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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 25

「驚かせてゴーメンナサーイ、早まって一発上げちゃったにょろ〜」
 ノイズ混じりの拡声器越しに、ゾリア・グリンウォーターの声がする。彼女は花火屋、打ち上げも担当している。どうやら一発、予告前に上げてしまったらしい。
 拡声器のスイッチを入れたままらしく、ロビン・グッドフェローがゾリアを怒る声も聞こえてきた。
「だから打ち上げは俺に任せろと……! やれやれ、これじゃ段取りもなにもあったものじゃねえ。お嬢、火種を寄越せ。発射はすべて俺がやる」
「ちぇ〜、なら、あらためて仕切り直しにょろ〜。えっと、まずは光の……」
「先に言ったら話にならねぇだろ。おい、それから、そのスイッチ!」
 ロビンが拡声器を落とす声が聞こえた。
 もうその頃には、クランジ二人の姿は影も形もない。
 屋台の電灯があらかた落とされる。しかし会場に闇が訪れることはなかった。

「まったく、こっそりやるつもりだったのにな。……ま、ハプニングもお祭の醍醐味か」
 校舎の屋上に伏せていた五月葉 終夏(さつきば・おりが)が、立ち上がって光の蝶を空に舞わせる。
「エリザベート校長、カンナさん、今日はお疲れ様。私も今日は楽しませてもらったよ。これはそのお礼の代わりさ」
 平和の願いを込め、光沢のある布や折り紙で作った蝶をふりまいたのだ。一斉に光が灯り、その姿を照らし出した。青色と緑色で統一されており、一部は終夏が、サイコキネシスで動かしてもいる。
「……ほんと、いいよね、こういうのって。建国だの東西だので何だか色々あったから余計にさ。このお祭りみたいにずっとこういう楽しい時間が続いてくといいのにね」
 蝶は舞う。舞い飛ぶ。天の川が地上に現れたような光景だ。
 多くの人が蝶に手を伸ばした。戦部小次郎のもとにも蝶は舞い降りてくる。星渡智宏と時禰凜を祝福するように、二人の間にも降りてきた。自ら『当たり』ドリンクを処理している毒島大佐の頭に、ひらりと蝶の翅が乗っている。清泉北都の肩に降りた蝶を見て、クナイ・アヤシが微笑を浮かべた。
 蝶が見えなくなった頃、今度こそ正しいタイミングで、つぎつぎと打ち上げ花火が空に輝くのだった。

 花火はすべての生徒を均等に照らす。友人達を。クランジ二人を失い、呆然とする一団を。まだ初々しき恋人達を。あるいは、一抹の寂しさを抱く有栖川 凪沙(ありすがわ・なぎさ)と、彼女を気遣う椎堂 紗月(しどう・さつき)を……。
 紗月は空を見上げていた。赤、青、緑に黄色に白、さまざまな色の炎がまぶしい。
「とうとうお祭も閉幕……ってことは夏も終わりか……夏の間は暑さやらイベントやらで大変だったけど、いざ終わるとなるとやっぱ寂しい気分だよな……」
 パラミタに来てから初めての夏が終わる。もうすぐ紗月が、この土地を踏んでから一年になるのだ。
「夏の終わり……改めてそう思うと、うん、寂しい気分になっちゃうよね。でも笑顔で送りたいな、夏の最後の思い出がしんみりしてるなんて嫌じゃん?」
 凪沙は言葉を返しながらも、胸に疼く小さな痛みは自覚していた。その傷は夏よりずっと前についたものだ。しかし夏を過ぎてなお、癒えることはなかった。小さくはなったけれど、決して消えない。もはやこの痛みも、凪沙の一部と言っていい。
 数ヶ月前、凪沙は紗月に自身の想いを告白した。
 だが紗月の返答は「凪沙は俺にとってすごく大切な存在だけど……やっぱり『大切な妹』なんだ……」だった。
 凪沙はまだ、その想いを諦めきれていない。けれどそれを表に出すことはない。胸に秘めておくという自身の誓いを、彼女は墓場まで持っていくつもりだ。
 ともに浴衣姿で、恋人同士ではなく、友人同士として手を繋ぐ。
 紗月の手の温かさを感じながら、凪沙は唇を、そっと噛みしめていた。
(「本当は『恋人』としての思い出を作りたいけど……でも、あの日に決めたから。私は紗月の『妹』として傍にいるんだって。……恋人だけじゃ支え切れないものだってあるもん。妹として、足りない部分の支えになりたい」)
 わずかに生まれた沈黙を、先に破ったのは紗月だった。
「その……、なんか今さら、って気もするかもしれないけどさ、こういう機会だから、普段は恥ずかしくて言えないことを言わせてもらうな。……いつもずっと、傍で助けてくれて……なんていうか……感謝してる」
「どういたしまして。私は良くできた妹なんだもん、これからもずっと支えるよ……紗月のこと」
「そ、それから。俺は凪沙の想いに応えてやれなかったってのに……」
 紗月は本当に、申し訳ないと思ってこんな言葉を口にしているのだろう。それがどれだけ残酷か、理解できるほどに彼は世慣れてはいなかった。しかし凪沙は、紗月のそんなところが好きなのだ。だから、
「いいの」
 と、涙声にならぬよう気をつけながら唇を開いた。
「完全に諦められるかって言われたら……わからないけどさ。でも私は妹でいることを選んだから。紗月も恋人さんも困らせたくないし、どっちも……大好きだから。妹としてずっと紗月といたいから」
「ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
 二人の間には沈黙があったが、決してそれは冷たいものではないのだった。

 リアトリス・ウィリアムズと青島兎も、二人きりにて花火を眺めていた。
 高台の一角、咲き誇る花火を背景に、寄り添ってクレープを食べる。
 花火の明滅にあわせ、二人のいる場所は明るくなったり暗くなったり。互いの顔も、見えて消えてを繰り返す。
 可愛いし綺麗――一見、矛盾するようなこの両者を、リアトリスは兼ね備えていると兎は思う。そこが羨ましくもあり、愛おしくもあった。
「さっきの花火、特に綺麗だったよね、兎ちゃん」
 と顔を向けたリアトリスにたまらなくなって、
「ねえー、口元にクリームついてないかなあ〜?」
 兎は甘えた声を出した。花火と花火の合間の暗い一瞬を逃さず、覆い被さるようにしてリアトリスを組み伏せる。
「わわっ、兎ちゃん!?」
 かすかに怯えるようなリアトリスの声が、逆にますます兎の心を燃え上がらせた。
「りあとりすー、甘い香りがする〜」
 ぱくっ、とリアトリスの獣耳を口に含む。背筋から尾骨あたりを撫でまわし、その柔らかな感触を指先で楽しむ。ぴんぴんと跳ねる尻尾も、つかんで指と指の間に挟んだ。
「やんっ、だめだよう、兎ちゃん、こんなところで」
「あれれー、やめてほしいの〜?」
「そんな……そんなことないっ。兎ちゃんに触れられると、電気が流れるみたいになっちゃう。もっと触っていいよ。むしろ、触って〜!」
 兎の指と舌は、まるで小動物のよう。くすぐり、つつき、優しく絡め取り、リアトリスをさんざんに愛してくれる。
(「大人の階段ー、一緒に昇っちゃっていいかな〜」)
 いつしか兎も夢中で、リアトリスの浴衣の帯に手をかけていた。これをほどく寸前まで行ったところで……。
 もう一つ、特大の花火が二人の頭上で炸裂していた。
 瞬間とはいえ真昼のように明るくなる。同時に、兎は石のように固まってしまった。
 思い出したのだ。いくら可愛くて綺麗でも、リアトリスは男性だということを!
(「ああー、どんなにかわいくても男なんだよ〜!」)
 この帯を解く勇気はまだ、兎にはなかった。
「どうしたの……兎ちゃん」
 着衣の乱れを直しながら、リアトリスは身を起こしていた。
「ごめんー、どうかしてた〜」
 ぱん、と合掌して兎は詫びた。今夜はもう、このくらいにしておこう。
 この悩み、一度恋愛相談所に持ち込んでみようと思う兎なのである。

「寒くない?」
「寒くないよ、ねーさま」
 藍玉美海に背中から抱きしめられながら、久世沙幸は空を見上げている。
「綺麗ね」
「うんっ♪」
 沙幸は寒くないと言うのだけれど、もう少しこのままでいたい美海だった。

「千ぃ姉、花火だよ」
 空を見上げ、ローザマリア・クライツァールは眼を細めた。ラムズ・シュリュズベリィによる触手射的場にいたときとはまるで別人、今のローザは、年齢相応の美しい少女だ。
(「これなら十六歳って感じジャン」)
 そんな彼女を横目で見つつ、バーバラキア・ロックブーケは内心、胸をなで下ろしていた。
(「千代の友達っつーから、年配者かと思ったらあたしよか年下で、しかもあの戦闘マシーンのような射撃ぶり! 凄い子と知り合っちゃった、と怖いくらいだったけど……普段はこういう顔なのね。なんか安心した」)
「いやあ、良かった良かった」
 バーバラキアは御茶ノ水千代の肩を叩いた。
「何が良かったんです?」
「え? いや、今日は来て良かった、と思ってね」
「これを見た後でもそう言っていただけると……嬉しいんですけど」
 どうでしょう、と言って千代は持参の風呂敷包みを開いた。中身は重箱、千代特製手作り弁当である。
「お弁当を作る……というか料理をするなんて高校生の時以来ですけど、どうでしょう? 見栄えは悪いけど、多分おいしいと思いますよ、一生懸命つくりましたから!」
 ちなみに千代の場合、高校生だったのは二十年ほど昔の話である。
「ん〜、あたしは別に見栄えなんか気にしないよ〜」
「そういえば学生時代は、『魔界の料理人』なんて呼ばれていましたけど、それは口の悪い連中がつけた、悪意ある異名なだけで、全然安心ですよ」
「……そっちは気にするかも」
 不安げな顔をするバーバラキアなのだが、ローザマリアは至って平気なようだ。
「千ぃ姉の作ってくれたものなら、私はどんなものでも喜んで食べるよ」
 と重箱の蓋を開け、
「どれがいい?」
 とグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダーに料理を選んで上げている。
「ではわたしは、玉子焼きを」
 千代のジョークは場を和ませるためだけのものなので、たしかに見た目は最高ではないかもしれないが美味しく、また、作った人の愛情が感じられるような弁当なのだった。
 そのとき、またひとつ花火が上がった。一つでは終わらない。光の輪がつぎつぎと空を彩る。
「こうやってまったりと食事しながら、女の子同士でワイワイやるのは本当に楽しいものですねえ」
「ああ、花火はキレイだね〜。あと、千代の弁当も結構いけるよ」
 グロリアーナは、ローザそっくりの顔で空を見上げながら言う。
「それにしても妾のいた時代に比べ、花火は随分多種多様になったな。色彩が豊かになっている。しかし……」
「しかし……どうしたんです?」
「うむ。しかし、花火が消えゆくときの、なんだか寂しいような気持ち、あれはいつの時代も変わらぬ」
 まったくです、と千代は頷いた。
「夏の終わりの花火……華々しく咲き、そして消える。キレイですけどなんだかちょっぴり切なくなってきますね」

 花火は空を埋め尽くす。咲いては消えゆく炎の花は、まるで夏からの別れの手紙だ。
(「見つからなかった……なんて迅い……」)
 二人のクランジを必死で追ったものの、琳鳳明は結局、成果なく会場に戻るほかなかった。正確には『追った』という表現すら適切ではない。彼女らを求め無闇に探し回っただけだ。あまりに見事に消え失せたものだから、そんなもの最初からいなかったのではないか、という気にすらなる。
 ぱっと光の尾が四方に散って、やや遅れて遠雷のように、花火の爆発音が耳に届く。
(「だけど私は信じるよ、あの子たちの良心を」)
 ファイスもユプシロンも、鳳明をはじめとする学生には一切の手出しをしなかった。祭に対する破壊活動すら、行う意図の片鱗も見せなかった。それはもしかしたら、友として迎えてくれたことへの恩返しのつもりなのかもしれない。
 夜空にもうひとつ、見事な大輪が花開いた。
 二人のクランジもこの花火を見ているだろうか、と鳳明は思った。