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【八 前門の破壊拳、後門の殺人頭脳】

 無様な話ではあるが、有効な対抗手段が現時点では何も無い以上、今はとにかく逃げるしかない。
 それが、001隊の総意であった。だが、例え一時撤退するにしても、誰かがしんがりとなってマーダーブレインの追撃を食い止めなければならない。
 でなければ、全員が背後からの攻撃に対して無防備になってしまう。
 特に隊内で相談した訳でもないのだが、勇刃や要といった面々が、自発的に撤退経路の最後尾に位置して迎撃する姿勢を見せたことで、しんがりの役割は早々に決まった。
 勇刃と要が並び立って斜面下方を見下ろし、そのふたりの左右を咲夜、リディア、セレアといった面々が固める形の布陣を取る。
 主戦力は勇刃と要だが、全体の防御は咲夜が受け持つのが基本コンセプトとなっていた。
「しかし、完全に読み違えたぜ!」
 幾分悔しげに唸る勇刃に、要が不思議そうに覗き込む。
「何か、予測でも立ててたのかい?」
「まぁな……あれだけの図体だ、動きは鈍い筈、と踏んでたんだがね」
 だが、実際はどうだ。
 エージェント・ギブソンが語ったところによれば、最悪のケースとして、コントラクターの千倍程度の速さを誇る、というではないか。
 そもそも勇刃がマーダーブレインの動きを鈍いと踏んだのは、巨体、即ち重量と肉体構造そのものから推測しての話だが、よくよく考えれば電子結合映像体としてのマーダーブレインは、その名の通り、ただの映像に過ぎないのである。
 映像には重さも無ければ、構造上の弱点もあろう筈が無かった。
 しかも、姿を自在に消せるなど、全く聞いていない話であったのだが、これはエージェント・ギブソンも予想外だったらしいので、仕方が無いと諦めるしかないか。

 予想外という意味では、要も同様であった。
 生身でイコンに勝利した経験がある彼ではあったが、イコンは自在に姿を消したりしないし、増してやマイクロ秒単位などという音速を遥かに越える速さで迫ったりはしない。
 やりにくさという点では、マーダーブレインの方が余程、たちが悪いといって良い。折角用意したパイルバンカーも、今のままでは命中すら覚束ないだろう。
「あいつはあくまでも通過点だ……って思ってたんだけどねぇ、むしろこっちが踏み台にされてるって気分だよなぁ」
 いい得て、妙であった。
 その時だった。
「き……来ます!」
 突然セレアが、宙空の一点を凝視しながら、緊張した面持ちで叫んだ。驚いたのは、勇刃だった。
「分かるのか!?」
「はい。完全に、とはいえませんが……空気中の荷電反応が、わたくしのセンサーに、僅かながら反応するのです」
「それなら、何とかなりそうですね!」
 咲夜が声を励ました。相手の位置が大体であろうとも分かれば、一方的にやられる危険性は大きく減少するのである。これは、大きな武器になりそうであった。
「セレア、タイミングを教えて! 最初の攻撃をかわしたら、怒りの歌に入るわ!」
 リディアが俄然やる気を出して吼えた。
 セレアは頷いて、同じ方向をじっと凝視し続ける。一瞬、奇妙な静寂が山林の中を支配した。が、それもほんの数秒程度のことであった。
「よけてください!」
 セレアの叫びに反応して、全員が一斉に左右に散開する。いずれも、それまで自分達が立っていた場所に素早く視線を飛ばし、本当にマーダーブレインが攻撃を仕掛けてきたかどうかを視認した。
 確かにその一瞬、巨体が宙を舞う姿が、誰の目にも映った。だが――。
「な、何だ今のは!?」
 勇刃が叫んだ。要もそれに同調する。
「今のは、マーダーブレインじゃぁなかった……よな?」
 誰もその言葉を否定出来ない。ここに居る五人が見たのはマーダーブレインではなく、いびつな外甲殻を全身にまとい、カブトムシを連想させる角が額から伸びているという、全く別物の姿だったのだ。
 一同呆然とする中、ひとりセレアだけが冷静に分析していた。
「確かあれは……バスターフィスト、ではなかったでしょうか?」
 出発前に、電子結合映像体として姿を現したウィルス達の外観的特徴についての説明が、エージェント・ギブソンの口から為されていた。それを、思い出したのだ。
 セレアの言葉で、ようやく事態が掴めた。勇刃の瞳に、焦りの色が見る見るうちに湧き出す。
「……拙いぞ、先に行った皆が危ない!」
 マーダーブレインは既に、勇刃達を通り越して001隊を追撃していたのだ。バスターフィストがセレアの感覚に捕捉されたのは、五人をここに足止めさせることが目的であったと推測すれば、合点がゆく。
 001隊の数的戦力を少しでも減らし、マーダーブレインの攻撃をより容易ならしめるのが、バスターフィストの役目だったのだろう。
「追いましょう!」
 咲夜の悲痛な響きを伴う叫びが合図となって、五人は慌てに慌てて斜面を登り始めた。

     * * *

 001隊側では、更に幾つかの悲鳴が続いた。
 と思った直後には、セファー、エクス、プラチナムの姿がほとんど同時に掻き消えてしまっていた。
「くっ……残ったのは、もう俺だけという訳ですか……!」
 唯斗が奥歯を噛み鳴らしながら唸る。
 幾ら注意を喚起してみたところで、姿を消している上にあれだけの速さを誇る敵を相手に廻しては、どうしようもないというのが現実であった。
 こうなってしまってはもう、誰が襲われるのかはほとんど運任せに近い。
 唯斗の場合、運が良いのか悪いのか、全く分からない。彼のパートナー達が全員マーダーブレインに襲われて姿を消したものの、彼自身は辛うじて襲撃を免れているからだ。
 同様のことが、刹那にもいえた。
 アレット、セファー、そして澪とパートナー達がことごとく姿を消してしまい、刹那だけが残されてしまったのである。
 ひとり残された者の悲しみを思えば良いのか、ひとりだけ攻撃を受けずに済んだと喜んで良いのか。これはもう個人の性格や考え方ひとつで大きく変わるのだろうが、刹那の場合は前者であろう。
 だが、事態の悪化は更に続く。
「ちょっと……あれは一体何ですのぉ!?」
 エージェント・ギブソンの傍らで、アシェルタが声を裏返して叫んだ。その指差す方向に全員が視線を転じると、アシェルタの悲鳴の理由が即座に理解出来た。
「……冗談でしょ?」
 思わずリカインが呻いた程に、そこに広がっていた光景は脅威に満ちていた。
 およそ二十数メートル離れた先に、バスターフィストが二十数体、散開してこちらを見ていたのだ。今すぐに襲いかかってくる様子は無いが、いつ攻撃を受けてもおかしくはない状況ではあった。
「ねぇヴィー、どうするの? まだ手加減の方針は生きてる?」
「いや、それがですね……」
 ヴィゼントは見事に整ったアフロの上から、頭を掻いた。
 曰く、どうやら目算が外れたらしいのである。ここまで来る途中、エージェント・ギブソンからスパダイナのスペックについて聞き出す機会があったのだが、どうやらスパダイナは想像を遥かに絶するスペックを誇るらしいのである。
 つまり、幾らオブジェクティブの数が増えようとも、まるで影響無し、という結論になるのであった。
「オブジェクティブが増えればスパダイナに負荷がかかり、全体として動きが鈍るという推測は、ものの見事に外れてしまいました。今更手加減するのも、無意味ですな」
「それじゃあ、存分に戦っても良いって訳ね?」
 幾分すっきりした口調でシルフィスティが念を押したが、しかしその表情は緊張したままである。彼女はあらゆる技と装備を駆使して敵を翻弄するつもりでいたのであるが、これまでに見せつけられてきた恐るべき戦闘力を鑑みると、もう余裕など欠片も感じられない。
 単純に全力で戦わないと、どうしようもないという危機感だけが、そこにあった。
「じゃあ俺も、ブーメラン解禁するぜ……当たれば、の話だけどよ」
 アストライトがさも自信無さげにいうのも、むべなるかな。
 直後、前方のバスターフィストの群れが一斉に動き出した。こちらに真っ直ぐ向かってくる。まるで迷いの無い足取りであった。
 001隊の面々は、いずれも全身に緊張をみなぎらせて身構える。
(小次郎さん……もしかしたら、もう生きて会えないかも知れません……ごめんなさい)
 リースは思わず、心の中で自身のパートナーに謝罪した。目の前に迫る圧倒的な脅威に、運命の儚さを感じたといっても良い。
 だが、そんなリースに引導を渡したのは、バスターフィストの群れではなかった。
「あ、危ない!」
 突然、後方からセレンフィリティの警告の叫びが響く。
「えっ?」
 釣られて振り向いたリースの眼前には、鋼糸製の蓑をまとい、同じく鋼糸製の三度笠を目深に被ったマーダーブレインの巨躯があった。
 その一瞬後、リースの意識が暗転した。
 セレンフィリティとセレアナの怒号が鼓膜に響いたが、もうその時にはリースの感覚は泥濘の中に落ちてゆくが如きであった。