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宵闇に煌めく

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宵闇に煌めく

リアクション

「どうだ? 水の中なら涼しいから、暑いのダメでもいけるだろ」
 椅子へ腰を下ろしながらのロア・ドゥーエ(ろあ・どぅーえ)の問い掛けに、周囲を見回していたグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)は素直に頷きを落とした。
「ああ。しかし不思議な空間だな、呼吸が出来て、物を食べることまで出来るとは……何か特殊な魔法でも掛かってるんだろうか?」
 疑問気に首を傾げるグラキエスの手元には、冷製パスタや冷肉の料理が収まった弁当箱。ロア手製のそれを口に入れ、グラキエスはぱちぱちと目を瞬かせる。
「流石、美味いな」
「でっかい魚でもいれば、この場で調理してやるんだけどな」
 無邪気に紡がれた感想に胸を張って、ロアは視線を巡らせる。そんな彼に、同席しているレヴィシュタール・グランマイア(れびしゅたーる・ぐらんまいあ)は呆れたように吐息を零した。
「馬鹿者、何でも食材にしようとするな」
「美味けりゃいいだろ、なあ」
 同意を求めるロアに、グラキエスはくすくすと笑いながら頷いた。「ああ、美味いならな」と告げられる言葉に、レヴィシュタールはやれやれと肩を竦めて席を立つ。
「飲み物を取ってこよう。ここにいてくれ」
 そう言い残して歩き出したレヴィシュタールを、少し離れた位置に立つゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)が呼び止めた。怪訝と歩み寄るレヴィシュタールへ軽く礼をしてから、ゴルガイスは声を潜める。
「どうもこのパーティーの主催者、悪い輩ではないようだが、度々こうした催しものをしてはトラブルを起こしているようだ。貴公も気を付けた方が良い」
「……そうなのか? ご忠告、感謝する」
 同様に声を潜めたレヴィシュタールは、ゴルガイス同様に周囲を警戒しているベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)へ目を向けた。ベルテハイトもまた深々と頷くと、静かに口を開く。
「グラキエスの体調は悪くないが、何かあってからでは遅いからな。折角の機会だ、ロアと自由に交流していてもらいたい」
「そのためにも、万一に備えて我とベルテハイトがついて来たのだ。過剰な警戒は不要かとも思うが、一応、な」
 二人の言葉に頷くと、レヴィシュタールは再び飲み物を求めて歩き出した。その途中でふと振り向き、思い出したように「貴公らも何か飲むか?」と問い掛ける。
「では、お言葉に甘えて何か頂こう」
 ベルテハイトの返答に頷いて、レヴィシュタールはその場を離れた。
 そんな彼らの会話が聞こえてくることもなく、歌声に耳を傾けながら、ロアとグラキエスは歓談を続けている。
「そっちも美味いだろ、何か食べたいものがあればまた今度作ってやるぞ」
 もぐもぐと弁当を平らげていくグラキエスを満足げに見守りながら、ロアは得意げに語り掛ける。その言葉にぱっと顔を上げたグラキエスは、考え込むように眉を寄せた。
「そうだな……」
「そんな真面目に考えなくても、思い付いた時で構わねーよ」
「タコ、とか……」
「た、タコ?」
 水中を眺めながらのグラキエスの言葉に、今度はロアが思案するように目を泳がせた。タコ焼き、酢の物、揚げもの、次々と浮かんでは消えるそれらに思い巡らせる。
「しかしお前の様子を見ていると、友人と言うより弟の世話をしたがる兄のようだな」
 そんな彼の眼前へ、不意にカップが一つ差し出された。同時に告げられたレヴィシュタールの指摘に、ロアはむっと唇を尖らせる。
「何だよ、悪いかよ」
「いや、悪いとは言っていない。むしろ、良いのではないか? 『弟分』がいれば、お前のフリーダムさも少しは落ち着くだろうしな」
 皮肉気にそう言い残し、グラキエスの前にもカップを置いて、レヴィシュタールは再びその場を離れていった。「フリーダムで悪かったな」とごちるロアに、グラキエスは無邪気に笑い掛ける。
「また一人兄貴分が増えるな」
「兄貴って呼んでくれても良いんだぜ、グラキエス」
 そう言い合って愉快気に笑うと、二人はお菓子や飲み物を手に暫し穏やかな歓談に勤しんだ。


「そーいえば、君達ってどこまで進んでるのー?」
 ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)の唐突な問い掛けに、ヴラドはきょとんと双眸を瞬かせた。その傍らでは、シェディが飲みかけの紅茶を小さく吹き出している。
「どこまで、というと……?」
「ああ、もう随分と進んだみたいですよ」
 疑問気なヴラドに助け船を出したのは、穏やかな笑みを湛えたエメ。
 しかし彼は、先程までの会話からヘルの問いを『入学に向けての勉強の進度』と誤解していた。
「へー! じゃあもうやっちゃったりしたんだ?」
「いえ、まだ受けてはいないみたいですよ」
 前者はナニを、後者は試験を。擦れ違ったまま進む会話にヴラドは首を傾げ、シェディは両手で頭を抱えている。
「なーんだ、じゃあもう一歩だね」
「ええ、応援したいですね」
 楽しげに目を輝かせるヘルと、おっとりと微笑むエメ。壮絶な誤解を生んだまま、ヘルはふと顔を上げる。
「あれ、そう言えば呼雪は? 僕探してくる!」
 傍で共に話していた筈の早川 呼雪(はやかわ・こゆき)の姿がいつの間にか消えていることに気付いたヘルは、「呼雪ー?」と声を上げながら慌ててその場を離れていった。
 取り残されたファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)はぴょんと跳ねてテーブルの端に両腕を乗せ、ゆらゆらと水中に尾を揺らしながら首を傾げる。
「どこまで進んでるとかって何が? 入学の準備かな?」
「それは」
「ええ、勉強の話ですよ」
「え」
 咄嗟に制止しかけたシェディの声を遮るように告げられたエメの言葉に、シェディは思わず目を丸めて言葉を失った。ファルはと言えば疑問を抱く様子も無く、「そうなんだ!」と嬉しそうに尻尾をぴょこぴょこ跳ねさせている。
「早く入学できると良いね、ヴラドさん達がいてくれたら楽しいもん」
「そう言って頂けると嬉しいですね、頑張りますよ。……シェディ?」
 ようやく話題に追い付いたヴラドは上機嫌に頷くと、がっくりと項垂れるパートナーへ目を向けた。
「いや、……もうそれで良い」
 疲れ切ったようなシェディの言葉には首を傾げながらも、ヴラドは思い出したようにファルへ菓子を勧めた。
「どうぞ、持って来たんですよ」
「あ、えっと、ボクはいいや……ほ、ほら! コユキの作ったお菓子、持ってきたよ」
 渋い顔で首を横に振ったファルは、ヴラドの気を逸らすようにバスケットを袋から取り出した。現れるクッキーや焼き菓子に、一同はほっと胸を撫で下ろす。
「シェディさんがパラミタに来たのってどんな経緯だったの?」
 かりかりとクッキーを齧りながら、ファルは尾を揺らして問い掛ける。考え込むように視線を逸らすシェディが口を開くよりも早く、ヴラドは遮るように身を乗り出した。
「そう言う呼雪さんはどうだったんですか?」
「コユキ? コユキは特に自分の望みとか無くて、ボクが帰りたがってたからだったみたいだけど……」
 懐かしむように遠い目をしたファルは、ヘルの去っていった方向へと顔を向ける。
「だからコユキが今頑張ろうとしていること、応援してあげたいんだよね」
「ホスト喫茶ですか?」
 にっこりと笑むファルを微笑ましげに眺めながら、ヴラドがやや的外れな言葉を返す。
「え? うーん、それもかな」
 悩むように腕組みをした途端、支えのなくなったファルの身体は緩やかにテーブルから落ちていく。
 慌ててばたばた尻尾と足を揺らして浮かび上がったファルは、何とか再び元の位置へ戻った。
「こう見えて、ボクも色々考えてるんだからね!」
 小さな胸を張るファルにうんうんと頷き返し、ヴラドもまた彼の持ち込んだ焼き菓子へと手を伸ばした。


 水着の上から纏ったパーカーを揺らし、呼雪は一人静かに葦の合間を漂っていた。
(……タシガンにも、こんな綺麗なところがあるんだな)
 ぼんやりと回想に浸る呼雪の脳裏には、葦の淡い輝きと共に様々な人の顔が浮かび上がる。
 こんな美しい景色を見せたかった、しかし叶わなかった人々の顔。浮かんでは水泡と共に儚く消えてしまうそれを追うように、呼雪は無意識に湖面へ向けて手を伸ばす。
「呼雪? こんなところにいたの?」
 その手を握り締めたのは思い出の中の人ではなく、ヘルだった。
 ぎゅっと握られた手の感覚に、呼雪ははたと我に返る。
「……ヘル」
「綺麗だね、呼雪。……呼雪?」
 何気なく感想を口にしたヘルは、しかし呼雪のどこか余裕のない表情に気付くと、疑問気に呼び掛けた。同時に手を放し、伸ばした両腕で彼の身体を包み込む。
「どうしたの? 呼雪。僕に話してよ」
 促すように、彼の心の強張りを解すように、柔らかな声で。
 そうすると、呼雪の唇が小さく動いた。
「人間は馬鹿だ……ちっぽけな癖に自分達が世界の中心だと、世界を牛耳っていると勘違いして、何もかも壊していく」
 痛切な響きで絞り出されたそれに口を挟むことなく、ヘルは耳を傾ける。
「下らない理由で争って、つまらない欲望で人のささやかな願いも踏み躙って……それは結局、地球もパラミタも変わらなかったな……」
 酷く悲しげな呼雪の言葉。そっとその背を擦りながら、ヘルもまた思い巡らせる。
(確かに世の中は理不尽で、人間はどうしようもなくて、でも僕は呼雪といられて幸せだ。……じゃあ、呼雪の幸せはどうしたら……?)
「……済まない。俺、お前や周りの人たちに甘えてるな」
 そんなヘルの思考を遮るように、呼雪は苦笑交じりに呟いた。
 ヘルがその面持ちに目を落とすと、呼雪の表情には幾らか落ち着きが戻っているように見えた。
 それを確認し安心してからようやく、ヘルは呼雪の言葉を思い出す。
「えぇっ、呼雪いつ甘えてたの? みんなの前じゃ、いっつもお父さんとかお兄さんみたいな顔してる癖にー」
「……そうか?」
 驚愕を露にしたヘルの反応に、呼雪は疑問気な視線を返す。
 ヘルは大きく頷くと、不満げに声を上げた。
「そうだよ! もっと、倍くらい……いや、十倍甘えてくれたって全然構わないし。あ、百倍くらいじゃないと分からないかも!?」
 両腕を大きく広げたヘルの熱弁に、呼雪は小さく喉を鳴らして笑うと、困ったように眉を下げて「努力する」と返した。
「大体呼雪はー……って、あれ?」
 更に言葉を重ねようとしたヘルは、しかし半ばで言葉を切る。「どうした?」との呼雪の問いを受けてようやく、ヘルは緩慢に片手を持ち上げた。
「呼雪、あれ……」
 ヘルの指し示す先には、ぷかぷかと意識を失って漂う変熊の姿があった。
 そしてその奥から、巨大なタコが群れをなして迫ってくるのが見える。
 剣を掲げているタコもいることから、タコたちに敵意があるのは明らかだった。
「またタコか……ヴラドも随分タコに縁があるな」
「どうする? 呼雪」
 緩慢に移動するタコの群れからは、まだ少し距離がある。
 ヘルを庇うように立ち位置を変えながら、一拍考える前を置いた呼雪は、肩越しにヘルを振り返った。
「俺は変熊を回収してくる。ヘルは先に皆に知らせに行ってくれ」
「分かった! 気を付けてね、呼雪!」
 心配そうに呼び掛けながらも、ヘルは素直に指示に従って水を蹴る。
 彼を見送った呼雪は丁度タコの群れとの間にいる変熊を葦の内側へ連れ戻すべく、勢い良く前方へ飛び出した。