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はじめてのひと

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●親愛、その様々なかたち

 タイムカプセルとしては最短の時間指定、『五分後』を指定しアリス・テスタイン(ありす・てすたいん)はメールを出した。この時代の携帯電話は精確である。ぴったり五分後に、葉月 可憐(はづき・かれん)の鞄の中から着信音が鳴る。
「……あら? 誰かからメールが……」
 買ったばかりどころか、まだポートシャングリラ内の大型家電店、携帯電話フロアにいる可憐なのである。当然初着信だ。
(「って、アリスから? 今普通に目の前にいますが……? あぁ、これが噂のタイムカプセルメッセージってやつね……一緒に機種変しましたもんね」)
 アリスのほうを見ると、気恥ずかしげにもじもじしている。一足先に手続きを終えた彼女が、可憐が手続きしている間に大急ぎで打ったものと思われた。
「どれどれ……ほぉほぉ」
 アリスに聞こえるようにわざと感心した声を出し、可憐は受け取ったメールをじっくりと読む。

「親愛なる可憐へ

 ……な、なんだか改めてメールをするとちょっと照れますね(汗)
 えと……いつもいつも、可憐の破天荒な行動に付き合わされて、その度に何か言おうと思って……でも肝心なところでそんな私をはぐらかして、また破天荒に行動する……そんな、本当は臆病な可憐へ
 いつも連れまわされて、悲鳴を上げていたりする私ですが……本当は、きちんと可憐に感謝してるんですよ?
 多分……私は、可憐のそんな姿に救われているんです。
 私や、リベル、リン……貴女と契約した者は皆、きっとそう。
 だから……可憐は、今のまま、ありのままでいてくださいね?
 私たちは、そんな可憐を全力でサポートします。
 で、でもやりすぎはダメですからね?

 ……大好きですよ、可憐」


 心が温かくなるようなメールではないか。可憐は頬が暑くなる。
 それにしてもアリス、今日は二人っきりにもかかわらず、短い間に隙を見てこれだけ文をなすとはさすがだ。平時はややもすると、うっかりさん丸出しの行動をする彼女だが、サポート時同様、やるときはやるということだろう。
 ちらりとアリスを見て思う。
(「ふふ、アリス……しれっとした顔してますけど、必死に平静を装ってるだけなのがバレバレですよ?」)
 そんなアリスは小動物のように見えた。そこで可憐は、可愛がることにする。文字通りの意味で。
「アリス、こっちおいでおいでー」
 とそばに寄せるや、「よしよし」といいながら頭を撫でる。
(「……私こそ、普段からありがとうね。……なんて、絶対に口にはしないけど♪」)
 感謝の気持ちで一杯の可憐なのだ。
 それはもうアリスが嫌がるほど……というより、嫌がれば嫌がるほど撫でまくりするのである。


 *******************

 可憐とアリスのいる場所から二十メートルほどいった地点。
 九条風天は無事、携帯電話を選び終え、手続きも完了した。
「よし、これでまた携帯を使うことができますね……そうだ」
 漫画的に表現するなら、ここで風天の頭上に電球が灯ったようなシチュエーションとなる。
「白姉携帯持っていなかったですよね? 連絡取り難い事この上ないので、この際ひとつ持ちませんか?」
 嬉しそうに連れの白絹セレナに申し出るものの、セレナのほうは渋い顔をするだけだった。
「んー? 私か、私はいらんよ。これからもずっと傍に居てやるからな。だから私にケータイは必要ないぞ」
「あ、ありがとうございます……でもそんなこと言って逃げようとしても無駄ですよ?」
 さりげなく背を向けようとしたセレナの肩をがっしりつかむ。
「……ぬぅ、見抜かれたか。良い事を言ってごまかそうとしたのでは……あるぞ」
「白姉、すぐいなくなる割に連絡手段持ってないから呼び出すの大変なのです。良い機会ですから買いますよ」
「いや、色々と面倒そうではないかケータイというのは……」
「面倒でないものもありますって。ほら、これなんかどうです? 好きなの選んで下さいよ」
 というわけでセレナはとうとう、シェルホワイトの『angelia』を持たされることになった。
「なんだこの横文字の名称は? 電話機なのだから『電話一号』とか『通話太郎』みたいな名前にできんのか」
「そんないかつい名前は逆に不安ですね。なんなら、空爆下でも平気という噂の『Mammoth』というのがありますが……」
「ああ、あれはイヤだ。重い」
 それで、とセレナは携帯電話を開け閉めしながら言う。
「で、どうすれば良いんだ? ほらほら、はじめてなのだから、じっくり使い方を教えるのだ」
「もう、教えてもらうのに偉そうなのですから……しょうがないですね、街路では何ですし家に帰ってから、ゆっくり講義に取り掛かるとしましょうか……」
 やれやれ、といった口調の風天だが、嫌々ながらセレナが携帯電話を所持してくれたので内心は嬉しかった。


 *******************

 膨大なワインセラーを、まるで自分の庭のようにすいすいと歩む。
 実のところアルゲオ・メルム(あるげお・めるむ)は、この店の店員よりもここのワインセラーに詳しい。ひんやりとした地下の空気は、彼女の怜悧な脳の回転を、さらに高めてくれるようである。
「今日のイオの気分に合うものは……これでしょうね」
 年代物の一本を選び出すと、ラベルの文字を確認してワインセラーを出る。
 ワイン選びは済んだ。次は、食材の選定をしなければならない。ワインの魅力を引き出し、味わいを無限大にするような食材を。
 数十分後、買い物を終了させたアルゲオは、時計を見ずとも予定から遅れていることを察していた。
 連絡しようと携帯電話を取り出して、つい最近買いかえたばかりのものだという事を思い出す。
「……」
 原因となったフィーネとの喧嘩を思い出して恥じ入りながら、まだ真っ白な発信履歴に目をやった。
 買ってから、まだ一度も使っていない。
 イーオン・アルカヌム(いーおん・あるかぬむ)の電話番号を押す。
「なんだ」
 彼の声がした。
 そのときイーオンは、研究に一段落をつけて小休止を取っていた。薫り高い珈琲を一口、含んだところでアルゲオからの電話を受けた……という状態だ。
 買い物に関する報告を終えた後、一呼吸置いてアルゲオは続けた。
「イオ、少々お時間をいただいてもいいでしょうか」
 きっとこれがはじめてのコールだとは気づいてくれてないだろう……そう思いながら返答を待つ。
「よかろう、ちょうど休息中だ」
 椅子の背もたれに身を任せ、イーオンは微苦笑している。
(「堅苦しい奴だ」)
 そういう切り出し方しかできないのか? と言ってみたくなったが、言葉は押し殺しておく。
 かすかな音だったが、イーオンは電話の向こうで、アルゲオが小さく息を吐くのを聞いた。
「イオと会ったのはまだ四、五の年頃でしたか……」
 そこから彼女の想いで語りが始まった。
 彼女の話は様々に転移する。
「あの頃から口では叶いませんでしたが……甘やかしすぎましたかね」
 と苦情するかと思いきや、
「それでも、立派になってくれたとの思いもあります。たとえば、ハート・オブ・グリーンの事件のときは……」
 と、褒めたりもするのである。
 相づちする一方、たまに鼻で笑い、たまに肩を竦めながらも、イーオンはこの会話を楽しんでいる自分に気づいていた。
 ある程度話して、胸のつかえが下りたのだろうか。不思議な安堵感を覚え笑みを浮かべながら、
「ありがとうございます、これからも」
 と、アルゲオは締めくくった。

「アル……わかりやすいやつめ」
 電話を切ってからイーオンは独り、呟く。
 アルゲオが、新しい携帯を買って初めての電話であることなど、彼はとうに見抜いている。
(「今度は携帯ではなく、新しいアクセサリーでも買ってやるか」)
 微笑を目元にたたえたまま、彼は珈琲を飲み下した。


 *******************

 空京、シャンバラ宮殿。
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)はロイヤルガードとしての任務中だ。任務とは他でもない、代王・高根沢理子の護衛である。
 とはいえ現在の理子が、護衛が常に必要なほど危険な状態にないのも事実、なので護衛をしながら、本日午前中に機種変更したばかりの携帯をいじり倒している美羽だった。
 直立不動の姿勢で護衛に立ちつつ、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は軽快をおこたらない。
(「美羽が気を抜いている分、僕が頑張らねば……」)
 なのでコハクは、美羽が誰にメールを打っているのかはわからなかった。
 メール? そう、美羽は現在、はじめてのメールをしたためているのである。
(「タイムカプセルメールって機能を使ってみようかな……」)
 美羽はこっそりと、コハクのほうをうかがう。
 幸い、コハクは油断なく前方を注視しているため、美羽の視線には気づいていないようだ。
 それにしても凛々しい表情だ。長い睫毛、南洋の海のように澄みきった虹彩、びっくりするくらい綺麗な肌、だけどコハクの魅力は、その容貌にとどまらない。見た目の美しさ以上に、心清らかで穏やか、いつも美羽のことを気にかけてくれる――改めて美羽は、彼とともにある日々を誇らしく思うのだ。
 はっ、と我に返って美羽は携帯電話に目を落とした。彼に見とれていてはメールが送れない。
 いつ届けるようにしよう?
(「タイムカプセルの設定は最大10年……そんな先延ばしてたら、いつまでもこのままだし……かといって来週とか来月にいきなり事態が好転しているというのも無理があるし……」)
 というわけで設定は『本日からぴったり一年後』とした。
(「一年後には、言えるようになっていたらいいな……」)
 そんなことを思っただけで、頬がほんのり温かくなる。
(「……ごく自然に、『好きだよ』って言えるように……」)
 ますます頬が熱を帯びてきたので、美羽は慌ててメール操作に戻った。
 メールに書くのは、あらためてのあいさつ、それに、初対面の時の印象、これまでの感謝、その他日常の雑多な話……書くほどに想いはつのり、書くほどに胸が締めつけられる。
 いささかとりとめのないメールになってしまったが、それでも最後に、一番言いたかったことを美羽は記すのだった。

「いつもありがとう。大好き!」

 もう一度振り返って、コハクが見ていないことを確認し、急いで送信する。
 このメールを送ったことは、いまは内緒にしておこう。
 一年後の二人はどうなっているだろうか。
 晴れて恋人同士……と言えたらいいな、と美羽は思った。
 実はコハクも同じ気持ちだということを、まだ美羽は知らない。