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はじめてのひと

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●大好きなのだよ

 やった、とオフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)は顔を上気させた。電話を機種変更しに出かけた八神 誠一(やがみ・せいいち)からメールが来たのだ。この時間であれば初電話と見てまず間違いないだろう。彼が新しく買った電話の『はじめて』のコール相手に選ばれたことに頬を染めつつ、オフィーリアはいそいそと電話に出た。
「せ〜ちゃん!」
「あ……ああ」
「新しい携帯買えたのか?」
「そうだけど」
(「自分も昨日、『先行フライングゲット〜!』とか言って『cinema』を買ってたじゃないか?」)
 ちなみに誠一の新携帯は、ご存じ、巨獣が踏んでも壊れない『Mammoth』である。
「そうかそうか〜、いやぁ、そうじゃないかと思ってたのだよ」
 やけに明るいオフィーリアの声に、誠一は首をかしげてしまう。何か良いことでもあったのだろうか?
 それどころか、
(「……待てよ、いやしんぼのあいつの場合、おかしなものを食べてハイになっている可能性もある」)
 などと逆に危惧してみたりもする。
 食べ物といえば――誠一は意識を本題に戻した。
「電話した用事を忘れるところだった。食料品も買って帰るから、冷蔵庫の中身を空けておいてくれ」
「え? 冷蔵庫の中身?」
「そう、あの奇怪なやつだよ」
 先日から彼の家の冷蔵庫に、『オフィーリアの手作りお菓子』だったはずの不気味な存在が出現しているのである。濃い紫色、びくびくと脈打ち、ゆっくりとだが内部を這い回っている。果たしてあれはお菓子なのか、それとも遊星からの物体Zか何かなのか。
「わかったな。きれいサッパリたのむぞ。以上」
「…………以上?」
「知らんのか? 『終わり』という意味だ。じゃあな」
「待て待て待てっ! 待つのだっ! 『以上』という言葉の意味くらいわかっているのだよーっ!」
 急にオフィーリアが怒鳴ったので、誠一は目を丸くしてしまう。
「なんだ薮から棒に??」
「他にもうちょっとあるだろ馬鹿ーっ! 冷蔵庫を空けろ〜? そんなの、俺様の作ったお菓子をせ〜ちゃんが食べれば良いだけの話なのだよ!」
「もうちょっと、って……ああ、わかったわかった」
 ようやく合点がいったらしく、誠一は頷いて、
「土産にケーキでも買っていくから、冷蔵庫に鎮座している『何か』を処分しといてくれ」
「ぜんぜんわかってないのだよ! でも、ケーキなら『七鍵堂本舗』のカスタード入り南瓜ケーキとサヴァラン・シャンティイと、あと、特製ヘブン・キャン・ウェイト・チョコレートケーキを買ってこないと許さないのだ!」
「おいそれどこの店なんだよ? あと、そのケーキの名前一つもわからないんだけど」
「あとでメールで店の場所とリクエスト品目一覧を送るから、それを見て買ってくるのだよ!」
「わかったから冷蔵庫頼むぞ。昨日見たとき、紫色のなんか変なものがいたぞ」
 と誠一が言い終えるが早いか、乱暴なくらい唐突に、オフィーリアの側から電話が切断されてしまった。
「なんなんだよまったく……はしゃいでみたり怒ったり……」
 このとき、ふと誠一は気づいた。今の電話が、機種変更後はじめての電話だったと。
「色気もクソも無いな……」
 ぼやきつつも、
「ま、僕らの間で交わされる会話なら、こう言う会話の方がお似合いかもしれない」
 そう思い直して苦笑し、とりあえず、オフィーリアからのメールを待つのだった。

「はじめての電話、本当に楽しみにしてたんだぞ……普段の態度でちょっとは気づけ、あの馬鹿……」
 半分位は自分のせいではあるが、結局口論をしただけという形になってしまい、オフィーリアは落ち込んでいた。
 お前のために電話したんだ、とか、愛する人に真っ先に電話したかった、とか、そんな気の利いたことを言ってほしいとまで願っていたわけではない。普段は言えないようなちょっとした思いやりとか、回想とか、これからもよろしく、程度の話であろうとも、オフィーリアは心底喜んだことだろう。
 それなのに、初コールが「冷蔵庫の中身整理してくれ」だったのである。雑事にも程がある!
 腹は立つもののがケーキはケーキで欲しいので、GPS機能でケーキ屋周辺の地図を記し、リクエスト品をメール本文に書く。
(「このメールだって、俺様の新携帯からの初メールなのに……」)
 そうだった、と悟って指が止まる。
 相手のデリカシーの無さを怒っているだけではだめなのだ。暗いと不平を言うよりも、 すすんであかりをつけましょう……と言うではないか。
 だからオフィーリアは文末に一言だけ、

「せ〜ちゃん、大好きなのだよ」

 の一文をしたため、これを送信した。
 なお、この一文を入れるためにオフィーリアは全身全霊を込めてしまったので、なんだか疲れてしまい、冷蔵庫の中身のことなんか丸っきり忘れて部屋に戻って休むのであった。

 問題の発生源、冷蔵庫の中では何かが起こっていた。
 複数の良く分からない料理が融合し、異形の存在へと変化していたのだ。それは生物のようである。鉤爪が生えた触手を数本持ち、緑色の瘴気を「フシュー」と吐き出している。
 温度が低いゆえ、その生物は動きが鈍かった。冷蔵庫内を徘徊し、タコ飯(タコの切り身の入った炊き込みご飯)を発見して捕食したものの、この程度では到底飢えは満たせない。
 次に冷蔵庫が開かれたとき、きっとその生物は怒りと飢えに任せ全力で飛びだし、ドアを開けた者に襲いかかることだろう……。