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どこに参ろか初詣

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どこに参ろか初詣

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第4章 貧乏神のご利益は

 そうして本殿でも英霊社においても、新春に相応しい参拝がなされている間も……やはり貧乏社のある一角はどんよりとくすんでいた。その気配に圧されて、一般参拝客がほとんど来ないのは幸いでもあったろう。
 けれどそれでも……ふらりとこの一角に足を踏み入れてしまう者はいた。


 新年なのだからと空京神社の初詣に来てみたけれど、これほどの混雑だとは思わなかった。どこを見ても人、人、人。参拝をする前に疲れてしまいそうで、風森 巽(かぜもり・たつみ)は本殿を避けて、空京神社内を歩いていた。
 どこか良い場所はないものか。
 人のいない方、いない方へと進んで行った巽は、やがて古びた社の前に出た。暗くてよく分からないが、あまりぱっとしない社のようだ。その所為か、周囲には人影もない。
「空いていることだし、こっちにしよう」
 どこでお参りしても問題ないだろうと、巽は社の前に立った。
 年は2020年になったばかり。日の出にもまだ遠い夜の中。
 暗い暗い暗い闇に閉ざされた社の賽銭箱へと、巽は思い切って奮発した賽銭を投げ入れた。何と言っても今年の運を決める初詣。力も入る。
 そう、ヒーローはいかなる時も、びしっと決めなければならないのだ。
「今年もヒーローキャラらしく活躍出来ますように。それと……健康に過ごせますように」
 健康でなければ、何かあった時にすぐ駆けつけられない。ヒーローにとっては、自らの体調管理も大切なのだ。
 参拝を終えて、ポーズを決める。
「よし、これで完璧だ!」
 ふっと笑った首筋に、どさりと冷たいものが落ちた。ぶるぶるっと反射的に震えて手をやれば、そこには雪の塊。一体どこに溶け残っていたものだろう。慌てて振り払ったが、背中がぞくぞくしてたまらない。
 寒い。だけど何だか顔は火照っている。
「人混みを通って、風邪でもうつされたかな? うー、寒……」
 足を急がせた巽だったが……。
 それから1週間、風邪で起きあがれなくなるとはこの時の彼は知る由もなかった。


 巽が去ってから数分後。
「セス、そこに寂れた神社があるぞ!」
 空京神社内を散策していたヤジロ アイリ(やじろ・あいり)は闇に沈む社を見つけ、セス・テヴァン(せす・てう゛ぁん)を振り仰いだ。
「ああ、確かに……って、何ですか、この嫌な気配はっ!」
 セスは思わず腕を顔の前に掲げた。鈍感が弱点だと思っている自分にさえ感じるこの気配。ただものではない。
「まあそうなんだけど、こういうとこって何故か参拝してみたくならないか。神様は神様なんだし、新年のご挨拶はするべきだよな」
 行ってみようぜ、と最後まで言い終えないうちに、アイリはもう社へと歩き出している。普段は女子的な恰好を滅多にしないが、今日はセスに拝み倒されて振り袖を着ている。慣れない草履で歩きにくそうなのを、セスは背後からそっと支えた。
 非常に近づきたくない社ではあるけれど、アイリが参拝するというなら一緒に行く以外の選択はセスにはない。待っているのが何であろうと、2人ならば『辛いことは半分こ、幸せは2倍に』と言うことだし……、と気楽に考えることにする。
 アイリの賽銭の額は555G。今年もガンガン行くぜの気持ちをこめた、ゴーゴーゴ。今年こそミャオル族や可愛い動物をたっくさんもふれるように、との願いをこめて手を合わせる。
 セスの賽銭は96G。こちらは、苦(9)無(6)い、の語呂合わせで、
「今年もアイリや皆さんと楽しく過ごせますように」
 と願う。
 お参り自体は無事に済ませ、さあと振り返ればそこには黄色と黒の縞々の……。
「お、トラ柄のネコ発見! さっそく御利益か? もふるぜ!」
「アイリ、それはネコにしては大きすぎま……あっ!」
 駆け寄ろうとしたセスだったが、コートが引っかかって転倒する。その間に、
「痛っ!」
 ザクリ、とトラ柄ネコは鋭い爪でアイリを抉ると、闇の中に消えていった。
「アイリ! アイリ!」
「ん、ああ。平気だ。この着物のお陰だな」
 えぐられたのは振り袖の胸元から帯にかけて。何重にも重なった布に阻まれて、ネコの残したのはほんのかすり傷で済んでいた。
「撫で方が悪かったかな。でも可愛いトラネコちゃんと触れ合えて良かった」
 どこまでも前向きなアイリに、セスはこれを、と自分の着ていたブラックコートをかけてやった。
「おや、セス。派手にコートを破ったんだな」
「え、ああっ!」
 格好良く決めてきたブラックコートは無惨に破れている。お気に入りのコートの惨状に、落ち込むセスをアイリが気にするなと励ました。
「そうは言いますがこのショックは……あ、でもアイリがチューしてくれたらきっと大丈夫です」
 真顔で言うセスにアイリは顔を寄せ……ると見せかけて、チョップ。
「余裕じゃねーか」
 そう言ったものの、セスの様子は明らかにがっくりしている。アイリは数秒視線を上向けて考える。
(いつも世話になってるし、それで大丈夫になるならお年玉ってことで)
 災い転じて福となる。
 セスは初詣の御利益に感謝しつつ、アイリからのお年玉を受けたのだった。


「あけましておめでとうございます」
 新年の顔合わせはしっかりと。空京神社の前で待ち合わせした、晃月 蒼(あきつき・あお)レイ・コンラッド(れい・こんらっど)ミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)シェイド・クレイン(しぇいど・くれいん)デューイ・ホプキンス(でゅーい・ほぷきんす)、の2組は新年の挨拶を交わし合った。
「始めましてだな。デューイだ。よろしく頼む」
 デューイは蒼とレイとは初対面なので、帽子を取って短く自己紹介を済ませる。
「うさぎさん、よろしく〜」
 蒼はデューイのもふもふした身体に抱きついた。デューイも抵抗せず、手を伸ばして蒼の頭を撫でる。初の対面は上々、という処か。
「蒼さん、その晴れ着よく似合っていますね」
「ありがとう〜。ちょっとミレイユちゃんとお揃いっぽくなってる〜?」
 シェイドが褒めた蒼の振り袖は、赤を基調とした可愛らしいもの。その上にふわふわの白いショールをかけている。ミレイユの振り袖が赤の生地に淡い花柄を散らしたものだから、まるで姉妹が色をあわせて振り袖を着ているかのように見える。
「レイさんも着物を着てきたんだね。いつもと感じが違うけど、似合ってるよ〜」
「折角のお正月なので和装でと思いましてな」
 ミレイユに褒められて、レイは長着の上にはおった羽織の袖をつんと引いて見せた。
「みんな揃ったことだし、初詣に出発〜。ワタシ、ちゃんは去年のうちに下調べしておいたの。迷う心配はないから安心して着いて来てね〜」
 蒼は自信を持って歩き出した。周りにも初詣客らしき人は多いから、迷ったりなんか絶対しない。
 ……はずなのに。
 蒼について歩けば歩くほど、周囲から参拝客の姿が消え、付近の風景もどんどん寂れてくる。
「初詣に来る人って案外少ないのかな? っ、ととと……」
 見回した拍子に、慣れない草履が段差に当たってふらつくミレイナを、シェイドが支えた。
「きょろきょろしていると危ないですよ」
「そうだね。ちゃんと前を見て歩かないと」
 ミレイナは案内の蒼の背をしっかり見て足を進めた。ミレイナも、ミレイナの足下に気を払うシェイドも、周囲を観察していないから付近の怪しさには気づかない。デューイは何かおかしいと感じはしたが、
「あと少しだから、がんばって〜」
 蒼がはりきって案内しているのに水を差すのもはばかられ、何も言わずにその後に続いた。
 やがて前方に崩れかかった鳥居と朽ちかけた社が見えてくる。
「あそこだよ〜」
 蒼は堂々と前方を指した。
 どろどろどろどろ〜。
 そんな擬音が似合いそうな社の登場にシェイドは、聞いていた話と違うような、と首を傾げた。背後に大鳥居がそびえ立つ立派な神社だと聞いていたのに、あるのは剥げた鳥居と傾いた社。
「思ってたより古いとこなんだね」
 ミレイユはまだ疑っておらず、興味深げに社を眺めているけれど……明らかにここに漂う空気は尋常のものではない。
「これはどうも……空京神社ではない気が致しますな」
 戻りましょうか、とレイは蒼に声をかけようとしたが、蒼はもう駆けだしていた。
「あ、あっちにおみくじがある〜」
「蒼さん待って。ワタシも引く〜」
 ミレイユもその後を追って社に置いてあるおみくじの箱を手に取った。おみくじの横にはお金を入れる筒があり、自分たちで勝手に引く形式になっている。
 引いた番号のおみくじを出して読んでみれば……。
「見て見て、ワタシの『おっかない恐』だって。面白いね〜」
「ワタシのは『中凶』。これって凶よりいいの、悪いの?」
 よく分からないけれど悪いのには違いないと、ミレイユは速攻でおみくじを木の枝に縛り付けた。そのすぐ横では、シェイドが今年も苦労しそうですねと遠い目で、デューイは淡々と、同様におみくじを縛っている。結果は推して知るべしだ。
「気を取り直して、うちに来ない〜? レイが作ったおせち料理をみんなで食べたいな〜」
 悪いことは忘れてしまおうと、蒼はミレイユたちを誘う。おせちを食べて騒いだら、きっと気分も晴れるはず。
 それなら、と一行は社を後にした。けれど。
 ……何かが聞こえる……地響きのような……。
 次の瞬間、レイが蒼を抱えて右に飛び、シェイドとデューイがミレイユを抱えて左に飛び退いた。さっきまで2人が歩いていた場所を、ごろごろと大玉が転がってゆく。
 蒼とミレイユは無事だけれど、レイは鳥居に激突、シェイドとデューイ藪に突っ込んで枝にあちこちを引っかかれる羽目に。
「……なんだか厭な予感がしますな」
 後ろを振り返らないように気をつけて、レイは鳥居にぶつかった肩に手をやった。社から離れて行っているはずなのに、澱んだ気配はなおも濃厚についてくる。
「レイさんのおせち食べるまで、無事でいたいよ〜」
 ミレイユは既に涙目になっているが、シェイドは何か悟った顔をしていて動揺はない。苦労なんてもう慣れっこなのだ。デューイもまったく動じず、冷静に枝屑を払っている。
 その後も何度も不運にみまわれはしたけれど……何とか無事に蒼の家にたどり着いた5人は、その不運を肴に笑いあっておせちを食べたのだった。


 本殿の混雑を避け、摂末社を巡っていたアリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)は、貧乏社に漂う饐えた空気に眉を顰めた。社はどこもかも煤け、埃が積もっている。
「掃除が行き届いてないから、空気が澱んでいるのね」
 布紅のことを知らないアリアはこの原因は掃除不足にあると見て、そこらの箒を手に取った。
「新年早々大掃除も乙なものね」
 ハウスキーパーの能力を使っててきぱきと掃除に取りかかる。埃を払ってゴミを纏めて、さっぱりと掃除をすれば、気分もすっきり。
 だが社の空気は一向に清浄にはならなかった。澱んだ空気は埃を運び、掃除したばかりの社に積もらせてゆく。不思議に思ったアリアは社の中を覗き込んでみた。
 そこには膝を抱えて俯いた着物姿の貧乏神が1人。そこからどんよりとした気配が漂ってきている。
「そっか……ここ疫神を奉っていたのね」
 それでもアリアは気にせず参拝することにした。2019年は野球拳をやらされたり、腕の骨を折られたりで散々だったけれど、どれも神様の所為じゃない。
「みんなが笑顔でいられますように。みんなの笑顔を守れる私でありますように」
 アリアの初詣は御利益を貰う為ではなく、今年の宣誓を行う儀式のようなもの。今年も負けずに頑張るから、見ていて下さいと誓う。
 参拝を終えて帰りかけたアリアは、ふと気になってもう一度社の中を覗いた。疫神として、参拝客に怨嗟をぶつけられることはないのだろうか。そう思うと可哀想になってくる。
「赦します」
 そう呼びかけると、貧乏神は怪訝な顔を表に向けた。ぼんやりと暗い目をしている貧乏神にアリアは続ける。
「私これでも『神』の肩書き持ってますからね。人の身では神を赦せないのなら、私が赦しましょう。だから貴方も赦してあげて。人は弱いから、ちょっとの幸せでも嬉しいし、嫌なことがあったら誰かのせいにしてしまうものなの」
 アリアの言葉に貧乏神はわずかに首を傾げ、そしてまた顔を伏せた。膝を抱え、一人きりの物思いの奥底へと。


 ……私なんか。
 布紅の吐いた溜息は、暗い翳りを帯びて周囲にわだかまる。
 ……どうせ。
 布紅の呟いた諦めの言葉は、重く垂れ地を這うように流れ出る。
 福を貧に変え、祝を忌に変えながら。


 だが、そんな布紅の力をこそ必要としている組織も存在した。
「今回は空京神社に向かってもらう」
 耳に当てた携帯端末型機晶姫、小型 大首領様(こがた・だいしゅりょうさま)から聞こえてくる声に、景山 悪徒(かげやま・あくと)は真剣に聴き入っていた。
「どうやら空京神社には、お参りすればその瘴気によって不幸と貧乏が襲いかかるといわれる、布紅という名の貧乏神が棲みついているらしい……こんなに素晴らしい力を持った神がいるのであれば、是非とも我が組織に入社させねばならぬと思わないかね?」
 悪の秘密結社『ダイアーク』にとっては有用な人材、いや、神材である、と説くその指示には賛同できた悪徒だったが、
「あと、ロリの神様だったら最高だよね!」
 その一言を耳にした途端、小型大首領様の電源は悪徒の指先ひとつですみやかにオフされた。
 それでも命を果たす為、悪徒は貧乏社へと赴いた。ずかずかと社の中に上がり込むと、ぽつんと座っている布紅に盛大に挨拶した。
「俺の名は景山悪徒。またの名をファントムアクト。秘密結社『ダイアーク』の怪人をしている」
 布紅は弾かれたように顔を起こすと、一体何事かと悪徒を見上げた。
「周りが御利益をもたらす中、自分だけが貧乏神と蔑まれる日々……『どうして自分だけ……』と思ったこともあっただろう。だがそれは違う! 逆に考えるんだ。それは君にしか持てなかった素晴らしい能力だと! 君のその貧乏神としての能力、我らが偉大なる組織に役立ててみないか?」
「貧乏、神……?」
 布紅はゆっくりと繰り返した後、はっとしたように腕を持ち上げた。腕の裏表、身体の左右に忙しく目を走らせた後、口元を手で押さえる。
「そんな、まさか……」
 その手をがっしりと掴み、悪徒は社の外に目をやった。
「参拝客が来たようだな。丁度いい。君の力を見せてもらおうではないか!」

 参拝客、と悪徒は言ったが、実はまったく違っていた。
 新年からもちろん白塗り悪魔メイクにヘビメタ衣装、ロンドンブーツにトゲトゲショルダー。だが今の仏滅 サンダー明彦(ぶつめつ・さんだーあきひこ)にはいつもの勢いはない。
「あぁ、どうにか年が越せた……」
 勢いだけでなく、家もない、金もない、食べるものさえない。空京神社の本殿で乱れ飛ぶ賽銭を目撃し、投げ捨てる金があるならくれ、と特攻したものの放り出され。金と食料を求めて貧乏社まで流れて来たのだ。
「おっ、あそこにもあるじゃねえか!」
 貧乏社の賽銭箱を目にした途端、瀕死だった明彦の目に光が宿った。本殿よりは随分小ぶりだが、小さいつづらには良いものが詰まってると相場は決まっている。
 明彦が賽銭箱目指して足を踏み出し……た途端。
 バリバリメリメリと派手な音を立てて朽ちた鳥居が崩壊し、明彦めがけて倒れてきた。柱が直撃し、尖った木くずが降り注ぐ。
「ぐはぁぁぁぁっ!」
 明彦の鍛えられた声が、木々の間に木霊する。
 だが明彦は怯むことなく鳥居の瓦礫の中から這い出すと、今度は匍匐前進で社への接近を図った。
 賽銭泥棒へのバチなのかそれとも貧乏神の力なのか。じりじりと進む明彦の背を、イノシシ親子が仲良く連続で踏みながら参道を横切ってゆく。しかし明彦はくじけない。
「さぁ、却って燃えてきました! だぜぇー!」
 遂には賽銭箱へと到達した明彦だったが、そこに人のやってくる気配が。明彦は賽銭箱の裏側に身を潜めた。

「やっぱ思った通りだぜ。どんな有名な神社だって穴場はあるもんだ」
 混雑を避け、貧乏社へとやってきたのは国頭 武尊(くにがみ・たける)。新年だからと初詣には来てみたけれど、普段神仏に尊崇の念を抱いているわけでもない。祈る相手が天照大神だろうと、摂末社に祀られている誰かさんだろうと、そんなことは構やしない。
 祈ることは、もう既に決めてある。
『願わくば、我に七難八苦を与えたまえ』――だ。七難八苦ではなくて、艱難辛苦だったような気もするが……。
「こまれぇこたぁいいんだよ!」
 昨年の自分自身の言動……そのへたれ具合を鑑みれば、今の自分に必要なのは、困難に打ち勝つぐらいの強さだ。七難八苦艱難辛苦苦行難行天歩艱難なんでもござれの心意気があってこそ、飛躍も出来ようというものだ。
 願いをこめて賽銭を投入し、作法に則っての参拝……あれ?
 賽銭の立てる音がしないのに気づいて、武尊は閉じかけた目を開けた。賽銭箱の上にはにゅっと伸びた腕。その手に握りしめられているものこそ、武尊の投げたはずの賽銭ではないか。
「てめぇ……賽銭ドロボー!」
 がしっと掴んだ腕を辿れば……どこかで見た白塗りの顔。
 掴んだ武尊も驚いたが掴まれた明彦も驚いた。固まること数秒。
 一瞬先に我に返った明彦が逃げれば、武尊がそれを追う。社の奥の杜深く分け入っていく2人を、うなり声をあげるナニカもまた追って行く――!

「そっちは危ないです……!」
 呆然として2人の様子を見ていた布紅は社から飛び出した。その肩に悪徒が手を掛ける。
「他者を貧乏と不幸に陥れる素晴らしき力! その貧乏神の力をもってして、我らと共に人々と神々共に不幸を与えようではないか! まずは本殿に集う愚かしき者共へ、君の力を存分に見せつけに行くのだ!」
 強引に誘導しようとする悪徒に、布紅はじたばたと抵抗した。
「あの、私、そんな……」
「さあ行こう! 大首領様もお待ちかねだ。……ぬ?」
 布紅のささやかな抵抗などものともせずに連行しようとした悪徒だったが、またもや誰かがこちらにやってくる気配を感じた。寂れた神社のわりには、迷い込んでくる者が多い。秘密結社の怪人であることを見られてはならない悪徒は、また来ると言い残し、姿を隠した。
 訳の分からない事態から脱して、布紅はほっと息を吐いた。これでまた静かに己の物思いに耽ることが出来る。どうして、と呟き続けることは重苦しいけれど、その繰り返しの中に留まっていれば、己の根本的な問題に直面しなくて済むのだから……。
 この騒ぎで一旦覚醒した布紅の意識は、再び薄暗いぼんやりとした思索へと戻って行く。社に戻って休もうと布紅は踵を返したが、その背に金住 健勝(かなずみ・けんしょう)が呼びかけた。
「あなたが貧乏神殿でありますか?」
 布紅は即答出来なかった。
 自分は貧乏神なのだろうか……さっきの人はそう言ったし、それからの出来事を見てもそんな気がする……けれど、そう断言するには迷いがある。さりとて、福の神と名乗る勇気はなかった。そう名乗るのは、自分の無力さを思い知らされることと同一であったから。
 直立不動で答えを待つ健勝は紋付袴姿。その隣で何が始まるのかと見守っているレジーナ・アラトリウス(れじーな・あらとりうす)は簪をさした日本髪と晴れ着がよく似合っている。ならばこの2人は初詣の参拝客なのだろう、と布紅は判断した。
 叶えられない願い事をされるくらいなら、貧乏神と蔑まれる方が気が楽だろう。そうして彼らが立ち去れば、また静かに膝を抱えていられる。そう思った布紅は、健勝の問いに肯いた。
「多分……そうなんじゃないかと」
 だがそれを聞いた健勝の反応は、布紅が想像したのとは違っていた。
「おお、それはよかったであります!」
 嬉々として答えると、荷物から野球のバットを取り出した。
「地球にも貧乏神の有名な神社があるそうであります。そこでは御神体を殴ったり蹴ったりして、厄を追い落とすらしいであります。御神体でなく本物ならさぞや効き目も抜群に違いないであります! では早速……」
「……?」
 言われていることが理解できずきょとんとしている布紅へと、健勝はバットを振り上げた。
「今年もいいことありますように!」
「ふゃ……っ!」
 布紅が声にならない悲鳴をあげてしゃがみ込んだ。
 ゴギッ!
 聞くに堪えない重い音、そしてどさりと何かが倒れる音がした……。
「ちょっと健勝さん! 神様に何てことするんですか!」
 怒りの声を挙げたのはレジーナだった。布紅に申し訳なさそうに頭を下げて謝罪する。
「ごめんなさい、怖い思いをさせてしまって……。あ、この人に早速不幸を与えていいですから。さ、遠慮無くやっちゃってください」
 この人、とレジーナは健勝を指したけれど、布紅はおどおどと首を振った。
「不幸……もうすでに十分受けてるように見えますけど……その方の首、あり得ない角度に曲がってませ、ん……?」
「まさかそんな……ああっ、どうしましょう!」
 やりすぎましたか、とレジーナは俯せに倒れている健勝を揺さぶった。がくがくと首がいやに揺れる。神様に手を挙げるなんて、とレジーナが反射的に健勝の後頭部に入れたエルボーは、実に強烈だったようだ。
 レジーナに介抱される健勝に、お大事にと呟いて、布紅は社に逃げ戻った。


 それからしばし。
 健勝がレジーナに支えられて帰っていったのを確認すると、布紅は疲れた溜息をついて社に座り込んだ。最近にないこの賑やかさは初詣の所為だろうか。次々に起きる出来事に翻弄されて、おちおち落ち込んでもいられない。
 社が静かになっても、さあ落ち込もうという気分になれず、布紅は社から外を覗いた。
 いつの間にこの社はこんなに寂れてしまったんだろう。こんなに饐えた臭いがするようになってしまったんだろう。しばらくぶりにそんなことを考えていたそこに、また来訪者がやってきた。
 布紅は急いで奥に下がったのだが、そのときにはもう弥涼 総司(いすず・そうじ)に見つけられてしまっていた。
「お前がここの主か? 邪魔するぜ、ちょっとかくまってくれよな」
 布紅の答えを待たず、総司は社に上がり込んだ。
「ここの神社の巫女さんの胸は反則だな」
 あれを見ていたら誰だって……と言う総司から布紅は後退りして離れた。
「私に近づかない方がいいです」
「んなに警戒しなくっても大丈夫だぜ」
 笑う総司に、そうじゃなくて、と布紅は俯いた。
「貧乏が移ります。私、貧乏神みたいですから……」
 そう言われてみれば、周囲に漂う瘴気も社の佇まいも尋常ではない。その瘴気の所為で人が寄ってこないのは、逃亡中の総司には有り難くもあったのだが、暗い目をしている布紅のことが気に掛かる。
 口の重い布紅から、こうなった経緯らしきものを聞いたりするうちに、なんとかしてやりたいとも思うようになったのだが、どうしてやればいいのか分からない。そのうちに社の周囲には人が集まり始め、話し声や社を窺う様子も出て来た為に、総司は腰を上げるしかなくなった。裏口から出て行く前に、これだけはと言い置く。
「表に集まっている連中は、お前をなんとかしてやろうと思ってるヤツのようだぜ。お前も神様だってなら、その期待に応えてみろよな。……あとな、小さな幸せってのは案外小さくないもんなんだぜ。じゃあな!」
 社を出て走り出せば、たちまち追っ手に見つかった。そして勿論……貧乏神に関わった当然の結末として、総司はぼこぼこに仕置きされたのだった――。