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宵闇に煌めく

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宵闇に煌めく

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 再び場所は変わって、ヴラドたちのテーブル。そこには新たにクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)の姿があった。ちなみに、彼らも湖面のジェイダス人形の提供者の一人である。
「ということで校長がルドルフに変わったけど、薔薇の学舎への興味を失ってしまうかい?」
 そう尋ねたのは、袖や襟元にあつらえられたフリルをひらひらと揺らすクリストファーだ。ヴラドは即座に首を横に振ると、「いえ」と口を開く。
「ジェイダス校長に直接お目通り出来ないのは残念ですが、今は皆さんと一緒に学生生活を送ることも楽しみなんですよ」
「その割には何もしていない、が」
 ぼそりと挟まれたシェディの指摘に、ヴラドはぱっと目を逸らす。そんな彼の視線の先へ、不意にドリンクが差し出された。きょとんとするヴラドに、紙パックを差し出した神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)はにっこりと微笑んで見せる。
「どうぞ、宜しければ」
「ありがとう、頂きます」
 軽く一礼をして泳ぎ去っていく翡翠の背中を暫し呆然と見送り、ヴラドはドリンクに手を付けた。よく見ると、翡翠は方々で給仕のようにお菓子や飲み物を配って回っているようだ。
 そんな彼の姿を眺める人物がもう一人。露出度の高い黒のドレスを身に纏ったフォルトゥーナ・アルタディス(ふぉる・あるたでぃす)は、呆れたとばかり溜息を零す。
「まったく翡翠ってば、真面目よね〜。こんな時まで仕事しなくても良いと思うんだけど」
 性分なのか、笑顔で働き回る翡翠をどこか物足りなげに見守るフォルトゥーナの視界を、不意に別の人影が横切った。
「ぼーくの自慢の潜望鏡ー! ぼーくは海行く潜水艦ー!」
 変熊仮面その人である。懲りずに歌いながら泳ぎ回っていたらしい変熊は早速フォルトゥーナに目を着けると、彼女の前をぐるぐると往復し始める。
「みてみて〜、ほら! 水の中だと風がないのにゆ〜らゆら〜!」
「そうね、マントが揺れてるわね」
 あっさりと流したフォルトゥーナは変熊に目を合わせるでもなく、やや離れた翡翠の様子を探るように目で追い続けていた。変熊は暫く彼女の周りを漂い続けていたが、やがて諦めたようにテーブルの傍へ泳ぎ寄る。
「クリスティー君もご一緒に! ほらズボン脱いでゆ〜らゆら〜っと……」
「……セクハラだよ、せめて葦で隠しなよ」
 呆れたようなクリスティーの反応にがっくりと項垂れた変熊は、ひとしきり全員を眺め回してから、拗ねたように「良いですよー一人であっち探検してきますよー」と力無く泳ぎ去っていった。
 それを見送って、一同は同時に深々と息を吐き出した。気を取り直すように、クリストファーが明るい声音で切り出す。
「ところで、君はイエニチェリを目指したりはするのかな?」
「え?」
 突然の問い掛けに、ヴラドは首を傾げる。クリストファーは軽く笑って、言葉を続けた。
「難しく考えなくていいよ。ただ、高い目標を持つことは自己を高めるのに良いことだからね」
「ああ、そういうことでしたか! それなら」
「お前の場合は、まず最低限の目標を達成してからにしてくれ」
 納得した様子で目を輝かせ、身を乗り出したヴラドをシェディが制する。うぐ、と言葉に詰まるヴラドにくすくすと笑い、クリストファーはおもむろに席を立った。
「折角だから、考えてみると良いんじゃないかな。じゃ、俺たちは少し歌ってくるよ。行こう、クリスティー」
「うん。また後でね」
 そう言い残してステージへ泳いでいく二人を見送り、ヴラドは考え込むように小さく唸った。
「興味はあるんですね? イエニチェリに」
 そんなエメの問い掛けに、ヴラドは素直に頷き返す。
「……まあ、何はともあれまずは入学からですね」


「信じられない……何だ、この物理法則を無視した不可思議空間は……」
 水底から軽く浮かび上がった状態で呆然と呟いた柚木 瀬伊(ゆのき・せい)はぼんやりと輝く葦へ近付くと、その先端へそっと指先で触れた。散る水泡を見送りながら、眉間へ皺を寄せて考え込む。
「あの理論を使えば可能なのか? いや、だが……」
「ほら、瀬伊もそんな難しいこと考えていないで楽しもうよ」
 思索に耽る彼の肩をぽんと叩いたのは、パンケーキの欠片を口元へ運ぶ柚木 貴瀬(ゆのき・たかせ)だった。その隣では、柚木 郁(ゆのき・いく)がきらきらと目を輝かせて葦を眺めている。
「すごいねっ、すっごくふわふわできれいなのー」
 軽く浮かび上がっては下りて、また跳ねてを無邪気に繰り返しきゃっきゃと楽しむ郁の様子に、瀬伊はふっと相好を崩した。
「郁も楽しそうだしな。ここはお前の言う通り、楽しむとするか」
「そうそう。世の中には不思議なことがいっぱいあるんだから、さ」
「……本当に、お前は気楽だな」
 呆れたような瀬伊の言葉にもにっこりと笑顔を返し、貴瀬は郁へと向き直る。
「郁、そろそろステージにいこっか」
「うん! えへへ、いくね、みんながいーっぱいたのしくなるうたをうたうのっ!」
 郁もまた楽しげに振り返り、ふわりと大きく一歩を踏み出した。緩やかに駆けていく郁を、貴瀬と瀬伊の二人は慌てて追い駆ける。
「貴瀬はどうする? 歌う?」
「俺はお前たちを見守っているよ。ああ、お前の代わりをしておこうか」
 そう言って貴瀬の持つ防水袋からカメラを掠め取り、瀬伊は口元にうっすらと笑みを浮かべた。貴瀬は満足げに頷くと、郁の後を追いステージへ上っていく。


 そんな彼らから少し離れた所で、新たに空間へ潜ってくる人影があった。
 美しいドレスで着飾ったセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は、艶やかな所作でふわりと水底へ降り立つと、早速とばかりに手にした真空パックを開く。中からは高級店で買い求めた幾つものプチケーキが現れ、それを手にした彼女は美しく微笑むと、
 そんな優雅な印象を一瞬にして書き換えるように、楽しげに周囲へそれをばら撒き始めた。
「本当に息が出来るのね! それにケーキも濡れない!」
 感動した様子ではしゃぐ彼女から一歩遅れて降り立ったセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は、早くも馬脚を現したセレンフィリティに「あちゃー……」と頭を抱えた。早速誰とも問わずケーキを配り歩き始めているセレンフィリティから逃げるように、彼女はこっそりその場を離れる。
「あなたも如何ですか? 温かい紅茶ですよ」
「悪いわね、頂くわ」
 翡翠から差し出されたカップを受け取り、セレアナは遠目にセレンフィリティの様子を見守る。優美なドレスの裾を気にも留めずにふわふわと駆け回る所為で、セレンフィリティはまさにお転婆なお嬢様といった印象を周囲へ与えていた。


 不意に、穏やかな旋律が響き渡る。
 ステージへ目を向けると、そこでは貴瀬がバイオリンを奏で始めていた。まるで空間全体が一つのホールであるかのように不思議な反響を見せ、澄んだ音色が葦の内側を包み込む。
 普段と異なる感覚を楽しむかのように、貴瀬の面持ちには笑みが浮かべられていた。彼の傍らでは、丁度ステージで出くわしたクリストファーとクリスティーが郁と共に歌を選んでいる。
「じゃあ行こうか、郁くん」
「うん! みんなでうたうの、たのしみっ」
 クリストファーの呼び掛けに笑顔で頷き、郁は大きく息を吸い込む。クリストファーとクリスティーの二人も目配せを交わし合い、同時に深く息を吸った。

「〜♪」

 そうして奏でられ始める、アヴェ・マリア。お菓子を食べていた者、葦を眺めていた者、皆がそれぞれに手を止めてステージへと目を向ける。
 旋律に呼応するように葦が揺れ、光を帯びて浮かび上がる水泡がステージに幻想的な彩りを添える。暫し静かに耳を傾けていた人々も、曲調がダンス・ミュージックへ移り変わるにつれ、うずうずとその場を離れ始めた。
「セレアナ! 踊るわよ!」
 セレンフィリティもまさにそのうちの一人だった。一人離れて紅茶を楽しんでいたセレアナの手首を掴み、ぐいっと引き寄せる。
「……私も?」
 逃亡に失敗したセレアナは引き気味に問い返すものの、力強いセレンフィリティの首肯に返す言葉を奪われた。仕方なしに腕を絡め、曲に合わせて緩やかなステップを踏み始める。
「水の中なら、多少の無茶は平気よね!」
 楽しげに呟いたセレンフィリティは途端に力強く水底を蹴ると、華麗な宙返りを決めて見せた。浮かんだままにセレアナと手を繋ぎ直し、長い脚を伸ばして優雅に着地すると、そのままもう一跳び。今度は前転の要領で一回転し、再び危うげなく着地する。
「ほら!」
「……そうね、私もやってみようかな」
 恋人であるセレンフィリティの楽しげな様子を眺めるうちに、セレアナも気分が乗ってきたらしい。満更でも無いとばかりに笑みを浮かべると、セレンフィリティの動作を真似るように宙返りを一つ。それから彼女の手を取って水を蹴り、緩やかに浮上していく。
「わあ、綺麗……」
 葦の効果のぎりぎりまで浮上すると、セレアナはようやく泳ぐのを止めた。疑問気ながらも彼女に身を委ねていたセレンフィリティは、視線を落すや否や歓声を上げる。
 空間の所々で、何人もの人々が踊り、漂う。遠く微かに差し込む日の光を浴び、揺れる葦の輝きに浮かび上がるその姿は、地上のダンスパーティーとは一線を画したものだった。
「セレンも、綺麗」
 ドレスの裾を波間に漂わせ、浮かぶセレンフィリティの姿にそう賛辞を送ると、セレアナはそっと彼女の身体を抱き締めた。セレンフィリティもまた、応えるように彼女の背へと腕を回す。静かな水の流れに身を任せ、たゆたいながら、二人はどちらともなく唇を重ね合わせた。


 そして給仕を休んで音楽に聞き入る翡翠を見付けたフォルトゥーナもまた、彼と共に過ごす時間を得るべく翡翠の元へ泳いでいった。
「ねぇ、ちょっと相手してくれない? 踊りましょ」
 丁寧に片手を取って微笑むフォルトゥーナに、翡翠は困ったように眉を下げた笑みを返す。
「自分、踊ったことはないのですけど……」
「大丈夫よ、あたしがリードするから。ほら、こっち」
 そう言うと、フォルトゥーナは有無を言わさず翡翠の腰へ手を回した。曲に合わせて緩やかに踊り始めるフォルトゥーナの導きに従って、翡翠も慌ててその動きについて行く。
 黒く露出度の高いドレスのフォルトゥーナと執事服の翡翠が踊る姿は、翡翠のやや危うい足取りも合わせて、擦れ違う人々の目を引いた。持ち前の運動神経で辛うじて転倒を免れながら、翡翠は必死に脚を動かす。
 そんな彼の姿を間近で幸せそうに眺めながら、フォルトゥーナは彼の負担を極力減らすよう丁寧な踊りを続ける。
「翡翠、本当に踊ったことないの? 初めてにしては、足を踏まないじゃない」
 からかうようなフォルトゥーナの呟きに、翡翠は困ったように眉を下げて笑いながら「無いですよ」と答える。
「人が踊っているのを見たことはありますけど、こうして踊るのは初めてです」
「そう、上手いのね。じゃあ、もうちょっと付き合ってもらうわよ」
 フォルトゥーナが悪戯な笑みを浮かべると同時に、転調。身を寄せ合うフォルトゥーナのステップが早まり、翡翠は慌ててそれに続いた。どこか嬉しそうなフォルトゥーナの面持ちを、微笑ましげに見守りながら。


 踊る人々、演奏する貴瀬、歌う郁とクリストファー、クリスティーたちを順にファインダーに収めて、瀬伊は一度ファインダーから顔を上げた。
「……たまには、こういうのも悪くはないな」
 呟く言葉はやがて水泡へ変わり、儚くも弾け消えてゆく。それを見送ってから、瀬伊は改めてカメラを構え直した。満面の笑みを浮かべて歌う郁を中心に捉え、ぱしゃりとシャッターを切る。そうして次に貴瀬へ向け、もう一度。
 大切な時間の確かな証明を、儚い泡に代わってカメラに写し取っていく瀬伊は、口元に微かな笑みを浮かべていた。