……魔法? 寒い? 炎の……魔法? ……ナナ、どうしたの? おどろいた……顔」
「うん、いや、アキがよく喋るなぁと思って。いや、いいことなんだ。うん、すごくいい。でも、魔法かけちゃだめ、ね? ん? 水、じょうろで? いや、先生は口から栄養取ると思うよ。ほら、さっきアキも見たろ、先生おかゆ食べてたよね? うん? うーんでもだからって口から肥料入れるのは違うよね。そう、先生植物じゃないから」
 春告晶(はるつげ・あきら)とパートナーの永倉七海(ながくら・ななみ)。心配そうにケイン先生をのぞき込み、いつもより多く意思表示をする晶。
 ケインと植物の間の境界が曖昧な様子の晶に、七海が少し戸惑いつつ応じているが、その顔は嬉しそうだった。
「ほらほら皆さん、先生あんまり話しかけても疲れちゃいますよぅ。セシリア〜新しいタオルくださいですぅ。先生また妙な汗かいてますぅ」
「オッケー」
 次から次へとやって来る生徒を片っ端から相手にしていた梓は部屋の隅でグッタリと座り込み、代わって今はメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)とパートナーのセシリア・ライト(せしりあ・らいと)がキビキビと部屋の中を動き回っていた。

「こりゃまぁ……」

「失礼、キミ、ここを通してもらうよっ」

 部屋の様子に呆気にとられていた和人はその声で顔を上げ、今度は完全に思考停止した。
「あっはっは、先生っ! 看病に来ましたよ! 入れ替わり立ち替わり、女性諸君がこの寮を出入りしてるから心配になって来てみれば……なんて事だ! くぅ、先生、あなたという人は……。女性諸君、ボクが来たからにはもう大丈夫! このシャイニングネコミミナースが来たからには! さぁ協力しようっ! なるべく密接に協力しよう! 男は……んーなるべく大変な仕事をして手一杯になってくれると大変ありがたいんだがっ」
 金ラメで輝くミニスカートのナース服+ネコミミにネコ尻尾という出で立ちで一気にまくし立てたのは金髪のオールバックが印象的な男子生徒、エル・ウィンド(える・うぃんど)だった。和人と同じく思考を停止させたミサの顔の顔の上で「最後にスゴイの来たスゴイの来たスゴイの来た」という文字が暴れ狂っている。
「ギャー! 何しに来たですかっ! セシリアっ! 迎撃準備! 鈍器でゴンですぅ!」
「まっかせて! これだけハッキリした迎撃対象なんて、わっかりやすくてありがたいよ」
 メイベルの悲鳴でセシリアが光条兵器を展開。その手にモーニングスターが現れる。
「何しに来たとはまたご挨拶なっ! ケイン先生を看病しに来たに決まっている! このシャイニングネコミミナースことエル・ウィンド、看病のためなら添い寝も辞さない覚悟だっ! ああ、もちろん君たちも一緒にというなら大歓迎するっ!」
「迎撃っ! 迎撃ですぅー!」

 バタンドタン。

 「賑やかさ」に包まれていた教師寮だったが、今は徐々に「騒々しさ」に代わりつつある。

「おいっ、シャンバラの姉ちゃんっ!ここだ! この部屋っ!」

 騒音に引き寄せられたように、ケイン先生のベッド横の窓では、誠と香を乗せた箒が緊急停止。
 誠の叫び声と、部屋の中で持ち上がりつつある騒乱にこめかみを押さえ、ルカルカがケイン先生の側に立った。
「先生、その、いくつか聞きたいことがあるのですが、その……、あ、これ、認識票です……」
「ああ……シャンバラの生徒さん。せっかく来てもらったのにちょっとバタバタしてて、悪いなぁ。みんな、ちょっとがんばり過ぎちゃってるみたいで……」
 依頼前よりもむしろやつれたケイン先生だったが、弱々しいながらまだその顔には笑みが浮かんでいる。
 それを見てルカルカの中で何かが吹っ飛んだ。
「ええいっ! だ、れ、が、元凶です! だ、れ、が! もっとピシャッとせんかこの軟弱物っ!」
「待てルカルカ。 堪えろ! 自制しろ! 他校で問題を起こすな!」
 ケイン先生の首根っこをつかみにかかるルカルカを、ダリルが羽交い締めにして止める。
 騒乱が騒乱を呼び、今や部屋の中は盛大な騒音と悲鳴の嵐。
 埃が舞い上がり、重量を伴った音がビリビリと壁を震わせている。

 それを――硬質な声が一喝した。

「ええい静まれっ! なんだこの騒ぎは!」