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第13章 海上最大のショウ

「……くそ。すっかり流されちまった」
 よっこらしょ。
 ひっくり返ったゴムボートを元に戻し、なんとか上に上がることに成功する。頭につけていたゴーグルをひっくり返すと、溜まっていた海水がジャーッと落ちた。
 エンジンの付いていないゴムボートはこういうところが難点だ。滑るように簡単に波に流される。
「亮司さん、正気ですか?」
 綾乃が、ちょっとビクビクしながら訊いた。ジュバルを突き落とし、沈む彼をケラケラ笑って見ていた亮司の姿はまだ記憶に新しい。あの亮司はすごく怖かった。彼を前にした敵は、多分ああいう気持ちになっているんだろう。
「あー……うん」
 亮司は罰の悪い思いをごまかすように、頭を掻きながら頷いた。
 チラ見して綾乃の反応を伺おうとする亮司はいつもの優しい亮司で、綾乃はほっと息をつく。
「一体何があったんですか?」
「いや、それがよく覚えてないんだよな。禁猟区で巨タコ探してて、でも1箇所にこうしてずっといると暑いなぁ、と思ってて、太陽に頭焼かれてるみたいだなぁ、とか、頭ジリジリするよなぁ、とか。そのうち頭がクラクラ、ボーッとしてきて、気分かこう、なんだかハイに…」
 亮司の説明を聞くうちに、綾乃はハッと閃いた。
「熱中症だわ! 今日は今年最高の真夏日だから!」
 (※熱中症(ねっちゅうしょう):体の中と外の「暑さ・熱さ」によって引き起こされる、さまざまな体や精神の不調。何かに熱中して起こる症状ではないので間違えないように※)
「だから暑い日には帽子を被りなさいって言ってるでしょう?」
「おまえだって被ってないじゃん」
「うっ…」
「帽子被ってるやつってあの中にいたっけ?」
 頭を海水に浸し、犬のようにプルプル滴を跳ね飛ばし、亮司は考える。
「クレーメックさんが磯釣り用のキャップを被られていました。あとは…」
「くそ。少ないな」
「でも、必ずかかるというわけでもありませんから」
「だな。
 とにかく戻ろう。禁猟区使えば方向は分かる」
「はい、亮司さん」
 オールを渡し、互いに並んで位置につく。
「それと……ごめんな。初めての海がこんなになって」
 ぼそっと小さく呟いた。
「今度、またジュバルと3人で海水浴に来よう。2人の「初めて」の仕切り直しだ」
 ジュバルは海に沈んでいったけれど、絶対死んでない。死んでいたりしたら俺には絶対分かる。だからきっと助かってる。あいつらが助けてくれてる。仲間を信じるんだ。
 そんな亮司の心の声を感じ取って、綾乃は満面の笑顔で頷いた。
「はいっ、亮司さんっ」


 はたして亮司がたどり着いたとき、珊瑚礁との距離はかなり縮まり、戦場は混乱を極めていた。
 浅瀬に近づき、今や体のほとんどを海上に出した巨タコ。軟体で骨を持たないその足はクネクネと不規則に曲がる上、8本もあるのだ。しかもまるで1本1本が独自に生きる固体であるかのような動きをするから始末が悪い。
 海上の討伐隊が6本と本体を相手にしている間、2本が珊瑚礁側を襲撃していた。
 珊瑚礁の上にはオフィーリア、セラ、イシュタン、真奈、誠一、皐月、雨宮 七日(あめみや・なのか)がいた。オフィーリア、セラが氷術で足場の補強を、イシュタンがけが人の救助、そして皐月と誠一がそれぞれ光条兵器を用いて防ぎ、七日と真奈が炎術等でサポートする。この息のあった連携プレーで、巨タコの怒りによる珊瑚礁の破壊と内海への被害を最小限に防いでいた。


「……こんな事なら完全装備で来るんだったかなぁ」
 海でのんびりする目的で来たのだから仕方のないことだったが、こうなると愚痴のひとつも言ってみたくなる。
 そんな誠一の隙をつくようにして触腕の1本がサッと足場を払うように流れた。
「くっ!」
 刀型光条兵器・破月を氷に食い込ませ、肩を添えて全身で受け止める。ガードラインとスウェーで防御力を上げていたが、それでも肋骨にまで響く衝撃がきた。鎖骨にヒビぐらい入ったかもしれない。
 だが背後にはオフィーリアたちがいて、避けるわけにはいかなかった。
 力を失い、触腕はずるりと海中に消える。
「大丈夫ですか? 八神さま」
 一番近くにいた真奈がすぐさま駆け寄り、鎖骨を押さえる誠一の手と代わって自分の手を添える。
「イシュタン、来てちょうだい」
「うんっ」
 だが殺気看破で海中から接近する影に気づいた誠一が、真奈をイシュタンに向けて突き飛ばした。
「来るな!」
 直後、ヘビが鎌首をもたげるように出現した触腕の攻撃を破月で受け止める。その威力を物語るように、誠一の靴の下で、ピシピシと音を立てて氷が砕け始めた。
「このクソダコめ! タコはタコらしく、壺に引きこもっていればいいのだよ!」
 誠一の苦境にオフィーリアが怒りの声を上げる。
「せ〜ちゃん、避けろ!」
 オフィーリアからの鋭い声に、反射的に誠一は破月を握っていた手を離し、その場を離脱した。
 投げたカセットボンベが触腕にぶつかった瞬間、火術を放つ。カセットボンベは爆発し、海上に出ていた部分のほとんどを千々に砕いた。
「無茶苦茶するなぁ」
 肉片を払いながら破月を拾い上げる誠一。へへ、と照れ笑うオフィーリアは、ちょっと得意そうだ。
 攻撃が途切れたこの合間にと、割れた氷の補強を始める。
「たださぁ、せ〜ちゃん。ボンベ無くなっちゃった。
 あーあ。あれでこのバカタコ焼いて、塩焼きで食ってやるって思ってたんだけどなぁ。惜しいなぁ」
「まったくだね」
 イシュタンの治療を受けながら、誠一も残念な思いでため息をついた。


「おー、誠一が1本やったみたいだな」
 少し離れた珊瑚礁の上、ギター型光条兵器・リバースフライングVにもたれながら皐月が呟いた。
「それはいいことだわ。ついでにもう1本もあっちで片付けてしまってくれないかしら」
 白のワンピース、編み上げサンダルに麦わら帽子と、草原の少女を思わせる愛らしいいでたちながら、七日はかなりの毒舌家だった。「自分以外の存在など、どうなってもいい」と普段から公言するほどの。しかも今は、それに輪をかけて機嫌が悪い。
「空気が暑いのも、この強い日差しも、流れる汗も、不快以外の何物でもありませんわ。ああ、さっさと決着がつけばいいのに。あれだけの人数がいて、なんて無能なのかしら」
「……おまえね。もうちょっと言葉控えないと、友達なくすよ?」
「かまいませんわ」
「ほんとはそんなこと、全然思ってないくせに」
「あら、思ってますわよ。私は――」
「自分以外の人間がどうなろうと気にしない、だろ?」
 彼女の言葉を奪い、ニッと笑って見せる皐月。カッと七日の頬が赤くなったのは、決まり文句と言葉を読まれたせいか、それとも…。
「……そうです」
 プイッと横を向く。
「ならどうしてここにいるんだよ。浜にはビーチパラソルだって、本郷さんたちのおいしい料理だってあるぞ」
 困っている人を助けたいからここにいるんだろ、と言わんばかりの皐月に、七日は胸がクシャクシャした。
 そんなことは関係ない。七日は、皐月がいるからここにいるのだ。皐月との楽しい思い出づくりを邪魔した巨タコに腹が立つから、ここにいるのだ。
 そんなこと、口が裂けても言えないけれど。
 だから。
「暑いですわ」
 ごまかすように呟いた。
 パサッと何かが頭から被せられる。それは、さっきまで皐月が着ていたパーカーだった。
「こうすると、少しはマシだろ?」
 屈託なく笑う皐月。
「……暑いですわよ」
 毒舌で返しながらも、七日はパーカーを返そうとはしなかった。


(ルイ、頑張ってる? セラ、頑張ってるよ。でも……でもっ、早く迎えに来て。セラ、ここにいちゃいけない気がして、なんだかいたたまれないんだ)
 目立たないように丸まって、氷術かけるのに必死で聞いていないフリをしながら、セラは一生懸命沖のルイに念を送っていた。


 一方の外海側では。
 シリアスな珊瑚礁側とはほど遠い闘いが繰り広げられていた。
「おーっほほほほほほっ、さぁこの貝をお食べなさい! 何が欲しいの? ハマグリ? サザエ? ホタテ? それとも私の黒アワビかしらぁ?」
 手に持った袋から貝を撒き散らしていたコトノハが、挑発するようにバッと手足を広げる。その豊満な肉体に、するすると巻きつく触腕。
「ああんっ。もうちょっとキツめでもよくってよ? ぼ・う・や」
 長門のように持ち上げられ、恍惚としている。
「うわぁーんっ、そーた、ママを助けてよぉ〜!」
 夜魅の泣き声を聞きつけて、壮太がハッと顔を上げた。彼は「長門を放せよ、コイツッ」と、巨タコの足に噛みつき、そこを食い散らかしていたのだ。しかし吊り上げられたコトノハを見て、長門の救助は中断した。
「コトノハ!」
 長門を踏み台に、コトノハ側の触腕に向かって跳躍する。
「おーっほほほほっ! この程度の締めつけで私をいつまでも縛っておけると思わないことねーっ」
 コトノハは自ら蒼学水着を脱ぎ、するりと脱け出した。
 両手をYの字にして、全裸でくるくる回転しながら落ちていくコトノハ。スクリューの効いた彼女のつま先が、壮太の股間に激突する。
「ぐはっっ! ……お、オレの光条兵器が…」
 全裸のコトノハと絡み合ったまま、落ちて行く壮太。
「ああっ、壮太さん、コトノハさん!
 ……おのれタコさん、許すまじッ!」
 アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)がレビテートで飛び出した。手にしていたのはビーチボールだった。何をするかと思いきや、バレーアタックの要領で巨タコの頭にぶつけている。
「弱い者いじめはやめなさーい! そんないじめっ子はオシオキよ! えーいっ! はいっ! はいっ!」
 ビシッビシッ。音はいいが、それで巨タコに何のダメージが与えられるのか?
 いや、きっとこれはすごい攻撃なのだ。あれは一見何の変哲もないただのビーチボールに見えるが、それは見せかけだけで、その実中はバリバリの精密な秘密兵器が仕込まれており、今にあのビーチボールからは鋭い刃とかミサイルが飛び出し、巨タコを完膚なきまでにギッタギタにやっつけるのだ! ――って、そんなわけない。
「あっ、いやーんっ」
 コトノハを失った触腕が、恰好の標的とばかりにアリアに絡みついた。
「や、やめっ……そこには、入ってこないで……ふぁあああん! ……んあっ! …ふああ! …だめえ! もう…あふぅ! …やめてえ!」
 顔を赤らめ、痛いのか気持ちイイのか、分かりかねる声で身もだえしている。
 なんと巨タコは学習もしていた! コトノハは自ら水着を脱ぐことで脱出成功した。それを防ぐため、巨タコは巻きつくとき、アリアの素肌に沿って巻きついていた。
 千切れてぶら下がっているイルミン水着。しかし残念ながら胴体部はグルグル巻きされているので、そこでヌルヌルの先端部によって何をされているかは見えない。多分、あーんなことやこーんなことをされているのだろう。
「はぁ、はぁ……お願い、抜いて……もう、許して……いっ、やっ、あぁぁぁんん!」
 アリアの嬌声が響く中。
「ずぉりゃあああああぁぁあああぁっ!」
 バッシャバッシャとセシル・レオ・ソルシオン(せしるれお・そるしおん)がバーストダッシュで海面を走ってきた。手には金属バットを持っている。彼もまた、郁乃と同じように巨タコの出現を浜で待っていた1人だ。だが彼女と決定的に違ったのは、待っている間、エースたちに混ざって浜遊びをエンジョイしていたことだ。既に使用済みの金属バットは、彼が振り回すたびにだれかの顔や体にピチャピチャとスイカの種と果肉を飛ばす。
「待ってろよぉ!!!! 今日の晩メシーーーーーッ!!」
 はた迷惑な武器をブンブン回転させながら触腕を駆け上がると高く跳躍し、頭上高く振り上げる。
 太陽を受けて、ピカッと輝く金属バット。
「いくぞ! ごぉらいせぇ――……んっ?」
 振り下ろそうとした瞬間、セシルはいつの間にかバットが奪われていたことに気づいた。
 すぐ後ろで遙遠が凍りついたバットを掴み、あきれ返った表情で彼を見ている。
「あなたアホですか。雷術禁止って意味分かってます? 全員濡れてる中で出力も絞らないでそんな術使ったら、みんな感電死するに決まってるでしょう」
「うっ……うるさいぞ、おまえ!」
 彼が正論だと分かっていたが、セシルの方も、今さら引っ込みがつかなかった。
 落下しながら彼は必死に考えた。何しろ巨タコまで数秒しかない。ただ落ちるだけなんてもったいない。
 底抜けに陽気で前向きな彼は、常にポジティブシンキングだった。
 金属バットが使えないなら……そうだ! 俺にはもう1本バットがあるじゃないか!
「くらえっ! 俺の黄金バットを!!」
 バッと赤い海パンを脱ぎ放つ。
「ごぉらいせぇ――」
 解き放たれた彼の黄金バットがパリパリパリッと静電気の青白い光を放ったかに見えたとき。死角から現れた触腕が、容赦なくセシルを吹っ飛ばした。
 そりゃあ巨タコだって、あんなものに頭に乗っかってほしくはないだろう。
「完璧アホですね」
 海の彼方で一点の光になったセシルを見ながら、遙遠は頭を振った。
 大体、やりたいようにやるのが好きな彼に、リーダーなど向いてないのだ。しかも、下の人間のはちゃめちゃっぷりは完全に常軌を逸している。
(あれをヨウエンにどうしろと?)
 こんな役目を押しつけた小次郎を恨みたくなったが、彼にこうなることが分かっていたはずもない。
 どうにかやる気を掻き集め、雷術を使おうとする人間にはとりあえず注意を促してきたが、もともと少ない根気が尽きかけているのが自分でも分かった。
(もう飽きちゃったな。ここ暑いし、巨タコも十分見たし。浜に戻ろうかなぁ)
「おーい、遙遠ーっ!」
 下で、不意に呼び声が聞こえてきた。それは、ゴムボートに乗った亮司だった。


「来たよ。七日、準備して」
 殺気看破で触腕の接近を感じとり、皐月はリバースフライングVから身を起こした。
 ギュギィーンとエレキ音をたて、皐月がリバースフライングVを掻き鳴らす。漆黒のボディに漆黒の光刃が現れると同時に、目の前スレスレに触腕が姿を現した。
 2人の頭上を越えて内海に侵入しようとする、まだ水のしたたるそれを、皐月はバットを振るようにしてリバースフライングVで殴りつける。
 キラキラと水滴を弾いて後ろにのけぞる触腕。光刃で切られた吸盤が、パックリと口を開けている。
「私の邪魔をするおまえなど、醜く溶けただれてゆけばよいのだわ。
 アシッドミスト」
 不機嫌な今の七日に、相手を思いやる気持ちなど微塵もなかった。
 容赦ない、最高濃度のアシッドミストが傷口で炸裂した。