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酷薄たる陥穽―蒼空学園編―(第1回/全2回)

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酷薄たる陥穽―蒼空学園編―(第1回/全2回)

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第3章 それぞれの選択1

『皆さーん、けが人は室内体育館へ運んでください! 今、マットやシーツで簡易ベッドが作られています。治療班も待機しています。校庭や校庭に面した廊下、教室は危険ですから、なるべく近づかないよう、遠回りをして移動してください。また、途中けがをして動けない方がいましたら、手を貸して連れてきてあげてください。
 けがをしていない人も、体育館の方へ避難してくださいっ』
 全校放送を用いてのアニエスカ・サイフィード(あにえすか・さいふぃーど)の呼びかけで、生徒たちは続々と体育館へ集まってきていた。
 襲撃により意識不明となって運び込まれた者はゆうに100名を超え、ヒールやナーシングといった治療を施されていたが、効き目はないらしい。皆一様に苦悶の表情を浮かべ、玉の汗を浮かべている。
 目を覚まさないパートナーに声をかけ続ける者、理不尽だと怒り出す者、気を高ぶらせるあまり泣きだす者、指示を出す者の声が入り乱れ、さながら戦場の野戦病院のごとく混乱を極めていた。



「メイ、どこ?」
 バタバタとせわしなく行き交う人を避けながら、赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)アイアン・ナイフィード(あいあん・ないふぃーど)とともにメイ・アドネラを捜した。
「霜月」
 アイアンが視線で指す。
 そこには、ほかの意識不明者と一緒に横たえられたジャンヌと、肩を落としたメイの小さな背中があった。
「メイ」
「……霜月ぃ」
 目元をこする仕草をして、振り返る。だが涙は振り払えても、赤くなった目は隠しようがなかった。
「よかった、来てくれた」
「ごめんね、こんなときに1人にして」
 しがみついてきたメイを抱き返す。
「ううん、ううん。いいんだ。でも、ジャンヌが…」
 昏睡状態のジャンヌを振り返る。メイと入れ替わるように傍らに膝をついたアイアンが、じっと覗き込んでいた。
「アイアン」
「呼吸が浅くて速いのに、眠りが深い。かなり熱もあるようだ」
「おまえでも無理か」
「魔法による眠りでも、薬物による眠りでもない。精霊の仕業でもない。眠っているように見えるが、これはここから入った異物によって肉体と意識が支配されているからだ。肉体は束縛され、意思は押し込められている。根本的に眠りとは違う」
 アイアンの指したジャンヌの胸元――心臓の真上――には、小さな丸い穴があいていた。
「本当は、ボクが受けるはずだったんだ。ボクが外側にいて…。でもジャンヌが、ボクを背に庇って、それで…」
 口にすることで、またポロポロこぼれ始めた涙をこすって飛ばすメイを慰めるように、霜月は肩を抱く力を強めた。
「敵はまだいるぞ、霜月。強いやつだ。恐ろしく強い」
 空気を震わせ、伝わってくる戦いの波動を感じ取ってか、楽しげにアイアンは口元をほころばせる。
「ああ」
「待って! ボクも一緒に行く! ボクだって弾幕援護で霜月を守れるよ!」
「メイ。きみにはジャンヌのそばにいてほしい。ジャンヌをこんな状態で、1人にしておきたくはないだろう?」
 腰にすがりついたメイの手を、そっと引きはがして、なだめるようにぽんぽんと甲を叩いた。
「う…」
「きみがジャンヌといてくれると、安心して戦える。ジャンヌは必ず目覚めさせるから」
「――分かった。でも霜月、約束して。ジャンヌもだけど、2人とも、無事戻ってきて。アイアン、霜月を頼むからねっ」
「約束するよ、必ず無事で戻るから」
 肩を震わせて泣くのを我慢しているメイの小さな体をもう一度ギュッと抱きしめて、霜月はその場を離れた。
「お優しいことだ。おまえでは何の役にも立たない、死ぬだけだと、はっきり言ってやればいいのに」
「アイアン。自分は腹を立てている。これほどの怒りは久々だ」
 呟く霜月の声に硬質的な響きを感じて、おや、とアイアンの眉が上がる。
 いつにない厳しさを増した面。暗くかげった瞳は、まごうことなき殺意を放っている。そのために、もともと似た面差しの2人ではあったが、ますます2人は近づいていた。
 同一人物であるかのように。
(パートナーを家族と考える、人一倍保護意識の強い霜月では、こうなって当然ではあるか)
「それはいい。今は怒りがふさわしい」
 アイアンはくつくつ笑いながら霜月の横についた。


「悠美香…」
 要は、そっと、眠る悠美香の青白い頬に指を伸ばした。
 悠美香はきれいな女性だ。整った顔立ちをしているのは要も知っていた。こうして眠っている彼女は、いつもに増してその美しさを際立たせている。
 何の感情も浮かんでいない、面。
 それはたしかにきれいだったが、あくまでも人形のような美しさで、心を打つものは何ひとつない。
 要は、笑う悠美香が好きだった。
 バカなことをしたり、言ったりする要を見て、あきれたり、ツッコミを入れたり、とぼけたりする顔の方が、ずっとずっと輝いて見えた。
 それが今では、息をするだけの人形になっている。
 今の悠美香には触れることもできず、引き戻した右手に突っ伏した。
 あのとき。
 ダイニングルームで背後の窓ガラスを突き破って飛来した何かを受け、床に倒れかけた悠美香を支えたとき、要は見た。
 骨と化した龍の上に立った、白銀の髪の少年。
 目にしたのは校舎の影に消える一瞬だったが、こちらを見て、たしかに、あの少年は嗤っていた。
 嗤ったのだ。
 悠美香をこんな目にあわせておきながら。
 あいつは、嗤いやがった。
「あの野郎が悠美香をこんなふうにした元凶だっていうんなら、この手でぶち殺してやるまでだ」
 横に寝かせてあった光条兵器・スプレッドカーネイジを取り上げる。
 鋼鉄の銃は残忍なまでに大きく、その破壊力は月の女神のように無慈悲極まりない。
 1発で、人の頭など吹き飛んでしまうだろう。
 そのときが待ちきれない。
 人の流れに逆らい、正面玄関へと向かう要の口元には、見る者を凍りつかせる凶悪な笑みが浮かんでいた。


『ボク、どうして…?』
 ミシェルは、きょろきょろと周囲を見回した。
(管理人さんが飼ってる猫さんたちが気になって、蒼空学園に来たはずなのに、なんでボク、こんな場所にいるんだろ?)
 ここがどこかは知っていた。
 とてもつらい場所。
 つらくて、つらくて、思い出すのも嫌な場所。
 ここを逃げ出せたときは、ホッとするあまり、大声で泣いてしまった。
(でもおかしいよ? たしかに逃げ出したはずなのに……なんで?
 それともまさか、今までのことが全部夢? ここを逃げ出せたと思ったのは、全部夢だったの?
 佑一さんに出会えたことも…………佑一さんも……全部、ボクの見た夢だったとか?)
『ミシェル』
 いつだって笑顔で、手を差しのべてくれる優しい人。
 彼が存在しないだなんて。
 ぞっとした。
 そんなおそろしいこと、考えただけで凍え死んでしまいそうだった。
『ミシェル』
 呼ぶ声だって、こんなにも耳になじんでいるのに。
(怖いよ……佑一さん。だってこのままじゃ、今度こそきっと、ここでボク…)

「ミシェル、聞こえる? ミシェル」
 佑一は、寝かされたシーツマットの上で何かを求めているかのように震えるミシェルの指先を見て、そっと手に包んだ。
 冷たい手。だが額は燃えるように熱い。
 涙が目じりを伝っている。
「ミシェル…」
 力になれないのがもどかしかった。
 ミシェルを痛めつけているのが姿あるものならば、いくらだって戦える。息の根を止めるのに、いささかの迷いもない。だが、悪夢が相手では戦いようがない。
 ミシェルに石を撃ち込んだ少年は、石を渡せと言っていた。
 蒼空学園が保管している、人心をそそのかす不思議な石。
 あの石については、佑一にも少し知識がある。
 以前、メール事件を解決した際に聞いた話では、直接触れない限り大丈夫で、たとえ触れたとしてもその作用は誘惑の声が聞こえるというものだったはずだ。
 しかし、今回ミシェルたちに撃ち込まれた石は、なぜか一瞬で身も心も捕らえてしまった。

 では、今回の石は、あのときの石とは別物なのか?

 石の保持者だった夜間管理人から、もっと詳しく訊きたかったが…。
 佑一は、部屋の隅で手足を拘束され、壁に向かって丸まっているゆる族の夜間管理人を見た。
 拘束したのは佑一である。
 襲撃があったとき一緒にいた彼は、石を撃ち込まれたミシェルを見て、壁に貼りつくほど異常なおびえを見せた。パニック、錯乱、そういった言葉がふさわしいのかもしれない。
「縛りつけてくれ! 早く! みんなから石をえぐり出してしまわないように!」
 彼は自分の衝動におびえていた。
 人を殺してまでも、石を自分のものにしてしまいたいという衝動。
 石のささやきが聞こえるのだと。

 直接触れていなくても、過去に一度でも触れたことがある者には心に道のようなものができて、近くにいるだけで魅了され、そそのかす声が聞こえるということか。

 考えてみれば、前に手からはたき落としたとき、彼は石に直接触れていなかった。ゆる族の着ぐるみ越しに、魅惑の力を使っていた。だからおそらくはそれ以前――登山靴から取り出した以降のいずれかの時に、直接手で触れてしまっていたのだろう。
 同じように、夜間管理人に声が聞こえるというのであれば、あのときと同一の石にも思える。
「どうすればミシェルを救えるか……情報が足りない」
 足りない部分は、本人から直接聞き出すしかないだろう。
 なぜこんなことをしたのか問いただすためにも、まずは捕らえなくては。
「ごめん、ミシェル……終わったら、すぐ戻るから」
 流れた涙のあとを、指でぬぐい取って。
 佑一はその場を離れた。


(私、どうしてこんな所に座っているのかしら?)
 グリムゲーテ・ブラックワンス(ぐりむげーて・ぶらっくわんす)ははっとして、周りを見渡した。
 何も見えない、真っ暗な闇の中に座り込んでいる。
 いつからこうしていたのか…。
(えーと。たしか、大助や七乃と教室で――)
 でも、ここにいるのはグリムゲーテだけだ。大助も七乃もどこにもいない。
 ドロドロとした闇があるだけ。
「と、とにかく立たないと」
 下腹がぞくりとして、嫌な感じがした。
 立ち上がろうとしたグリムゲーテの足首に、しゅるりとヘビのように闇が絡みつく。
「あっ…」
 バランスを崩し、よろけたはずみで、肩をぶつけた。
 何かがある。
 冷たくて固い物。壁みたいな…。
 ペタペタと手をいろんな場所にあててみて、ようやく自分が丸い筒のようなものの中に入っていることが分かった。
 しゅるりしゅるりと闇がグリムゲーテの足を這い上がる。
 見えないだけで、もしかすると本当にヘビなのかもしれない。
「い、いやっ! やだっ」
 払いのけようと闇雲に振った手に、一度は散ったかに見えた闇のヘビが、再び集まってますますグリムゲーテの体を這い上がってきた。
「嫌! なにこれっ!?」
 もう腰まできているのに払いのけることもできない。
 逃げたくても闇の壁に阻まれてどこにも行けない。
 上にのぼることも。
「うそ! やだ!」
 闇に飲まれる!
「助けて! 大助!」
 必死になって手を伸ばすグリムゲーテの顔を、闇の両手が覆い隠した。


「……ぇ…」
「どうしたっ!?」
 昏睡状態のグリムゲーテから声が聞こえた気がして、四谷 大助(しや・だいすけ)はがばっと前のめりに顔を近づけた。
 だがグリムゲーテは先までと変わらず、玉の汗を浮かべて苦悶しているだけだ。痛みをこらえるようにわずかにゆがんだ口元からは、何も言葉が発せられたようには見えなかった。
「マスター、うわ言です。熱が…」
 ゆっくりと身を起こした大助を気遣って、大助を包むブラックコート――魔鎧――の四谷 七乃(しや・ななの)が言う。
 大助は応えず、洗面器の中に落としてしまった布をもう一度取り出し、絞って、グリムゲーテの額に乗せた。
 ここへグリムゲーテを運び込んで以来、大助の顔は凍りついてしまったように一切の感情を排除していた。視線はグリムゲーテに固定され、はずれるのは今のように、額の布を変えるときだけ。枕元に座りこんだままぴくりともしない。まばたきすら、していないように見えた。
「マスター、グリムさんを襲った敵は、まだ外にいるようです。マスター…」
 大助は何も反応を示さない。七乃の言葉が聞こえているのかすら分からない。
 こんな大助を見るのは初めてだった。
 いつも気さくで陽気な大助。敵を前にしたなら、積極的に仕掛けて行くのが大助ではなかったか? グリムゲーテを傷つけた敵がすぐそこにいると知れば、駆け出して行くに違いないと思ったのに。
 まるで、大助まで悪夢にとりつかれてしまったかのよう。
(マスターに何があったの? どうしたらいいの? ……こんなとき、七乃はどうすればいい? グリムさん)