天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)

リアクション公開中!

【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)
【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回) 【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回) 【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回) 【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)

リアクション


■第29章 策略の全貌

 北カナンまで空路で3日。不眠不休で飛んでばかりもいられない。
「はやる気持ちは分かりますが、セテカさんはメラムのときも最低5時間はとっていました。今度もそうしているはずです。ですから引き離されることはないでしょう。われわれも休憩をとるべきです」
 いざ向こうに追いついたとき、こちらが疲弊していては何もならない。
 六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)からの冷静な提案を受け入れて、バァルたちは地上に降り、適当な岩陰に野営を張ることにした。
 バァルは脱走したときのままで剣一つしか持ち物はなかったが、コントラクターたちは荷物のほとんどを飛空艇に常備していたようで、さっさとテントを張り始める。
「バァルさんはワイと一緒の使えばいいから。十分広いし」
 切の提案にバァルは素直に頷きを返して、彼らが作業をしている間に黙々と枯れ木を集め火を熾した。
 そして屈託ない会話をしながら各自持ち寄った食料で、結構和気あいあいと夕飯の用意を始めたコントラクターたちを、炎越しに見る。
「要さん、一度にそんなに入れてどうするんですか…」
 鍋いっぱいにどっさり山盛りされたレトルトパックを見て、先ほど話しかけてきた六鶯 鼎が見るからにげんなりとした顔になった。
「え? もちろん全部食うんだよん」
 要と呼ばれた隣の男は、けろりと言って、さらに鍋の隙間から水を足そうとしている。
「それで火にかけたって、爆発するだけでしょう! ええい、貸しなさい! 私がします!」
 鍋をひったくり、レトルトが同製品ばかりであるのを確認して、鼎は中身をドポドポ鍋に移し始めた。いっそこうして火にかけた方がいいという判断だろう。水を使わずにすむ。
「おー、頭いい」
「いいからあなたは向こうへ行って、ごはんを炊く手伝いでもしてなさい」
 しっしと冷たく追い払われたことにもめげず、月谷 要(つきたに・かなめ)は素直に従って霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)の方に行く。彼女は要専用の大鍋を使って、無洗米5キロを炊こうとしていた。
「あ、悠美香ちゃん待って! 俺が下ろすからっ」
 アルバトロスから重い鍋を引き出そうとしていた彼女にあわてて駆け寄る。悠美香は素直に応じてその場を譲った。
「……5キロで足りるかねぇ?」
 いや、全然足りないと思う。
 うーん、と真剣に悩む要に
「おなかの方を合わせないと。帰りも入れたら6日分の食料なんだから」
 これまた真剣に悠美香が答える。
「げ。全然足りない」
 きっちり隙間なく山積みされた食料は、普通であれば全然余裕の量だが、普通でないのが要である。
「サバイバルだ…」
「でも、これがいいチャンスだと思わない? 常人に戻れるチャンス。頑張って要。ファイト」
 どこまで本気でどこから冗談か……そもそも常人は5キロの米を一気に食べたりはしないのだが。
 悠美香はザーッと鍋に米と水をあけると、要の手伝いで調理用の火にかけた。
 見るともなしにぼんやりその光景を見守っているバァル。そこに突然にゅっと脇から伸びた手が、火の脇にY字型の棒を突きたてた。
 火の上に、やはり鍋のぶら下がった棒を渡らせ、人数分のスープ缶を湯せんにかける。
「じき温まりますよ〜。そのまま食べてもおいしいですが、スープはやっぱりあったかい方がいいですよね!」
 バァルからの視線に気付いて、影野 陽太(かげの・ようた)が親しみのある笑顔でにっこり笑った。
「ああ…」
 内心かなりとまどいつつ、バァルも言葉を返す。
 六鶯 鼎、月谷 要、霧島 悠美香、影野 陽太、皆学校は違えど、切の友人だという。
 あのあと。
 六黒とアルコリアたちが戦闘を始めた隙にザムグ脱出を果たした彼らの背後に、数機の飛空艇とワイルドペガサスが浮かび上がった。
 追手と、すかさずスナイパーライフルを向けたリゼッタの前。
「わー! 待った待った!! 待ってください!」
 先頭にいた陽太が大慌てで両手を挙げて振って見せた。
「ああリゼッタ。そいつらはいいよ」
 彼らは切の声がけで集まった者たちだった。セテカと北カナンへ向かったコントラクターたちはゆうに20人を超える。少しでも味方がいた方がいいという算段で、追手だった彼らを説得し、引き込んだのだ。
 邪魔をする気はないと言うから、黙認したバァルだったが…。
 彼らは反乱軍側の人間だというのに、なぜこんなことをするのか、バァルには不思議だった。彼らが事情を知っているとは思えない。館から町を出るまで数分。そんな時間はなかったはずだ。なのに切が声をかけたというだけで――友人である切を信頼して、こちらに転身した。
 それは、裏切り行為とも言うのだが。

『裏切りじゃない。自由なんだ、俺たちはね。自分の自由意思で行動するし、仲間としてそれを尊重もする』

 昨夜聞いたトライブの言葉を思い出す。
 軍として見ればこれほど致命的なことはない。おのおのが自由意思で動いていては計画遂行の大きな妨げとなり、効率性が失われる。だが、彼らはもともと軍人ではないのだ。むしろ、傭兵に近いと見るべきかもしれない。セテカによれば、動機は金銭ではないということだが…。
 ――セテカ。
 その名が浮かんだ途端、再び真っ黒な沼のような怒りが胸にこみ上げてくる。
 今思い出したところで何ができるわけでもない。どうにかして抑え込もうとするが、うまくいかなかった。
 何時間経とうと薄れることのない怒り、腹立たしさ。
 これほどひどい仕打ちは、かつて受けたことがなかった。
 今この瞬間も、ざくざくと胸を切り刻んでいる痛みに、吐き気までしてくる。
(どうして…)
「バァルさん……飲む?」
 無言で、ずっと立てた膝の間でうなだれているバァルに、切がカップを差し出した。
 先ほどのスープが温まったのだ。もうそれだけの時間が流れたのか。
「――ああ。ありがとう」
 心配げに見下ろしている彼から差し出されたカップを受け取る。
「もうじきカレーもできるから。それまでこれ飲んでて」
「カレー?」
「あれ? 知らないんだ? おいしーよ」 
 調理用の火にかけた鍋から強い香辛料のにおいがしていた。鼎が黒っぽい、どろりとした中身を掻き混ぜている。見た目はとてもそうは思えないが、においはたしかにおいしそうだ。
 そんな彼の前、自分の目を盗んで勝手に大皿に盛りつけようとした要の手をぱちりとはたき落とした鼎が、またぎゃいぎゃい言い合っている。
 そこへ、何者かが飛来した。
 全員がそれぞれの得物を手に、瞬時に攻撃体勢をとる。
 向けられた銃口の先、闇の中からよろめくようにしてあかりの届く範囲に現れたのは、瓜生 コウ(うりゅう・こう)だった。
 彼女はSPリチャージと封印解凍を繰り返し、宮殿用飛行翼でなんとかここまで飛び続けてきたのだ。
「大変」
 どう見ても気力だけで立っている、足元がおぼつかない彼女の姿に、あわてて悠美香が駆け寄る。宮殿用飛行翼をはずさせ、夜気にすっかり凍えた彼女を支えつつ、悠美香は火のそばに連れて行った。
「どうしてだ…」
 地面に崩れ落ちるように座ったコウは、向かい合わせに座しているバァルを睨みつけた。
「一体、なんだって、こんなことを…。オレたちは、ちゃんと客人待遇で扱っていたし、ドアに鍵もかけていなかった。話してくれさえすれば何だって聞くのに、なんでひと言もなく夜に逃げ出したりするんだ! そこまでオレたちを拒まなくてもいいだろう!?
 シャンバラ人がキライなのは分かるが、シャンバラの契約者だたちの介入がなければ血はより多く流れただろう。その例の1つがあのアジ・ダハーカだ。契約者が止めなければ、あの邪竜は敵味方ともどれだけ殺戮しただろうか? ザムグの町の者たちだって今ごろ無事ではすまなかったはずだ」
「今そんなことは関係ない」
「なんだと?」
 一言の下に切り捨てられて、途端コウは気色ばむ。
 それきり黙り込んだバァルに、どう見ても説明する気はなさそうだと判断した切が、代わりに事情を説明した。
「あの反乱は最初から、セテカさんとバァルさん、2人の計画した芝居だったんだ…」
 東カナン中にあふれたモンスター、荒廃による飢餓。彼自身、今の状態は間違いだということを知っていた。
 そして、西の領主が再び反旗を翻し、シャンバラの人間を味方とすることで成功していることを知った領民が、彼にマルドゥークと同じことを求めているのも分かった。
 最初の抵抗で西と南が敗北したことから、慎重論を唱えてバァルの選択を良と認めた騎士たちや軍の中にもやがて、彼が動かないことを疑問視する者たちが出始めた。
 ナハル派の動きも気にかかる。ここで領民たちをあおって打倒領主の内乱を起こされては、東カナンはますます衰退してしまう。
 だがエリヤのこともあり、ネルガルに忠誠を誓っている手前、表立って動けないことに苦しむバァルの代わりに自分が領民を助けると、セテカが提案したのだ。

「おまえにできないのであれば、俺が為そう。俺を追放しろ、バァル。そしてネルガルには、あれは追放者たちが勝手にしていることと報告すればいい」

 アガデの都からバァルに不満を持つ者たち――主に過激派――を排除することにもなる。ガス抜きだ。
 そうしてセテカは兵を募ることで彼らを引き込み、アガデを離れた。
 領民を救い、モンスターから解放する。それが、反乱軍の主目的のはずだったのに。

「ネルガルが文句を言ってきても、せいぜいが北カナンから書状を出すぐらいだ。西や南に不穏な気配のある今、東カナンの辺境なんかにネルガルが関心を持つはずがない。バァルさんとしても、さすがに毎回見逃し続けるわけにはいかないから兵を出す必要は出てくるけど、適当に交戦したフリをすればいいと…。
 だけど、まさかネルガル本人がアガデに来るとは思いもしなかったんだ。バァルさんが巡察を知ったのは、セテカさんたちがアガデの都を出てからだった」
 切の説明に、コウの脳裏でひらめくものがあった。
「――まさか、アガデの都にいて、敵襲を知らせてくれていた人って…」

『そうだよ、みんな。彼の言う通り。だれもあなたたちを見捨てやしない』

 メラムの町で礼拝堂の女神像を用いて顕現したイナンナの言葉は、全員に伝わっていた。
 あれは、バァルを非難していたときに出た言葉ではなかったか。
「あんただったのか? あんたが全部、危険を冒してオレたちに情報を流してくれていたのか!?」
 コウの問い詰めるような視線にも、バァルは何の反応も示さなかった。どうとでもとればいい、そんな投げやりな姿にも見える。
「――アバドンより貸与されたダハーカが斃れて、正規軍が無傷で戻るわけにはいかない。そんなムシの良すぎる話はさすがに不自然すぎる。だから2人は、バァルさんが捕まるという計画たてたんだ。司令官が捕まれば軍は撤退しておかしくない。そしてバァルさんをワイが救出し、正規軍はアガデへ退くという手筈になってた」
 戦争に犠牲はつきもの。全くない戦いなどあるわけがない。しかしアバドンがダハーカを入れなければ、あそこまで拡大することはなかった。コントラクターたちがセテカの言う通り並外れた能力者たちであるなら、戦闘となっても不殺で最低限に抑えられると読んだのだが。
 予想外だったのはダハーカが檻を突き破る早さと距離だった。セテカたちが駆けつける時間を読み違えた。もっと距離をとっておくべきだったのだ。そのせいで、無駄に命が失われた…。
「昨夜の戦いは、そもそもなかったはずだったんだ。あったとしても、反乱軍の規模に合わせた兵力で、せいぜいが将軍数人規模の討伐隊。
 さっきも言ったけど、セテカさんも、それは芝居の範囲内だった。そしてセテカさんなら他の将軍たちと渡り合っても十分出し抜けるだけの力があると、2人とも考えていたんだ。
 でもネルガルが、正規軍全軍を指揮するようにバァルさんに命じた。……まぁ、全軍といってもあのとき召集できるだけの兵力だったわけだけど。それでも反乱軍正規軍両方合わせて東カナンの3分の2近くの兵力があそこに集結してた。アバドンは、東カナン軍の力をダハーカで一気に削ぐつもりだったんだ」
「何のためだ? 東カナンは北カナンに従順に従っていたじゃないか?」
 切は肩をすくめて見せた。
 それに答えられる者は、多分1人もいない。アバドンの考えがどこにあったかというのは、アバドンにしか知りようがないことだ。
「それで、バァルさんは2人の芝居が全部バレてたって考えた。粛正のためにアバドンがダハーカを入れたに違いないって」
 そこまでが昨夜、切がバァルから大まかに聞いた話だった。
 ちら、と火を囲んだ全員の様子を伺う。
 どうやらみんな、絶句してしまっているらしい。鼎もカレー鍋を掻き混ぜる手がすっかり止まってしまっている。――火が消えてしまっているから、焦げてはいないみたいだけど。
 あの戦いのさなか、この反乱が最初から計画されたものだったということを知ったとき、切もまた、うまく口をきくことができなかった。
 村や町をモンスターの脅威から救うためというのは本当だったけれど、民意を集めて領主に起ってもらうためというのは全くの大うそだったわけだから。
 反乱軍と行動をともにしていなかった切でさえ、唖然となった。
 ずっとセテカと行動をともにしてきた彼らが、最初から騙されいいように利用されてきたのだと考えてもおかしくない。
「……よく分からないけど、ワイはとにかくバァルさんを一刻も早く救出するべきだと考えたんだ。だってもしものとき、捕虜の身だったら軍を動かせないからねぇ」
 もしモンスターが現れて布陣している軍を襲ったりしたら……それをザムグで見ているしかないバァルが、どれだけ傷つくか。
「それで館に行って、知ったわけ。セテカさんは、バァルさんが捕虜となっている間にザムグの町を離れて北カナンへ行ってしまったって。計画にない神聖都の砦を攻略していた上、エリヤくんを救出するって――」
 ――しまった。
 ぱふっ、とあわてて自分の口をふさいだが、もう遅い。出た言葉は返らない。
 エリヤの名は、多分、今のバァルにとって禁句のはず。おそるおそる、バァルの方を伺った。
 凍りついた無表情。思いつめた目で、炎を見つめている。
 長い沈黙を経て、ついにバァルが重い口が開いた。
「救出などであるものか。あいつの狙いは、エリヤを…。
 あいつは最初から、反対だった。ネルガルに従うべきではないと。どんな甘言にも耳を貸すなと言っていた。だがそんなことができるものか!
 だからわたしは、あいつを遠ざけた。偽りの用事を言いつけて、アガデから追い払った。アバドンにエリヤを引き渡す邪魔をされないように。
 そうと知ったとき、あいつはたしかに激怒した。だが最後には分かってくれたと思ったんだ。わたしにはもう、エリヤしか残されていないことに…」
『エリヤは俺にとっても大事な弟だ』
 理解したフリをして。セテカはそのときから考えていたに違いない。どうにかして北カナンのエリヤの元まで行くのだと。
 離反者として東カナンから距離を置いたのがその一歩だ。
 もちろん計画を可能にしたのはコントラクターたちの能力である。マルドゥークとの会談の時点では、そこまで読めてはいなかったはずだ。だがそれ以降、彼らを知り、その能力を知ったセテカは、反乱軍を利用するよりもこっちが近道だと考えたのだろう。
 計画に彼らを組み込み、自分を信用させ、あおり、誘導し、コントラクターたちの意思で動いているようにエリヤ救出案を出させた。

「カナン人のあんたたちにはできなくても、俺たちにはできる」

 エリヤを救出するべく動いたのは東西シャンバラ人たち。東カナンは関係ない。
 実際、救出に向かっただれが捕まったとしても、彼らはそう答えるだろう。挙兵に非協力的なバァルの信頼を得るために、自分たちが考えついたのだと。
 そして、反乱軍兵士はこの救出計画に1人も加わっていなかった。アバドンの隊を襲撃する中に若干加わっているが、反乱軍が東カナンでアバドンを襲撃するのはおかしなことではない。肝心なのは、北カナンへ向かっているのは東西シャンバラ人たちだけということだ。バァルが捕虜となっている間に東西シャンバラ人が勝手に動いた、という図式になる。
「で……でも、セテカさんが加わっていますよね?」
「あれは追放者だ。東カナンで捕まれば処罰される身。反乱軍全員が北へ攻め込むとなると話は違ってくるが、セテカ単独であればなんとでも言い訳はつく。
 反乱が芝居であるとアバドンは感づいていたかもしれないが、証拠は何もない。実際、今となってはそこまで読んでいたかどうかもあやしいところだ。東カナンに砂は降っていないし、モンスターの襲撃もない。あるいは…………いや、それはこの際どうでもいい。
 重要なのは、あいつの目的がエリヤの命だということだ。わたしがそんなことを命じるはずがないと、ネルガルは知っている」
「――成功しても、失敗しても、このことでネルガルのうらみを買うのは東西シャンバラ人というわけですか」
 鼎は再び鍋を混ぜる手を動かし始めた。ほかほかと湯気の上がるそれを、皿に盛りつけてあったライスに移す。
 まぁ、すでに敵対行為をとっているから、今さらではあるが……他人の計略で踊らされているというのは、ちょっと気に入らないかもしれない。
 皿を受け取った悠美香が、スプーンと一緒に全員に回していく。
「それでバァルさん、どうするの? エリヤくんの救出阻止に向かうのは分かるけど、そんなことをしたらバァルさんが――」
「神殿に入る前に捕まえられればいいが、間に合わなければ反逆者としてあいつを斬り、首をネルガルに差し出す。東カナンもエリヤも守るには、それしかない」
(わたしに討たれるような真似はするなと、あれほど言ったのに…)
 最後に会ったとき、セテカは笑った。お互いさまだと。おまえの望みをかなえて、そのせいで弑逆なんてシャレにならないからな、と…。
 あいつの用いるうそは、優しくて。いつだって、そうと知るまで気づけないんだ。
 バァルは胸の痛みに堪えるよう、ぎゅっと目をつぶった。



 朝がきた。
 朝とはいえ、まだ東の空がうっすらと明るくなった程度だったが、それでも夜明けは夜明けだ。
「ふわああぁ〜」
 切はごそごそ天幕から這い出して、眠気を払拭するように大きく伸びをした。
 結局話と夕食が長引いたせいで、3時間そこそこしか睡眠がとれなかった。おそらく、今日はこれから小休止を挟むだけの強行軍になる。
(居眠り運転だけは避けたいよなぁ…)
 リゼッタは自分のヘリファルテがあるし。交代に、というのも――……あ、いた!
 ごそごそ悠美香の天幕から出てきたコウを見て、切はぽんと手を叩いた。
 あのあと、彼女はザムグの町へ戻るのは断念して――帰ろうとしても途中で墜落するのは目に見えていたので――悠美香の勧めで彼女の天幕を借りることになっていたのだ。
「コウ、ちょっと話があるんだけどー」
 切からの、アルバトロスに同乗してキシュへ向かうという案に、コウは2つ返事で頷いた。
「バァルさん、彼女も一緒に行くって。いいよね?」
 すでに天幕から出て、濡らしたタオルで顔を拭いていたバァルに呼びかける。
 バァルと視線が合った瞬間、コウはカッと頬を赤くした。
「か、勘違いするんじゃねーぞ。たまたま行く先が同じなだけなんだからなっ」
 ……うーん。ツンですねぇ。
 面白いものを見た思いで口元をヒクヒクさせながら、切は1つだけシーンと静まり返った要の天幕に近づいた。
 どうやらまだ寝ているらしい。
「おーい、時間だぞ。もう起き――」
 シャッとチャックを引き下ろし、頭を突っ込んだ切は、そこにあり得ない光景を見て絶句してしまった。
 暗い天幕の中、悠美香がいる。
 しかも仰向けになった要の上に半身を乗せて。
「………………ッ!!!」
 これぞまさしく家政婦は見た!(家政婦じゃないけど)
 思いっきり目を見開いてまじまじガン見していた切の気配に気づいて、要が目を開ける。
「……ん…? 朝…?」
「――あー……あさっ、朝、朝、朝だからっ。ワイ、食べ物用意するわ」
 自分でも何言ってるんだか分からないまま、切は大急ぎ頭を引っ込め、チャックを引き上げた。そのままスタコラサッサと天幕から走って逃げて行く。
 一方、要は切のパニクった意味がよく分からないまま、肘をついて身を起こそうとし――体にかかった負荷に「あ」と悠美香の存在を思い出したのだった。
「――ああ、そっか」
 これ、見られちゃったのか。
 そして勘違いされたと。
「……ま、2人とも服着てたの、すぐ気づくでしょ」
 あわてて追う必要ないかと、ぱたり、再び仰向けになる。そして、自分の胸の上に乗った悠美香を見下ろした。
 悠美香はまるで猫のように両手を頬の脇につき、くうくうと気持ちよく眠っている。
 2人がついに想いを通じ合わせ、高まる情熱からめくるめく夜をともにした――とか、そんな色っぽい話では全然ない。
 神聖都の砦で悠美香の衰弱の原因が要に置いて行かれそうな不安感であると判明したため、あくまでその治療の一環として、添い寝することを思いついたのだ。
 要の心音とか。ぬくもりとか。においとか。寝ている間も要を感じることによって、彼女の不安感を少しでもなくそうというわけだ。実際、2人で寝るようになってから悠美香の寝つきは良くなっている。睡眠不足による衰弱が解消されつつあって、食欲も出ているようだし、それに比例して精神も安定してきているみたいだ。
 しかし。
「あー……さっきようやくうとうとできたと思ったのに。もう朝かぁ…」
 腕で目を覆う。
 そうして目に入らないようにしても、悠美香のぬくもりや感触、においは引き剥がせない。もう移ってしまっているかもしれない。だとしたら最悪だ。どこにいても、何をしていても、悠美香を常に意識することになってしまう。
 十代の若者に、これは心身ともによくない。
 いつ自制心がぷっつりいくか、知れたものでない。
 今でさえ、どこかに壁があったらガッツンガッツン頭をぶつけたくなるくらいだというのに。――いや、この際地面でもいいかも。とにかく血が吹き出すぐらいやらないと、上った血は下がらない気がする。だがそうしたくても、悠美香が上からどいてくれないと無理だ。そのためには起こさなければいけないのだが、せっかく眠れている彼女を起こすのもなんだかなー…。(以後ループ)

 あくまでこれは悠美香を気遣っての、治療行為なのだが。
 早くよくなってくれないと、今度は要の方が重度の睡眠不足に陥りそうだった。

 

 藍色が薄れ、明けていく北の空を見上げているバァル。
 その胸に去来しているのは、愛する弟エリヤを守り抜く決意か、それとも彼を裏切った親友セテカを斬る決意か――。
 1人静かにたたずむ孤高の背を見ながら、鼎はディング・セストスラビク(でぃんぐ・せすとすらびく)を召喚した。
「なんですか? 鼎さん」
 瞳と髪の色以外、まるで双子のように鼎とよく似た悪魔が現れる。2人の外見は夜と昼、闇と光のようだったが、かすかに笑んでいるような口元、そのくせどこか醒めた眼差し、それらが作り出す雰囲気が水面の映し身のように錯覚させる。まして契約の印により、鼎の髪が黒く、瞳が青くなった今、2人の距離はますます縮まって、酷似していないところを探す方が難しかった。
「またこんな砂っぽい所へ呼び出したりして。前に言ったでしょう? 冷暖房完備された室内でしか私を呼び出してほしくないと。どうしてくれるんですか、服がこんなに白っぽくなってしまいました」
 ぱんぱん、と袖についた砂埃をこれみよがしに払う。
「あとでクリーニング代を請求しますからね。え? 悪魔がクリーニング屋を使うかですって? そんなのあなたには関係ないでしょう。服は洗うんですから。ちゃんと請求書出しますからその金額で払ってくださいよ。あ、振込みでもいいですけど振込手数料はもちろん鼎さん持ちですからね。請求額から引かないように」
 無表情でつらつらと、立て板に水の勢いだ。
 鼎はかなりこの悪魔が苦手だった。
 他人から見れば、中身もそっくりだとしか言いようがないのだが。
「それにあなた、こないだ私のシュークリーム食べたでしょ。隠そうとしても無駄です。証拠はあがっています。あれ1000Gもするんですよ? ツァンダで最近できた行列のできるパティシエのお店で買ったんです。弁償しなさい弁償。今すぐ、キャッシュで。でなかったら空京の有名なケーキをホールで買うと誓約書を書きなさい。もしくはこちらの美味しいスイーツです。え? それもない? あなた、何のために私を呼び出したんですか」
「……少なくとも現金を渡したりケーキを食べさせたりするためじゃありませんね…」
 ついでにコントをするためでもない。
 さっきからの2人の会話を聞きつけて、口元にこぶしをあて、くつくつと笑っているバァルの姿に鼎は半面を覆ってしまった。
 やっぱり召喚するんじゃなかったかもしれない。
「……ディング、あなたの装備を彼に渡してください」
「はぁ?」
 ディングが振り返り、バァルを見る。
「私はコンテナではありませんよ? 鼎さん。ワードローブでもないんですけど」
「いいから。渡しなさい」
 ぶちぶち、ぶつぶつ。
 Gがどうのこうの、請求がどうのこうのとつぶやきながら、ディングはヴァンガード強化スーツ等を鼎の手に乗せた。
「ではバァル様、こちらをどうぞ。シャンバラではすでに型落ちのような物ではありますが、こちらでは十分使える代物でしょう」
「バァルさん、これらはあなたの身体能力を上げる効果が有ります。エンブレム、スーツ、翼は貴方の素早さを上げてくれます。
 あと……気休めかもしれませんが、女神イナンナのお守りです。気が進まなくても装備しなさい。鎧装束がない今の姿で敵の根城へ飛び込むのは無謀すぎます。手段を選んでる場合じゃないでしょう? 弟さんのためです。装備してください」
 2人から差し出された装備一式を見て、しかしバァルは首を振った。
「駄目だ。わたしがそういったものを身につけて中へ入っては、東西シャンバラと東カナンの癒着が疑われる。反乱が芝居であった証拠となってしまうだろう。
 北カナンへ向かうというのがきみたちの自由意思である以上止めはしないが、シャンバラがマルドゥークやシャムス、反乱軍の味方をしているのは知れ渡っている。きみたちの命が危険だ。神殿に入ってはいけない。もしどうしても入るというのであれば、絶対にわたしの味方であるような態度はとらないでくれ。わたしもきみたちの力にはなれない――すまない」
「……分かりました。では、私たちはあなたの邪魔をしようとするコントラクターたちを引き受けましょう」
 バァルは、一番上に乗っていたイナンナのお守りを持ち上げた。
「これを、きみからの気持ちとしていただいていこう。服の下に入れておくよ。ありがとう」