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第5章 エンドレス・ブルー 2

 人間――生きていれば一度は奇跡に巡り合うものである。
「……と、いうわけで、大学で知り合いの研究室を訪れたら、魔法の制御に失敗してたみたいで、こんな妙な所まで転移させられました。如月正悟です」
「こ、これはご丁寧にどうも……」
 何やら妙な自己紹介を受けつつも、物腰の丁寧な正悟に対してモーラも同じように頭をさげた。
 なんでも話によるとそのままのようで、率直に言えば魔法の暴走による転移で『迷子』になってしまったらしい。そのことはすぐに悟ることが出来たものの、ここは何処? といった状態だった正悟は、とりあえず幾多の経験から『待機』という選択肢を選んだということだ。こんな最奥部の場所でのんびりと待っていられるなど、ある意味で肝が据わっていると感心するところだった。
 そしてそんな彼のもとに続いてやって来た『迷子第2号』は緋雨たちである。もはや神がかり的とも言える方向音痴によって、近道できる! と判断して向かった方向は、遺跡の最奥部まで繋がっていたという話だった。
 緋雨は正悟と違ってお師匠様からモーラの護衛を頼まれた契約者の一人だが、いずれにしても下手に動くのは危険である。
 そんなわけで――最奥のこの部屋を調べつつ正悟の持って来たポットに入っているお茶をのんびりと楽しんでいたところに、モーラたちは出くわしたわけだ。
「いやー、ほんと合流出来て良かったわ。一時はどうなることかと」
「やったー、なんだか秘密がありそうな奥地に一番乗りー! ここはサイコメトラーHISAMEの出番ね! …………とかなんとかはしゃいでおったのは誰じゃ?」
「そ、それとこれとは話が別よ。それに、私はちゃーんとモーラさんがここにたどり着くって信じてたからね!」
 じと……とした麻羅の疑いの目にどぎまぎと答える緋雨。最後には胸を張って答えていたが、モーラはそれに苦笑するしかなかった。
 それはともかく……である。
「ここが……秘宝の場所?」
 もはや先に続くような場所はどこにもない。
 しかし、その部屋はある意味では何の変哲もない巨大な洞穴のような場所だった。むしろ、ぱっと見ではそのようにしか見えないのだ。
 だが、興味深げに壁に近寄っていたランツェレット・ハンマーシュミット(らんつぇれっと・はんまーしゅみっと)がくすっと笑いながら言った。
「よーく、見てごらんなさい」
 モーラは素直に壁面へと近づく。そこでようやく気づいた。壁面には、なにやら詩のようなものと楽譜が彫ってあるのだ。これまでのものは全て炭やインクによる記述だったが、それはまるで次世代に残そうとする芸術品のごとく、堅牢に彫られた紋様だった。
 古代文字で書かれているせいか、ぱっと見では何が書かれているか分からない。眉間にしわをよせるモーラに、ランツェレットが補足した。
「タイトルは『エンドレス・ブルー』。そして横にあるのは楽譜。つまりこれが、この遺跡の秘宝『エンドレス・ブルー』ってわけですね」
「こ、これが……?」
 想像とは違っていたのか、モーラは多少拍子抜けな顔になった。
 ランツェレットはリュートを取り出す。仲間のリカインやノーンなど、歌姫たちに目配せで協力を依頼して、彼女はその曲の演奏を開始した。
 それは――まるで水のように透き通った曲だった。力強く波紋が広がるが、それとともに優しく両手で抱きしめられたかのような慈しんだ愛を感じさせる。その曲の完成度と美しさに、思わずモーラたちは聴き惚れていた。
 やがて演奏が終わり、ランツェレットが告げた。
「これを覚えて師匠の前で歌うんですよ。そうすれば遺跡調査の達成となりますから」
 ランツェレットによると、なんでも彼女はこの遺跡に以前潜ったことがあるらしい。数多くの探索者が訪れるこの遺跡は、魔法使いや冒険者などの見習いの試練として利用されることが多いらしいのだ。一部の魔法使いの間ではなかなかに有名らしく、個人的に高名な魔法使いに師事すると送り込まれる代物らしい。
(と、いうことは…………ランツェレットさんのお師匠様とわたしのお師匠様って……?)
 もしかしたら何らかの横のつながりがあるのかもしれない。
 そんなことをモーラが想像していると、ランツェレットはさらに続けた。
「でも……実はこの詩と楽譜には何か秘密があると一般的に考えられているんですよ。なにせ、あの音術師とまで云われた高名な魔法使いの遺産ですからね」
「うにゃ〜……でも、たしかまだその辺は解明されてないんだよねー?」
 ランツェレットの隣でポリポリとお菓子のポテチを食べていたミーレス・カッツェン(みーれす・かっつぇん)が言った。巨大な猫の着ぐるみを被っているようなゆる族の、まさにゆる〜っとした台詞。もう一人のパートナー、シャロット・マリス(しゃろっと・まりす)は、対照的に真剣な表情で壁面を見ながら疑問を呈した。
「姉さんは何か分からないの? 今回はみんながいるんだし、何か気になってることとかがあれば、もしかしたら分かるかもしれないよ?」
「そうですね……強いて言うなら……」
 ランツェレットはシャロットの横まで行くと、コンコンと壁を叩いた。聞こえてきたのは、空気を渡るような音響。
「この地下遺跡自体が、構造的に共振や反響を考えて造ってるってことぐらいでしょうか?」
「構造的に……ねぇ」
 正悟がいまだにお茶を飲みながら壁面に近づく。内心ではどうやら未知の場所で焦りもあるようだが、お茶が上手いことそれをカバーしているようだった。そしてお茶によって落ち着いていたことが功を奏したのか、彼は何かに気づいて眉をひそめた。
「正悟さん……?」
「おい、あの綴り……ちょっとおかしくないか?」
「え?」
 彼が指を指した場所を見てみるモーラたち。一見すればそれは特におかしいところは見当たらない。だが、よくよくじーっと観察していると、それが確かにおかしいことに気づいた。
 正確に言えば、それは綴りというよりは法則性であった。古代文字の綴りを変えると、詩も変わる。そこから生まれるのは楽譜の変化だ。微妙に不一致になった部分を修正し、つぎはぎを繰り返して正確な音階を導き出す。
 そこには――全く新しい楽譜が生まれていた。
「…………」
 わずかな綴りの違いがここまで流れを運んだことに、モーラたちは言葉を失う。ただ彼女たちはお互いを見あって頷き合った。リュートを構えるランツェレット。息を整える歌姫たち。
 曲が奏でられる。
 そのとき。
 モーラたちは、楽譜から生まれた新たな光にとり込まれていた。