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来訪者と襲撃者と通りがかりのあの人と

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第4章 妄想は走る


 雪華は一人、ホテルに残っていた。
 芸に絡まない労力は使わない主義の彼女は、連絡係と称して残ったものの、一人ぼっちの部屋で退屈していた。
 誰もいなきゃコーヒーを頼める相手もいない。コーヒーを勝手に入れてやろうかとも思ったが、豆の在り処がわからない上に、カフェサーバーはバリスタ専用マシーンだった。
「ンなん、でけへんわい! これだから金持ちは……」
 雪華はテーブルをハリセンで引っ叩いた。
 ぱーん☆ と、小気味良い音が響いた。
 無駄に凝った造りのテーブルの美しさが憎らしい。
 内装が高級な喫茶店のように綺麗なだけに、目の前に茶の湯も無いのが異様に寂しさを増倍させていた。
 ツレがおったらなあ、ネタの仕込みでもと思うのだが、五月病にでもなったような、かったるさだ。
 ダルい・しんどい・帰りたいの三大逃避思考が、脳内でズンチャカちゃんちゃんと踊っているようで。ああ、ドアが呼んでいる。
「なんか買いに行きたくっても、だれもおらへんから動かれへんし。ルームサービスなんて頼んだこと無いわい! ホンマ、ムッカつくわぁ〜……ん?」
 ブツクサと文句を垂れたところで、呼び鈴を鳴らす音が聞こえた。
 顔を音の聞こえた方向に向けると、ドアの向こうの人間はノックした。
 雪華はドアに近付いて、防犯用の小さな覗き穴から見た。
 それはひっそりと立ち尽くす姿はおとなしい感じで、産業スパイのような雰囲気はない。
 一本の三つ編みに纏めた長い黒髪が背で揺れていた。女性だ。
「誰やねん」
 雪華は言った。
 ドアの向こうの人間は当たりを見回し、顔をドアに近づけて言った。
クロス・クロノス(くろす・くろのす)と言います。学校経由で連絡を受けまして……」
「学校?」
「あ……ご依頼人は薔薇の学舎の先生では?」
「ホンマもんやな、アンタ」
「ええ、お手伝いに来ました。シャンバラ教導団の者です」
 それだけ聞くと、雪華はドアを開けた。
「いや〜、助かったわぁ。話す人間おらんとかったるくってなぁ。でけることあらへんし。退屈やし。帰ろうかなあって思ぅとったところや」
「あら、そうですか」
「そうや。喉が渇いても、こんな大層なコーヒーマシーンなんか使うたことあらへんしな……って、クロちゃんって呼んでもええか?」
「あ、え? まあ、いいですよ。でも、コーヒーなら買いに行けばよかったでしょうに」
「そんなンなぁ〜、連絡係ってゆーて居残ったんやでえ。悪くって、でけへんし」
「まあ、そうでしょうね。それはそうとして、迷子さんは見つかりました?」
「いや、まだだし。産業スパイに狙われてるっちゅーことは聞いたけどな」
「ええ、こちらも学校経由で聞きましたよ」
 クロスは当たりを見回してから、次の言葉を続けた。
「皆さんは探しに行かれたようですね」
「せやなぁ〜。小一時間前やな、行ったの。クロちゃんは探しに行かへんのか?」
「そうですね。探すというより、産業スパイを捕まえた方が良さそうじゃありませんか」
「捕まえるンかいな?」
「そう思って来ましたけど、材料がなくって……」
「よし、よし、よーしっ! 買出し行くでーっ」
「はい?」
 相手が妙に元気になったことにクロスは吃驚して目を瞬いた。
 雪華は元気良く椅子から立ち上がる。
「早よ行こ。ほれ、行こ。私、クサクサしとったんやー」
「そうですか? じゃ、じゃあ……行きましょうか」
 クロスは雪華の勢いに押されつつ、ドアの外へ出ようとした。
 雪華もその後を追い、部屋に鍵をかけると外に出る。
 二人はすぐにあるコンビニに買出しに出た。買ったものは、男性用整髪料を適量。そして、おやつと缶ジュースだ。それらを買い込むと、二人は再びホテルに戻ってきた。
 クロスはキッチンにあったボウルと泡立て器を取り出し、テーブルの上に置く。
 雪華はポテチの袋をごそごそと開けた。
「なあ、ここって調理器具もあるんやなあ〜」
「こういうところのホテルには結構あるんですよ、最近」
「へえ。で、これで何すん?」
「トラップを作るんですよ。今、買ってきた整髪料……そう、粘り気のある液体状のが好ましいですね。それに白の絵の具を完全に混ざるまで混ぜる……」
「へえ、そうなんや」
 雪華はクロスの慣れた手つきに感心していた。ボウルの中のものは綺麗にかき混ぜられている。
 クロスは覗いている雪華に言った。
「できたものから、このペットボトルに入れてもらえますか?」
「よっしゃ、やったろ!」
 雪華は楽しげに手伝い始めた。
 ペットボトルにドロリとした白い整髪料を入れていく。
 何やら考え込むと、雪華は言った。
「なんか、こう……」
「はい?」
「やらしいでなぁ、これ。臭いし、ヨーグルトジュース色やし」
「まあ、白濁液というだけで、そんな……」
「はくだく!」
 雪華は叫んだ。
「まんまやんかー! うっわぁ〜、クロちゃんの意外な一面を見たわぁ」
 雪華はハリセンで自分の頭をペンッと叩いて笑った。
 何ともいえない表情だ。
 ヌメる白濁液に足を取られ、倒れる産業スパイの姿を想像して、二人は少し赤くなる。
 あっはん☆で、ウッフン♪な画像が、脳内を駆け巡った。
 産業スパイと言えば、スーツ!
 スーツと言えば、男のロマン。
 ……じゃあなかった、貴『腐』人(きふじん)のロマン。
 倒れる産業スパイ(美形)が、敵(こっちも美形)を見上げ、苦痛に満ちた表情で睨み返す。
 そこに白濁液! バッチグーなシチュエーション☆
 これがロマンでなくて、な・ん・で・あ・ろ・う・か!!
「ま、まあ。早う捕まえんとなあ」
「そっ、そうですね。では、準備もできましたし。行きましょうか」
 二人は少し俯きつつ、コソコソとそれを持った。
 ちょっとニヤけているのは、抜群に秘密だ。
 白濁の妖しい液を持った二人は、狭い道にトラップを仕掛けるため、そそくさとホテルを後にした。