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第5章 エンドレス・ブルー 5

 弾丸のように飛翔してきたダガーを弾き飛ばして、イェガーは敵へと視線を指し向ける。
「……なかなかやるな」
「…………」
 無言の投擲。
 自らの体重のなさも利用した風のような跳躍と壁蹴りで、辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)は軽業のように敵へと次々にダガーを投擲した。手足が隠れるほどの長く広い裾の中から出てくるのはダガーだけではなく様々な種類の刃。
 手にもゆる火炎を駆使して数々の投擲を弾き、避け、受け止めつつ、イェガーはそれに対抗する。
 ある種それはひどく芸術的とも言える戦い方だった。猛り狂う業火のごとき煉獄の炎は、まるで意思をもっているかのように自在に動き、イェガーの周りを揺らめいている。その姿はまさしく炎の体現者そのもので――言わば、彼女は炎から生まれた化身とも言えるのかもしれない。
「アルミナ……モーラを頼む」
「う、うん、分かったよせっちゃん」
 宙から投擲を続ける刹那は、一旦距離をとったときにパートナーのアルミナ・シンフォーニル(あるみな・しんふぉーにる)にそう告げた。
 どこか気弱そうな彼女は、刹那とイェガーたちの戦いの烈気に気圧されていたものの、なんとか自分を奮い立たせた。刹那の役に立つ。その一心で、彼女は自分に対して必死で『頑張れ』と言い聞かせるのだ。
 モーラのもとに向かって彼女のサポートへと移るアルミナ。
 刹那は更なる攻撃をイェガーに仕掛けようとする。が――イェガーの唱えるミラージュの幻影に、彼女は一瞬視界をまどわされた。一瞬で視界一杯に広がった炎が、消え去る。
 気づけば、刹那は一人ではなかった。隣にいるのは、緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)。彼女はしかし、先ほどの炎などまるで気にもしていないかのように平然をそこに立っていた。
 そして二人の目の前にいるのはあの軽薄そうな男――アグニと、凛とした姿で常に瞳を閉じたままのもう一人のイェガーのパートナー、那迦柱悪火 紅煉道(なかちゅうあっか・ぐれんどう)だった。
「へへ……んまぁ、悪ぃけど戦力分断ってことで一つ頼むぜ」
「…………」
 やたらにニタニタと喋る男に、無言のまま剣を握る少女。
 対極的な二人。だが、地を蹴ったそのときこそは、二人の戦いは見事なコンビネーションを発揮した。刹那に顔負けのナイフさばきで狂いなく投擲してくるアグニに、炎を纏った剣を振るう紅煉道。後方支援と近接戦闘の二つは、お互いの位置を感じ取っているかのように見事なものだった。
 だが刹那とて負けてはいられない。数多くの暗殺を経験してきた彼女は、無数のダガーを投擲してそれに挑んだ。
 そして――イェガーだ。
「ふっふ〜ん、戦いの場を整えてくれたってのは、ありがたい話だよね」
「多勢に無勢で戦うつもりはないのでな」
 拳に炎を纏った燃えるような赤髪の娘。
 名は緋柱 透乃(ひばしら・とうの)という。同じ炎を操る同士のシンパシーか。二人はどこか他人とは思えない意識を抱く。あるいはイェガーも期待を込めていたのかもしれない。
 篝火の少女の相手は奴に任せるとしよう。しょせんは炎。燃え尽きるそのときまで、全力を注ぐのが華だ。ならば、己が楽しむことも一つの灯火というもの。
 いつの間にか不敵な笑みを浮かべていたイェガー。
 透乃もまた、同じようにうずうずと沸き立つ高揚感で笑みを浮かべていた。
 ――二人はぶつかり合う。
「はああぁっ!」
「フン……ッ」
 イェガーのそれが地獄から燃え盛る煉獄の炎であるならば、透乃のそれは純然の『心の炎』であると言えた。燃え上がる闘志が炎の闘気となって溢れ出る彼女のそれは、時に彼女の心に従って色を変える。煌々と燃え盛る炎の色は、言わば彼女の心の色というわけだった。
(陽子ちゃん……大丈夫かな?)
 ふと気になってパートナーへと目をやる透乃。
 アグニたちと戦う陽子は、透乃とイェガーの一対一の戦いを邪魔させない意味でも彼らと戦っていた。レイスの朧を携えて、凶刃の鎖で敵の刃をぶつかり合う陽子。その瞳に宿る光は、透乃のために精一杯戦うことを決意しているものだった。
 なら、こちらも負けてはいられまい。
 炎を纏わせた左手の拳でイェガーの炎をぶつかり合ったとき、彼女の炎は桃色へと変色してきた。
 楽しい。面白い。
 ――透乃は戦いを楽しんでいる。子供のように無邪気に、命の削り合いを、炎の削り合いを。そしてそれは、イェガーも同じだった。
 煉獄と純然。二つの炎がぶつかり合って火炎の葬送曲を奏でる。叩き、散らし、燃やし。次々と放たれる炎の交錯。
 だがやがて――それは一つの爆発によって遮られた。
「!?」
 モーラの放った火炎球の爆発だ。
 イェガーはそれを見やって、透乃の拳から距離をとった。相手が急に戦いをやめたことに訝しがる透乃だったが、それがモーラを見ているのだと気づいて彼女も心中を悟った。
(震えて、怯えて、いくら無様な姿であっても勇ましく立ち向かおうとする。それこそが強さ。実力にも劣らぬ心だな)
 イェガーはそんなことを思って、薄くほほ笑んだ。
 ――少女よ、強く在れ。
 モーラの炎の中に、彼女は強き意思を垣間見た気がした。


 アリスはただ佇んでいた。
 もしもこのまま――六黒の手によって皆がこの地に沈んだとしても、それもまた一つの終焉の形かと彼女は思っていた。あるいは彼女は待っていたのかもしれなかった。自分が逝きつく場所を。終わりを迎える時を。
 追い込まれた六黒が最後の力を振り絞って地底湖の奥――ウォーエンバウロンの杖が突きたてられている祭壇に駆けていくのを、彼女はただ見ていた。
 なぜだろう?
 この地にあって私は、なぜこうも戸惑いを感じるのだろう。
 人が人を守る戦いを見て、私はなぜ――この手に、この心臓に、火を感じるのだろう。
 あの少女は戦っていた。自分の為でもあり、そして他人の為でもある。人の為に立ち上がり、あの赤毛の少女は戦っていた。
 そしてそれは、自分の契約者も同じだった。
 いつだって、誰かのために生きようとする男。いつだって、自分の真実と向き合おうとしている男。そんな契約者とパートナーとなることは運命だったのか。
(答えてくれウォーエン……私は……)
「アリス!」
「…………っ」
 アリスは、遠い過去の記憶から呼び戻された。
 気づけば、六黒は『エンドレス・ブルー』が永遠を辿って来た秘密が杖の魔力にあると考えて、ウォーエンバウロンの杖へと手を伸ばしている。
 そしてあの契約者は……。
「アリス、俺の声が聞こえるか? 俺の鼓動は聞こえるか……!」
「…………」
「これが俺達の『音』だ。限りある命だからこそ奏でられる血の音だ。そこには、終わりなんてありはしない。誰かが奏でる限り、この音は続いていくんだ。たとえ俺たちがいなくなっても、誰かがそれを奏でていく。お前も血を司る者ならば、この場に居る人間の音を、血が願う命を音を――――音楽を――――聞き逃すな!」
 アリスは無意識に手を伸ばしていた。
 彼女が目配せした先には、レンとタイミングを合わせてすでに動き出していた緋山 政敏(ひやま・まさとし)たちがいた。彼はパートナーのカチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)リーン・リリィーシア(りーん・りりぃーしあ)とともにいる。
 そして、彼らは残された壁面の紋様に手をかけた。
 注ぎ込まれるは魔力。緻密に計算された音階が鳴り始め、地底湖を光が包む。アリスはそのとき、六黒よりも先に杖へと触れていた。
「!?」
 ウォーエンバウロンの杖と地底湖の紋様が音の連鎖反応で繋がりあった感覚があった。
 そしてそのとき――地底湖にいた契約者ら全ては、光に包まれた。