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第5章 山岳の風 2

 ある意味では――予想通りと言えなくない。
 悪の秘密結社に洗脳されているとか、ヒーロー御用達の状況にあったわけではないが、『子供が巣にいる』というのは当たっていたわけだ。無論その確証は――巣へと赴いて調査を行った仲間によるものなのだが。
「ま……そっちはそのお仲間さんたちにお任せして、私たちは私たちに出来ることをやりますか」
「ほいほい。わっかりましたよマスター。……要するに、誰かが何とか状況を打開するまで耐えるか、あるいはあいつを気絶させりゃイイワケだ。へへっ……口で言うほど簡単なことじゃネェがな」
 そう――口で言うほど簡単なことではなかった。
 まるで暴走する列車のごとく暴れ狂ったイルマンプスを相手にするだけでも一苦労というものだ。それでも……伏見 明子(ふしみ・めいこ)は両の手に拳銃を構え、半ば楽しげに笑った。
「やってみなきゃ分からないでしょ……なにごとも、ね!」
 引き金を絞る。瞬間、拳銃は弾丸という名の火を噴いた。
「明子さんっ……!」
 イルマンプスと刃を交えていたコビアが、彼女の援護に気づいた。銃撃を受けたイルマンプスは、明子に向けて威圧を起こすよう、獰猛な奇声をあげる。
「ケケ……ま、そりゃそうだナ!」
 彼女のパートナーであるレヴィ・アガリアレプト(れう゛ぃ・あがりあれぷと)もまた、戦闘か、あるいは明子の迷いなき言葉を楽しむように応じた。
 瞬間――彼の姿が消えたと思ったら、魔鎧状態となったレヴィは彼女を包み込んでいた。
 ――なぜかセーラー服で。
「毎度思うけど……どうして魔鎧がセーラー服なのかなー」
「俺に言ってもしょうがネェだろマスター。……来るぜッ!」
 断っておくと、決して彼とて普段から女装しているというわけではない。あしからず。
 それはともかく――だ。イルマンプスは明子の狙い通りこちらへと意識を向けていた。一気に飛来してくる巨大な姿。吹き荒れる風に吹き飛ばされないように細心の注意を払う。
 すると、その横から閃空の如き剣線が走った。
「はあああぁぁっ!」
 剣線のもと――大剣を操ってイルマンプスを切り払ったのは桜葉 忍(さくらば・しのぶ)だった。明子を守るような形で着地した彼は、身の丈以上はある巨大な大剣を振ってイルマンプスと対峙する。
「あら〜……やるじゃない」
 目を見開いて感心する明子。それに忍は裂帛の気合を感じさせる声で応じた。
「まだまだ……被害が大きくなる前に終わらせるために、一気に叩き伏せる!」
「うむ……その通りじゃな、忍。まずは怪鳥をおとなしくさせてからでなければ、始まらん」
 忍の横に飛んできたのは、彼のパートナーである織田 信長(おだ・のぶなが)だった。かつては第六天魔王と呼ばれた、知略と武勇に長けた猛々しい姿はそのままに、威厳ある声で忍に告げる。ただ唯一は――英霊として女によみがえったせいで少なからず愛嬌があるのが過去との違いと言えるだろうが。
 と――そんな信長の紅き瞳が、何かを捉えた。
「コビア、危ない!」
 咄嗟に疾走し、コビアを押し込むように飛びかかった信長。次の瞬間――最前までコビアの頭があった中空を、刃が切り裂いていた。
「チッ……外したか」
「何者じゃっ!」
「アァ……?」
 名乗るのも億劫そうに、その男は振り返った。
 まるでジャパニーズヤクザが使うような長ドスを振りかざし、凶器とも言える鋭い双眸で、信長たちを睨み据える。その身を覆うのは禍々しい純白の外套だ。男の昏く澱んだ殺気と、純白の外套が嫌に不気味な対比を生み出していた。
 男は歪んだ笑みを浮かべた。
「なんだおい……面白そうな奴がいるじゃねぇか。こりゃ……当たりクジでも引いちまったかぁ?」
 長ドスを肩に担ぐ男に、信長が聞いた。
「貴様……連中の仲間か?」
「はっ……あんな奴ら知ったこっちゃねぇな。俺はただ面白そうな奴と殺し合いてぇだけだ。……この鳥なんてうってつけじゃねぇか?」
 男は心の底から楽しげに、酷薄の笑みを張りつけていた。
 分かる。たとえ、男が何者であるか分からずとも、彼が危険な存在だということはコビアたちにとって明白なことだった。本能的な何かが、この男は放っておくわけにはいかないと警告を起こしているのだ。
 だから――信長は男に告げた。
「そんなことはさせん! 邪魔をする者は……我が武にてねじ伏せるのみ!」
「やってみるか?」
 男――白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)はドスを構えた。
 瞬間。信長は男の懐へと飛び込む。
「忍、コビア! イルマンプスは任せたぞ!」
「信長……っ!」
 忍の声を背後に、信長は竜造へと刃を振るった。龍骨の剣が、一気に男を切り裂こうと迫る。だが、竜造は軽い動作でドスをさげると、軽々とそれを受け止めた。
 さらに――
「なっ……」
「甘めぇんだよ!」
「ぐぅっ……!」
 カウンター気味に伸びた肘が信長の腹部を叩くと、そのままドスが剣線を描いた。容赦のない斬撃が信長を襲う。身をよじることで、かろうじて致命傷は避けられたものの、腹部からの衝撃と腕に走った血が、竜造の力を物語っていた。
 だが――それに怖気づくわけにはいかない! 信長の剣が竜造に再び迫った。
 しかし、その刀身は、竜造の身体にぶつかって鋼が打ち合ったような音をはじき出した。
「なに……!?」
 彼の身体を守るのは、龍鱗化によって変質した鱗のごとき皮膚……それに禍々しき外套であった。それは――魔鎧だ。彼のパートナーたるアユナ・レッケス(あゆな・れっけす)が、竜造を守るための鎧となっているのである。
 外套の見た目とは裏腹な防御力に加えて、竜造のそれも――ただのヤクザ然とした男の動きではなかった。荒々しく振るわれる力は、確かに無鉄砲に迸るそれだが……獣の本能的な闘争心とも言うべき狂気が、竜造に無駄のない次なる動きを伝えるのである。
 この男……出来る。
 英霊となる以前、歴戦の戦いを生き抜いてきた信長にさえも、戦慄を与えた。
 そして――彼女は微笑する。
「面白い……ならば私も、本気で参ろうか」
「ぁん……?」
 信長がそう告げた直後――訝しげに眉をひそめた竜造の目に映ったのは、禍々しき黒炎だった。いや……違う。それは信長の内から発せられる、黒炎と思しきオーラだ。そいつは龍の吐き出す炎の如くうねりをあげて、信長の周囲を躍動する。現実にはそれは存在しえぬ『力』であったのかもしれぬが――第六天魔王のそれは、圧倒的な威圧感の具現として世界に己を刻み込んでいるのだ。
 ヒロイックアサルト――英霊だからこそ体現できる伝承の力が、竜造を圧倒した。
「は……はは……面白れぇ…………面白れぇじゃねぇかっ!」
 おりしも、竜造の心は闘争を楽しむ高揚感に満ち溢れていた。やはり……殺し合いはこうでなくては始まらない。
 そして――二人は激突した。
 そんな二人の闘争を傍目に感じながら、コビアたちはイルマンプスの足止めに全力を投じていた。
「ぐっ……うああぁ!」
 イルマンプスの巨大な爪とコビアの刀がぶつかり合う。身体が地に沈まんとするほどの力を受け止めて、コビアはなんとかそれを押しとどめる。そこに、明子の銃撃と忍の剣が飛んできた。イルマンプスは奇声をあげ、コビアから離れる。
「大丈夫か、コビア!」
「あ、ありがとうございます」
 二人だけではない。
 距離を置いたイルマンプスに、他の契約者たちも攻撃を仕掛けていた。だが――それはイルマンプスを仕留めようとするものではなく、あくまでもその動きを止めようとするものに他ならない。慎重さゆえか、自然と攻撃の威力も低下している。
 このままでは、いつまで戦いが長引くか分からなかった。ならば、どこかでイルマンプスを気絶させるほどの全力の一撃を与えるしかない。
 コビアとともに鳥と向かい合う英霊――天津 麻羅(あまつ・まら)はそう考えていた。
「ということは、忍さんの大剣に任せる方法かな?」
「うむ……かく乱はわしの剛雁がやろう。忍……頼んだぞ」
「ああ、任された」
 己が契約者である水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)に応じた麻羅は、自らの手足とも言える剛雁を放った。飛び立った数匹の剛雁は、自らの数倍は軽く越えるイルマンプスの周りを飛行する。
「ゴン太、行けるか?」
 更に、忍の従者たるニャンルー――ゴン太もまた、忍の言葉に頷くと、それに呼応するようにイルマンプスへと疾走した。小さき獣と鳥の影に翻弄されるイルマンプスは、翼を幾度も叩くようにはばたかせ、暴風を吹き荒れさせる。
 しかし――それこそがチャンスだった。
「ハアアァァッ!」
 忍は、大剣を担ぐようにして跳躍した。途中で岩を足場にしてスピードと高さを稼ぎ、なんとかイルマンプスの上空にまで達する。イルマンプスはそちらに気づいて荒々しい奇声をあげたが――すでに遅かった。
 閃空は、空を切り裂く一閃である。だが時にそれは――相手の身を切り裂くだけではなく、叩き伏せるべくして放たれる強烈な鎚となる。
 忍は上空で大剣を構えた。瞬間――刀身は寝かされる。切り裂くためではなく、鎚とするための一撃。忍の唇から咆哮が放たれ……そして。

 グキキャアアアアアアァァァ!

 身体ごと地に叩き伏せられたイルマンプスはそのまま、見事に気絶して身動き一つしなくなった。
「やった……止められた」
 コビアの安堵した息が漏れたその頃には、第六天魔王と竜造の交錯もまた終結しようとしていた。
 信長の一撃が竜造の身体を切り裂き、肩口から多量の血が噴き出した。それだけはなく、イルマンプスが倒れるまでの間に、竜造はいくつもの傷を負っていた。身体も疲弊の声をあげている。
 この辺が……潮時か。
「逃げるのかっ!」
 背を向けて飛び退った竜造に向けて信長が声を張った。竜造は、満足げに振り返る。
「今回は楽しめたぜ。これでも自分の限界は分かってるつもりでなぁ……クソみたいで腹が立つが……死ぬよかマシってこった」
 言い残して、竜造はその場を飛び去った。
 脅威は去り、ようやくコビアたちの様子を確認する。傷ついてはいるが、加減して戦った結果だろう。見たところ、致命的な負傷は負っていないようだった。
 と――それよりも、緋雨はコビアにこんなことを言い出した。
「ねえねえ、コビアさん。その刀、もしよかったら貸してもらえない?」
「え?」
 戸惑ったコビアに緋雨は説明する。なんでも、イルマンプスの攻撃を受け止めた自分の刀であれば、イルマンプスの思いや過去に何があったかなども分かるのではないかという話だった。ある程度は理解しているものの、詳細を知りたいと言ったところか。
 その割には、なぜか微妙にウキウキとした表情をしているのが疑問であったが。
「ついに私の出番……ってことよね! サイコメトラーHISAME推参!! この私のサイコメトリでこの事件の本当の姿を見つけてみせるわ! ご先祖様の名にかけて!」
 言ってることは正しいような気もするのだが、なぜか『興味本位』というのが似合うのはなぜだろう? そもそも彼女のご先祖様は鍛冶師であって、どこぞの『真実は一つ!』な名探偵などともなんら関係はないのだが……。
 麻羅のわずかに呆れたような視線もなんのそので、緋雨はコビアから刀を借り受けた。
 ほとんど――コビアは流れに乗せられたようなものであったが。
「んふー、今宵の刀はよく切れるぞよ」
 もはや名探偵でもなくなった台詞を不吉に呟きつつ、緋雨は目を瞑るとコビアの刀を額に近づけた。
 瞬間――それは緋雨の脳裏に映り込んできた。彼女の精神から発せられる念力が、イルマンプスの心や体験、人生や思いを掴んだのである。それは彼女の意識へと送り込まれ、まるで擬似的に体験するかのような世界を作り上げる。
 ――喜び、母、愛情、血――
 そして、悲鳴。
「…………ッ」
 途端、念力の限界とともに意識は途切れた。
 いつの間にか、緋雨の表情は青ざめたものになっていた。コビアや麻羅が彼女を心配して声をかけている。額にどっと溢れた汗が、じっとりと彼女の頬を伝っていた。
「そんな……の」
 かすれた声が唇から漏れた。彼女のそれは、憤怒とも絶望ともつかない……無情の声だった。