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絵本図書館ミルム  ~番外編~

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絵本図書館ミルム  ~番外編~

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 第5章 文字の教室
 
 
 地球、それも日本に生まれた皆川 陽(みなかわ・よう)にとって、余程小さな子供でなければ文字は読めるのが当然で、子供が勉強させてもらえるのも当たり前のこと。当たり前すぎて、勉強なんてしたくない、と言いながら学校に通う子供も多い。
 そして勉強が出来れば、立派な会社に入って稼げる可能性だってある。だから、ラテルで知った社会構造には純粋に驚いた。
 一生をほとんど文字に触れずに過ごす人も多く、大抵の者は家の仕事を継ぐか身近な処での仕事につく。狭い狭い世界。
「文字を学ぶことによって、社会で成功する可能性もでてくるんじゃないかなぁ」
 それを手伝えたら、とは思うのだが……陽はシャンバラ語は苦手で人に教えるどころではない。
 契約によって、多くの地球人はシャンバラ語を読み書き出来るようになる。と同時に、母国語でない地球語もなんとなく使えるようになる。地球人と契約したパラミタ人も同様だ。
 けれど、人には向き不向きがあるもので、陽のようにシャンバラ語の読み書きに苦戦する者もいる。そうなるとシャンバラ語で行われる学園の授業についていくのも大変だ。だから、ミルム図書館でシャンバラ語の文字教室があると聞き、自分も教えてもらおうとやってきたのだった。
 幸い、先生役を引き受けてくれた者は多い。
「みんな、よろしくお願いね」
 ミニ寺子屋『文字教室』を提唱した早川 あゆみ(はやかわ・あゆみ)は、協力を申し出てくれた皆に挨拶をして廻った。そのついでに、と昔ピアノ教室をやっていた頃に、順番待ちの子供たちの為に置いていた絵本を寄贈しに、カウンターに寄る。とそこには、サリチェと談笑している白鞘 琴子(しらさや・ことこ)の姿があった。
「あ、白鞘先生。よろしくお願いしますね」
「いいえ、こちらこそ。早川先生が素敵な企画を立てられたとお聞きしたので、ぜひ手伝わせていただきたいと参りましたの。あら、その絵本は……?」
「マイナーな昔話が多いんだけれど、子供たちに見てもらえたらと思って」
 あゆみが絵本の背表紙を見せると、琴子は目を細めた。
「懐かしいお話ですわね。シャンバラの子供たちが読めないのが残念ですわ。寄贈される地球産の絵本も日本のものが多いようですし、せめて日本語だけでも読めるようになると、地球のことも分かっていただけるでしょうに」
 琴子は残念そうに言った後、
「その昔話、後で借りさせていただきますわね。久しぶりに読みたくなりましたの」
 とあゆみの持つ絵本をさして微笑んだ。
 
 
 文字教室は子供たちの年齢や段階にあわせ、クラスを分けて行われた。
「文房具を持ってない子は手をあげてー」
 メメント モリー(めめんと・もりー)は蒼空学園や空京で買ってきた画用紙やわら半紙、クレヨンやペンを子供たちに貸し与えた。そういう類の物ですらラテルではあまり売っていない。それだけ『書く』ということが身近でないのだろう。
「じゃあまず、文字をおぼえましょうね」
 あゆみは文字の表を広げた。ただ文字を書くのではなく、その文字にちなんだ絵の一部を文字にして、遊び心をいれてある。日本語でたとえるなら、しゃもじの絵の一部を太くして、『し』の文字を作るように。
 子供たちはその表をみて、あゆみがさす文字を書く。大きくてゆがんだ文字……けれど、紙の上に記した文字を見る子供の目は輝いている。
「あ、あれ?」
 子供に交じって文字を練習しながら、陽は首をひねった。シャンバラの文字は日本語とは勝手が違い、どうもうまく書けない。ここは、連れてきたパートナーが頼りとばかりに、テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)に尋ねてみるけれど。
「……これってあの文字なのか? まじで? ……随分変わったんだな……」
 シャンバラ人のはずのテディがやたりと頼りない。
「キミってやっぱり……ちょっとあほ……いや」
 テディを見て言いかけた言葉を、陽はげふげふと咳き込んで。
「一緒に勉強できて嬉しい、うん」
 と締めて誤魔化したけれど、それはしっかりテディの耳に届いており。
「ぼ、僕は別にあほじゃないぞ! 字だってちゃんと読める! ホントだぞ!」
 テディはむきになって言い返したが、実際、彼の出自は騎士階級。読み書き教育もちゃんと受けている。ただ……時間というのは時に残酷で。
「……古代シャンバラ文字ならね」
 それでも、契約をすれば古代シャンバラ人のほとんどは、現代シャンバラ語の読み書きが可能になるのだが……この辺りはやはり、陽と似たもの同士、という処か。
「ここのカーブが逆になってるわ。こう書いて、こっち……ね、ちゃんとした文字になったでしょ?」
 ラテルの子供より余程手が掛かる陽とテディを2人並べて、あゆみは根気よく文字を指導した。こうして誰かに何かを教えることは、あゆみにとって自然な行為だ。
 ある程度子供たちが文字をおぼえると、今度はモリーが画用紙に描いた絵を掲げる。
「これなぁに? 書けるかなっ」
 一斉に書き出した子供たちに囲まれて、陽は焦る。
「え、え、えっ……みんなもう書けるんだ」
「ぬぬ……古代文字で書いてはいけないか」
 その隣でテディもまた、頭を抱えるのだった。
 
 
 ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)が使うのは色々な単語の絵を描いて、そこにパラミタと地球の文字を書いた紙芝居のような手作りの教材だ。
「絵に描いてあるもの、分かるかな〜?」
 子供たちの前に絵を出すと、ヴァーナーは歌い始めた。
「♪ パパ、ママ、おじいちゃん、おばあちゃん♪」
 1つ1つの絵を示しては、そのものの名前を歌う。
 笑顔、怒った顔、泣いた顔……という表情を描いたもの。あるいは、犬、猫、馬、象……のような動物たち。走る、歩く、座る……という動作。
 同じグループをまとめて見せて、まずは文字を絵柄としてでもいいから読めるようになるようにと、ヴァーナーは歌で教えていった。
 ヴァーナーの歌にあわせて、子供も声を揃える。
「♪ いぬ、ねこ、うま、ぞう、くま、きつね♪」
 文法とか、言語にはいろいろなルールがあるけれど、そういうものは後回し。楽しく歌って単語のお勉強。
 絵本の絵をながめているだけだった子が単語が読めるようになれば、もっと絵本の雰囲気が分かるようになる。分かるようになれば、もっと読んでみたくなる。
 そうして色々な話を読んで、色々な大切なことを知って。子供たちの世界が広がってくれるといい。
「♪ 好き、嫌い、大好き♪」
「♪ すき、きらい、だいすっきー♪」
「♪ 大好きーっ♪」
 ヴァーナーが歌いながら近くにいた子を抱きしめると、きゃあきゃあと子供たちから歓声が挙がった。
 
 
「オラ、子供たち集まれ〜」
 久途 侘助(くず・わびすけ)は子供たちを集めて絵本を開いた。読み聞かせをする中で、少しずつ単語を覚えて貰おうという計画だ。
「え、えぇと……絵本を読みたい子たちはこっちへおいで……」
 侘助を手伝いに来ているものの、芥 未実(あくた・みみ)はどこか逃げ腰だ。
「子供は強くて、弱いから……苦手なんだよ」
 幼い頃に家族を失った未実は子供が怖い。それを侘助は大丈夫だと励ました。
「心配しなくていい。お前は誰かを守れる力を持ってるし、子供たちも強い。昔みたいなことはないさ」
「そうは言うけど……えぇと、く、久途?」
 まだ侘助をどう呼ぶか決めかねている未実は呼びにくそうにその名を口にする。けれど、反論するより先に子供たちが集まってきてしまい、その先は言えなかった。
「さあ、読むからな。指さしてる文字をよく見てるんだぞ。頑張った分だけ飴玉用意してるから、頑張ろうな」
 はっきりと発音して、侘助は絵本を読んでいった。未実も不安ながらに協力し、読み聞かせをしてる間に喧嘩しだした子供に注意する。
「こらそこ暴れない!」
 けれど、叱られた子供が泣き出すと、もう持て余してしまう。
「あぁ、ごめんよ、泣かないでおくれ」
 おろおろする未実を見かねて、侘助がその子らの間に入った。
「何があったんだ? 話してみないとわからないぞ?」
 そう尋ねると、子供は互いを指さして主張する。
「だってあの子が髪の毛引っ張ったから」
「呼んでも返事しないからだろ!」
「お話聞いてるんだもん」
「こっちだって用があるんだよ!」
 子供の話を聞いた後、侘助は2人の手を繋がせた。
「こういう行き違いがあった時は、2人してごめんなさいして握手するんだ。それで仲直り、な」
 子供たちはしぶしぶ手を繋いで握手をし、ごめんなさいと言い合った。まだふくれっつらをしているけれど、その子供たちが元のようにまた並んで座るのを眺め、未実はほっと息を吐いた。
 
 
「図書館長、簡単な詩の絵本はないだろうか」
 林田 樹(はやしだ・いつき)に言われたサリチェは聞き慣れない呼ばれ方に一瞬きょとんとした後、該当するのは自分しかいないと気づいて慌てて返事をした。
「は、はい。えっと、何?」
「子供がなぞり書きして学べる教材にする為の、詩の絵本が知りたいんだ」
「それなら……」
 サリチェが探して持ってきた絵本から、樹は雪の詩を選んだ。それを林田 コタロー(はやしだ・こたろう)に渡し、この詩でなぞり書きのプリントを作ってくれるよう頼んだ。
「コタローは教導団情報科所属だからな。こういうのは向いているだろう」
「う。こた、きょーのーなんのじょーほーかで、ぱしょこんじょーずになったお。ぷいんと、つくるお」
 樹に任されたのが嬉しくて、コタローは張り切った。
「うきのおはにゃしらから、うきだうまさんのえ、いれるおー」
 プリントの隅には雪だるまのイラストを入れ、なぞり書きする文字の部分は薄いグレーで。
「じにゃは、なにつくってるお?」
「文字表ですよ。一覧にすると見やすいでしょう?」
 ジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)はシャンバラ文字を1つずつ表にしたものの横に、その文字を頭文字にしたものの絵を描いていた。
「先生も文字表を作っていたようだから、それと絵が重ならないようにしておいてくれよ。別々のもので教えた方が効果的だろうからな」
「はい。では早川様に確認してきます」
 そうやって作った教材を使って、樹は子供たちに文字を教えた。筆記用具を買い足して、プリントと一緒に配り、なぞり書きをさせる。
「焦らず、ゆっくり字をなぞるといい。……そう、上手だ」
「とても丁寧だね。その調子で全部なぞったら、綺麗な詩ができるよ」
 緒方 章(おがた・あきら)も樹を手伝い指導する。コタローは子供たちに負けじと文字をなぞった。
 ジーナの方は、貼りだした文字表の前に待機して、表を見に来た子供に1つ1つ文字を教える。
「これが、『あめ』という文字ですよ。あめを見たら、この文字を思い出してください」
 1つ1つ覚えていくには、単語の数は膨大だ。けれど、覚えた1つはまた別の単語に結びついて、文字の世界を広げていってくれるはずだ。
「出来たかな? じゃあみんなで一緒に読もうね」
 子供たちが詩を書き終えたのを見計らい、章はそれを読ませた。
 
 ――ゆきがふる ゆきがふる ここにも そこにも むこうにも
 ――ゆきがふる ゆきがふる やまにも いけにも ぼくらにも
 ――ゆきはきれいをつくる ゆきはきたないをかくす
 ――ゆきがふる ゆきがふる あたまに りょうてに こころのなかに
 
「うきらふう うきらふう ここにお そこにお むこーにお」
 子供たちが読む中に、ちょっと外れたコタローの声も混ざっている。
「次はタケノコ読み。読みたい人が1文ずつ立って読むんだよ」
 そんな章の堂に入った教えぶりを、ジーナはからかった。
「……鼻血出すしか能がないかと思っていましたよ、あんころ餅」
 からかわれた章は笑顔で返す。
「医者をやっていたんでね。教育の大切さはよく知っているのさ。それに、知る喜びはすべての子供たちに平等にあるべきことだろう?」
 ラテルの街にそういう仕組みがないのなら、自分たちが作っていけば良い。地球とパラミタに交流が起きたその先は、きっとそういう未来に繋がる道だから。
 
 
 そんな文字教室の隅に、何故か立っている着ぐるみ1体。
「一式、見回りしなくていいの?」
 ルーシーにつつかれても隼は動かず文字教室の見張りを続ける。
「か弱い女性を警護するのも、大事な警備です」
 着ぐるみごしで分からないけれど、隼の視線は文字を教えている琴子へと向いているのだった。
「今日は果物の名前を覚えましょうね」
 琴子は果物の絵を描いたフリップを出して見せた。そこにはシャンバラ語と日本語で、果物の名前が書いてある。
「り、ん、ご。はい、覚えた人は手を挙げてくださいましね」
 そうして果物の名前をいくつか教えた後、今度は文字だけのフリップを見せる。
「はい、これは何でしょう。分かる人ー」
 クイズのように、手を挙げた子供を指しては答えさせると、琴子は実際の絵本を何冊か広げた。シャンバラ語で書かれたもの、日本語で書かれたもの、どちらも果物がたくさんでてくる話だ。
「この本の中にはたくさん果物が隠れていますの。探してみて下さいまし」
 子供たちが一斉に絵本を覗き込み、果物の名前を探す。
「よーし、わかんねー字がある奴ぁ、周にーちゃんに何でも聞くんだぜ!」
 鈴木 周(すずき・しゅう)は大張り切りで琴子を手伝った。
(スラスラと子供の質問に答える俺を見れば、琴子ちゃんのハートはゲットだ!)
 そんな思惑で臨んでいたのだけれど。
「お兄ちゃん、これって果物の字?」
「え、こ、この文字……? あ、あれ?」
 シャンバラの絵本を前に、いきなりその計画はがらがらと崩れ……。
「ねーねー、そうなの?」
「あー、えーっと……こ、琴子ちゃーん! た、助けてくれっ!」
 あっという間にぺしゃんこになってしまった。
「先生のことをちゃん付けで呼んだりしては、いけませんわよ」
 琴子は笑いながら周をたしなめると、さっき使っていた教材をその子供に渡した。
「この中にあるかどうか、先生といっしょに探してみましょうね」
 俺も琴子ちゃんと一緒に探したい、と言いかけて周はさすがにそれはどうかと思いとどまった。教える役をするのは無理なようだから、代わりに子供たちの監督へと方向変換。
「ほらそこ、真面目にやらねーなら勉強なんてやめろよな。やりたいことをやってる方がいいぜ」
 絵本も見ずにふらふらしている子供に厳しく注意する。子供がびくっと竦むと、周は今度は口調をゆるめて説く。
「けどお前さ、絵本読みてぇんだろ? 目的があるんだったら頑張らないといけねーよ。俺も、意味がねーと思う授業はサボるけど、やりてー事に役立つ授業はちゃんとやってるんだぜ」
「意味がないのはさぼるの?」
「おーよ。でもまぁ、琴子ちゃんの授業はやりてー事に役立つってより、琴子ちゃん本人が目的だったりするけどな。あ、これ琴子ちゃんにゃ内緒な」
 こっそりと目くばせして見せると、周は子供を促した。
「わかったら字ぃ覚えに行こうぜ。まぁ、俺もわかんねー字あるから一緒に、な」
 
 
 そして、文字教室の中にやたらと明るいお兄さんが1人。
「さあみんな、不思議な旅人のお話を読むからねっ」
 元気に子供を集めると、絵本を読み聞かせる。
 絵本の内容は、笑顔のなくなったとある村に現れた旅人が、自分が描いた絵本を通じて村に笑顔を取り戻していくというもの。
 謎があって魅力的な旅人だと思ってもらえるようにと、感情をたっぷりとこめた読み聞かせをしていると……。
「おや? そこの読み聞かせ人はもしや……」
 通りかかった樹が怪訝な顔を向けてきた。変装はしていても読み聞かせをする声は同じ。気づいてしまえば、メガネをコンタクトに変えていてもそれが如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)であると看破するのは難しくない。
「……しっ……俺のことは内緒にしてくれ」
 佑也は片手でおがむようにして樹に頼んだ。
 普段の物静かなふるまいでは、子供たちを緊張させてしまうかも知れないからと、佑也は明るいお兄さんキャラを装って文字教室に参加している。知り合いに見られると恥ずかしいからと、普段は着ない明るい派手目の服を着て、コンタクトを入れて変装してきたこの努力、無駄にされてしまうのは哀しい。
「そうか。ま、頑張れよ」
 樹が笑って行ってしまうと、佑也は素にもどりかけていた表情を『読み聞かせのお兄さん』へと切り替えて話の続きを語った。
「……そして村に笑顔が戻り、村人がお礼を言おうとしたときには、もう旅人の姿はありませんでした、とさ」
 最後まで語り終えると、佑也はそれじゃあ、と言いながら子供たちに便せんとペンを配った。
「みんなで旅人さんに手紙を書いてみよっか? だいじょうぶ。書きたいことを言ってくれれば、お兄さんが文字を教えてあげるからねっ」
 目的を持たせれば、文字を書きたいという気持ちも生まれるだろうからと、佑也は便せんを前に書きあぐねている子供たちの間を廻った。貰った手紙の返事は後日、自分が旅人になりきって子供たちに返すつもりだ。
「あのね、村の人のかわりに、ありがとう、ってお手紙したいの」
「よぉし、じゃあ『ありがとう』という字を覚えようね。こっちに書くから真似してくれよっ」
 テンション高く子供たちに対応しながら、佑也はちらりと思う。
(……俺、今晩あたり、熱を出すかも知れないな……)
 
 
 ラテルの街では識字率がかなり低い。そう耳にした金住 健勝(かなずみ・けんしょう)はここは一肌脱がねばならないと、教育係に名乗りを挙げた。
「教育はとても大事であります。読み書きをどう覚えたのか、自分は記憶にありませんが、とにかくやってみるであります!」
 ごく普通に、書き取り練習帳を用意して子供たちにやらせようとする健勝を、レジーナ・アラトリウス(れじーな・あらとりうす)がちょっと待って下さい、と止めた。
「単に文字を書く練習だけじゃつまらないですから、途中で飽きてしまう子が出てしまうかもしれません」
「練習に面白いもつまらないもないのであります。鍛錬の為に必要な練習であれば、ひたすらに取り組むべきなのであります」
「……健勝さんはそうなのでしょうけれど、子供は面白くなければ練習をやめてしまいます。文字を教えてあげるなら、子供が飽きずにできるものを考えなくては」
 レジーナも子供の面倒なんて見たことはないのだけれど、健勝の感覚よりもましだろうと説明する。
「そうなのでありますか? ではどうすれば子供は飽きずに続けられるでありますか?」
「えっと……たとえば、文字盤のようなものを並び替えて楽しく遊んで学べるようにするとか」
「では文字盤を作るであります!」
 方針変更は速やかに。健勝とレジーナは子供が手に持てる大きさに切った木材に、シャンバラ文字を1文字ずつ書いた文字盤をたくさんと、色々な写真を用意した。
 文字の基本を知らない子供ではなく、ある程度文字が読めるようになった子や、今までやっていた勉強に飽きてきた頃の子供を集めると、健勝は写真を高く掲げた。
「これは何でありますか?」
「帽子〜」
「その通りであります。ではこれを使って、帽子という単語を作ってみるであります!」
 文字盤を渡し、そこから求める文字を探して組み立てさせる。
「こらっ。それは大事な勉強道具だからおもちゃにしないの!」
 レジーナはガラガラとただ音を立てて遊んでいるだけの子は叱り、うまく単語を作れない子供にヒントを出して手助けした。
「帽子の最初の文字はね、これ」
 それに慣れてくると、今度は文字を組み合わせて自由に言葉を作らせて遊ばせた。子供たちは文字盤を掻き回し、目指す文字を探しては並べてゆく。いくつ作れるか競争したり、長く繋げたり。
 最初のうちは慣れない子供の相手をすることに緊張していたレジーナも、楽しそうに文字盤に取り組む子供たちの姿に、笑みをこぼした。
「ふふ……子供の世話って大変だけど、とっても楽しいですね」
「はっ、その通りであります」
「ありますぅー」
 答えた健勝の語尾を子供たちが復唱した。
 
 
 たくさんの子供が集まって勉強していると、どうしてもその輪に入れない子供も出てくる。どこの教室にも加われずにぽつんとしている子を見つけて、アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)は声を掛けた。
「お姉ちゃんとお勉強しようか?」
 子供を膝の上に乗せて、一緒に絵本を読む。
「む か し、む か し、あ る と こ ろ に」
 アリアはゆっくりと読み進め、絵本の中に出てくる家族の言葉、『おとうさん』『おかあさん』『おにいちゃん』等だけにフォーカスを当てて、教えてゆく。
 1冊を読み終える頃には、
「そしていつまでも……ぐすっ……幸せに、くらしました……ぐすん……めでっ、めでたし……」
 感動させるつもりが自分の方が入り込んでしまい、涙まじりの読み聞かせ。
「お姉ちゃん、泣かないで……」
 反対に子供から慰められてしまう始末。
「ご、ごめんね……じゃあ今度は書く方のお勉強をしようか」
 アリアはごしごしと涙を拭くと、さっき絵本を読むときにフォーカスしておいた、家族に関する言葉を指して、子供に書いてもらう。
「難しいかな。こうやって……」
 書きあぐねる子供の手に手を重ねて、一緒に文字を書く。
「そうそう、上手だね! 今度は1人で書けるかな」
 子供が書いた紙はおみやげにと畳んで渡す。家に帰って家族に見せたら、きっと喜んでくれるだろうと思うから。
「だいぶ出来るようになったね。みんなと一緒にお勉強してみる?」
 誘ってみたけれど、子供は顔を曇らせて首を振る。どうしたの、と聞いても哀しげな顔をするだけで理由は言わない。
「何があるのかは知らないけど、ゆっくり解決していけばいいよね」
 ここに来ている子供にも事情はいろいろあるのだろう。勉強するだけでなく、子供が一時休めるようなそんな場所であるようにと、アリアは優しく子供を抱きしめるのだった。
 
 
 たまにはいつも苦労をかけているパートナーを労るのもいいだろうと、朱 黎明(しゅ・れいめい)ネア・メヴァクト(ねあ・めう゛ぁくと)を絵本図書館へと連れてきた。絵本図書館ミルム通信を読んで以来、ネアがずっと行きたがっていたからだ。
「我輩をノケものにするのは許さんのだ!」
 と騒ぐので、朱 全忠(しゅ・ぜんちゅう)も一応連れて来た。絵本を読んでいるなら全忠も静かにしているだろうし、子供好きなネアならば図書館で遊ぶ子供たちを見るだけでも楽しく過ごすだろう。それをのんびりと見守る1日も悪くない。
 ……そんな軽い気持ちでやって来たのだが。
「皇帝だった我輩に絵本なぞ退屈過ぎるというものだ」
 全忠は絵本にすぐ飽きてしまい、ネアはといえばにっこりと。
「黎明様、ここでは文字教室が開かれているそうですわ。人手も必要だそうですので、わたくしもご協力します。黎明様もお手伝いして頂けますわね」
 そして……。
「何故こんな事に……」
 いつの間にか黎明は、文字教室が開かれている部屋へとやってくる羽目になっていたのだった。
 全忠は勉強している子供たちの間に入り、
「我輩は英霊で昔は皇帝だったのだ! 文字を書くくらい余裕なのだ! ふふふ、おぬしは文字が書けぬのか? 我輩が教えてやるのだ!」
 とばかりに文字を書いた。
「へんな字〜。間違ってるよ」
「なんだと? これが違うはずはないのだ! 何? おお、忘れておったのだ。シャンバラ語はこっちなのだ!」
 子供に指摘されてむきになった全忠だが、それが英霊となる前の過去に使用していた後梁で使用していた文字だと気づいて書き直す。
「我輩は複数の言語を操る故、こういうことも起きるのだ!」
 間違ってなお、態度を崩さない辺り、あっぱれというものだ。
 ネアは文字を習う子供に付き添っている保護者たちに、
「お父様、お母様方も育児でお疲れのことでしょう。こちらで温かい飲み物でもお召し上がりになりませんか」
 と紅茶を淹れてふるまった。そして、若輩者ではありますが、と前置きしてから、育児等の悩みがあればと保護者たちの相談を引き出す。
 すっかり場に馴染んでいる2人を眺めつつ、黎明は可能な限り部屋の隅の方へと移動し、時が経つのを待った。文字を学ぶ子らの目は純粋に澄んでいて、黎明にとっては眩しすぎた。あの目に、醜い自分の姿を映したくない。
 けれど……困ったような顔つきで机の上をただ眺めているだけの子供が目に入ると、黎明はじっとしていられなくなった。誰か手すきの者はいないか、と見渡してみたが、皆それぞれに忙しそうだ。
 黎明は出来るだけそっと子供に近づくと、怖がらせないようにと注意を払って話しかけた。
「……分からない処があるんですか?」
「じょうずに書けないの……」
 見れば、子供の手元のわら半紙に書かれているのは、手本の文字とは随分異なる歪な文字だった。うまく書けなくて苛々したのか、強く斜線で消されている文字もある。これまで筆記具を持ったこともない手にペンを握りこんで書いているのだから、うまく線が制御できるはずもない。
 だがどう教えたら良いものか……。
 途方に暮れかけた黎明は、ふと自分が子供だった頃を思い出した。今はもういない黎明の両親は、際限ない愛情を持って黎明に接してくれた。文字を最初に覚えた時も、両親はそばにいて……そうだ。
 黎明は子供を膝の上に乗せ、ペンを持つ手に自分の手を重ねた。そしてゆっくりと、子供の手に動きを教え込むように、文字を書く。遙かな昔、両親が黎明にそうしてくれたように。
 女性相手ならいくらでも気の利いた言葉を紡ぐことができるのに、膝に置いた子供にどう声をかけたらいいのかは分からず、黎明はほとんど無言だった。怖がられるかと思ったが、子供は無防備に黎明に手を預けている。
 握りこんだ子供の手は、大人のものよりもずっと熱く感じられた。
 そんな黎明に全忠は離れた処からにやりと笑みを向けたが、黎明はその視線にも気づかず、ひたすらに子供と一緒に文字に取り組むのだった。
 子供に文字を教えているのか、それとも子供から何かを教えられているのか。
 誰かに何かを教える教室は、誰かから何かを教えられる場所でもあるようだった――。