天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

電子の国のアリスたち(前編)-エンプティ・エンティティ

リアクション公開中!

電子の国のアリスたち(前編)-エンプティ・エンティティ

リアクション

「さて、空大での用事は終わったな、そろそろ帰ろう」
 鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)は先ほどの聴講の内容を忘れないうちにメモに纏めようと、どこかの教室に入り込んでいた。
 それも済んだのでレポートやもらったパンフレットを纏めて鞄につめ、ドアに向かった。
「…あれ、開かない? …閉じ込められた?」
 何度取っ手を引いても、がっちりとドアは閉ざされたままだ。鍵をかけた覚えなんてないので、あれぇ?と首をかしげる。
 別のドアも同じく動かないので、氷雨は携帯を取り出して、空大の知人に連絡をとろうとしてみた。
「アンテナ、立ってないや…」
 電波が通じないアナウンスだけが流れ、早々にキーを操作して諦めた。次は窓を見てみよう。
「流石空大というべきだね、防弾仕様だよ」
 もちろんロックされていて、厚いガラスをこつこつと叩いてみれば、衝撃を吸収するための構造でくぐもった音を立てている。この様子だと、出口になりうるようなものは全てダメだろう。
「空大の設備の鍵って、コンピュータで管理されてる、…んだよねえ」
 もらったパンフレットを隅々まで眺めてみれば、そのような記述もあって、八方塞がりであるらしい。
 幸い換気用の小窓だけはあったが、とても人間が通れるようなサイズではないのだった。
 椅子に腰掛けて氷雨は思案した。
 (うーん…コンピューターのバグだとすると、ボクは専門外だし何も出来ないからな…大人しく助けを待つしかないな)
 今のところお腹は空いていないし、空気は通っている。どうしてこうなったのか、ゆっくり状況を考える時間はあるのだ。
 (やっぱりおかしいよね。鍵を管理しているコンピューターのバグなんて、普通ありえないし、学校の信用問題にも関わる)
 (そんなことがコンピューターとか、最新テクノロジーに明るいこの学校で起きちゃうなんて)
 (メインコンピューターとか、そういう所に何か侵入したんだろうか)
 真面目な顔で思案していた氷雨は、しかし次第に頭痛をこらえるような渋面になってきていた。
「ムムム…駄目だ。考えてもよくわからない! 情報が少なすぎる…」
 ふと窓から遠くを見渡せば、別の棟でも窓際でガラスを叩いている人が見えた。様子がおかしいのはここだけではなさそうだ。
「とりあえず、今ボクがここにいるということを知らせなくちゃ」
 レポート用紙を何枚かちぎり、教室のナンバーと名前、所属を大きく書き連ね、紙飛行機に折って換気窓から外に飛ばす。
 しかし待つだけではダメなのだ、校内の全部がこうなっているのなら、契約者ではない生徒達など、もっと耐えられない状況に陥っているかもしれない。
「よし、なんとしても外に出られる方法を探さないと」
 状況を打開するため、そして知るために、氷雨は立ち上がった。

 ピリリリリ!
「…おっと」
 突然携帯が鳴って、アール・エンディミオン(あーる・えんでぃみおん)は素早く通話を繋げた。
「もしもし、どうした?」
 微妙に自分を避けがちなパートナーの村主 蛇々(すぐり・じゃじゃ)からの電話だ、何かあったのか…
『うわああああぁん! 此処どこなのよおお分かんないよぉお…せまいの、出られないよぉ…』
「い、今どこにいるんだ、わかる範囲でいいから話せ!」
 しかし耳を離しても聞こえる『ふぇえええぇん!』という泣き声を最後に通話が途切れてしまう。おまけに電源が切られたようだ。
 彼女は今日空京大学の見学に向かっていたはずだ。しかし残念ながら空京大学に知人はいない、誰の助力も頼めそうになかった。
「…困った奴だな。迷子な挙句に何処ぞに閉じ込められるとは」
 急いで武器や力になりそうなものを用意して大学へと向かう。

 蛇々は、力いっぱい携帯を握り締めたあげく電源を落としてしまったことにも気づかずに、閉じ込められたパニックに陥っていた。
 ドアが開かない、窓も開かない、さらに雨戸のようなシャッターが降りていて、多分外から気づいてはもらえない。
「だれか、だれか気づいてよぉ…」
 ドアを叩く小さな手が真っ赤になっても、なお喚きながらドアをぶつ。
 小さな部屋だ、教室のような広い場所ではなく、薄暗い倉庫のような場所だ。整然と荷物はコンテナに収まり、中身はわからない。
 つまり、この場所の推測もできないのだ。取り残されたような気持ちが膨れ上がり、蛇々はさらにドアを叩き続けた。
 面白そうだからといって、暇を見つけて大学見物に行くのではなかった。天御柱学園にはないものがいっぱいあるのが悪いのだ、いっぱい目移りしてしまって、こうやって迷子になってしまうから。
 必死で自分の居場所がどこなのかを思い出そうとするが、断片的なイメージがぼんやりと浮かぶばかりだ。たくさん階段を昇ったような気もするし、降りたような気もする、混乱がどんどんとイメージを取りこぼしていった。怖かった。
「…た…助けがこなかったら、どうしよう…」
 アールは、助けにきてくれないかもしれない。いつも突き放すようないじわるをしてしまうし、彼はほんとうに私と契約してよかったのだろうか。ほてった頬にぽろぽろと涙がつめたく落ちて、頭がぐらぐらとしてきた。
 ふと手のひらが痛いと思って視線を向けると、叩きすぎたのか真っ赤になっていた、しかも爪でひっかいたらしく、指から血がにじんでいる。
 じっとしていようという気持ちと、そうしてずっと気づいてもらえなかったら、という気持ちがせめぎあった。
「やぁ…やだやだ、やだよぉ! 誰かぁ!」
 膨れ上がる絶望感をがむしゃらに振り払うように、なおもドアを叩き続けた。

 大学にたどり着いたアールは、校内が異様なざわつきに満たされていることに気づいた。
 その辺りの学生を捕まえれば、ハッキングを受けたとかでトラブルが発生していることを教えてくれた。
「なるほど、それで閉じ込められたのだろうな。…半分くらいは」
 さて、彼女はどこにいるのか。
 精神感応で彼女とコンタクトを取ろうとすれば、必死で自分のいる所を思い出そうとしているのだろう、まとまりのないイメージが流れ込んでくる。驚かせないようにこちらからのコンタクトはやめ、そのイメージを受け止められるだけ受け止めていく。
 イメージは断片なのだが、ルートを辿っているらしく、どの棟であるかはすぐに特定できた。
―蛇々、どこにいる。多分近くに来ているからな。
 恐れにまみれた思念が返ってひやりとした。もはや質量まで孕む恐慌の気配に、このままでは危ないと細心の注意を払ってなだめかかる。
―よく頑張った、もう少し待て。そうしたら其処から出してやれるからな。
 既にやれることをやりつくした彼女の無力感がざらつく、移動しながら問いかけていると、大体の位置が絞り込めてきた。
 そんなに離れた場所ではないようだ、せいぜい2階か3階くらいのところにいる。
「ここの棟に、小さな部屋というのはあるだろうか? パートナーが閉じ込められて、狭い所にいると言っているんだ」
 空大生と思しき学生を問い詰めると、しばらく思案したあとに答えが返ってくる。
「ええと、資料室があったと思う。狭いというならそこくらいしか思い当たらないよ、2階にある」
「感謝する」
 最短ルートを進もうとするの前に防火シャッターが立ちはだかる、それにとりつこうとする学生達を叫びで制し、近くにあったオブジェをサイコキネシスで持ち上げ、全力で打ち出した。
「退けぇ!」
 轟音をたててシャッターがひしゃげる、人が通れるようになるまで、また障害にぶつかる度に彼はそれを繰り返した。

 アールがきてくれた、精神感応の気配はもうすぐ近くにいることを示している。
 蛇々は力のはいらない足を必死に奮い立たせて立ち上がった。
 やがて駆け寄る足音がすぐ外に、そしてサイコキネシスの力が膨れ上がる。
 ドアの電子錠の機構がへし曲げられて、あれほどかたくなだったドアがゆっくりと開いていった。せっかく立ち上がったのに、また力が抜けていく。
「心配する奴がいるだろう、次からはもう少し冷静に行動しろ」
 それを聞いて、へたりこんだままの蛇々はぼろぼろと涙が止まらなかった、アールはしゃがみこんでそれを拭ってやろうと手を伸ばしたが、いつも怯えられることを思い出して手が止まった。
 しかし、当の蛇々はそのまままぶたを落とし、小さな身体はことりと力尽きて倒れこんでくる。それを咄嗟に受け止めた。
―…ありがと、ありがとう…
 触れた場所から、蛇々のそんな思念が流れ込んできた。
「…お前の見る夢が、悪夢でないことを祈るばかりだな」
 アールの頬には、何故か蛇々が目撃する機会のない微笑がのぼっていた。


 血濡れの サイ(ちぬれの・さい)は人待ちの間に教室内を眺め回していた。
 行儀悪く机の上に足をかけ、目元だけを覆うマスクの下からじろじろと、見物という名の物色を行っている。
 (暇だぜぇ〜。なんかおもしろそーな奴でも見つけてちょっかいでも出すか〜。…ん?)
 彼の目は、ドアの周りで騒ぐ学生達に向けられていた。漏れ聞こえた会話は、彼の意識を強く引くに足りた。
「…ドアが開かない」
「内線も携帯も通じないぞ…」
「…窓は? 駄目なのか!?」
 (…何だと?)
「サイ、何をたくらんでるネ、どうしたネ?」
 同じく人待ち顔のボン キュボン(ぼん・きゅぼん)が問い詰める。その横でウササン・クササイ(うささん・くささい)も周囲の異様な空気を嗅ぎ取った。
「…思い切り面倒な予感がするんだけど」
「なんかさ、閉じ込められたらしーぜ?!」
「閉じ込められた…!? どういうことね? 誰かの不手際アルか?」
 キュボンが激昂する、責任者を出せと喚き散らすのを、ウササンは耳をふさいで逃避した。
「最悪だ。なんで? …よりによってこいつらも一緒なときに…」
「いやいや、この密封された空間、緊迫感…たまんねぇよオイオイオイィ!」
 その時、アキラ 二号(あきら・にごう)の精神感応がサイの意識をノックした。
「んあ? 二号か」
―今そちらに向かっておるが、なにかトラブルがあったようだ。そちらの様子はどうだ?
―閉じ込められたみたいだけど、大丈夫だぜ。
―何をろくでもないことを。
―そう、極限状態の殺し合いとか、すっげぇ面白そーだしよ!
―アホか、わしはそんな面倒なことにかかわりとうないわ。助けにいくから、おとなしくしておれ。
 着いたらまた連絡をする、と精神感応を切られた。暴れるなと釘をさされ、サイはふてくされた。
「けーっ! つまんねえつまんねえつまんねぇ!」
「うるさいネ、二号はどうした? 早く来いアル」
「もうじき来るってよ、それまでおとなしくしてろってさ、つまんねぇ!」
「早く出る方法を見つけようよ。うっとうしそうな人間たちがわんさかいるよ」
 いかにもヤバそうなヤンキーが八つ当たりに叫び、チャイナドレスのナイスバディがこれまた八つ当たりに備品を殴りつけ(哀れにもひしゃげた)、愛らしいうさぎの着ぐるみがぶつくさと毒を吐く(トラウマものだ)。
 そんな集団を遠巻きにする学生達をこれまたサイは威嚇する。
「嫌だよ、こんなところ長くいたくないよ。おんなじ空気吸いたくないよ」
 ウササンがうんざりと毒を吐き、緊迫した空気がさらに張り詰めたものになった。