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第4章 豆の木大暴走 2

「これは凄い! ……失敗作とはいえ、促進剤でここまで成長させられるんですか」
 巨人を見上げて、月詠 司(つくよみ・つかさ)が感嘆した。
 豆の木に興味を抱いてやってきた彼は、一通り巨大豆や幹を調べたの後で、巨人の前にやってきたのだった。ここまでの効果を発揮する薬品というものがどんなものなのか。興味は尽きず、夢安京太郎のもとへと向かうつもりでいたのだが。
「んー……薬品はどうやらあの人に渡ったようですね」
 上空でなにやら攻防を繰り広げていた片組が、ひゅーんと箒で降り立った。夢安京太郎から分けてもらおうと思っていたのだが、彼女たちが持っているのであれば対象はもちろん変わる。
 さっそく分けてもらおう、と思ったのだが――彼女たちの前に降り立った影に、ピシ……と司の動きが止まった。
 降り立った女は、薬品を持つ女性に声をかける。
「あの、すみません」
「はい?」
 にこっと人の良い笑みを浮かべたメイド服の女――シオンから声をかけられて、満夜が振り返った。その手に握っているのは、紛れもなく薬品である。なにせ、『危険』と書かれたラベルが貼られているし。
「私、実は同じように環菜さんから依頼を受けた者なんです。環菜さんのところへ運びますので、薬品をこちらに渡してもらえませんか?」
 怪しさ満開である。
 信じるほうがどうかしてる、といった顔のミハエルだったが、それに大して満夜は。
「あ、そうなんですか? じゃあ、よろしくお願いします」
「ぅおぃっ!?」
 あっさりと、シオンに手渡してしまった。
 鈍感鈍感と思っていたが、まさかこんなところでまでそれを発揮するとは。咄嗟に満夜に声をかけるミハエルであった――が、その間にもシオンはすでににやっと笑みを浮かべて箒に跨り立ち去った。
 と――
「あら、司じゃない?」
「や、やあシオンくん、ご、ご機嫌いかが?」
 明らかにひきつった苦笑を司は浮かべる。なにせ、このパートナーに付き合ってろくな目に合わなかったことはないのだ。絶対またなにか巻き込まれる……と、その予想は的中していた。
「なーんだぁ、私を手伝いたいなら早くそう言えばいいのに♪ さ、行くわよ」
「や、やめてええぇぇ!」
 首根っこをがっちりとつかまれて、司はシオンとともに巨人のもとへと舞い戻った。



 影野 陽太(かげの・ようた)はカーネと対峙していた。というよりは、見つめ合っていた、というべきか。
 パラソルチョコで巨人の中腹へとやってきた彼は、お金を使ってカーネを呼び寄せたのだ。
 陽太は、カーネがどうも他人とは思えない気分であった。それは、自分の子ども、あるいは兄弟を見ているかのような、不思議な心地である。そして、それはまたカーネにとっての陽太も同じであった。
 カーネにとってみれば、陽太はある意味で親のようなものである。彼の持っていた枝から生まれたカーネは、そのことを覚えていないにせよ、どことなく主人に対する敬愛にも似たものを感じているのだった。
 すっ――としゃがみこんで、陽太はカーネに視線を合わせる。
「君に頼みたいことがあるんです。君と一緒にいた夢安が持っていったあの薬が手に入らないと、俺が世界で一番愛している大切な人の、大切な居場所が壊れてしまいます。……他の皆にも、迷惑がかかります。だから、お願いします。あの薬品を、取り戻してくれませんか?」
 陽太は、真摯にカーネへと懇願した。
 たとえ動物といえど、気持ちは必ず通じるはず。そして、自分とカーネの絆は、きっとそれに答えてくれるはず。
 彼のそんな想いが通じたのか――
「カァ〜」
 カーネは一言鳴くと、まるで頷くように一度体を縦に揺らし、巨人の頭へと登っていった。案外身軽なその走りに少し驚きつつも、陽太はきっと彼が薬品を取り戻してくれるだろうと信じて、その背中を見送った。



 ズ、ズーン! グラグラ……!
「おわぁっ! ……く、くそ、どんどん揺れがひどくなってきやがった」
 追っ手は巨人の足止めへと標的を変えたのか、氷づけにされたり火術に燃やされたりするたびに、バランスを崩して巨人が揺れた。
「このままだと、こっちがやられるってもんですぜ……」
「冗談きついぜ……ったく」
 クドは相変わらずのんびりと言うが、確かに巨人が崩れ去るのも時間の問題のように思えた。
「こうなったら、最終手段しかないわね」
「最終手段?」
 きょとんとする夢安に向かって、まゆりは自慢げに声を張り上げた。
「その名も、必殺! トルネードスピン!」
「とるねえぇぇどすぴんん?」
 いかにも怪しげな名前に信用ならないといった目を向ける夢安。
「そうよ。この巨人を大回転させて、みーんな吹き飛ばしちゃおうってわけ!」
 えへん、どうよ……といったように得意げなまゆり。あまり気が進まない作戦ではあったが、どんどん揺れがひどくなるのもまた事実。そして、とりあえずやってみたらなんか良い方向に転がるんじゃねぇの? というのも夢安の脳内を駆け巡った。
「よーし! いったるか、トルネードスピン!」
「さっすが、京太郎! 分かってるじゃない。あ、でも……」
 そこで一つ注意点といったように、まゆりは指を立てた。
「これって絶対確実に危険になるから、薬品は二人で分け合って持っておきましょ?」
「あー、念を入れてってことか」
 薬品がなくなってしまえば、今後の営業に支障が出る。
 夢安はシオンが取り戻してきてくれた薬品を、いつでも常備持っている『夢安七つ道具』の中の空瓶に半分だけ注ぎ込んだ。
「ほらよ」
「どーもー」
 夢安から瓶を受け取って、まゆりはそれを懐にしまう――かと思えば、彼女はこっそりと背後に回していた。
 それまで人知れずトラップを仕掛けていたパートナーのシニィ・ファブレ(しにぃ・ふぁぶれ)が現れる。
「……よろしくね」
「うむ、まかされよう」
 まゆりにとって――これこそが最大の目的であった。長い時間夢安と一緒にいたのは、薬品を奪うという目的があってこそ。これだけの効果を発揮する価値ある薬品だとなれば、きっと高値で売れることは間違いないのだ。お金大好きは、なにも夢安に限ったことではない、というわけだ。
 そして、お金大好きには違いないが――それが薬品に繋がるなど人間のような算段をしない純粋な生き物もいる。
「え……」
 シュバッ! と、飛び出してきたボールのような球体が、まゆりの持っていた薬品瓶を奪い去った。
「カ、カーネ……ッ!?」
「モガ……」
 それは、夢安が連れていたあのペットのカーネであった。しかも、とぼけた顔でくわえている薬品瓶は二つだ。一つはまゆりのもの。そして、もう一つはオリジナルである。寸前に夢安からも薬品瓶を奪っていたエセ猫は、体に似合わぬ俊敏さでまゆりから逃げ出していった。
「ちょ、ちょっとぉ……っ!?」
 慌ててそれを追いかけようとするが、突然――がくんとこれまでにないほどの揺れが足場を襲う。それは、夢安が豆の木を回転させようとしたせいに他ならなかった。
「タ、タイミングはやいい〜」
 グワン――と回りだした巨人が、それこそフィギュアスケートの回転を彷彿とさせるように旋回した。
 グワングワングワングワングワン、グワグワグワグワグウウオォォォォ!
 だが、それは、同時に豆の木全体を揺らすこととなり――竜巻の中に放り出されてしまったかのようなトルネードが、追っ手も追われる者も見境なく吹き飛ばす大惨事になる。
 これは本当に最終手段だわ……。まゆりが頃合いのいいところで夢安にトルネードを止めてもらおうと振り返る。すると、彼女の目には、夢安と、そして彼を奈落の鎖で捉えている少年がいた。
「あ、あなた……!?」
「薬品をなくしたことで怖気づかれては困るのでな……。今さら引ける理由もなかろう」
 少年――三道六黒の体は、ぞわっと膨れ上がり、徐々に元の壮年の姿へと戻っていった。地祇のたくらみを解いた彼の姿は、豪傑と言わざる得ない威圧に満ちた男である。
 更に、どこからともなく現れた妖しき青年が、六黒と夢安の間に割って入った。
「岐路のとき、ということでしょうか?」
 両ノ面 悪路(りょうのめん・あくろ)――左右非対称の顔を持つ青年が、蠱惑の声で夢安へと囁きかける。それは、まるで闇の底から誘われるような、手招きの声だった。
「誰もが夢安、貴様同様に誰かを騙し利用して金儲けを企んでいるのだ……」
 妖艶で、かつ、耳朶を撫でられるような恍惚の感情。悪路が囁けば、それは夢安の心の奥深くに染み込んでいく。
「ためらう必要はない。己の欲望を満たすために、そして、貴様に群がる金の亡者たちを排除するために、貴様の得た力を使い、貴様の楽園を守るのだ……」
 徐々に、夢安の心は闇へと侵され、まゆりも、クドも、シオンもカーネさえも忘れて己の欲の楽園を築こうと意識が叫びはじめる。
「お、おれは……。おれはああぁ……!」
「京太郎……!」
 彼を呼ぶ仲間たちの声など聞こえるはずもなく、こうして一人の学生は闇に支配され――という、こともなかった。
「――なーんてね」
「なに……!?」
 悪路の吊りあがった目に顔だけ振り返ってみせて、夢安は告げた。
「悪いけど、俺ってばそこまで人間腐ってるわけじゃないんだな、これが」
「ふん……なにをほざく」
 そんな夢安に、六黒が吐き捨てるように口を開いた。
「所詮は、おぬしのような者が真の悪党なのだよ。自分は無辜の一般学生だという顔をしながら、平気で騒動を起こし、反省することなく何度でも他人を危機に陥れる。誇れ。我ですら虫唾が走るほどに、貴様は悪党だ」
「なるほど、悪党ってのはそういうのをいうのか……」
 普通ならば震え上がるほどの六黒の瘴気を前にして、夢安はあっけらかんとしたように呟いた。
「だったら――俺は違うな。無辜だなんて思っちゃいないし、騒動起こしても平気ってわけじゃないだぜ? ちゃんと次のチャンスはもっと効率よく、上手くやんないとなぁって反省だってするしな」
「屁理屈を……!」
 してやったりとばかりに笑って見せた夢安を六黒は睨み据えて、もう当てにはしないといったように豆の木を見やった。まだまだ回転は止まりそうにない。六黒も、必死で蔓を掴みながら立ち続けている状態だった。
 しかし、もともと夢安を縛り付けたのは豆の木の動きを掌握するためでもある。主人を人質に取られては、豆の木も自分の言うことに従わざるを得ないだろう。
「豆の木よ。夢安の命が惜しければ、全身全霊を以て邪魔者を排除――」
「アリアさまああぁ!」
 だが――命令を終える前に、夢安の必死で張り上げた声が六黒の言葉を遮った。
「――しろ!」
 そして、命令を六黒が終えるものの、豆の木はそれに答えるようすなどなく。代わりに、夢安が見上げている先――空飛ぶ箒に乗ったアリア・セレスティが巨人に触れていた。
 気づけば、巨人の大回転も止まってしまっている。
「へへ……言ったろ? 俺は悪党じゃないってな」
 切り札――無事に全てを終える切り札は、最後まで取っておく。
 それが、夢安が唯一持つ信念であった。