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酷薄たる陥穽-シラギ編-(第2回/全2回)

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酷薄たる陥穽-シラギ編-(第2回/全2回)

リアクション


■プロローグ

 回復した視力で、打ち寄せる波が見えた。
 音が入ってこないところをみると、まだこちらは回復していないらしい。
 砂の上に寝ているらしいが、その感触もない。

(おか、しい……修復が……遅い…)

 ゆっくりと思考が形作られる。
 自我を形成する程度には結合していたが、まだ体の大半は砕かれ、ほどけたままだ。
 両手の肘から下、腹部から下がない。
 ばらけた石が、砂の上を海ガメのように這って戻ってきている。
 いつ力尽きてもおかしくない速度だ。

(このまま……ここ……で……終わる……のか……)

 あのシラギとかいう人間の放出した力。
 アエーシュマによってやられるとは、皮肉なことだ。
 アエーシュマでは駄目だと、自分が生み出されたのに。

 本当は、自分こそ、不要な存在なのだ。
 今となってはだれも必要としない。
 自分の存在意義は、時とともに風と消えた。

 母が望むのも、アエーシュマだ。


 彼に向けたような笑顔を自分に向けてくれたことがあっただろうか?


 どうにか仰向けになって、月を見上げる。
 こうしていれば、そのうち聴覚も戻るかもしれない。
 吹き飛ばされて消滅した量を考えると、戻らずこのまま瓦礫となる可能性が高いように思えたが。

 ぼんやりとした意識でそんなことを考えていると、母の幻が見えた。

「――かあ……さ、ん…」

 言葉が出た。
 肺の機能が回復したらしい。

《ドゥルジ、私のいとしい息子》

 母・アストーは唇を動かさず、心話で語りかけた。
 彼女は臓器の大半が不全で、言葉を発することができず、両足も動かない。
 再調整されるはずだったが、その前に眠りにつくことになってしまった。

 流れる白金の髪が月光にきらめいている。
 たおやかな美女。
 月を背にしているためか、まさに今舞い降りたばかりの天女のように見えた。


 これほど美しく清い人を、ドゥルジは見たことがない。


「母さん…」
《あなたまで私を置いていくというの?》
「母さん……許して…」

 石を取り戻せなかったことを。
 あなたに、彼を取り戻させてあげたかった…。


 アストーの指がドゥルジの額に触れ、頬をすべり、顎に落ち、胸を流れる。
 幻ではない。
 本物の母だ。

《いいえ。許しません。あなたは私の愛するただひとりの息子――》



 記憶はそこでいったん擦り切れた。



 死滅したエリアを迂回して伸びたプラグがつながったように、再び映像が浮かぶ。
 そこはすでに遺跡の中で、全身の修復は完了していた。

 壊れた自分を見下ろしている記憶。
 そっと大切に抱き上げて遺跡内部に運ぶ記憶。

 アストーの記憶が混ざり合う。
 アストーが、消滅した石の変わりにその身を構成する一部を分けてくれたのだ。


 それは同時に彼女の機能不全因子を取り込むことにもなったのだが、ドゥルジは全く気にならなかった。
 わが身を与えるほどに母は自分を愛してくれていると、実感できたからだ。


 そして体内のジャイロが、あれから10年経ったことを告げていた。


「母さん!」

 いつもアストーが座している玉座に向かう。
 真正面に大きく窓穴が開き、そこから見える景色を彼女は特に好んでいた。
 おそらくは、いつかそこに、アエーシュマの戻ってくる姿が見えるのを待って…。



 はたしてアストーは今もそこにいた。
 月明かりの届かない薄闇の中、部屋に駆け込んできたドゥルジを見て、やわらかくほほ笑む。

《ドゥルジ、私のいとしい息子。お帰りなさい》

 崩壊の進んだ階段の下で、ドゥルジはこの世でただひとり、自分の命より愛する存在――
 この世界における自分の存在理由そのものである彼女を見上げ、再び誓ったのだった。


 必ずアエーシュマの石を集めてみせる、と。


 この優しい母のために――――。