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●総合格闘技トーナメント大会(6)

 しかし、レロシャンを倒してなお、イングリットには受難が続いた。
 どれだけ走っただろうか。
 茫漠と歩いていた彼女は、完全に帰路を失念していたのである。
 まるで解けない結び目、走れば走るほど道に迷い、目的地はますます遠のくように思われた。
 急いでいるときに限って下駄の鼻緒が切れる。あるいは、見知らぬ人に呼び止められ対応を求められる。
 ずいぶん回り道をしてようやくイングリットは戻った。
 肩で息しながらリングに上がるも、逆に、リングから出ようとした牙竜と彼女は正面衝突してしまった。
 牙竜は哀しげな溜息をついた。そして、イングリットの身体を丁重に遠ざけて、
「ぶよぶよした感触は……チィ、脂肪か。無駄乳にするより筋肉に鍛え直した方が防御力が上がるぞ? 今回は残念なことになったが、これがリングの上だったらセクハラだったな。……これでよかったのかもしれない」
 と、呟いて降りていった。
 彼の手には豪華な黄金のトロフィーがあった。
「これは……どういうことですの……?」
 すると、彼女の傍にヴァーナー・ヴォネガットが駆けてきて告げたのだった。
「あ〜、イングリットおねえちゃん、どこにいたんですか〜? しあいのはじまるじかんになってもきてくれないから、じかんぎれ不戦敗で負けちゃったんですよ〜! せっかくのファイナルだったのにざんねんです〜!」
 しょんぼりとヴァーナーは肩を落としている。
 優勝は牙竜に決定し、今し方大会は閉幕したところだ。
 見回すと、客席も人はまばらになっていた。秋の風が冷たかった。
 牙竜が哀しげだったのも仕方がないだろう。
 なんという、ことだ。
「わたくしとしたことが……!」
 イングリットはマットに両手をついた。
 強さを求めること、それは重要だ。
 しかし、強さだけでは成し遂げられないものもある。
 ――それを学んだだけでも、イングリットにとっては成果があったかもしれない。
 イングリットの顔に影が差した。
「残念だな……。だが」
 誰かが近づいて来たのだ。マットを踏み、その人物は彼女を見おろしていた。
 上半身は裸、左腕は戦傷によるものだろうか、青みを帯びた金属の義手になっている。
 水晶のように透明感のある青い髪をかきあげて彼――橘 恭司(たちばな・きょうじ)は言った。
「バリツに興味があって来てみたが……大会は終わっていた」
 彼は名乗ると、まっすぐにイングリットを見て告げた。
「キミの噂は聞いている。バリツ使いとしてかなりの手練れだと。しかし、なんというべきだろう……キミは何か勘違いしているように思う」
「勘違い?」
 イングリットの顔が上を向いた。すでに、嘆きの表情は消えて、凛とした彼女が戻っていた。
「言葉で説明するのは難しい」
 恭司は拳を固めた。
「ゆえに、同じ掌打を愛用する者として全力で教育しよう、本当の格闘術……殺しと紙一重の活人を」
「いや、でも、たいかいはおわったんですよ〜」
 というヴァーナーに、
「エクストラマッチ、ということでいかがでしょう。このままでは私も収まりませんし」
 にこりと微笑して、イングリットはバリツの構えを取った。
「相当な使い手とみました。恭司さん、胸を借りるつもりで稽古をつけていただきます!」
「その意気だ」
 恭司は不思議な構えを取った。右手をすっくと伸ばして開き、左半身を下げる。
「俺は掌底にこの腕しか使うまい。金属の左手で殴るのはフェアではない」
 空気に慄然としたものが混ざり始めた。
「ただし、それ以外の投げ、絞めには両手を使う。いいな?」
「お願いします」
 慌ててヴァーナーは銅鑼に戻り、これを叩いたのだ。
「いいか! 見ろ、そして学べ!」
 恭司が仕掛けた。
「これが掌底だ! 射貫くように放ち、関節を取られないよう直ぐ戻す!」
 稲妻のような掌底だ。彼の手は風を起こした。ガードしたイングリッドは、その風圧だけで吹き飛びそうだった。
 恭司はなおも続ける。
「足の甲での蹴り、放つ時は腿を狙う!」
 ぱん、と伸びた足は、岩すら砕きそうな音を発し、
「爪先の蹴りは、相手の顎を狙い脳を揺らす!」
 連続攻撃、反対の足で蹴ると、その爪先は槍と化す。
「やってみろ!」
「はい!」
 たとえるならば恭司は龍、それも、天に向かって昇る龍だ。
 自分は虎になれるか。いや、ならねば、そう誓ってイングリットは掌底を、そして蹴りを繰り出すのである。
 二人の試合は試合というより、演舞に近いものとなった。
 すぐに見物客が戻り、二人は黒山の観衆のなか鍛錬を続けた。
 一撃、一撃に観衆はどよめく。
 投げ、関節技に人々は上気する。
 秋の特設リングは、今、真夏よりも暑く、厚く、熱いのだった。