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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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第一〇章 夢の中で・1


 曇天の薄暗い岩沙漠。
 その中に、椅子を並べて座っている者達の姿があった。
 正面に立てたイーゼルにスケッチブックを置き、一心不乱に鉛筆やチョークを走らせる。
 描いているのは、目前の――と思うくらいに巨大な男。まさしくそびえ立つ巨躯は、頭が雲の中に隠れていた。
 その一団の中、哄笑が響いた。
「うひゃっ、うひゃはははははっ!」
 奇声を上げ、正気を無くした風な笑い声を上げながら、浅葱 翡翠(あさぎ・ひすい)が手元に開いた豪華な装丁の本に、鉛筆を走らせていた。
「こらーっ! 翡翠! 何をされるのですか!? 本体を勝手に自由帳にしないで下さいませーっ!?」
 傍らの白乃 自由帳(しろの・じゆうちょう)が、ぽかぽかと翡翠の頭を叩く。
「うははははっ! 今の私を止められるものなどあろうか、いやない! この景色、この異形、世界の全てが私の何かを呼び起こす! 今こそ目覚めよ、眠れる私! うおおっ、芸術は爆発だーっ!」
 そう吼える翡翠だが、それが「振り」というのは自由帳にも分かっている。つきあいが長いというのもあるし、しっかり「超感覚」で黒猫の尻尾と耳を生やして周囲の気配をうかがっているのを見れば、彼が「正気」だというのは一目瞭然だ。
 が、いちばんよく分かるのは、すぐ近くにいるラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)との違いだった。
「……ふんぐるい むぐるなく ……」
などという呪文とも何ともつかぬ事をブツブツ呟きながら、意味不明な何かを書き散らすその姿はまさしく本当の……だ。
 あまり意味がないと思いつつ、翡翠の頭にヘッドロックをかけながら、自由帳は(これからどうしましょう)、と考えた。
 ――血まみれの巨人の絵を完成させたい。
 その衝動は、頭の中で渦巻いている。同時に、この衝動が自分の中から湧き出たのでない事も分かる。
(なら、完成条件は何なのでしょう?)
 考えても答えは出ない。
 哄笑が響く。翡翠のものではない。もっと遠くから聞こえてくるものだ。
 見ると、古い戦闘服と小銃を装備した歩兵の部隊が、駆け足でこちらに向かって来る所だった。
 迫る。
 迫る。
 ヘルメットの下の顔が見えた。
 餓鬼だ。
 日本の地獄絵や妖怪絵の類にある、眼をギョロリと剥いて、口が耳元まで裂けている化け物の姿だ。
 彼らは間近まで迫り――そしてその姿はすり抜けていく。
 虚像だった。あるいは、この世界の中では自分達が虚像なのだろうか。
 自分達をすり抜けていった言わば「餓鬼ソルジャー」達は、反対方向から迫ってきていた餓鬼ソルジャーの部隊とぶつかり、戦いを始めた。
 どちらかが全滅するまで――いや、どちらかが全滅しても、その戦いは終わらない。
 またどこかから別な餓鬼ソルジャーの部隊や、石の飛礫を吐く巨大なトカゲ――「岩山トカゲ」とでも呼ぼうか――の増援が来て、さらに戦いは激化していく。
(とりあえず、助けを待ちましょうか)
 遭難者ならば、救助者に見つけて貰いやすいようにすべきだろう。
 自由帳は「光術」を使い、頭上に灯りを作った。

 目前に天高くそびえるのは血まみれの巨人――「目前」とは言ったが、実際はどれだけ遠くにあるのか見当もつかない。
(夢の中だからかな、きっと)
 五月葉 終夏(さつきば・おりが)は、空飛ぶ箒にまたがりながら思った。近づこうとすればするほど、その分だけ遠ざかるように思えるのも気のせいではないかも知れない。
 同じような事は、距離だけではなく、「高さ」についても言えた。巨人の頭は垂れ込めた雲の中に隠れ、表情が見えない。確かめようと思って空を目指して飛んでも、おおよそ胸の辺りで上がれなくなる――上昇する感覚はあるのだが、胸から上に上がることができないのだ。眼を凝らしても、雲の中にある顔の輪郭さえ見て取れない。
 そして、雲の中から巨人が見ているであろう方向を見れば――
 虫ケラのように小さい餓鬼ソルジャー達が、あちこちで入り乱れて戦っている。戦場の中には岩山トカゲが入り込み、周囲に飛礫のブレスを吐き散らしている。上空では、サイズが大きいハーピーが入り乱れてやはり戦っている。同じ所をぐるぐると回り、もつれ合いながら戦う様は、確かドッグファイトと言ったか。
 夜でもなければ昼でもない荒野。目に入るのは岩と砂の大地、そして化け物達の戦う姿。
 ――修羅道。日本の仏教思想にある、地獄のイメージのひとつ。
 アルベール・ビュルーレは生前日本趣味に傾倒したと聞いた。確か、あの餓鬼ソルジャーも岩山トカゲも巨大ハーピーも、何かの作品にあった事物のはずだ。
 支離滅裂で脈絡がないように思えるこの風景も、アルベール・ビュルーレの精神世界の中と考えればある程度納得はいく。
 そうだ。自分は今、ビュルーレの絵の世界にいるのだ。
 でも、その世界がこんな――幻想的ではあるけれど、凄惨な世界だと言うのなら、画家の抱えていた闇や業は、どれほど深いものだったのだろうか。
 そして、あの巨人の体中の傷は――
 終夏は、少し意識が遠のいた。
 態勢が崩れ、箒の柄から体がずり落ちた。
 思い出す――先刻に、SPの限りを尽くし、「リカバリ」を用い、「幸せの歌」を歌った。
 歌は近くにハーピーが飛び回り、ギャアギャアと喚かれて歌いきることが出来なかった。
 「リカバリ」は、ある程度は効果があった。遠目にも、傷のひとつが癒されたように見えた。
 が、その時巨人の腕が動いたのだ。指先がふさがったばかりの傷口に食い込み、がり、と引っ掻いて傷を付け直した。
 その場面を目の当たりにした時、彼女はとても哀しかった。

「しっかりして」
 手が伸びて、終夏の腕をつかまえた。
 意識を取り戻した終夏は、慌てて態勢を立て直した。
「……えと、あなたは?」
 問われると、並んで空飛ぶ箒にまたがっていたその青年は会釈した。
「イルミンスールのフリードリッヒ・常磐(ふりーどりっひ・ときわ)って言うんだ。一度下りようか」
 フリードリッヒと共に、ひとまず終夏は地面に下りる。地に足を着けた瞬間、脚から力が抜けて座り込んでしまった。
「私は五月葉 終夏、同じイルミンスール。助けてくれてありがとう」
「消耗が激しいね。何があったの?」
「歌と、あと『リカバリ』を使って巨人を癒そうと思ったんだ。見ていてすごく痛そうだったから」
「……その発想はなかったなぁ。結果は?」
「何にもないよ。歌はハーピーに邪魔されるし、『リカバリ』で折角治した傷も、また新しく付け直すし」
「……癒されるのを拒む巨人、か。貴重な情報だ」
 ふむ、とフリードリッヒは腕組みをして唸った。
「……やっぱり探索も、ひとりだけだと限界があるか……」
「? どうしたの?」
「いや……この絵の中の世界に取り込まれたのは僕だけじゃないんだなって」
「そうだね。空飛んでいる時、下の方で動き回っている人影も何人か見たと思う」
「一度、みんなで集まりたいな。単独だと、この世界の全容が掴みきれない」
「そうだね……場所決めて、他の人達集めようか?」
「場所と言っても目印が……あ、一般の人達が集まっている場所があったね。そこに集まるようにしよう」
 フリードリッヒは終夏に「SPリチャージ」を用いると、「それじゃあ後で」と言って空飛ぶ箒にまたがった。

「うぅ……ぐす」
 火の付いたように泣きわめいていた岬 蓮(みさき・れん)は、やっと落ち着いたようだった。
 傍に付いていた芦原 郁乃(あはら・いくの)遠野 歌菜(とおの・かな)は顔を見合わせ、安堵の息をつく。
「大丈夫?」
 歌菜の問いに、蓮は頷いた。
「何だか……疲れた」
(あれだけ走り回ってればねぇ)
 無理もない、と郁乃は思った。
 蓮は餓鬼ソルジャーや岩山トカゲの入り乱れる戦場の中で、ひたすら走り回ったり「爆炎破」を乱発し続けていたのだ。が、「爆炎破」は全て空振りし、「バーストダッシュ」での突進も、餓鬼ソルジャーらの体をすり抜けた。
 疲労困憊し、戦場の中で腰を抜かしていた蓮を見つけ、ふたりで戦場から連れ出したのが30分程前(もしこの世界に「時間」というものがあればの話だが)。それから歌菜にしがみつき、延々と泣き続けていたのだ。
 まあ、それも落ち着いたというのなら――
(また探索を開始しようか)
 郁乃は数歩歩き、歌菜や蓮から距離を取ると、
「ビュルーレさぁん! どこですかぁっ!?」
と叫んだ。美術館で絵を模写していて、この異様な景色の中で気がついて以来、何度その名を呼んだだろうか。
 耳を澄ます。返事もなければ周囲に変化もない。これも、名を呼んだ数だけ繰り返した結果だった。
「……やっぱりピュルーレさんいないのかなぁ」
「見つけ出せるとしたら、別なフラグが必要みたいだね」
「あるいは、もう姿を現しているんだけど私達が気付いてないだけとか」
「……話をする気がない、ってのがありそうかなぁ。『絵を描きなさい』って電波だけは今も感じるんだけどね?」
(電波って……いや、確かにその通りなんだけど)
 郁乃は顔をしかめた。
「どう動いていいか分からないよ。完全に手詰まり」
「気合い入れて絵を描いてみるとか。郁乃は絵描くの得意なんでしょ?」
「歌菜に会う前に何枚か描いたよ。鉛筆画だと、あれ以上のクオリティは私には無理」
「……油絵とかで描かなきゃダメとか?」
「それだと手詰まりよりひどい、行き止まりって感じ……参ったな」
 こういう会話も、一時間程前に郁乃と歌菜が顔を合わせてから、何度繰り返しただろうか。で、毎回建設的な意見も出ず、「取り敢えずあちこち歩いて何か探してみようか」という結論に落ち着くのだ。
 が、今回ばかりは違った。
 いつもの結論が出る前に、彼方から「おーい」という声が聞こえてきた。
 空飛ぶ箒にまたがったフリードリッヒだった。