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【ザナドゥ魔戦記】アガデ会談(第2回/全2回)

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【ザナドゥ魔戦記】アガデ会談(第2回/全2回)
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第10章 街・時計塔〜ロノウェとヨミ

 バルバトスの飛び去ったあとの時計塔には、ロノウェだけが残っていた。
 来たときと変わらず燃えている街。そこを逃げ惑っている人間たちの姿を、ロノウェは無表情に見下ろしている。
 バルバトスのように喜悦を浮かべるでなく……だが彼らの陥った境遇に同情するふうでもない。そこにあるのはただ、静けさだった。
 どれくらいそうしていただろうか。
 やがて、塔の鉄製のドアが開くかすかな音に続いて、階段を駆け上ってくる靴音が響いてきた。
 壁に沿ってゆるやかな螺旋を描きながら最上階へと続く石段。一度も立ち止まることなくそこを踏破して現れたのは、トライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)だった。
 ぜいぜいと切れた息を整えている彼の姿を見ても、ロノウェは驚かなかった。
 アナトとこの少年の結びつきを、ロノウェは目にしてきている。だから彼がここに現れることも、その目的も、半ば予期できていた。
「ロノウェ。アナトの魂を返せ」
 その手には、ブレード・オブ・リコが握られている。
「あれは私のものよ。ひとの持つ魂がほしいなら、戦って奪い取るしかないわ。この私と戦いたいというの? あなた」
 淡々とした、抑揚のない声でロノウェは答えた。
 人間を相手に1対1の勝負など、笑い話にしかならない。普段の彼女であれば、一顧だにしないだろう。だが今は、もし彼がそれを望むなら、相手をしないでもない気分だった。――どうせ一撃で終わるだろうが、それでも少しは気晴らしになるかもしれない。
「そんなんじゃねぇ」
 トライブは手を振り切り、退けた。
「等価交換だ。かわりに俺の魂をくれてやる! 死ななきゃ魂が取り出せねぇっていうんなら、今ここで腹ぁかっさばいたっていい!」
 ブレード・オブ・リコを自らの腹にぴたりとあてる。
 トライブは本気だった。ロノウェが応じたら、一刀で切り裂く。
 この魔神は、己の誇りに賭けて、した約束は必ず守る。アナトの魂を返すと口にすれば、決して違えたりはしない。不思議と、それについては確信を持って信じられた。
 決意を浮かべた真剣なまなざしが、ひたとロノウェを見つめる。しかしロノウェはそんなトライブの姿に鼻白む。気晴らしにもならなかったと、わずかにあった彼への関心すら失ってしまったようだった。
 もはや下の街ほどにも関心は持てないと、再び窓の外へと視線を戻す。
「ロノウェ!」
「そうやってたやすく捨てられる魂に価値があると思っているの? 人間。彼女の魂と釣り合うと? 何のために私たちがパートナーの魂を差し出せと言っているか、まるで分かっていないようね。
 帰りなさい、人間。その粗末な魂を抱いていればいい。あなたにお似合いよ」
 だらりと、トライブの手が落ちた。その指からブレード・オブ・リコがすり抜け、床を転がる。
 トライブは崩れるようにその場に両膝を落とすと両手を前についた。
「……頼む、ロノウェ……俺はあの人を幸せにすると約束した。たとえ誰を敵に回しても、その約束を曲げるわけにゃいかないんだ」
「あなたの決意など知ったことではないわ。あなたがそう決めたからと、なぜ私がそれに従わなくてはならないの」
「じゃあ教えてくれ! どうしたらアナトの魂を返してくれる!? 言ってくれさえすれば、俺が必ずそうしてみせるから!」
 ぴくりとロノウェの横顔が反応した。
 しかしそれは、トライブの言葉によるものではなかった。
 比較的安全と思われる屋根を渡って時計塔へ向かってくる、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)姫宮 みこと(ひめみや・みこと)本能寺 揚羽(ほんのうじ・あげは)に気付いたからだ。
 そしてルカルカたちもまた、ロノウェが自分たちに気付いたことに気付いて、足を止める。
「ロノウェ!」
 ルカルカは下の喧噪に負けまいと声を張り、胸元から魔石を取り出してかざした。
「アナトへの命令を解いて、魂を返して! お願いよ、ロノウェ!」
 小さな石に封じられたアナトの姿に、ロノウェは目をしぱたかせる。ハンマーを手に窓を越え、彼女たちと同じ屋根に飛び移った。
「彼女を殺さず、魔石に封じたのね」
「殺したりなんかしないわ。アナトは大切な友達だもの」
 「アナト」と、わざと名前を口にする。決して代名詞を用いたりしない。交渉術の初歩だ。
「アナトはやさしくて、とてもいい人よ。私たちを傷つけたくなくて、泣いていたのをあなたも見たでしょう? 私たちを殺すか、殺せなければ死ねなんて……アナトはあんな命令を受けるようなことは何もしていないわ」
「そうです。アナトさんは、すばらしい女性です」
 みことも同意するように頷く。
「あなたは知らなかったでしょうが、先立って戦いを起こした魔族であるあなたを怖がって、メイドたちはあなたのお世話に消極的だったんです。だからコントラクターであるボクが、立候補したんです」
 もちろんそうしたのは、みことにはみことの目的があったからだが、メイドが怖がっていたのも事実だった。
「でもアナトさんは普通の人で、ボクたちのような力は持っていない。それでも魔族だからとあなたを怖がったりせず、誠実に接していました。そのドレスだって」
 みことが指差したのを見て、初めてロノウェは自分がまだドレスを掴んでいたことに気付いた。
「ねぇ、覚えているでしょう? あのとき、アナトさんがどんなだったか。なのにボクたちへの見せしめというだけで殺されて、魂を奪われて……自ら首をはねろなんて命令を受けるいわれはないはずです!」
「妾も覚えておるぞ。
 のう、ロノウェ。妾はいくさを否定はせん。いくさとなれば、相手が魔族であろうとなかろうと剣をふるって戦うのみじゃ。その際、少なからぬ犠牲が生まれるのもまたいくさの習いよ。それがいくさの側面でもある。しかしのう、これは少々違うのではないか? バァルは和平を望み、講和を申し出た。今となってはお笑い草じゃが……しかしそれは、いくさと無関係なアナトを見せしめにせねばならぬほど、だいそれたことであったのか?」
「ねえ、ロノウェ。あなたも本当はアナトを死なせたくなくて……アナトには生きていてほしいから、ああして魂を奪って、助けてくれたんでしょう?」
 切々と訴えてくる彼らを前に、ロノウェはため息をついた。
 その目は暗く、現れたときから何も変化は見せない。
「これは彼にも言ったことだけれど」
 背後、時計塔から飛び降りてきたトライブを肩越しにちらと見る。
「あなたたちがそう思うからといって、私もそうであるいわれはないのよ。私の持つ魂がほしいのであれば、私と戦い、奪い取るしかないわ」
 魔族にとって、魂を持つことはステータス。力ある者ほどより多くの、そして質のいい魂を持つことができる。そしてそれを手放すことは弱さの証であり、相手が望んだからといちいち魂の返却に応じていては上に立つ者として示しがつかない。もしそんなことをしてそのことが広まれば、ロノウェの権威を低く見、あなどる者も出るだろう。
 とはいえ。
「――あなたたちには借りがあるわ。私が意図したことではないにせよ、加担してしまったのは事実。だから、魂を返すわけにはいかないけれど、自殺の命令は解いてあげる」
「そんな!」
「解除しなくてもいいのよ。今そこの者が言ったように、今回の件であなたたちの側に全く落ち度がなかったわけでもないでしょう。
 するか、しないか。あなたたちが選べばいいわ」
「…………」
 ルカルカはロノウェと目を合わせ、その言葉が本意であるかを探る。しかしどう見てもそこにあったのは、これ以上交渉する気はないという、揺るぎない意志だった。
 高望みはできない。
 そうと悟ったルカルカは魔石を屋根に打ちつけて割り、アナトを解放した。
「アナト、いらっしゃい」
 唐突な目覚めで現状把握が追いつかず、とまどっているアナトを呼び寄せ、ロノウェは先のバルバトスの命令を解除する。
「これであなたは自由よ。あとは好きにすればいい」
「あ……わたし……」
「アナト、よかった!」
 ロノウェが離れるのと入れ替わりに、嬉々としてルカルカたちがアナトに駆け寄る。
 けれど、触れられることを拒むかのようにアナトは後ろへ身を退いた。
「アナト?」
「ごめんなさい、ルカ。全部覚えているの……自分が何をしていたか。でも、どうしても止められなかった」
「そんなの! あれはあなたの意思じゃなかったって、知ってるわ! けがだってもうとっくに治ってる!」
 見て、と両手を伸ばす。
「そうさ、気にすることなんか何もないんだ」
「アナトさん、もう終わったんです。だれもあなたを責めていません。ボクたちと一緒に帰りましょう」
 アナトは目を伏せ、体のわななきを静めようとするかのように自らを抱き締めると、絶望的に首を振った。
「帰れないわ」
「アナト!?」
「またいつ操られることになるか分からないから……そうなったら、バァル様やあなたたちを傷つけてしまう。今度こそ殺してしまうかもしれない」
 そんなことには耐えられないから……。
 こぼれた涙がひと粒、ほおを伝う。
「ヨミの帰りが遅いわ。軍に指示が伝わっている様子も見えないし。何かあったのかも。――行くわよ、アナト」
 ロノウェの足が屋根を離れた。大きく弧を描き、はるか先の屋根へと着地する。
「はい、ロノウェ様」
「行くな、アナト!」
 腕を掴んで止めようとしたトライブの手をすり抜け、アナトもまた、ロノウェを追って跳ぶ。
 彼らの跳躍は、到底4人について行けるものではなかった。


*          *          *


 はたしてヨミは、とある家屋の屋根の上で蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)の横に腰かけて、もらった板チョコにかぶりついていた。
 満面の笑顔で口をモグモグさせているヨミを見て、夜魅は立てた膝の上で頬づえをつく。
「ママから聞いたんだけど、あなたの名前もヨミっていうんだって? あたしと同じ名前だね! あたしも「ヨミ」っていうんだ。ふふっ。ママに頼まれたから、あたしがヨミの護衛をするよ!」
「ヨミに護衛など不要なのです。ヨミはロノウェ様の副官で、軍だって持っているのですからっ」
 ヨミはすました顔で答える。しかしほおがチョコで汚れているので、せっかくの言葉がだいなしだ。
 夜魅はポケットからハンカチを取り出し、ふき取ってあげた。
「うーん。じゃあ友達はどう? ヨミ、友達いる?」
「トモダチ?」
 きょとん、と目が丸くなった。
「その顔……もしかして、あたし、ヨミのはじめての友達? じゃあ、一番の友達だねっ! 親友になろっ、ヨミ!」
「無礼な。ヨミ様と呼ぶのですっ」
 差し出された手をまじまじと見つめて、ヨミはぷん、と顔をそむけた。
「友達は、敬称なんかつけないんだよ! だからあなたはヨミ! ねっ?」
 夜魅は強引にヨミの手を引っ張り、自分の手と握らせた。
 ロノウェの副官として魔族に恭しくされることはあっても、こんなふうに強引に腕を掴まれたりしたことはない。あまつさえ対等に口をきかれたことなどないヨミは、すっかり度肝を抜かれてか、腕を引き戻すことも思いつかずに夜魅をまじまじと見返した。
「ん? どうかした? ヨミ」
 カッと真っ赤になって、あわてて手を振り放す。
「ヨ、ヨミは、トモダチとかいうものなんか、不要なのですっ。ロノウェ様がいらっしゃれば、十分なのですからっ」
 もぐもぐもぐ。チョコにかぶりついたが、今度のそれはいかにもごまかしだった。口いっぱいにチョコをほおばって、食べることに夢中になっているフリをしている。
 それがただのフリなのはミエミエで、本当は自分の方に意識の大部分を向けていることに気付いている夜魅は、ニヤニヤ笑いながら大きな耳の先っちょをツンツン引っ張った。
「ヨミはロノウェのことが好きなの?」
「無礼でしょう! ロノウェ様と言いなさい!」
「んーと。じゃあ、ロノウェ様。これでいい?」
 よろしい、と言わんばかりにヨミは鷹揚に頷く。
「それで?」
 促され、答えようとした、そのとき。
「こんな所にいたの」
 ロノウェが同じ屋根に着地した。
「ロノウェ様!」
 パッと表情を明るくして立ち上がったヨミが、ぱたぱたと走り寄る。
「……ヨミ。あなた、私の命令はどうしたの? ちゃんと伝えた?」
「――はうっ……」
 今の今まで忘れきっていたことに気付いて、ヨミは目を白黒させる。
 その手に握られた食べかけの板チョコを見て、ロノウェは眉をしかめた。
「あなたの食癖についてとやかく言う気はなかったけれど、命令に支障をきたすようでは放置できないわ。これから1カ月、チョコは禁止!」
「えええっ!!」
 がーーーん。
「待って!」
 ショックのあまり、ぽろりとチョコを落としてよろけたヨミをかばうように、夜魅が2人の間に割り込んだ。
「あたしが悪いの! あたしがヨミと友達になりたくて、呼び止めたりしたから!」
「あなたは?」
 うさんくさそうに夜魅を下に見る。
 答えたのは、少し離れた所から様子を伺っていたコトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)だった。
「私の子です」
「あなたはたしか、あの会議室にいた……?」
「はい。コトノハといいます」
 コトノハはゆっくりと、同じ屋根に歩を進めた。武器は何も持っていないことを示すため、指を前で組んでいる。
(よかった……アナトさん、解放されたのね)
 視界の隅に、控え目に立っているアナトの姿を確認して、コトノハはほっと胸をなでおろした。
 ロノウェと一緒に行動しているということは、魂の返却はかなわなかったのだろう。けれど、夜魅や自分を攻撃してこないということは、あの命令は解いてもらえたのだ。それは彼女の陥った状況を思えば、せめてものことだった。
 そして、それをかなえてもらえたということであれば、この魔神はやはりあの魔神とは違う。そう、コトノハは確信し、あごを上げた。
「ロノウェさん、やはり万博に来ていただけませんでしょうか?」
 コトノハの切り出しに、ロノウェはぽかんとあっけにとられた。
「――は?」
 この期に及んで一体何を口にするかと思いきや、万博?
 この女には、周囲の状況が見えていないのだろうか? 街が燃え、魔族が襲撃し、逃げ惑っている人間の悲鳴が、この女には聞こえないのか?
 人間がどうなろうとロノウェには知ったことではなかったが、それでも、同族の苦境に対し無関心な様子を見せる彼女の姿には、わが目を疑う思いだった。
「シャンバラで開催される万博とやらに、私に出ろと言っているの?」
 ――いや、もしかすると、これは何かの策かもしれない。実際、ヨミは誘惑されて軍に自分の命令を伝えるのを怠ったのだし、とロノウェは気を引き締め直し、油断なくコトノハを見返す。
「そうです」
 うなずくコトノハは真剣そのものだ。
「あるいは魔王パイモン、できれば全魔神に。
 あのあと、シャンバラにいる友人と連絡をとりました。国家神アイシャに、あなたたち魔神を招聘してはいただけないか交渉中です」
「そう。では許可がおりてからあらためて書状を出してちょうだい」
 今夜アガデが陥落し、東カナンという国がなくなってもそんな許可がおりるのか、はなはだ疑問ではあったが。人間がそういう種族だというのなら、それはそれで自分にはどうということもない。
「さあ行くわよ、ヨミ、アナト」
「待ってください!」
 背を向けかけたロノウェを、あわてて呼び止めた。
「まだ何かあるの? 人間」
 やはり目的は時間稼ぎか。警戒するロノウェの前、コトノハは両手を差し伸べるしぐさをした。
「私……あなたの気持ちが分かります。いいえ、分かる気がしているだけかもしれない。本当は、私なんかでは想像もできないくらい、あなたの思いは強いのかもしれない……。でも、こう思うんです。あなたは、人間を憎んでいるんじゃない。憎もうとしているだけで、本当は失望しているのだと。
 私も経験があります。過去、信じていた人たちに裏切られたことがあるから……。私を断罪する前に、私の真意を知ろうとしてほしかった。きっと彼らならそうしてくれると思っていたのに、彼らは決めつけ、話を聞こうともせず、ただ自分の考えのみで私を裁きました」
 つらくて、苦しくて、やり場のない思いだけが胸で反響していた。なぜ? と。私たちは友達ではなかったの? 私がどういう人間か、知っていてくれたのではなかったの? なぜ友達に、あんな残酷な真似ができたの?
 あれから大分時間が過ぎた今でも、思い出すだけで涙がにじむ。
「……でも、思ったんです。それすらも、私が勝手に作り上げていた友人像なんです。私が勝手に私の価値観で作り出していた「友とはこうあるべきもの」というものに彼らをあてはめていて、そうでなかったからと、怒って……。
 私が腹を立てているのは、結局、彼らが私の望む友人の姿とは違ったから。勝手に失望しているんです」
 彼らは、ただ彼らであっただけ。そのことに、いいも悪いもない。
「ロノウェさん、あなたもそうだったんじゃないですか? 「人間はこうあるべき」と、自分の中で作り出して、その基準を満たしていなかったからと失望して……。
 「人はすぐに忘れる」「人はすぐに心を変える」耳の痛い言葉です。それを否定するつもりはありません。ですから、人がそうしないためにはどうすればいいか、一緒に考えませんか? 口伝えでは限界があります。歪曲されないように何か形のある物で遺さないといけないでしょう。石碑や、文書として遺したり、会談の内容を全世界に生中継して多くのひとたちを証人にしたり――」
「もう遅いのよ、人間」
 ロノウェは静かな……穏やかとも言える声で、コトノハの言葉を止めた。
 その目には、いつしかあわれみの光が浮かんでいる。
「あなたはこれが持つ意味を、全く分かっていない」
 見ろと言うように、ロノウェは燃える街に向けて手を広げた。
「バルバトスが何を意図してこうしたか。ただ領主バァルやアガデが気にくわないからこうしたと、あなたは思っているの?」
 あの狡猾な魔神が、それだけのためにするはずがない。
 だからこそ彼女は同じ魔族にも畏怖される存在として、数千年もの長きに渡り、最強の魔神と呼ばれてきているのだ。
「何を……何が彼女の目的だったんです!?」
 そこまで教えてやる義理はない。
 驚愕するコトノハに、ロノウェは今度こそ背を向け、振り返らなかった。
「ヨミ、さっさと命令を伝えてきなさい。今度寄り道をして忘れたりしたら、承知しないわよ」
「はいなのですっ」
 あたふたと、ヨミは大急ぎ、屋根を跳び渡って行く。
「ロノ――」
「ロノウェ様」
 追いすがろうとしたコトノハの声にかぶさって、シャノン・マレフィキウム(しゃのん・まれふぃきうむ)マッシュ・ザ・ペトリファイアー(まっしゅ・ざぺとりふぁいあー)魄喰 迫(はくはみの・はく)を伴ってこの場に現れた。
 自分たちの出現に身構えたコトノハをちらと見て、冷笑する。
「遅くなりまして、申し訳ありません」
「ちょうどいいわ。アナトをロンウェルの城へ連れ帰ってちょうだい」
「分かりました。――マッシュ」
「え? 俺?」
「おまえはスキルを封じられているからな」
 ……むーう。まだまだ楽しくなりそうなのに。マッシュは不服そうに表情を曇らせる。
 でも、シャノンさんの命令だから、仕方ないか。
「はーい」
 いかにもしぶしぶといった様子ではあったものの、マッシュは逆らわず、アナトに合図を送ると彼女を連れてクリフォトの樹へ向かった。
 そしてシャノンと迫も、ヨミの守護に回る許可をもらい、一礼して飛び去って行く。
 屋根の上に残ったのは、ロノウェとコトノハ、そして夜魅だけ。
「ロノウェ……」
「無駄よ、人間。もう事は起きてしまった。あなたにはどうすることもできないのよ」
 今この瞬間にも、バルバトスの計画は着実に進行している。人間はそれとも知らず、彼女の狙い通りに動いているのだ。
 おそらくは、己が考えたことと信じて疑わずに。
 これ以上ここにいる意味はない。ロノウェはハンマーを手に、跳躍する。
「ロノウェ! 待って!! 数千年前、人間と魔族は共存していたのでしょう? なら、私たちも共存できるはずよ! そうでしょう!?」
 西の進軍が遅い。何か手間取っているようだ。ロノウェはそちらに意識を集中し、コトノハの言葉を意図的に胸から締め出そうとする。だがそれは思ったほど、うまくいかなかった。遠いこだまのように身内で何度も反響し、ぶつかり合い、細かな破片と化して散っていく。
「……もう遅いのよ……」
 だれに言うでもなく、ロノウェは繰り返す。

 なぜなら、すべてはもう決してしまっているのだから――。