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第10章 脱出

「ナガーン! ナガーン! どこだー?」
 佐伯梓(さえき・あずさ)は、地下牢獄のさらに奥に進もうとしていた。
 緋月による牢獄の開錠が終わり、解放された女子生徒たちは、みな地上へと移動していった。
 にも関わらず、その中にナガン ウェルロッド(ながん・うぇるろっど)の姿はなかった。
 不審に思った佐伯は、自ら牢獄のさらに奥を探索する決心をしたのだ。
 そして。
 佐伯がみいだしたのは、牢獄からさらに奥にある階段であり、そこを下って、地下の深いところにある、数々の拷問室をみいだしたのである。
 もっとも、その拷問室も、大半は無人で、誰かが拘束されているような形跡はなかった。
 それでも、佐伯は、ナガンの生存を信じて、地下の奥深くに進んでいく。
 そしてついに、最深部の、拷問室でさえない部屋に、佐伯はたどり着いた。
 ギギーッ
 扉を開けると、悪臭が漂い、佐伯は顔をしかめた。
「ナガン! ここにいるのか?」
 部屋の中には、悪臭と同時に、ちょろちょろという水の流れる音が聞こえる。
 どうやら、館の下水道に通じる部屋のようだ。
 部屋の中央に、井戸のような穴があり、穴の中央から、鎖が伸びて、天井の滑車に絡みついている。
 いいようのない不安の思いに駆られた佐伯は、鎖を引いて、汚水がたまっている穴に沈んでいる何かを浮かび上がらせようとした。
 ガラガラガラ
 滑車が、不気味な音をたてる。
 そして、汚水をしたたらせながら、穴の中から引きずり上げられたものをみたとき、佐伯は、衝撃のあまり叫ばずにいられなかった。
「ナガン! 大丈夫か?」
 縛めを解き、ナガンを床に横たえる佐伯。
 驚くべきことに、ナガンには意識があった。
「う……佐伯か」
「ナガン! 傷だらけじゃないか。しっかりしろ!」
 佐伯は、ナガンの無惨な姿に涙を流しながらヒールをかけ、強く抱きしめる。
「サッドにやられたのか?」
「ああ。だが、構わないさ」
 ナガンは、かすかに笑ったように思えた。
 そのとき。
 部屋の扉が開いたかと思うと、車椅子に乗った、虚ろな瞳の男が入ってきた。
 みれば、車椅子は、押す者もいないのに動いている。
 そうかといって、そこに乗っている男が手で動かしているわけでもない。
「誰だ?」
 警戒する佐伯の顔を、男は、ぼうっとした表情でみつめる。
 半開きの口から、よだれが垂れていた。
「う……ああ……」
 男は、何事か唸ったかと思うと、目を閉じた。
 何かに、念を凝らしているようにもみえる。
「お前が超能力で、俺が死なないようにダメージを抑えていたのか。余計なことを」
 ナガンは、男を睨んだ。
「なに? すると、超能力者か? 天御柱学院の?」
 佐伯は、男をしげしげと観察する。
「いや、強化人間だね。かなりアンバランスな感じがするぜ」
 ナガンは、頭をうち振って、起き上がろうとする。
「大丈夫か?」
 佐伯は、肩を貸した。
「いいよ。臭いだろう」
「そんなこと。俺は平気だぜ!」
 ナガンは、佐伯に支えられながら、車椅子の男に近づいていく。
「かなり強い力を持っているな。うかつに館に近づくと、優れた超能力者であるサッドに気づかれる。だから、館の中が大騒ぎになって、サッドに余裕がなくなるまで待っていたんだろう」
 ナガンは、男を睨んで、いった。
「で、いまは、何をしてるんだ?」
 佐伯が疑問を口にする。
「館の中にいる他の連中に対しても、超能力による防衛を行おうとしているんだ。この地下深くの牢獄から真上に力を放射すると、ちょうど館全体にいきわたるんだろう。行くぞ」
 ナガンは、男を無視して、部屋を出て、地上に通じる階段に向かう。
「礼もいわずに行くのか?」
「何を感謝するんだ? それより、ここはSの館だろ? 館の食堂に、宴の酒がまだ残っているようなら、一杯やろうじゃないか」
 ナガンは、佐伯に耳打ちする。
「おいおい、その身体で、何を!」
「あれ? つき合ってくれないのか?」
「いや、もちろん、一緒に行くさ! けど」
 ナガンは、説教しそうになる佐伯の唇を指で封じ、ニヤッと笑うのだった。

「グレン! しっかりして!」
 グレン・アディールもまた、ソニア・アディールと李ナタによって、拷問室から救出されていた。
「ふう。また傷が増えたな。だが、女子生徒の脱出はこれからだ。地下から出て、脱出が終わるまで女子生徒たちを守る闘いに移るぞ」
 グレンたちは、地上に向かった。

「朔ー!」
 アテフェフ・アル・カイユーム(あてふぇふ・あるかいゆーむ)もまた、囚われのパートナーを探して、拷問部屋の並ぶ廊下を歩いていた。
 アテフェフの場合、パートナーからの精神感応によって、どの部屋にいるかはわかっていた。
 やはり、地下の奥深く、拷問室のひとつに囚われていたのだ。
「朔、泣いてるの?」
 ついにその部屋の扉を開けたアテフェフは、鎖につながれた鬼崎朔(きざき・さく)が涙を流しているのをみて、驚愕の声をあげる。
「大丈夫だ。ちょっと、いろいろあってな」
 縛めを解かれた鬼崎は、涙を拭うと、アテフェフの持ってきた衣に袖を通す。
「もしかして、昔のこと?」
 アテフェフの顔色が変わった。
 まるで、死人のように青白い顔になっている。
「いうな! お互いのためだ」
 鬼崎は、拷問室から出て、地上へと走る。
「大丈夫なの? すぐに走って」
 アテフェフも、慌てて後からついてくる。
「大丈夫だ。いまはむしろ、この怒りを鎮めるのが先決!」
 鬼崎は、安堵の想いが既に激しい怒りへと変わり、まさに鬼のような形相で地下を疾走していた。
 獲物を求めて。
 階段を上がり、地下牢獄の前を過ぎる。
 次の階段の前では、ファタたちによって、グルルの拷問ショーが行われていた。
 ビシ! ボゴォ!
「ぐあ、ぐああ! も、もっと!」
 凄絶な拷問を受けながら、グルルは、急速にMへと調教されつつあった。
 グルルの股間が膨らんでいるのは、誰の目にも明らかである。
「ほっほっほ。それじゃ、わしのヘソのゴマを舐めてもらおうかの」
 ファタは、ニヤニヤ笑いながら、グルルの唇に自分のヘソを押しつける。
「あ、ああ、おいしいです! じょ、女王様!」
 グルルの下が、ファタのヘソを舐めまわす。
「やー! もう、くすぐったいのう」
 ファタは、嬉しそうに笑う。
 ある意味、ラブラブであった。
 そこに。
「死ぃねぇぇぇぇぇ!」
 歯を剥き出しにした鬼崎が、怒りの叫びをあげながら駆けてきて、三角木馬の上のグルルにアウタナの戦輪を投げつけ、風のように去ってゆく。
 全ては一瞬のことだった。
「ぐ、ぐー!」
 アウタナの戦輪に喉を切り裂かれたグルルはうめいて、血を吐き、倒れる。
「あーあ。殺しちゃった」
 イオタが、残念そうに呟く。
「むう。惜しい人材であった」
 ファタも、唇を噛む。
「ああ。可愛いかったのに!」
 闘神も、涙を流した。
 もしかしたら、3人とも、Mへの調教の過程で、グルルを愛してしまっていたのかもしれない。
 だが、だからといって、鬼崎が情けをかけるはずもなかった。

 一方、館の1階では、何とか地下から上がってきた女子生徒たちが、骸骨戦士やライオンソルジャーに行く手を阻まれ、玄関ホールで立ち往生する状態となっていた。
 ライオンソルジャーは、主人であるグルルの死後は、敵味方を問わず無秩序に暴れまわるようになっており、非常に危険であった。
 どごーん!
 ちゅどーん!
 そのとき、館の上階から、すさまじい衝突と爆発の音が響きわたる。
 どこからか現れた飛空挺が、館の屋根に突っ込んできたのだ。
 炎に包まれる飛空挺から、名無しの 小夜子(ななしの・さよこ)が降り立つ。
「待ってなさい、ナレディ。リンデンバウム家はワタシが守ります」
 小夜子は、火術攻撃を連発しながら、館の廊下を駆けていく。
 禁書写本・河馬吸虎が食堂にまきおこした炎の海が、館中に燃え広がり出している中、小夜子が飛空挺をぶつけることによって起きた爆発の影響で、館の上部からも火の手が上がり、小夜子自身がまき散らす炎とあいまって、館全体が炎と熱と煙に満ちることとなった。
「ごほごほ!」
 煙は玄関ホールにも充満し、女子生徒たちはむせて、涙を流し始める。
 このままでは、全員焼死の危険もあった。
「ふえええええええん、怖いよー助けてー」
 ナレディ・リンデンバウム(なれでぃ・りんでんばうむ)もそんな中にいた。
「あら、ナレディ。ここにいたんですね」
 上階から降りてきた小夜子はナレディを確認するが、それほど感動したようにはみえない。
「さあっ、滅びなさい! 人の死をもてあそぶもの達よ。地獄の業火に焼かれてっ!」
 小夜子は、混戦状態の玄関ホールでも、情け容赦なくファイアストームを使用する。
 どごーん!
 炎に包まれて、ライオンソルジャーが逃げ惑い、骸骨戦士が黒こげになってくずおれる。
「クフフフフフフ。これはいい。聞け、お前たちは全員ここで死ぬしかないんだよ!
 地下から現れたシビトが、笑いながら惨殺を開始する。
 シビトの術により、鎌を持った死神が現れ、自分の首を斬り飛ばすという幻覚が女子生徒たちを襲う。
「きゃ、きゃあああ!」
 悲鳴があがり、パニック状態になって逃げ惑う女子生徒たち。
 炎と煙にまかれる状況下で走ったため、呼吸困難になって倒れる生徒もいた。
「や、やめろッス! 女の子たちは傷つけさせないッス!」
 サレン・シルフィーユ(されん・しるふぃーゆ)が、死神の幻影にパンチを放つ。
「むっ!」
 幻影に紛れて、ナイフで女子生徒に切りつけようとしていたシビトは、サレンのパンチを受けてうめく。
「おのれ、死ね!」
 シビトの分身が何体も現れて、サレンを襲う。
「う、うわー!」
 分身の同時攻撃を前に、サレンは絶対絶命のピンチだ。
「惑わされるんじゃねえ!」
 天空寺鬼羅(てんくうじ・きら)が、サレンをかばって、シビトたちの分身の攻撃を受け止める。
「バッキャロー! こんなもん痛くねえんだよ!」
 天空寺の目が、ギラッと光った。
「っ飛ばすぞコノヤロー!」
 パラ実生のような叫び声をあげながら、天空寺は拳を何発も繰り出した。
 そう。
 天空寺は、シビトのつくりだした分身全てに拳をぶち入れたのだ!
「オラオラオラオラァ!」
 無数に繰り出された拳のひとつが、シビトの本体をとらえた。
「ご、ごふっ!」
 拳の一撃を腹に入れられたシビトの唇から、血が漏れる。
「ありがとうッス! すごいパンチッス! 今後の参考にするッス!」
 サレンは、天空寺の闘い方に感銘を受けながら礼を述べる。
「いいから、いまは乙女たちの救出に全力を尽くそうぜ!」
「でも、ここまで燃えてきちゃってる状況ッスよ!? 敵はまだまだいるし、どうしたらいいのか悩むッス」
 サレンは、途方に暮れていた。
 みれば、小夜子は相変わらず火術を連発して、炎を煽ってばかりいる。
「燃やすのはいいんじゃないか? 後は、ダッシュで館から出ればいい。どあー!」
 いいながら、天空寺は拳を骸骨戦士に叩き込み、バラバラの骨の山に変えてしまう。
 だが、女子生徒たちの体力の限界を考えると、炎に包まれた館からの脱出は困難な課題であった。
 
「よし、館がみえてきた! くそっ、火のまわりがはやいな!」
 朝倉千歳(あさくら・ちとせ)の小型飛空艇が、燃え上がる館の上空にやってきた。
「おっ、あそこに穴が? よし、突入だ!」
 朝倉は、館の屋根に小夜子の飛空艇が開けた穴をみつけると、小型飛空艇を器用に操って、穴を抜けさせ、館の中に入り込んでゆく。
 ごごごごごご
 玄関ホールに、朝倉の飛空艇が舞い降りる。
「みんな、少しずつ乗り込むんだ! ピストン輸送で館の外に運ぶぜ!」
 朝倉が、操縦席から女子生徒たちに呼びかける。
 館の外への扉は、既に炎に覆われ、開けることはできなくなっていた。
 もはや、朝倉の飛空艇に頼るしかない。
「みんな、早く乗って!」
 泉椿が、女子生徒たちをグループにわけ、飛空艇に乗り込ませる。
「よし、第一弾出発だ! すぐにまた来るぜ!」
 何十人かを格納した朝倉の飛空艇が、上昇して、屋根の穴から再び館の外に抜けていく。
「おお、いいねえ。希望がわいてきたじゃねえか! それじゃ、全員救出が終わるまで、適当にタコ殴りしてるとしようか!」
 天空寺は、雄叫びをあげながら、押し寄せる敵のただ中に突進し、拳の雨を振りまいた。
「た、楽しそうッスね!」
 サレンは、天空寺の不屈の闘志に戦慄すら感じた。

 ごうん、ごうん
 朝倉の飛空艇は、救出した女子生徒たちを、とりあえず館の堀の外の森に運んで降ろし、すぐにまた館の中に引き返していった。
 炎が玄関ホールを舐め尽くす前に、女子生徒たち全員を救出しなければならない。
 そして。
 森に降ろされた女子生徒たちは、朝倉の指示により、とりあえず歩いて森を抜けて、東シャンバラ政府の分庁舎にまでたどり着かねばならなかった。
「女子生徒たちがやってきましたわ。よろしくお願いします」
 分庁舎の窓から、失踪した女子生徒たちの到着を確認したイルマ・レスト(いるま・れすと)は、玄関に駆け降りて、扉の鍵を開けてもらう。
 分庁舎では、イルマの根回しにより、女子生徒たちを一時保護し、それぞれの学園に移送する準備ができていた。
「それにしても、サッドたちの犯罪行為を指摘したのに、お役人さんたち、ここで女子生徒を待ち受けるだけで、館の中に踏み込んでくれないんですものね」
 イルマは、ため息をついた。
 官僚たちが、館に干渉したがらない理由。
 それは、サッドが召還しようとする邪神を恐れてのことらしかった。
 それほどまでに官僚たちが恐れる邪神とは何だろうと、イルマは気になった。
 今夜、本当にその邪神は現れるのだろうか?